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悪役令嬢2
優しい怒り
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久しぶりに、涙の池が枯れそうなほどに泣いてしまったので、水嚢で目元を冷やしていた。
こんなことになったのはマリアのせいだ。
彼女が、当り前のことを言うから。
私が得られなかった『当たり前』を与えてくれたから。
水嚢はひんやりしていて気持ち良い。
氷が作れるほど寒い季節ではないけれど、常温でも冷たく感じる程度には外気が冷たい。
その水嚢の中にある冷たい水が、私の体温でぬるくなった頃、目の周りの熱は引いて行き、痛みなどは残らなかった。
「どうかしら?」
マリアに聞いてみると、彼女は優しく微笑んで、「少し腫れが残ってしまいましたね」と言う。
それからすぐに化粧品を持って来て、「明日には引くと思いますから、今日は厚めの化粧で誤魔化しておきましょう」と提案した。
私は小さく頷いて、全てをアンナに任せた。
マリアが私に化粧を施すだけの、静かな時間が流れる。
その時間すらも、今の私には心地よかった。
いつもの私はイライラして、時間ばかり気になっていたのに。
外は相変わらずの土砂降りで、憂鬱になるほどの雨音が窓を叩いているのに、それとは裏腹に私の心は晴れ晴れとしていた。
朝起きた時までは土砂降りだった心が、今は雨上がりの清々しい空を覗かせている。
「終わりましたよ」
マリアに告げられて、化粧の完成した顔を鏡で見ると、そこにはいつもとは少し印象の違う私がいる。
化粧を厚く塗ったせいで、いつもよりも自分が大人っぽく見えた。
私としては気に入ったのだけれど、人からはどう見えるのか不安で、「どうかしら?」とマリアに聞くと、「お綺麗です」と深く頷く。
私は嬉しくなって、「ありがと、マリア」と言葉にして、お礼を言う。
言ってから、今までちゃんとお礼が言えていただろうかと思い返すが、最後にお礼の言葉を口に出したのがいつだったのか、思い出せない。
そう思うと、お礼を言ったことが急に恥ずかしくなってきたけれど、マリアはただ、「はい」と頷くだけだったので、恥ずかしがる必要もないように思えた。
部屋を出て、食堂に向かう。
途中ですれ違った使用人は、小さく礼をしてそそくさとどこかへ行ってしまう。
私と関わりたくないという意思表示なのだと思う。
ふと、マリアを見ると、能面のような無表情になっていた。
気にもしていなかったけれど、思い返すとこの顔が、私の記憶にはたくさんあった。
それはいつも、私が使用人に避けられている時だったり、父に怒られている時だったり……。
ああ、そうか……。
今になって気付く。
マリアはいつも、怒ってくれていたのか。
私のために、怒っていてくれたのか。
お世辞にも私は、優れた人間ではないのに。
お世辞にも私は、優しい人間でもないのに。
酷いことも、たくさん言った。酷いことを、たくさんやった。
それなのにずっと、私のために怒っていてくれたのか。
こんな私のために、怒っていてくれたのか。
こんなに近くで、ずっと私の味方でいてくれたのか。
知らなかった。
今まで考えたこともなかった。
マリアの優しさに気付けなかったことに、申し訳ない気持ちになる。
けれど、後悔はしない。
だってこうして、マリアの優しさに気づけたのだから。
マリアが怒っていてくれたことは、マリアの優しさは、一つも無駄になんてならないんだから。
だから……。
「…………ありがと」
私は謝罪ではなく、今日二度目のお礼を言った。
聞こえないようにそっと呟いた言葉は、私が何か喋ったことだけをマリアに伝えたようで、「はい?」と不思議そうに首を傾げている。
その仕草が可愛くて、私は思わず吹き出してしまった。
マリアは不可解な物を見たような、不機嫌そうな顔で私を見つめている。
「ごめん、なんでもないの」
謝罪すると、マリアは納得のいかないような顔をしたものの、気にしないことにしたようだ。
「…………ありがとう、マリア」
今度はちゃんと聞こえないように。
私は心からの感謝を、マリアに伝えた。
こんなことになったのはマリアのせいだ。
彼女が、当り前のことを言うから。
私が得られなかった『当たり前』を与えてくれたから。
水嚢はひんやりしていて気持ち良い。
氷が作れるほど寒い季節ではないけれど、常温でも冷たく感じる程度には外気が冷たい。
その水嚢の中にある冷たい水が、私の体温でぬるくなった頃、目の周りの熱は引いて行き、痛みなどは残らなかった。
「どうかしら?」
マリアに聞いてみると、彼女は優しく微笑んで、「少し腫れが残ってしまいましたね」と言う。
それからすぐに化粧品を持って来て、「明日には引くと思いますから、今日は厚めの化粧で誤魔化しておきましょう」と提案した。
私は小さく頷いて、全てをアンナに任せた。
マリアが私に化粧を施すだけの、静かな時間が流れる。
その時間すらも、今の私には心地よかった。
いつもの私はイライラして、時間ばかり気になっていたのに。
外は相変わらずの土砂降りで、憂鬱になるほどの雨音が窓を叩いているのに、それとは裏腹に私の心は晴れ晴れとしていた。
朝起きた時までは土砂降りだった心が、今は雨上がりの清々しい空を覗かせている。
「終わりましたよ」
マリアに告げられて、化粧の完成した顔を鏡で見ると、そこにはいつもとは少し印象の違う私がいる。
化粧を厚く塗ったせいで、いつもよりも自分が大人っぽく見えた。
私としては気に入ったのだけれど、人からはどう見えるのか不安で、「どうかしら?」とマリアに聞くと、「お綺麗です」と深く頷く。
私は嬉しくなって、「ありがと、マリア」と言葉にして、お礼を言う。
言ってから、今までちゃんとお礼が言えていただろうかと思い返すが、最後にお礼の言葉を口に出したのがいつだったのか、思い出せない。
そう思うと、お礼を言ったことが急に恥ずかしくなってきたけれど、マリアはただ、「はい」と頷くだけだったので、恥ずかしがる必要もないように思えた。
部屋を出て、食堂に向かう。
途中ですれ違った使用人は、小さく礼をしてそそくさとどこかへ行ってしまう。
私と関わりたくないという意思表示なのだと思う。
ふと、マリアを見ると、能面のような無表情になっていた。
気にもしていなかったけれど、思い返すとこの顔が、私の記憶にはたくさんあった。
それはいつも、私が使用人に避けられている時だったり、父に怒られている時だったり……。
ああ、そうか……。
今になって気付く。
マリアはいつも、怒ってくれていたのか。
私のために、怒っていてくれたのか。
お世辞にも私は、優れた人間ではないのに。
お世辞にも私は、優しい人間でもないのに。
酷いことも、たくさん言った。酷いことを、たくさんやった。
それなのにずっと、私のために怒っていてくれたのか。
こんな私のために、怒っていてくれたのか。
こんなに近くで、ずっと私の味方でいてくれたのか。
知らなかった。
今まで考えたこともなかった。
マリアの優しさに気付けなかったことに、申し訳ない気持ちになる。
けれど、後悔はしない。
だってこうして、マリアの優しさに気づけたのだから。
マリアが怒っていてくれたことは、マリアの優しさは、一つも無駄になんてならないんだから。
だから……。
「…………ありがと」
私は謝罪ではなく、今日二度目のお礼を言った。
聞こえないようにそっと呟いた言葉は、私が何か喋ったことだけをマリアに伝えたようで、「はい?」と不思議そうに首を傾げている。
その仕草が可愛くて、私は思わず吹き出してしまった。
マリアは不可解な物を見たような、不機嫌そうな顔で私を見つめている。
「ごめん、なんでもないの」
謝罪すると、マリアは納得のいかないような顔をしたものの、気にしないことにしたようだ。
「…………ありがとう、マリア」
今度はちゃんと聞こえないように。
私は心からの感謝を、マリアに伝えた。
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