満腹令嬢はそれでも食べるのをやめません!

真岡鮫

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2.暗闇の声の主

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「キャァー!」

 突然聞こえた男の声に、ベリーナは腰を抜かしその場にへたり込んでしまった。

「さすがにそこまで驚くなんて大袈裟ではないのか」

 テラスから続く暗がりの中から聞こえるその声は、一気に不満げな声色へと変わる。
 だが、その声の主は一向に姿を見せない。

「あっ……あっ」

 正体のわからない恐怖に、ベリーナは声のする方を見つめたまま体を震わせた。

「聞こえていないのか。返事くらいしてくれないか」
「きっ、きっ、聞こえております!」

 勇気を振り絞りベリーナは叫んだ。

(まっ、まさか幽霊?)

 王城に幽霊が出るなど噂にも聞いたことはない。
 だが、今日はやけに月が綺麗な上に、辺りは人の気配もなく物静か。
 先ほどから吹き始めた冷たい風がベリーナの体温を奪い始めていたのも事実だ。

「いっ、いっ、一体私に何のご用でしょうか」

 暗闇を凝視しながら、か細い声でベリーナは立ち向かう。

「できれば先ほどの質問に答えてほしいんだが……どうした? 体調でも悪くなったか」
「すっ、姿が見えない方とお話するなんて初めてですもの! 体の力が抜けてしまって」

 暗闇の声の主に震えながらも、懸命に声を上げたベリーナは言い終えると弱々しく息を吐いた。

「見えない……あっ、いや申し訳なかった。月明かりがこちらまで届いていなかったか」

 暗闇の声の主はやっと自分の状況を理解できたのか、コツコツとゆったりとした足音を立てベリーナへと近付く。

(足音が聞こえる! なら幽霊ではないのね)

 相手が人間だと確信した彼女は素早く立ち上がり急いでドレスの裾を整えると、姿勢を正し完璧な令嬢として彼を出迎える。
 暗がりから月明かりの元へと暗闇の声の主が徐々にその姿を現す。
 闇夜でも艶やかに光る黒いエナメルの靴はベリーナのそれよりも遥かに大きく、彼の体格の良さが伺える。
 徐々に見えてくるスラリと伸びた足。仕立ての良い燕尾服が彼の鍛えた体をより一層魅力的に見せていた。
 そして、ついにベリーナの前に姿を現した声の主。

「貴方は……」

 社交界の話題に疎いベリーナですら、その男性の顔には見覚えがあった。

「名乗りもせずいきなり声をかけるなど、存外無作法だったな。私はファラン公爵家のカミロ・ファランだ」

 彼の自信に溢れた振る舞いに見惚れていたベリーナだが、ハッと気付き綺麗なカーテシーを披露する。

「とんでもございません。私の方こそ先ほどのご無礼をお許しください。モリス伯爵家ベリーナ・モリスと申します」
「あぁ、貴女がモリス家の……こうして話をするのは初めてか」
「お声をかけていただき光栄でございます」

 ベリーナが畏って頭を下げると、なぜかカミロはクスクスと笑い出した。

「いや、すまない。まさか幽霊に間違われるとは」
「情けない姿をお見せしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

 照れながら深々と頭を下げるベリーナにカミロは軽く頭を振った。

「気にしないでくれ。いきなり暗がりから声がすれば驚くのも当然だ。しかもこんなナリではな」

 自嘲気味に笑うカミロは無造作に伸ばした髪をわざと乱暴に掻き上げた。

「髪型くらいはちゃんとしてきた方がよかったか……」

 軽くオールバックにしただけで先ほどよりも色っぽく見えるのは、明らかに彼の容姿の良さのおかげだろう。

「いえ、滅相もございません。ところでファラン公爵様、私に何かご用があったのでは……」
「あぁ、そうだった。ベリーナ嬢、よければ私の質問に対する答えをくれないか?」
「質問、ですか?」
「あぁ、君はさっき随分とおかしなことを言ってただろう。なぜそんなことを言うのか、私には一切理解ができなかった」
「そんなおかしなことを言ってたでしょうか」
「自覚なしか、それは余計に心配だ」

 一方的な物言いにベリーナは僅かに顔を引き攣らせた。

「恐れながらファラン公爵様、全く自覚がございませんのでお教えいただけないでしょうか?」
「ほぅ……」

 臆することなくしっかりと自分の意見を述べるベリーナの凛とした姿に、カミロは目を見張った。

「確かに貴女の言う通りだ。なら、はっきり言おう」

 ベリーナは彼に気付かれないよう静かに息を飲む。

「先ほど貴女の言った言葉の真意を教えてほしい」
「先ほど言った言葉……ですか?」

 首を傾げるベリーナにカミロは少し苛立ちを見せる。

「言っただろう。『お腹いっぱいだ。では次の料理を取りにいきましょう』と」

 独り言を聞かれた恥ずかしさでベリーナの顔は一気に真っ赤になっていく。

「盗み聞きをしたようですまない」
「いえ、私こそ誰もいないと思っていたとはいえ、安易に本音を漏らすなんて淑女として浅はかでした」

 頭を下げるベリーナにカミロは小さくため息をつく。

「正直こうした場はどうにも苦手で……少し休もうと適当に入った先に貴女がいたんだ。決して後を追ってきたわけではないんだ」
「もちろん承知しております。私のようなものにそういった感情を抱く殿方はいらっしゃいませんもの」

そう自分を卑下しながら綺麗に微笑むベリーナ。

(彼女の華やかな容姿ならばむしろ引くて数多だと思うのだが、その自覚なしか)

「……公爵様?」
「あぁ、すまない。とにかく先程の貴女の言葉の真意が知りたい。偶然耳にしてしまったが、あまりに興味深くて」
「そんなにおかしなことを言っていたでしょうか?」
「あぁ。元来、食事とは生きるために必要な栄養を摂取するためのもの。まず満腹になるまで食べる意味はない」
「意味はない……?」
「しかも、すでに空腹が満たされているというのにさらに食べる? 無駄だろう」
「無駄……」

 その言葉にベリーナの中で何かが切れた。 

「お言葉ですが、公爵様は食事が何たるかも分からずそんなご冗談を?」
「いや、冗談ではなく……」
「ご冗談ではない? ならば余計にお伝えしなければいけませんね」

 先ほどまでの完璧な淑女の振る舞いは鳴りをひそめ、ベリーナは好戦的な視線でカミロを捉えまっすぐに見据え微笑んだ。

「たとえ公爵様といえど、食事を軽んじるお方をこのままお帰し致しませんことよ」 
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