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「弓香をホテルの前で見た? ――どこのホテル? 」
「駅の北口を出て、少し川の方に行ったところにある、南の島みたいな看板の……」
「ああ、ラブホか」
先生は言ってから、あ、すまん、とわたしに言いました。
「ちょっと待て。お前はなんで、あんなとこに行ったんだ?」
「ホテルに行ったわけじゃありません!」
二人しかいない学習支援室の中で、わたしの声はやけに大きく響くようでした。わたしがどうしても先生に相談したいことがあると言って、無理に入れてもらったのです。
「そりゃ分かってるさ」先生は穏やかにわたしを宥めました。
「だけど、ことが公になれば、他の大人はまずそこを訊いて来るぜ?」
「……公になるんですか?」
「場合によっちゃな」
言い放つ先生に、わたしはかすかな苛立ちを覚えました。他の人には言えないからこそ先生に相談したのです。でも同時に、やっぱり先生を頼って良かった気もしました。
「わたし、この間から塾を変えたんです。それまでは弓香と同じ南口前の塾に行ってたんですけど、そこ、理数系はあんまり良くなくて。それで――」
「ああ、北口向こうに新しいのができたんだったな。あそこにしたのか」
「はい。でもわたし、実はすごく方向音痴なんです。それに塾は夜まであるし――」
「暗い帰り、道に迷ってラブホの前に出た、と」
わたしが頷くと先生は、危ないなァ、としみじみ呟きました。わたしはなんだか嬉しい気がして、でも、すぐに不謹慎だと気付いて、浮かびかけた笑いをひっこめたのです。
「しかし、弓香も道に迷ってただけかもしれんぞ。いや、案外、方向音痴のお前が迷ってるんじゃないかと気遣って迎えに来てくれてたとかな」
幼馴染みなんだろ、と微笑む先生に、わたしは首を振るしかありません。
「男の人にお金をもらってました。見たこと無い、剥げた小太りのおじさんです。なんか全体的にいやらしい感じでした」
黙り込む先生。やがて静かに、
「それは確かか? あとで、間違えました、じゃ済まされないぞ?」
「わたしが見たのは、そのホテルの門の前で弓香が、知らないおじさんとお金のやり取りをしていたところだけです。でも、それだけは確かです」
「金のやり取りをしていたところだけ見たのか? その後二人はどうした?」
「……わたし、怖くなって逃げたんです」
まあ、それでよかったよ、と先生は言いました。「よく、相談してくれたな」
「どうするんですか?」
「この場合、秘密に解決するのは少し難しいだろうな。弓香の担任の倉田先生とまず相談して、確かなら警察も動くことになるかもしれん。弓香が間違いを犯したのだとしたら、それを俺たち以外の幾人かが知ることになる。噂という形でなら、もっと大勢の人だ」
「そんな……」
「お前は自分が楽になるために俺に相談したのか? もし弓香が良くない状況にいるなら、彼女を助けたいんじゃないのか? どっちなんだ?」
「……弓香を、助けたいです」
「それなら、ある程度の犠牲は止むを得ないこともあると理解しなさい。ここで膿を出し切るか、なあなあに済ませて、もっと悪い未来を迎えるか、どちらを選ぶ?」
「膿を……出し切ったほうがいいんですよね」
「もちろん俺もできるだけ彼女が傷つかない方法を考えるし、できる限りの努力をする。お前はどうする?」
「わたしは……」
弓香に何かしたい、と思いました。しかし弓香は最近、学校の中でわたしの顔を見てもなんだか避けるようにして、ふいとどこかへ行ってしまうのです。帰り道で一緒になることもまずありません。たまに話かけても、つっけんどんな言葉が返って来るだけで、
「どうすればいいんですか? わたしに何かできるでしょうか?」
「観察することだろうな。弓香をちゃんと見て、これまでの弓香とどこが変わっているかしっかり見てやる。多分、お前にしか出来なくて、しかし一番役に立つことかもしれん」
最近、弓香について他に変わったと思ったことはあるか、と先生が訊ねました。わたしは少し首をかしげて、
「口調が前より乱暴になりました。なんだかいつもイライラしている感じで。あと、痩せたっていうか、やつれた? 頬がこけて来てる感じがするかな……」
「急いだ方がいいかもしれんなぁ」
先生は顔を顰めて言いました。その視線の先にあるものを追って、わたしはゾッとせずにいられません。昔、校内のイベントで使われたのであろう看板です。古くなって全体的に黄ばんではいますが「薬物乱用防止ポスター展」という赤い文字が、こびりついた血のように、おどろおどろしくわたしの視界へ迫りました。
わたしは先生を見ました。先生も、わたしを見ていました。
先生の考えていることが手に取るように分かる気がしました。
援助交際、ドラッグ、日頃から注意されていても、別の世界のもののように思っていた言葉が今、わたしのすぐそばにありました。ひやりと冷たく、嫌な感じがしました。
ふとわたしは、弓香が先生のことをあまり評価していなかった理由が分かった気がしました。弓香は先生の目を怖れていたのではないでしょうか。先生になら見抜かれてしまうと、彼女の鋭い直観で本能的に悟っていたのではないでしょうか。
「先生、わたし、先生に相談して良かったです」
先生は少しの間、渋い顔のままでしたが、ふっと表情を緩めて、
「無理にそう思い込む必要はないさ。ただ――」「ただ?」
先生の目は真剣に、わたしを見据えていました。
「お前が弓香を思う気持ちは本物だ。弓香との関係がこれからどうなっても、弓香がお前の気持ちを信じてくれなくても、お前の気持ちだけは本物なんだ。結果がどうあろうと、悩む必要はない。胸を張って、これからの日々を過ごして欲しい――。できるか?」
「……できる、と思います」
OK、と頷いてにっこり笑った先生の表情に、わたしは救われる思いがしたんです。
わたしはなんだか、肩の荷を少し下ろした気分で学習支援室を出ました。
でも、結局、間に合いませんでした。
その日の夜中、わたしは部屋に飛び込んできたお母さんに叩き起こされました。
「あんた、大変やで!」お母さんは興奮すると、関西弁になります。
「弓香ちゃんな、お母さんを包丁で刺して、警察に連れて行かれたんやて!」
わたしは最初ぽかんとして、夢の続きでも見ている気がして、そのうちだんだん、自分が現実世界にいるのだと分かって来て、寝汗を吸ったパジャマの生地がうすら寒くて、
「うそ」
やっとそれだけ、呟いたのです。
Ⓒ髙木解緒 2017
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