5 / 42
悪役令嬢2
優しい怒り
しおりを挟む
久しぶりに、涙の池が枯れそうなほどに泣いてしまったので、水嚢で目元を冷やしていた。
こんなことになったのはマリアのせいだ。
彼女が、当り前のことを言うから。
私が得られなかった『当たり前』を与えてくれたから。
水嚢はひんやりしていて気持ち良い。
氷が作れるほど寒い季節ではないけれど、常温でも冷たく感じる程度には外気が冷たい。
その水嚢の中にある冷たい水が、私の体温でぬるくなった頃、目の周りの熱は引いて行き、痛みなどは残らなかった。
「どうかしら?」
マリアに聞いてみると、彼女は優しく微笑んで、「少し腫れが残ってしまいましたね」と言う。
それからすぐに化粧品を持って来て、「明日には引くと思いますから、今日は厚めの化粧で誤魔化しておきましょう」と提案した。
私は小さく頷いて、全てをアンナに任せた。
マリアが私に化粧を施すだけの、静かな時間が流れる。
その時間すらも、今の私には心地よかった。
いつもの私はイライラして、時間ばかり気になっていたのに。
外は相変わらずの土砂降りで、憂鬱になるほどの雨音が窓を叩いているのに、それとは裏腹に私の心は晴れ晴れとしていた。
朝起きた時までは土砂降りだった心が、今は雨上がりの清々しい空を覗かせている。
「終わりましたよ」
マリアに告げられて、化粧の完成した顔を鏡で見ると、そこにはいつもとは少し印象の違う私がいる。
化粧を厚く塗ったせいで、いつもよりも自分が大人っぽく見えた。
私としては気に入ったのだけれど、人からはどう見えるのか不安で、「どうかしら?」とマリアに聞くと、「お綺麗です」と深く頷く。
私は嬉しくなって、「ありがと、マリア」と言葉にして、お礼を言う。
言ってから、今までちゃんとお礼が言えていただろうかと思い返すが、最後にお礼の言葉を口に出したのがいつだったのか、思い出せない。
そう思うと、お礼を言ったことが急に恥ずかしくなってきたけれど、マリアはただ、「はい」と頷くだけだったので、恥ずかしがる必要もないように思えた。
部屋を出て、食堂に向かう。
途中ですれ違った使用人は、小さく礼をしてそそくさとどこかへ行ってしまう。
私と関わりたくないという意思表示なのだと思う。
ふと、マリアを見ると、能面のような無表情になっていた。
気にもしていなかったけれど、思い返すとこの顔が、私の記憶にはたくさんあった。
それはいつも、私が使用人に避けられている時だったり、父に怒られている時だったり……。
ああ、そうか……。
今になって気付く。
マリアはいつも、怒ってくれていたのか。
私のために、怒っていてくれたのか。
お世辞にも私は、優れた人間ではないのに。
お世辞にも私は、優しい人間でもないのに。
酷いことも、たくさん言った。酷いことを、たくさんやった。
それなのにずっと、私のために怒っていてくれたのか。
こんな私のために、怒っていてくれたのか。
こんなに近くで、ずっと私の味方でいてくれたのか。
知らなかった。
今まで考えたこともなかった。
マリアの優しさに気付けなかったことに、申し訳ない気持ちになる。
けれど、後悔はしない。
だってこうして、マリアの優しさに気づけたのだから。
マリアが怒っていてくれたことは、マリアの優しさは、一つも無駄になんてならないんだから。
だから……。
「…………ありがと」
私は謝罪ではなく、今日二度目のお礼を言った。
聞こえないようにそっと呟いた言葉は、私が何か喋ったことだけをマリアに伝えたようで、「はい?」と不思議そうに首を傾げている。
その仕草が可愛くて、私は思わず吹き出してしまった。
マリアは不可解な物を見たような、不機嫌そうな顔で私を見つめている。
「ごめん、なんでもないの」
謝罪すると、マリアは納得のいかないような顔をしたものの、気にしないことにしたようだ。
「…………ありがとう、マリア」
今度はちゃんと聞こえないように。
私は心からの感謝を、マリアに伝えた。
こんなことになったのはマリアのせいだ。
彼女が、当り前のことを言うから。
私が得られなかった『当たり前』を与えてくれたから。
水嚢はひんやりしていて気持ち良い。
氷が作れるほど寒い季節ではないけれど、常温でも冷たく感じる程度には外気が冷たい。
その水嚢の中にある冷たい水が、私の体温でぬるくなった頃、目の周りの熱は引いて行き、痛みなどは残らなかった。
「どうかしら?」
マリアに聞いてみると、彼女は優しく微笑んで、「少し腫れが残ってしまいましたね」と言う。
それからすぐに化粧品を持って来て、「明日には引くと思いますから、今日は厚めの化粧で誤魔化しておきましょう」と提案した。
私は小さく頷いて、全てをアンナに任せた。
マリアが私に化粧を施すだけの、静かな時間が流れる。
その時間すらも、今の私には心地よかった。
いつもの私はイライラして、時間ばかり気になっていたのに。
外は相変わらずの土砂降りで、憂鬱になるほどの雨音が窓を叩いているのに、それとは裏腹に私の心は晴れ晴れとしていた。
朝起きた時までは土砂降りだった心が、今は雨上がりの清々しい空を覗かせている。
「終わりましたよ」
マリアに告げられて、化粧の完成した顔を鏡で見ると、そこにはいつもとは少し印象の違う私がいる。
化粧を厚く塗ったせいで、いつもよりも自分が大人っぽく見えた。
私としては気に入ったのだけれど、人からはどう見えるのか不安で、「どうかしら?」とマリアに聞くと、「お綺麗です」と深く頷く。
私は嬉しくなって、「ありがと、マリア」と言葉にして、お礼を言う。
言ってから、今までちゃんとお礼が言えていただろうかと思い返すが、最後にお礼の言葉を口に出したのがいつだったのか、思い出せない。
そう思うと、お礼を言ったことが急に恥ずかしくなってきたけれど、マリアはただ、「はい」と頷くだけだったので、恥ずかしがる必要もないように思えた。
部屋を出て、食堂に向かう。
途中ですれ違った使用人は、小さく礼をしてそそくさとどこかへ行ってしまう。
私と関わりたくないという意思表示なのだと思う。
ふと、マリアを見ると、能面のような無表情になっていた。
気にもしていなかったけれど、思い返すとこの顔が、私の記憶にはたくさんあった。
それはいつも、私が使用人に避けられている時だったり、父に怒られている時だったり……。
ああ、そうか……。
今になって気付く。
マリアはいつも、怒ってくれていたのか。
私のために、怒っていてくれたのか。
お世辞にも私は、優れた人間ではないのに。
お世辞にも私は、優しい人間でもないのに。
酷いことも、たくさん言った。酷いことを、たくさんやった。
それなのにずっと、私のために怒っていてくれたのか。
こんな私のために、怒っていてくれたのか。
こんなに近くで、ずっと私の味方でいてくれたのか。
知らなかった。
今まで考えたこともなかった。
マリアの優しさに気付けなかったことに、申し訳ない気持ちになる。
けれど、後悔はしない。
だってこうして、マリアの優しさに気づけたのだから。
マリアが怒っていてくれたことは、マリアの優しさは、一つも無駄になんてならないんだから。
だから……。
「…………ありがと」
私は謝罪ではなく、今日二度目のお礼を言った。
聞こえないようにそっと呟いた言葉は、私が何か喋ったことだけをマリアに伝えたようで、「はい?」と不思議そうに首を傾げている。
その仕草が可愛くて、私は思わず吹き出してしまった。
マリアは不可解な物を見たような、不機嫌そうな顔で私を見つめている。
「ごめん、なんでもないの」
謝罪すると、マリアは納得のいかないような顔をしたものの、気にしないことにしたようだ。
「…………ありがとう、マリア」
今度はちゃんと聞こえないように。
私は心からの感謝を、マリアに伝えた。
0
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
公爵家の養女
透明
恋愛
リーナ・フォン・ヴァンディリア
彼女はヴァンディリア公爵家の養女である。
見目麗しいその姿を見て、人々は〝公爵家に咲く一輪の白薔薇〟と評した。
彼女は良くも悪くも常に社交界の中心にいた。
そんな彼女ももう時期、結婚をする。
数多の名家の若い男が彼女に思いを寄せている中、選ばれたのはとある伯爵家の息子だった。
美しき公爵家の白薔薇も、いよいよ人の者になる。
国中ではその話題で持ちきり、彼女に思いを寄せていた男たちは皆、胸を痛める中「リーナ・フォン・ヴァンディリア公女が、盗賊に襲われ逝去された」と伝令が響き渡る。
リーナの死は、貴族たちの関係を大いに揺るがし、一日にして国中を混乱と悲しみに包み込んだ。
そんな事も知らず何故か森で殺された彼女は、自身の寝室のベッドの上で目を覚ましたのだった。
愛に憎悪、帝国の闇
回帰した直後のリーナは、それらが自身の運命に絡んでくると言うことは、この時はまだ、夢にも思っていなかったのだった――
※月曜にから毎週、月、水曜日の朝8:10、金曜日の夜22:00投稿です。
小説家になろう様でも掲載しております。
私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~
あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。
「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?
乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
【完結】ドアマットに気付かない系夫の謝罪は死んだ妻には届かない
堀 和三盆
恋愛
一年にわたる長期出張から戻ると、愛する妻のシェルタが帰らぬ人になっていた。流行病に罹ったらしく、感染を避けるためにと火葬をされて骨になった妻は墓の下。
信じられなかった。
母を責め使用人を責めて暴れ回って、僕は自らの身に降りかかった突然の不幸を嘆いた。まだ、結婚して3年もたっていないというのに……。
そんな中。僕は遺品の整理中に隠すようにして仕舞われていた妻の日記帳を見つけてしまう。愛する妻が最後に何を考えていたのかを知る手段になるかもしれない。そんな軽い気持ちで日記を開いて戦慄した。
日記には妻がこの家に嫁いでから病に倒れるまでの――母や使用人からの壮絶な嫌がらせの数々が綴られていたのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる