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アデライン・アシュトンの矜恃 〈前編〉
8.私の事、嫌いでしょう?
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「……殿下」
「しー」
その人──ジェニファー殿下は茶目っ気たっぷりに、口元に人差し指を当てた。
彼女の様子を見るに、まだ私がふたりの関係を知ったとは、知らないのだろう。
ジェニファー殿下は私の隣にいるアンジーを見ると、微笑んだ。
「あら?妹さん?」
「……エンジェルといいます」
本当は、アンジーにあわせたくなかった。
しかし、偶然会ってしまったのだから、もう仕方ない。
諦めて、私は最低限の紹介をした。
言葉こそ少ないものの、笑みを浮かべて言ったのが良かったのだろう。
ジェニファー殿下は特に怪しむことなく、いつものようにニコニコと笑った。
「そう、初めまして。エンジェル。愛称は……アンジー?」
「殿下に愛称を呼んでいただくなど恐れ多いですわ」
アンジーを愛称で呼ぶなんて、冗談じゃないわ。
私だって、アデル、と呼ばれるのが嫌でたまらないのに。
それより、ジェニファー殿下。
あなたはどうして、平然とした様子でいられるのかしらね。
良心の呵責とか、そういうものはないの?
それとも、あるのは──。
「それより、殿下はどうしてここに?」
彼女が、アンジーを愛称で呼びたいとか、そういう類のことを言う前に口にする。
ジェニファー殿下はハッと気づいたように目を見張った。
それからちょいちょい、と私を招く仕草を見せた。
「あのね、この近くに有名なネモフィラ花壇があるのでしょう?だから私、行ってみたくて。今日は、お勤めの帰りなの」
(ジェニファー殿下は、聖女の生まれ変わり、と呼ばれているものね)
だから、大聖堂での祈りの時間も、彼女には大切なものなのだ。
五百年の封印から獣王が復活する、なんて、そもそも誰も信じていない。眉唾物だ。
おとぎ話のようにあやふやで、王家に泊をつけるために作られた絵空事。
だけど、王家はその威厳を保つために【聖女】の存在を示していかなければならないのだろう。
聖女の、品行方正とは言い難い行いは無視しているくせに。
ジェニファー殿下は、目を細めて微笑んだ。
「良ければ、一緒にお茶でもいかが?今日は春にしては、日差しがきついもの。大聖堂に案内するわ」
「恐れ多いですわ、殿下」
「いいから。それより、ここで話を続ける方が目立って仕方ないわ。ね?アデル。あなたも話したいことがあるのではなくて?」
「──」
意味深長に言葉を含ませるジェニファー殿下に、私は思わず言葉を詰まらせた。
場を見守っているアンジーが、不思議そうに私を見てきた。
先程、私が『殿下』と口にしたためか、確かに周囲の視線が集まりつつある。
ここは有料エリアだ。
この場には、貴族か商家の人間しかいないが、それでも騒ぎになりかねない。
この場を、離れるべきだ。
そう考えた私は、ジェニファー殿下の言葉に頷いた。
(思いがけない遭遇だったけれど……。これは、好機だと見るべきだわ)
ジェニファー殿下が何を考えているのか、聞き出す。
そして、私がふたりの関係に気付いていると彼女も知った上での言葉なら、その関係を問うこともできるだろう。
アンジーは先に馬車に返したかったけれど、ジェニファー殿下が同席を望んだ。
「可愛らしいご令嬢。アデルにこんな可愛い妹さんがいたなんて知らなかったわ」
「ありがとうございます、ジェニファー殿下」
アンジーが、慣れないながらも淑女の礼を返す。
(うーん、私の妹が可愛いわ!!)
それに、ジェニファー殿下は微笑んだ。
「ふふ。アンジーはお母様に似たのかしらね?とてもよく似ているわ」
ジェニファー殿下は、許しを得ることなく勝手にエンジェルのことをアンジーと呼んだ。
(はぁ……!?さっき、断らなかったかしら、私!!)
家族以外の人間が、いきなり愛称で呼んでくること。
それを親しみやすいと取るか、馴れ馴れしいと取るか。
これが好意的に思っている相手なら、前者だろう。
だけど私は、ジェニファー殿下が好きではない。
だから当然、後者の感情が浮かび上がることになる。
とはいえ、呼び方を改めて欲しい、なんて言えるはずもない。少なくとも、今は。
(姉の婚約者と通じているっていうのに、よくもまあ、その妹を愛称で呼べるわね。許可もないのに)
ゆっくり、心が冷えていく。凍りついてく。
私は、ジェニファー殿下が嫌いだ。
ジェニファー・セイクレッド。
十歳の頃に、市井から王城に居を移した王女様。
私は、この件が明るみになる前から王女殿下を苦手としていた。
それというのも──
「……あら?今日の服装、私とアデル。よく似ているわね!」
彼女は、ことごとく私の真似をするから。
王女殿下は、十五歳で魔法学院に入学した。
彼女は、私のひとつ下だ。
私は学院には三年しか在籍していなかったが、彼女はまだ在学中のはず。
在籍が被っていたのはその二年間。
ジェニファー殿下は何度となく私の研究室を訪ねてきた。
魔法学院では、各科でそれぞれ一位を取ると、対象者に、個室の研究室を与えられる。
魔法学のテストで一位を取った私は、研究室を貰い、三年という月日をほぼそこで過ごしたのだ。
そして、ジェニファー殿下が入学してからは度々、彼女が訪ねてくるようになった。
(正直、研究の邪魔だったのよね……)
思い出しても、うんざりする日々だった。
本当に、毎日毎日、よくも飽きもせずに押しかけてきたというものだわ。
私は研究室で研究に集中することができず、図書室に逃げ込んだり、自室で研究を進める羽目になったのだ……という嫌な記憶まで引き起こされる。
鬱陶しいに決まっているが、しかし相手はこの国の王女殿下。
弱小貴族の身で、抗議などできない。(しても、泣かれる)
そんな膠着状態が続いたある日、ジェニファー殿下が言ったのだ。
私にとって、恐ろしい日々の幕開けとなる一言を。
『あら?私たちの今日の服装、よく似ているわ!』
最初は、ワンピースの色が似ているだけだった……はず。
だから、ただの偶然だと思ったの。
だけど、徐々にワンピースのデザインは酷似し、さらに身につけているアクセサリーまで似るようになった。
これは流石に、偶然では言いきれないのではなくて??
そう思ったけれど、王女殿下が『偶然だ』と強く言うものだから、そうなのだ。
だけど、薄々私は勘づいた。
彼女は、どうしてか私の真似をする、と。
王女殿下が服装や小物を意図的に被らせているのなら、その情報を彼女に流しているひとがいるはずだ。
それはアシュトン伯爵家の使用人か、あるいは服飾店の店員か。
考えたけれど、見つけるのも難しかったし、何より大した問題ではないと思った。
少なくとも、卒業まで夜会は免除されていたものね。
それに、相手はこの国の王女様。
獣王が目覚めた時には、セイクレッドを救う救国の聖女になられる方だ。
無闇にことを荒立てるべきではない。
いずれ、彼女の真似ブームも落ち着くだろう。
そう思ったんだ私は、王女殿下の言葉に「そうですわね」と笑って返すようにしたのだ。
(今思えば、その時に対処しておくべきだったーー!!と思わざるを得ないわ……!!)
過去を振り返った私は苦々しく思いながらも、ゆっくりと話し出した。
「……そうですわね。確か、前回もその前も、服装が似ていた気がしますわ」
「そうね。偶然ね!」
歩きながら、私は王女殿下に微笑んだ。
「ええ。ここまで偶然が重なるなんて、すごい確率ですわね?王女殿下も魔法学院に在籍されているなら、計算学にも詳しいでしょう?常識的に考えて、有り得ませんわ」
「……確かに。あなたの言うとおりね」
意外に、あっさり王女殿下はそう認めた。
公園を抜けると、大聖堂の入口が見えてくる。
王女殿下はなにか考え込むようにしながら、窺うように私を見てきた。
「……あなたが、私の真似をしているの?」
「しー」
その人──ジェニファー殿下は茶目っ気たっぷりに、口元に人差し指を当てた。
彼女の様子を見るに、まだ私がふたりの関係を知ったとは、知らないのだろう。
ジェニファー殿下は私の隣にいるアンジーを見ると、微笑んだ。
「あら?妹さん?」
「……エンジェルといいます」
本当は、アンジーにあわせたくなかった。
しかし、偶然会ってしまったのだから、もう仕方ない。
諦めて、私は最低限の紹介をした。
言葉こそ少ないものの、笑みを浮かべて言ったのが良かったのだろう。
ジェニファー殿下は特に怪しむことなく、いつものようにニコニコと笑った。
「そう、初めまして。エンジェル。愛称は……アンジー?」
「殿下に愛称を呼んでいただくなど恐れ多いですわ」
アンジーを愛称で呼ぶなんて、冗談じゃないわ。
私だって、アデル、と呼ばれるのが嫌でたまらないのに。
それより、ジェニファー殿下。
あなたはどうして、平然とした様子でいられるのかしらね。
良心の呵責とか、そういうものはないの?
それとも、あるのは──。
「それより、殿下はどうしてここに?」
彼女が、アンジーを愛称で呼びたいとか、そういう類のことを言う前に口にする。
ジェニファー殿下はハッと気づいたように目を見張った。
それからちょいちょい、と私を招く仕草を見せた。
「あのね、この近くに有名なネモフィラ花壇があるのでしょう?だから私、行ってみたくて。今日は、お勤めの帰りなの」
(ジェニファー殿下は、聖女の生まれ変わり、と呼ばれているものね)
だから、大聖堂での祈りの時間も、彼女には大切なものなのだ。
五百年の封印から獣王が復活する、なんて、そもそも誰も信じていない。眉唾物だ。
おとぎ話のようにあやふやで、王家に泊をつけるために作られた絵空事。
だけど、王家はその威厳を保つために【聖女】の存在を示していかなければならないのだろう。
聖女の、品行方正とは言い難い行いは無視しているくせに。
ジェニファー殿下は、目を細めて微笑んだ。
「良ければ、一緒にお茶でもいかが?今日は春にしては、日差しがきついもの。大聖堂に案内するわ」
「恐れ多いですわ、殿下」
「いいから。それより、ここで話を続ける方が目立って仕方ないわ。ね?アデル。あなたも話したいことがあるのではなくて?」
「──」
意味深長に言葉を含ませるジェニファー殿下に、私は思わず言葉を詰まらせた。
場を見守っているアンジーが、不思議そうに私を見てきた。
先程、私が『殿下』と口にしたためか、確かに周囲の視線が集まりつつある。
ここは有料エリアだ。
この場には、貴族か商家の人間しかいないが、それでも騒ぎになりかねない。
この場を、離れるべきだ。
そう考えた私は、ジェニファー殿下の言葉に頷いた。
(思いがけない遭遇だったけれど……。これは、好機だと見るべきだわ)
ジェニファー殿下が何を考えているのか、聞き出す。
そして、私がふたりの関係に気付いていると彼女も知った上での言葉なら、その関係を問うこともできるだろう。
アンジーは先に馬車に返したかったけれど、ジェニファー殿下が同席を望んだ。
「可愛らしいご令嬢。アデルにこんな可愛い妹さんがいたなんて知らなかったわ」
「ありがとうございます、ジェニファー殿下」
アンジーが、慣れないながらも淑女の礼を返す。
(うーん、私の妹が可愛いわ!!)
それに、ジェニファー殿下は微笑んだ。
「ふふ。アンジーはお母様に似たのかしらね?とてもよく似ているわ」
ジェニファー殿下は、許しを得ることなく勝手にエンジェルのことをアンジーと呼んだ。
(はぁ……!?さっき、断らなかったかしら、私!!)
家族以外の人間が、いきなり愛称で呼んでくること。
それを親しみやすいと取るか、馴れ馴れしいと取るか。
これが好意的に思っている相手なら、前者だろう。
だけど私は、ジェニファー殿下が好きではない。
だから当然、後者の感情が浮かび上がることになる。
とはいえ、呼び方を改めて欲しい、なんて言えるはずもない。少なくとも、今は。
(姉の婚約者と通じているっていうのに、よくもまあ、その妹を愛称で呼べるわね。許可もないのに)
ゆっくり、心が冷えていく。凍りついてく。
私は、ジェニファー殿下が嫌いだ。
ジェニファー・セイクレッド。
十歳の頃に、市井から王城に居を移した王女様。
私は、この件が明るみになる前から王女殿下を苦手としていた。
それというのも──
「……あら?今日の服装、私とアデル。よく似ているわね!」
彼女は、ことごとく私の真似をするから。
王女殿下は、十五歳で魔法学院に入学した。
彼女は、私のひとつ下だ。
私は学院には三年しか在籍していなかったが、彼女はまだ在学中のはず。
在籍が被っていたのはその二年間。
ジェニファー殿下は何度となく私の研究室を訪ねてきた。
魔法学院では、各科でそれぞれ一位を取ると、対象者に、個室の研究室を与えられる。
魔法学のテストで一位を取った私は、研究室を貰い、三年という月日をほぼそこで過ごしたのだ。
そして、ジェニファー殿下が入学してからは度々、彼女が訪ねてくるようになった。
(正直、研究の邪魔だったのよね……)
思い出しても、うんざりする日々だった。
本当に、毎日毎日、よくも飽きもせずに押しかけてきたというものだわ。
私は研究室で研究に集中することができず、図書室に逃げ込んだり、自室で研究を進める羽目になったのだ……という嫌な記憶まで引き起こされる。
鬱陶しいに決まっているが、しかし相手はこの国の王女殿下。
弱小貴族の身で、抗議などできない。(しても、泣かれる)
そんな膠着状態が続いたある日、ジェニファー殿下が言ったのだ。
私にとって、恐ろしい日々の幕開けとなる一言を。
『あら?私たちの今日の服装、よく似ているわ!』
最初は、ワンピースの色が似ているだけだった……はず。
だから、ただの偶然だと思ったの。
だけど、徐々にワンピースのデザインは酷似し、さらに身につけているアクセサリーまで似るようになった。
これは流石に、偶然では言いきれないのではなくて??
そう思ったけれど、王女殿下が『偶然だ』と強く言うものだから、そうなのだ。
だけど、薄々私は勘づいた。
彼女は、どうしてか私の真似をする、と。
王女殿下が服装や小物を意図的に被らせているのなら、その情報を彼女に流しているひとがいるはずだ。
それはアシュトン伯爵家の使用人か、あるいは服飾店の店員か。
考えたけれど、見つけるのも難しかったし、何より大した問題ではないと思った。
少なくとも、卒業まで夜会は免除されていたものね。
それに、相手はこの国の王女様。
獣王が目覚めた時には、セイクレッドを救う救国の聖女になられる方だ。
無闇にことを荒立てるべきではない。
いずれ、彼女の真似ブームも落ち着くだろう。
そう思ったんだ私は、王女殿下の言葉に「そうですわね」と笑って返すようにしたのだ。
(今思えば、その時に対処しておくべきだったーー!!と思わざるを得ないわ……!!)
過去を振り返った私は苦々しく思いながらも、ゆっくりと話し出した。
「……そうですわね。確か、前回もその前も、服装が似ていた気がしますわ」
「そうね。偶然ね!」
歩きながら、私は王女殿下に微笑んだ。
「ええ。ここまで偶然が重なるなんて、すごい確率ですわね?王女殿下も魔法学院に在籍されているなら、計算学にも詳しいでしょう?常識的に考えて、有り得ませんわ」
「……確かに。あなたの言うとおりね」
意外に、あっさり王女殿下はそう認めた。
公園を抜けると、大聖堂の入口が見えてくる。
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「……あなたが、私の真似をしているの?」
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