キャサリン・キングスリーの手記

ごろごろみかん。

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〈中編〉

14.初恋にさよなら

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出会いは、強烈──だった、と私は思っている。

『……迷われましたか?』

第一声は、それだった。忘れもしない。

(……その後、何度も何度もその時のことを思い出したわ)

彼は、呆然とする私の手を取ってバルコニーに引き込んだ。

(……今思うと、馴れ馴れしすぎるわよね?)

過去を思い出して、私は首を傾げる。

(だって、初対面よ、初対面)

あからさまに自分に見とれているから、触れても問題ないと思ったのでしょうけど。手馴れた態度に違和感を持つ前に、私はその接触に心をときめかせてしまった。

『今日は、月が美しいですね。ご令嬢も、月を見に?』

『違います。私は……涼もうとして』

『ああ。会場は熱気がこもりがちですからね。だけど、気をつけた方がいい。綺麗な月に誘われて、悪いケダモノも現れますから』

『あなたが、そのケダモノということ?』

私の言葉に、彼は驚いた顔をした。
そして、意表を突かれたと言った様子で突然、笑い出した。

『ふ……は、ははははっ』

『え?あの──』

『いや、失礼。親切心で言ったのだけど、確かにあなたからしたら僕も同じでしたね。では、自己紹介をしましょう。僕は、タッセル伯爵家の次男、マシュー・タッセル。あなたを食い物にするケダモノとは違います』

『……私に、それを信用しろと言うの?』

『ご令嬢。こういう時は、あなたも名乗るのがマナーですよ』

優しく、だけど言い聞かせられるように諭されて、私はまつ毛を伏せた。

『ごめんなさい。私は、キャサリン・キングスリー。キングスリー公爵家の長女です』

『ああ、キングスリーの。それなら、尚のこと気をつけた方がいい。いいですか、キャサリン嬢。どんなに月が美しくても、それに誘われて外に出るのはよろしくない。こんなふうに──』

手を引かれて、私はマシューの腕の中に囲われた。とても近い距離に、カッと頬が熱を持つ。咄嗟に、彼を突き飛ばそうとすると、その前に開放された。

『食べられてしまいますから』

『──』

きっと、落ちたのはその時。
第一印象から、綺麗なひとだ、と思った。
それに、誘われた。その空気に、魅せられた。
月光の下、幻想的な雰囲気で、私はすぐさまその熱に囚われた。
有り体に言うなら、逆上せあがってしまったのだ。



その時のことを思い返して、苦笑──どころではない。

(し、死んでしまいたい……!!)

あまりに、捨て去りたい過去すぎる。
痛い勉強代だと思って、受け入れていく、と思ったわよね、私。どうしましょう。無理そう。
だってもう既に、過去それが存在した事実すら、葬り去りたい気持ちでいっぱいだ。

私はそっと、万年筆を置くと、そろそろ顔を上げた。
手記に自身の想いを書き始めてから、まだそんなに時間が経過していない。
それなのに顔を上げた私に、不思議そうにルカが首を傾げた。

「どうしまし──」

「ねえ、ルカ」

私は戸惑いながら、彼に尋ねた。

「もう、想い消しの秘術は始まっているの?」

「……………………は?」

とても、とても長い間を開けて、ルカは素っ頓狂な声を上げた。
それに、私は自分の髪を耳にかけながら、躊躇いつつも言った。

「……あのね。今、消したい想い、というものを書き出してみたのだけど」

「はい」

「……過去の気持ちは既にないけれど、それ以上に……その時の想いが、反転しているような気がするのよ」

「反転?いえ、それは……良かった、で良いのでしょうか」

ルカも、戸惑っているようだ。
なので私は、顔を上げて彼を見た。
ローブに隠され、彼の顔は全く見えないが、構わない。彼を見つめ、私は尋ねた。

「ええ。良かったの。……だから思ったのよ。もしかしてもう、秘術は始まっているのかしら、って」

「そうですね。まだ前段階とはいえ、効き始めているのかもしれません」

ルカの返答に、私は鷹揚に頷いた。

「噂は本当だったのね……。ありがとう。もう少し、書かせて頂戴。あと少しで、終わるから」

私はそれだけ言うと、また手記を捲った。

新しいページに、マシューとの記憶を書きつける。
初めての逢瀬デート
贈られたもの。贈られた言葉。
時間、記憶。触れた手の、熱。

一緒にいるその時間が心地よくて、ずっと続けばいいと思った。早く、結婚したいと思った。
その時の気持ちを。

ページに記す度に、その時の気持ちは消えていくような気がした。
これが、お兄様の言っていた秘術とやらなのかもしれない。
そう思いながら、私は過去の自分が信じた気持ちを、記した。

【大好きだった、という気持ちはきっと真実。あの初恋は消えることはないけれど、あの時の『楽しかった』という気持ちまでは否定したくない。
そうしてしまえば、今までの時間が無駄だった、と証明することになってしまうから】

忘れ去りたい過去。葬り去りたい記憶。
それでも、あの時間は確かに存在して、私の気持ちもきっと、真実だった。

大丈夫だ、と言える恋なんてない。
安心な恋なんて、存在しないのだ。

(……恋は、博打のようなものかもしれない、わね)

そんなことを思いながら、ようやく、私は万年筆を置いた。

顔を上げると、いつの間に用意したのだろう。ルカは、カップに口をつけていた。爽やかな香りが漂う。ハーブティーのようだ。

ローブを深く被っているので顔は見えないが、私が顔を上げたことに気がついたのだろう。ルカが私に尋ねた。

「終わりましたか?」

「ええ。遅くなってしまってごめんなさい」

立ちっぱなしのファラビアとカインにも悪いことをしてしまった。邸に戻ったら、安眠効果のあるというポプリを贈ろうと思う。
そう思って背後のふたりを窺うと、ふたりはルカと同じようにカップに口をつけていた。
いつの間にか、木の椅子のようなものまで用意され、ふたりはそれに腰かけていた。

(……いつの間に)

それほど私が集中していた、ということなのだろう。
ルカに書き終えた手記を差し出すと、彼はそれを受け取り、頷いた。

「では、最後の手順です」

「最後?」

「ええ。こちらをご覧ください」

テーブルには、一本の小瓶が置かれていた。恐らく、ハーブティー同様、私が手記を書いている間に用意したものだろう。
飾り細工の美しい、繊細な瓶だった。
彼はそれを片手で示すと、私に言った。

「最後にこれを飲んでください。手順は、それでおしまいです」

小瓶を受け取る。
中に入っている液体は透明だ。じっとそれを見つめて──私は頷いた。

「ありがとう。あなたにはとてもお世話になったわ」

「……まだ、飲まれていないようですが」

「もう既に、あのひとへの気持ちはないの。ここに来る前から、想い自体は捨てたと思っていたけど──そうではなくて。過去は過去として割りきれた、というか」

そこで、私は今の感情を端的に表す言葉を思いついた。口元に指先を当てて、ルカを見る。

「そうね。今の私の気持ちを、一言で言うなら」

私は肩を竦め、言った。

「恥ずかしくて死んでしまいたい!ってやつかしらね」

私は、苦笑を浮かべた。

恥ずかしくて死んでしまいたいくらいだけど、でも、同じくらいスッキリともしているの。
それはさながら、重い荷物を下ろせたかのように、水を含んだ靴を脱ぐことができたかのように、爽快な気分だった。

苦笑を浮かべた私は、一息に小瓶を煽った。

中の液体はさらりとしていて──

(…………あっま!)

なにこれ、本当に甘い!!
舌が馬鹿になってしまいそうな甘さだわ!?

しかし、幸いなことに量自体はそんなになかったので、こくん、と一息に飲みきれた。
それは、恋を終わりに導くには、あまりに甘すぎる味だった。

「うっ……ん、んんっ。……あまぁ」

つい本音がこぼれてしまう。
液体自体はさらりとしているが、喉にへばりつくような甘さは健在だ。
ルカが困ったように謝罪した。

「すみません。甘くしすぎました」

「いいえ、大丈夫」

最後の手順──つまり、液体を飲んだことでの劇的な変化はなかった。期待していたわけではないけれど、ほんの少し、肩透かし感もある。
私は、ルカに気づかれないようこっそりと、ため息を吐いた。

(『大丈夫』なんて恋愛はない。……確かにその通りだわ)

だから、私は──

私は、顔を上げた。

「次、恋をするなら──いいえ。私、恋はもうしないわ」

宣言するように言って、席を立つ。
そして、ルカを見て、背後のふたりにも聞こえるように言う。

「次は、恋ではなく、愛せるように努めるわ」

「愛……」

ルカがぽつりと、言った。
その声は嗄れているので聞き取りにくいが、驚いているようだった。
だから私は、頷いて答える。

「ええ。盲目的な恋ではなく、信頼出来る愛を育てようと思うの。……とはいっても、しばらく恋も愛も、懲り懲りなのだけど」

そこまで言って、私は肩を竦めた。

恋も愛も懲り懲り。それは本心なのだけど、しかし、私が貴族の娘である以上、その役目は果たさなければならないだろう。
貴族の子女の役目、それは結婚だ。
キングスリーの血を残すためにも、キングスリーの家のためにも、私はいずれ結婚するだろう。

その時、私は、相手に恋を求めるのではなく、相手を愛する努力をしようと──そう思ったのだ。



改めてルカに感謝を告げ、お代を聞くと、彼は対価は不要だと言った。
だけど、そういうわけにもいかない。

後日、支払いに訪れることを伝え、邸に戻ると──意外な人物が、私を待ち受けていた。
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