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4.花畑で約束を
花畑で、十四年前の約束を
しおりを挟む「………!」
息を呑む。
目を開くと、ローレンス殿下がまた言葉を続けた。
「王弟殿下は──まだ合流していないようだ。彼が王都入りしていることは、王も既に知っているみたいだけど、反旗を翻すつもりだとは、思っていないらしい。王妃は──ゼーネフェルダー公爵邸から戻ったばかりかな。城下町をおおきく迂回して、裏門から城に入っていった」
「……それは、見えているの?」
気になって、私はローレンス殿下同様しゃがみこんで、尋ねた。
突然ひとが近づいたことに驚いたのか、彼の指に留まっていた白い蝶は、ふわふわと飛んでいってしまった。
「あ……」
思わず、残念に思って声を零す。
ローレンス殿下も、私と同じように白の蝶の行方を追うように見つめていた。
白の蝶は、やがて宙に溶けるように消えてしまった。
何から何まで不思議だ。
「……シャリゼ、どうする?王都に戻る?それとも、俺とこのまま、ウーティスに行く?」
ふと、ローレンス殿下が尋ねた。
彼の顔を見た、その時。
私は、ちいさくない衝撃を覚えた。
限りなく白に近い、白銀色の髪が至近距離で揺れる。
その距離の近さに驚いたのではない。
彼の面影を、どこかで見たことがある。
それはウーティスで出会った時のことではなく、もっと昔に、ここで、この花畑で──。
激しい既視感を抱いた。動揺にも似た焦燥感が駆け巡る。
冬の湖面か、春の空を思わせる薄青色の瞳で、彼が私を見つめる。
私を心配するように、気遣うようにこちらを窺っていた。
(──私は、彼の瞳が赤く染まることを知っている)
ふと、すとんと当然のようにそう思って、そのことにまた困惑した。
(……どうして、私)
そんなことを知ってるの。
どくん、と心臓が音を立てる。
(この光景を、知ってる)
私は、覚えてる。
思い出せる、後、少しで。
(過去、同じように私は──)
その時、誰かとの会話が記憶を過った。
『僕は──なのに』
『ティノは──だものね』
あと少しで何かを掴めそうなのに、余計な情報に邪魔でもされているかのように、それに辿り着けない。
もどかしさを感じながらも、私はふと周囲の花畑を見渡した。
一面に広がる、黄色の花畑。
これは、何の花なのだろう──?
今になって、そんなことを考える。
(もっと、小さいときに……私、ここに、きて、それで)
夢で、何度か見たことがある、と今になって思い出す。
(今のような黄色の花畑に囲まれて、私の前で、ちいさな男の子、が──)
夢の記憶を、蟠った糸を解くように慎重に辿っていた時。
不意に、ローレンス殿下が私の顔を覗き込んできた。
「……シャリゼ?」
「っ……!!」
突然声をかけられて、息を呑むほど驚いた。
びっくりして、肩が跳ねる。
過剰に驚いた私に、ローレンス殿下の方が驚いたようだった。
「どうしたの?」
「……私、昔ここであなたに会ったことがある……のよね」
確かめるようでいて、断言めいた口調になった。
ローレンス殿下は、私の言葉にハッとした様子で私を見る。
「思い出した、の?」
それには、首を横に振った。
「分からないの。……だけど、覚えている、気がするの。昔、ここで……あなたと……。夕日……そう、日が暮れそうだったわ。あなたは、泣きそうで……泣きそうに……して、いて?」
そこで、こめかみを押えた。
夕日を背に、悲しげな顔をしていた、銀髪の男の子──。
きっと、彼がローレンス殿下だ。
だけどなぜ、彼がそこにいるのかも、そしてそんなに寂しげにしていたのかも、まるで分からない。
(それに……私)
ローレンス殿下の魔力行使を目の当たりにした時、懐かしさを感じた。
あれはきっと、過去に見たことがあるから……。
(でも、どこで)
わからない。
どんな経緯があって、なぜローレンス殿下と出会ったのか。そこで、何があったのかすら、わからない。なぜ彼に噛まれたのかすら、不明だ。
沈黙する私に、ローレンス殿下が困ったように笑みを浮かべた。
そして、私に言う。
「無理に思い出さない方がいい。あなたには、元々聖女としての素質があった。魔力に触れたことがきっかけで、あなたの聖女としての力は目覚めたけど……それは、魔力に反発して発現した力だ。本当は、もっと時間をかけてゆっくりと花開くはずだったそれを、強制的に引きずり起こしたんだ。その反動で、あなたは記憶を失ったのだと思う」
「でも……私は、知りたいわ。過去何があったのか。なぜ、あなたに噛まれたのかも……」
そっと、首筋に触れる。
噛み跡はないけれど、ローレンス殿下は私の生死や、居場所を知ることが出来ると言った。
彼は現に、私の中に眠る魔力を目覚めさせ、ゼーネフェルダー領まで転移させた。
首を噛んだ、というのは本当なのだろう。
ふと、その時私はどうしてか、過去の歴史に思いを馳せた。
まだ、ヴィクトワールという国がなかった頃。人間が、吸血鬼に支配される時分、彼らは聖女の力を以て吸血鬼に対抗した、というけれど。それまで彼ら、人間たちは吸血鬼に対抗する術が無かったのだろう。
なにせ、噛まれたら【生死】と【居場所】が分かってしまうのだ。
逃げ隠れもできない。
実質、首輪をつけられたも同然。
そこまで考えて、今の私はローレンス殿下
に首輪をつけられた状態なのか、と思い至る。
それはまるで──。
外すことを許されない結婚指輪のようだな、と、ふと思った。
「…………」
そんなことを考えた自分に苦笑する。
覚えていない間に首輪を付けられていた、というのはなかなかに衝撃だけど、幸い嫌悪感はなかった。
ただ、やはり不思議なのだ。
(どんな経緯で、私は吸血を許したんだろう)
まだ知り合って間もないけれど、彼は乱暴をするようには見えない。
きっと、何かしらのやり取りがあって、吸血に至ったのだろうと私は思っている。
(……しかし、考えても考えても思い出せないわ)
このままでは記憶を探るあまり、ありもしない過去を生み出してしまいそうで、私はため息を吐いて顔を上げた。
王都に戻るか、戻らないか。
本音を言うなら、戻りたい。今すぐ駆けつけたい。
革命が始まったのなら、尚更。
だけど──。
「……手紙を書くわ、ノアとルイスに」
今、私が王都に戻ってもできることなどたかが知れている。
聖力を使い果たしている今、私に出来ることなどほとんどない。
むしろ、足手まといになることだろう。
だから、私は信じて待つのだ。
ノアの勝利を、ルイスの貢献を。
私の言葉にローレンス殿下が頷いた。
それから、目を細めて私を見る。薄青の瞳だ。
「……それじゃあ、休めるところに行こう。シャリゼ、あなたは自分が思っている以上に疲弊しているはずだ。聖力をほとんど使い果たし、立っているのも限界なはずだよ」
まるで見ていたように──いや、実際見ていたのだろう。
彼の指摘は、正しかった。
それに、私はまた苦く笑った。
その通りだったから。
それでも、私は彼の言葉を首を横に振って断った。
「大丈夫よ。……あのね、実を言うと、疲れを認めてしまったらきっともう、立てないと思うの。あなたの言うとおり、私、結構限界みたい」
困ったように笑うと、ローレンス殿下がなにか言おうとして──口を閉じた。
それから、彼は優しく笑った。
まるで、私がそう言うのを察していたように。
「……それじゃあ、急いで宿に向かおう。俺が泊まっているところでいい?」
頷いて答えると、彼が先導して歩き出した。
正直、体はもう限界を迎えていた。
神殿で聖力を使い果たし、一週間休んだとはいえ、病み上がりには違いない。
そこでふたたび無理をしたのだ。手足の感覚は既に遠いし、先程から頭痛が酷い。耳鳴りのようなものもしているし、目眩だって酷い。
満身創痍、という言葉が今の私には相応しかった。
でも、ここで諦めたくなかった。
せめて、自分の足で歩きたい。ただの意地だけど、彼は私の意志を汲んでくれたのだと思う。
ローレンス殿下が私に背を向けて、歩き出す。
いつのまにか太陽は沈みかけていて、水平線の向こう側に半分ほど、姿を隠していた。
一面黄色の花畑が、夕日を浴びて赤く染まる。
それは、いつか見た夢の光景にそっくりで──。
「……シャリゼ?」
私が足を止めたままだから、怪訝に思ったのだろう。ローレンス殿下が振り向いた。
白銀の髪は、夕日を浴びて赤みを帯びている。
その、薄青の瞳も赤く見えて──。
「──」
その時、閃光にも似た衝撃が、私の頭の中を駆け抜けた。
『あなた、どうしてこんなところにいるの?そもそもあなた、誰?』
『……ごめん』 『あのね、シャリゼ。魔力が使えるようになったんだ!』
『あなたが、敵国の人間だからと言って、あなたの人間性まで否定するのは……違うと思う』『どうして黙っていたの。どうして嘘を吐いたの!』
ざぁ、と大きく風が吹く。
黄色の花が舞う。
その鮮やかな黄の花を見つめて、私は息を呑んだ。
──そうだ、思い出した。
この花は──ビオラの、花だ。
『この花輪を、あなたにあげる。ねえ、ビオラの花言葉を知っている?』
どくん、と心臓が鳴った。
目を見開く私を、ローレンス殿下が怪訝に見つめている。
彼が、私の名を呼んだけど、それに答えるだけの余裕が、今の私にはなかった。
その時の私は、お姉さんぶりたい年頃だった。
ちょうどその頃、公爵家では平民のステラを養子として迎えていた。
何も知らない彼女を導くのは姉の私の役目だと思って、私はあれこれ彼女に構った。
そんな時に出会った、寂しげな少年。
彼を前に私は、やはりお姉さん風を吹かせてしまったのだ。
『ティノは寂しがり屋で、泣き虫だものね。だから私があなたの花嫁になってあげる!』
ふら、と平衡感覚を失った。
気がついた時には、私は空を見上げていた。
花畑に倒れ込むと、鮮やかな青の空と、その向こうに夕日が見えた。
「シャリゼ!!」
ローレンス殿下──いや、ティノが、私の傍に駆け寄ってくる。
私の背に手を差し入れて、彼が私を抱き起こす。
眩いほどの銀の髪。
春の空のような、青の瞳。
そして──笑った時に、微かに見える、牙。
(そっか……そうだったんだわ)
私が、聖力に目覚めた理由。
彼に、吸血を許した理由。
それを全て思い出した私は、だけどそこでついに気力を使い果たしてしまった。
……つまり、そこで私は気を失ったのである。
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