姥捨て山に墜ちた星

高木解緒 (たかぎ ときお)

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                               西暦一九二五年


 アヤ様について急ぎお知らせしたきことこれあり候。
 本日昼八つ、御一人にて地蔵堂裏手へ参られたし。
 ゆめゆめ余人に知られることなかれ。

 と、熱を上げている娘に関する投げ文を入れられれば、是が非でも行かねばならないというものだ。昼酒に酔った恭介が高鼾を決め込んでいる脇を、私は足音忍ばせて部屋から抜け出した。
「先生」
 屋敷の裏から出ようとするとタヅがいて、少し慌てさせられる。
 なにせ、昼飯前に地蔵堂の位置を彼女に聞いているのだ。その時は地蔵巡りが趣味だと言っておいたが、あまり本気にされた感じはしなかった。こういう時は問われる前に問いかけて誤魔化すに限る。
 折よく彼女は芋掘り鍬を持ち、籠を背負っているから、
「山芋でも掘りに行くのか?」
 ウン、と彼女は頷いた。
「旦那様が寒掘りの自然薯が食べたいと仰るから、掘りに行く」
「この寒い中大変だな。よし、これを使え」
 私は自分の皮手袋を彼女に渡した。タヅは目を見張り、
「え、いいよ。こんな立派なもの。汚れるし、悪くなるし」
「大丈夫。男物のお古ですまんが、いつも世話してくれてる礼だ。やるよ。素手で掘るより鍬の柄を握りやすいから、ちょっとは楽になるはずだ。豆なんかも出来にくくなると思う」
「……ありがとう」
 喜んでいるのだか、迷惑がっているのだか分からない曖昧な目で彼女は私を見上げる。
 その小さな唇が再び動き出す気配を見せるから、
「じゃあな」
 私は彼女へ背を向けた。背後の彼女が完全に遠のくまで、先生はどこへ行くの、と今にも問われそうで冷や冷やし通しだったが、何とかやり過ごすことができた。足早に呼び出しの場所へ向かう。
 しかし今の様子では、手紙の主はタヅではなさそうだ。あるいは第一候補かもしれない、と考えていたのだが、彼女の目には少しも事情を知った色がなかった。面倒な作業を他の女中に押し付けられ、渋々出かけようとしていたところに思いもよらぬ親切を受けてただ驚く、そんな顔をしていたのだ。では誰だろう、と私は考える。
 筆跡は男のものとも、女のものともつかない金釘流で、それほど教養のある人物によらない感じがする。大勢いる使用人の誰か、といったところだろうとは見当がつくのだが、さりとて、この屋敷に逗留してそれ程経たない私に、タヅより面識のある者もない。
 予め聞いていた通り竹林を抜けた突き当りに小屋があり、あれが地蔵堂だろう、と見当をつけて近づいた私は少し不安に駆られた。
 置き石に地蔵尊とあるから確かにここで間違いはないのだろうが、どうにも不気味な雰囲気なのだ。何が嫌な気持ちにさせるのか初めは分からなかった。単に薄暗いためだろうかと考えたが、重苦しく息の詰まりそうなこの感じは一杯に陽が差し込んでいたとしても、そう変わらないだろうと思われる、そういう〝嫌な〟感じなのだ。
 首の後ろへ手をやって温め温め、辺りを見回していた私だったが、やがて原因が分かった。御堂そのものだ。観音開きの扉が開かれているその中をよくよく見ると、幾つもの石仏が蝋燭の明かりの中に立ち並んでいた。柔和な顔で、口元に安らぎを湛えている。それは地蔵堂だから当たり前だ。当たり前でないのはその後ろ、立ち並ぶ地蔵の後ろに見え隠れするタペストリの意匠である。
 巨大な猿のようにも、人のようにも見える化け物が数人の武士に切りつけられている場面だった。切られた傷からは又兵衛もかくやと言うほど血が噴き出し、腕などは今にも千切れ飛びそうである。
 だが、笑っている。
 灰色の猿は笑っているのだ。黒い虹彩の目立つ真っ赤な眼球を見開き、耳まで裂けた口で武士たちを嘲笑っている。否、絵を見る者、つまりは私を嘲笑している。地蔵堂の奥から真っ直ぐ私へ向かい、将来必ず来る、惨めで決定的な敗北を告げている。
 嫌な絵だった。
 薄暗がりの中で揺らめく蝋燭に照らされ、邪な猿はまるで生きているように見えた。その不気味な光景を背負うせいで、居並ぶ石仏までもが朗らかなはずの微笑みに悪意を仄めかしているのだ。
 ぎゃあ、とカラスが鳴いたので私ははっとした。
 約束の刻限が近いはずだ。手紙の差出人はもう裏で待っているのかもしれない。慌てて裏へ回る。だが、まだ誰もいなかった。
 地蔵堂は小高い崖を背にしており、堂の裏側は崖と堂に挟まれた五間四方の空き地となっていた。中ほどに切り株が一つ置いてあるので、座って一服つけることにする。腰を掛け、隠しから煙草入れを取り出したその時、頭上から奇妙な声が聞こえた。
 慌てて立ち上がり、振り仰ぐ。
 落下する大岩がこちら目がけて迫っていた。


     ※


「大変でしたね、弧川先生」
 快活な声が降ってきて、私は我に返る。顔を上げると、この屋の長男、佐々間永吉君が朗らかな笑みをこちらへ投げかけていた。
 学生服の似合う初々しい若者で、この村や、屋敷の淀んだ空気の中で育ったとは思えない好青年だ。まだ少し頭がぼんやりして、気の利いた返事の一つも返せない私の前にさっと胡坐をかいて、
「どうぞ」
 こちらの猪口へ酒を注いでくれる。佐々間家の下男、彦造の通夜である。身寄りがいない使用人を憐れんだ佐々間家が、簡単ながら通夜から葬式まで出してやることにしたのだという。
「しかし先生はなんだって御堂の裏なんかに行かれたんです?」
「……地蔵巡りが趣味なんだよ」
 私はタヅについたのと同じ嘘を彼にもついた。
「面白いご趣味ですね。やっぱり本当の文人さんは違うなぁ」
「彼はどこへ埋められるんだね? 佐々間家の墓かね?」
 まさか、と永吉君は笑いながら首を振った。
「村はずれの無縁墓地でしょう。墓地とは名ばかりの小塚ですが」
「……まあ、そうだろうね」
「先生にお怪我が無くて何よりでした。なにしろあの図体ですから。落ちてきた彦造が当たりでもすれば……」
 その言葉に、再びあの光景が私の中で蘇る。一抱えほどの大岩。そのすぐ後から転げ落ちてきたのは筋骨隆々とした体に粗末な着物を纏った、男の死骸だった。
 それが彦造であるということはすぐに分かった。
 私が逗留している佐々間家の下男である彼は、何かしら私へ気に食わないところがあるらしく、以前からひどく不愛想な態度をとり続けていた。西欧人にも中々ない筋骨隆々の巨躯を持つこの無口な若者は、分厚いへの字口とぎょろりとした大目玉が目立つ濃い髭面もあってただでさえ印象的な存在だったが、そうした相手にちょくちょく意味なく睨みつけられたり、廊下での出合頭にわざとらしく鼻を鳴らされたりしていれば、嫌でもその顔を覚えてしまう。
 五メートルほどの高さの崖上から落ちてきたその彦造が、死んでいるということもすぐ分かった。いつもの彼なら五メートルの落下などでは毛ほどの傷も負わなかったに違いない。なにせ頑丈そうな体だ。だが首がもげかけていた。後ろ首を横一文字に頚椎ごと叩き切られ、喉笛の皮一枚で頭が胴と繋がっている状態とあっては呼吸の確認をするまでもない。私は、自分が頭から血飛沫を浴びていることにもまるで気づかず、屋敷まで全速力で走り切った。
「――しかし、少し早いでねえか」
 その声で私は再び我に返った。それは私と同じ大広間にいる男衆の中から発せられたようだった。通夜の準備が進められる佐々間家の屋敷は集落中からの手伝い人でごった返しているが、彼らは早々に手伝いを酒盛りへ切り替えたグループらしい。集落の散歩で面識のできた、陽に焼けて皺だらけの顔が幾つも混じっている。
「ちょっと皆さん、もう少し向こうでやってくださいよ。弧川先生はひどくお疲れなんですから」
 永吉君がきつめに促すと彼らはよたよた立ち上がり、棺の傍までいって車座になった。白木の箱の造りを肴に再び、飲み始める。
「お見苦しくてすいません。なにせ酒が目当ての連中ですからね。根っからの田舎者なんです」
「いやいや。どこにでもいるもんだよ。そもそも身内以外の人間には、通夜なんて祭りみたいなものだろう」
「なるほど。じゃあ、今夜は本当のお祭りですね」
「あ、いや……もうしわけない」
 私は慌てて謝罪した。下男とはいえ、こうして通夜から葬式まで出すほどだ。佐々間家の人間にとって彦造は〝身内〟のはずだ。
「大丈夫です」
 だが、永吉君はまた朗らかな調子で首を振った。
「住み込みでずっと暮らしていたと言っても、彦造は飯炊きなんかを除けばほとんどアヤ付きみたいなものでしたからね。愛想のない男でしたし、子供の頃なんかは、アヤの世話を終えたあとで仮面を外すのを忘れて廊下を歩くあいつを怖いと思いこそすれ、親しみを感じることなんて全くなかったですから。祖母に怒られている様子を覗き見て溜飲を下げたもんですよ」
 アハハ、と彼が冗談めかして三度笑った、その時だ。澄んだ歌声が聞こえてきた。鞠をついているのか、鈴の音が混じり、

 ♪ さのつく さんけの さるだのみ
   ささまのいえは おんないえ
   さたけのいえは おとこいえ
   さはらのいえは うんだのみ

   さのつく さんけの さるだのみ
   さはらのいえは おっちんで
   さたけのいえは きぐるいで
   ささまのいえは ちょうじゃさまに ならしゃった

「瑠璃め」
 永吉君が唸る。「こんな晩に歌う歌か」
「あら、いいじゃないの」
 ちょうど膳を運んできた女が蓮っ葉な口をきいた。この集落では珍しい洋喪服の上から割烹着を着けた彼女は佐竹満代、恭介によれば古くは佐々間家とライバル関係にあった佐竹家の後家である。
「瑠璃ちゃん、退屈なのよ」
「なら、もう寝りゃいいんだ」
「独り寝はつまらないわ」
 満代は私へ流し目をくれた。艶っぽい目つきだった。
 後家と言っても、まだ三十の声を聞いてはいないらしい。もとは横浜だか横須賀だかでタイピストをしていた女で、この集落出身の男と結婚して連れてこられたは良いが、その夫が早死にしたために随分早く未亡人の肩書きをつけられてしまったそうである。
 もっとも本人に鬱屈したところはまるでない。集落では二番目の分限者である佐竹家では稼がずとも困るというようなことはなく、面倒な舅姑もおらず、子供もいない気楽な有閑を趣味の詩作や読書に費やして充実の日々過ごしているらしい。
「夜は夜で、男衆から受ける夜這いのスリルを楽しんでいるのさ」
 とは恭介の談だ。田舎とはいえ大正の御代にまさかそんなこともないだろうが、確かにどこか淫蕩な感じのする女だ。涼し気な目元に華のある穏やかな顔立ちとは裏腹に、肉感的な体へしなを作って気軽に男へ親しむ様子は酒場女給かなにかの経験を思わせた。
「せんせ、後であれ、開けませんこと?」
 私の前へ膝をつき、満代が問う。あれ、とは、先ほど彼女がタヅを介して私と恭介の部屋へ差し入れてくれた洋酒のボトルだ。いつだか散歩の道すがら出会ったとき、集落では洋酒が手に入り辛くて困る、と私が冗談口に言ったことを覚えていてくれたらしい。
「もう開けちゃったかしら」
 いや、と私は首を振り、
「だけど、恭介も開けたくてたまらない様子だったからね。一緒に飲むなら早めに来ないと。明日にはもう、空だろうな」
 くつくつと満代は笑って、
「あとでお部屋に伺いますわね」
 特製の干し肉をわざわざ用意してきたのだという。
 軽く頷く私。一度立ち上がりかけた彼女だったが、いいこと思いついたッ、という目つきで素早く顔を寄せ、手に手を触れ、
「アヤ様には、内緒――」
 甘く耳打ちして今度こそ立ち上がった。手伝いへ戻る後姿を私は見送る。洋装に形の良い尻が目立っていた。小股の切れ上がった、とはこのことかと思う。
「先生、気を付けてくださいよ」
 満代が完全に遠ざかるのを待っていたらしい、ごく真面目な顔、真剣な口ぶりで永吉君が言った。
「なにがだい?」
「あの女は危険なんです。佐竹の正太郎さん、いい人で、僕も子供の頃よく遊んでもらってたんですが、ここを出て、あの女を連れて帰ってきてからはまるで人が変わってしまって。満代さんが狂わせたんですよ」
 佐竹正太郎は、数年前に死んだ満代の夫である。
「まあ……確かに、男を狂わせそうな雰囲気はあるがね」
「ようやくアヤに良い家庭教師を見つけられたのに、狂ったんじゃ困りますよ。その相手が佐竹の後家なんてなおさらだ」
「大丈夫」
 私は笑った。
「満代さんは都会生まれの都会育ちだろう。贅沢に暮らしているとはいえ、こういう静かな場所じゃ寂しくなる時もあろうさ。そこへ似た環境で生まれ育って、なおかつ文芸という共通点のある人間が来たんだ。それで私にシンパシーを感じているのだと思うよ」
 それに、と私は思った。
 御白粉をはたいた満代のうなじは確かにひどく艶めかしい。暗い日本家屋の廊下ですれ違うときなど、思わずぞくりとさせられる。東京にいた頃の私ならすかさず顔を埋め、深々と息を吸いたい熱望に駆られたはずだ。だがこのところ瑞々しい生気にあてられ続けている今の私にとって、満代は白々しい作為の塊と見えてしまう。
 私としては珍しく、中々押しの強いアプローチの受け役を楽しむことはあっても、垣間見の垣根を超えることは無いはずだった。
「一緒飲むったって、恭介もいる。変な雰囲気にはならないさ」
「そうですか? 言っちゃ悪いけど、先生、女性に弱そうだからな」
 永吉君は冗談めかして笑い、そこでまた、彼の妹である瑠璃嬢が手鞠歌を始めたので、さすがにどうにかせねばと思ったのだろう、
「ではまた」
 快活に言うと立ち上がって広間を出て行った。
 盃を呷り、私はしばらく独りでぼんやりとしていた。膳を運んで繰り返し広間を出入りする満代が、
「御退屈なら、アヤ様に御逢いにでも行かれたらどうです?」
 また声をかけてきたが、
「彼女の部屋を訪れるには、タヅの案内がいるからね」
 タヅは準備にてんてこ舞いのはずだ。「手を煩わせたくない」
「あらでも、タヅ、暇してるみたいよ? こんな時に怠けるなってさっきも刀自様から怒られてたし。呼んできてあげましょうか? 
あの子私のこと好かないみたいですっごく警戒されてるんだけど、先生の御呼びと言えば来るはずよ?」
 だが私は再び首を振った。
「いずれにせよ、だめだ」
「どうして……」
「アヤに――、酒臭い息を向けたくないんだ」
 言うと一瞬、ぽかんと間が空いた。それから満代は笑いだす。
「いやーだ、先生。ねぇ、そこまで本気なの?」 
「……悪いかね」
 チェッ、と彼女は悪戯っぽい顔つきで舌打ちをして見せ、
「しょってるわ!」
 それが、彼女と交わした最後の会話になった。


     ※


 佐々間の刀自や嫁に次いで通夜の準備を仕切っていたから、満代本人がそうなるように手配したのかもしれない。二間半ほどの間隔を挟み、大広間の上座から下座へずらりと二列で平行に並べられた膳へ全員がついた時、私は彼女と向かい合わせで座っていた。
 それで、ほとんど全てを見た。
 異音へ目を向けると、満代が両目を見開いて自分の胸を押さえていた。彼女はこちらをまっすぐに見据えた。大きく喘ぎ、胸を掻きむしりながら、なおこちらを見据え続けた。喪服のボタンが幾つか千切れ飛んだ。少し大きめだが薄く形の好い唇の端から唾液の泡が溢れ、しかしすぐ赤い滴りへと色を変えた。横転と痙攣。
「毒だ!」
 私の隣で恭介が叫び、膳を蹴って立ち上がった時、彼女はもう、こと切れていた。
 気配に気づいて振り向く。棒立ちのタヅと目が合った。
 彼女の目に私の恐怖が映っているのか、私の目に、彼女の恐怖が映っているのか。二人とも呼吸を忘れてしばし見つめあった。
「タヅ、満代の目を閉じてやれ」
 佐々間の刀自が厳かに声をかけた。
 だがタヅはしばし立ち竦んで、そのまま広間を足早に出て行ってしまう。
「アヤ様の様子を見に行ったんでしょう。僕がやりますよ」
 私が再び満代の方を向いた時、開かれたままになっていた一重瞼を恭介が優しく閉ざすのが見えた。

 少し経って、私は泊り部屋で独り一升瓶を抱えこみ、矢継ぎ早に湯呑みを呷っていた。満代がくれた洋酒は見当たらなかった。
 やがて恭介が戻ってきた。障子を後ろ手に閉めるなり掘り炬燵へ滑り込む。通夜に出席していた村医者の見立てが正しいとすれば、佐竹満代の死因は殺鼠剤だそうだ。陽が落ちてから始まった大雪で峠が越えられないとかで、詳しいことは県警の刑事が到着するのを待たねばならない。だが毒は満代の吸い物に混入していたのだと、未だおこりのように震えながら恭介は断じた。
「なぜ分かる? 得意の推理かね?」
「いや、さっき実験してきたんだ」
 なんでもないふうに彼は微笑む。事件後、家の人間から私はすぐ我々の泊まり部屋へ追い立てられたが、ふいと消えた恭介はかなり長い間帰らなかった。警視庁に知り合いも多い都会派探偵の肩書きをおおいに活用し、はりきった駐在と捜査を始めているのだろうと思っていたのだが、実際は独り、科学実験に勤しんでいたらしい。
 恭介は首を振った。
「そんなたいしたことじゃない。あの時、満代さんは椀を取り落として喘ぎ始めた。毒が即効性のものならば、汁が一番怪しいことになる。だから彼女の膳へぶちまけられた汁をスポイトで回収して、そいつをパンに吸わせて納屋のネズミにやってみた。もちろん汁の付着していない他のおかずもちょろまかして、一緒に並べた」
「道理で、鼻先まで真っ赤にして冷えているわけだ。県警から人が来たら大目玉かもしれんぞ」
「彼らの到着を待っていたら、せっかくの物証が蒸発してしまうよ」
「……それで、うまくいったのか?」
「いや、失敗だった。僕の見ている前ではパン屑も他のおかずも、齧られさえしないんだ」
 恭介はなお笑った。
「畜生とて賢い、警戒しているんだね。こっちも寒くて辛抱堪らんから、結局一匹捕まえてね、スポイトで直に汁を飲ませた。コロリだったよ。毒は汁に入っていたんで決まりだ」
 彼にしては珍しく薄汚れているのは、埃まみれの納屋で大捕り物をしてきた直後であるかららしい。さすがに疲れた、と肩を竦め、自分の湯呑を差し出すから、私は勢いよく酒を注いでやる。
「手はきちんと洗ったろうね? ――毒が殺鼠剤だというのは?」
「やはり納屋に殺鼠剤の缶があるんだ。最近開けて使ったらしい。真新しく、こぼした後があった。だがタヅや他の下女たちに訊いても、最近使ってないというんだ。今年はネズミが少ないんだと」
「なるほど……」
 恭介はきゅっと湯呑を一息に空けた。それから私を見据え、
「さて、弧川先生。僕に秘密を打ち明けるころじゃないのか?」
「秘密?」
「今までドタバタしていて話もできなかったがね。なぜ君が彦造の発見者になったかだ。地蔵巡りが趣味だなんて、僕は知らんぜ?」
 そこで私は手紙を見せ、一部始終を話した。
「なるほどね」
 手紙を透かしたり、ひっくり返したりしていた恭介がやがて頷く。
「君はどう思う、恭介?」
「それより君がどう思うかだ。今日の君は通夜前から明らかにおかしかった。いつもならいらぬ手伝いを買って出て有難迷惑がられるほどのお人よしが、ずっと酒を飲んでばかりだったじゃないかね。腰を重くする何かがあるはずだ。そうだろう?」
 覗き込まれ、私は肩を竦めるしかない。
「君には敵わんよ、恭介。確かにその通りだ。率直に言って、僕は殺されかけたのだと思う」
「彦造に、だね」
「そうだ」
「だとすれば、彼が君を殺そうとする動機は何だ?」
「……アヤさんだろうな。彦造はアヤさんへ横恋慕していたんだ」
「あのむくつけき原始人が、怪しげな手紙で誘い出した恋敵の頭を岩でかち割ろうとしたと、そういうことだね?」
「そうだ。君もそう思わないか?」
「この手紙を書いたのも彦造だと思うかい?」
「違うのか?」
「違う。彼は字が書けないからだ。これを書いたのはね、弧川君、満代さんだよ」
「なんだって? しかし、そりゃまた、なんだって……」
 しかし恭介は私のあやふやな問いへ答える代わりに、ぐいと湯呑を突き出した。満たしてやった酒を再び一気に飲み干し、
「まあ、これではっきりしたよ」
「何がだい?」
「この村に、悪意ある殺人者が紛れ込んでいる。伝説の怪物なんかでなしにね」
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