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しおりを挟む七度目に真柴の敷地を訪れた日、阿賀野は多馬村から都内のマンションにまっすぐ帰宅し、自宅のキッチンで腕を組んでいた。
普段、阿賀野はほとんど料理をしない。キッチン自体は対面型のカウンターキッチンがあり、食器やカトラリー、料理器具が一通りそろっている。けれどそれらは普段、きっちりとカウンター下の収納にしまいこまれており、滅多に使われることがない。おかげでカウンターはなにも載ってはおらず、いつも綺麗だ。けれど今日は、底に土汚れのついた段ボールが載っている。
それは、真柴からもらったものだった。
老舗洋菓子店の数量限定バウムクーヘンを買う事が出来た今日、いつもの通りに真柴宅を訪れた阿賀野は、五度目の時より近付けていた。
もはや恒例となった軽い口説き文句を今日も躱されながら、今日はこれを、とバウムクーヘンの入った箱を紙袋から取り出し、停めてあったトラクターの運転席の下に置こうと思ったら、そこには既に段ボールが置かれていた。陽射しが当たってしまうものの、座席に置こうとしたら声が飛んできたのだ。
「だっ、段ボール!」
「えっ」
阿賀野そっちのけで野菜を収穫していたかと思えば突然大声で言うものだから、思わず真柴を見ると、彼は平ざるに葉野菜をどっさりと積み、畑の真ん中から移動せずに、大きく口を開いていた。
「段ボール、持って行ってください」
「持って行って下さい?」
廃棄してくれという意味だろうかと、バウムクーヘンの箱を座席に置いて、運転席の足元に置かれた箱に手をかける。思いのほか重さがあり、地面に下ろすとドスンと重量のある音がした。
何が入っているのかと、テープなどで閉じているわけではない段ボールの上部を開けると、中には艶やかに光をはじく新鮮な野菜が大量に入っていた。
「今朝収穫しました。持って行って下さい」
「これ、俺に?」
「い、いつも貰ってばかりなので……お礼です」
「こんなにいいのか、すごく多いけど。売り物になるんだろ?」
段ボールに詰め込まれた野菜は、おおよそひとり分とは思えない。人参だけでも五本、大根もまるまる二本、キャベツも立派な大きさのものが二玉あった。その他にもピーマンにパプリカ、オクラ、ナスがいくつかずつと、諏訪園が絶賛していたミニトマトやわさびも、小さなパッケージに入って添えられていた。
「売り物は他に選別してあるので……多ければ、必要な分だけ持って行ってください」
それだけですと早口で言うと、真柴は首にかけたタオルでぐしゃぐしゃと無造作に顔を拭きながらまたすぐ畑の中にしゃがみこんでしまった。丸まった背中は動いていないが、こちらを向く気配はない。
(もしかして、照れてるのか)
夏特有の濃厚な空気に紛れて、真柴の匂いがする。
興奮したりするとオメガの匂いが放たれることもあると聞いたことはあるが、それなりに離れていても、やはり真柴の匂いは阿賀野に届く。元々体質的にオメガとしての性徴の匂いが濃い体質なのか、それとも運命のつがいの匂いだからこそ強く感じてしまうのかはわからなかったが、少なくとも真柴が平静でないことは確かだ。
駆け寄って表情を確かめてしまいたい欲が、ぐっと胸の内からせりあがってくる。
けれど、一ヶ月近くもかかって今の距離に立つのを許されているのだ。彼との距離はまだ数十メートル離れているが、それでも近づいている。それは、真柴の警戒心の綻びだ。無理に距離を詰めて、敏感な隙間をがっちりと閉じられてしまう事だけは避けたい。
一度深呼吸して、阿賀野は運転席の下にバウムクーヘンの箱を押し込んだ。
「それじゃあ全部貰っていくよ。俺からの今日のプレゼントはここに置いておくから、早めに回収してくれ。ちょっと忙しいから、今日はもう帰るよ。またね、真柴君」
もしかしたら、テーラーで仕立てたスーツに泥がついたかもしれないが、そんなことはどうでもいい。抱え込んだ段ボールを助手席に押し込んで、阿賀野は休憩も森林浴もせずに真柴の敷地を後にした。
帰りの道すがら、阿賀野は窓を開け放していた。真柴も両腕でしっかりと箱を持ったのだろう。僅かについた匂いが、こもった車内でふわふわと漂うのが不必要な興奮をあおって仕方なかった。
そうして本人はいない助手席に悶々としながら帰宅して、マンションに段ボールを運び入れたのが十分ほど前のことだ。
髪が乱れようと、後部座席に置いた書類がファイルごと風にはためいてバタバタと音を立てようと、窓を全開にして車内に風を巻き起こしながら帰宅したせいか、匂いはだいぶ薄らいでいる。
しかし問題はまだあった。
段ボールの中には、大量の野菜が詰め込まれている。トマトとジャガイモくらいなら食べられなくもないが、阿賀野には食べられないものばかりだ。
「………どうにかしないとな」
自分で買ってきたものなら、腐ってしまっても残念だくらいにしか思わないが、これは真柴が育てたものだ。腐らせてしまうわけにもいかない。
とりあえず阿賀野はうるさいことになるのを覚悟で、そもそものきっかけとなったシェフを呼び出した。
『はいはい、諏訪園でーす』
「俺だ。今日はマノン休みだったよな」
『なんだ、阿賀野か。ええ、今日はオフ』
「じゃあ暇だな。今すぐうちに来い。お前の大好きな真柴ファームの野菜があるぞ」
『えっ、ちょっ、なに? なんなのどうしたのっ?』
「いいから来い。あとで金は返すから、和牛のヒレも買ってこい。200グラムを四枚」
『なんなのよもう! ええっと、三十分で行くから、和牛…そうね、日本酒! 純米のがあったら、それ準備しといて! それじゃ!』
諏訪園はあっという間に騒ぎ立てるが、来てくれるらしい。またあとでね、と通話が切れたスマートフォンを置いて、代わりに箱に入ったままの野菜を見下ろす。
ペンダントランプの白い光に反射してピーマンがつややかに輝いていたが、野菜嫌いを貫いて二十年以上経つ阿賀野には、もう味を思い出すことは出来なかった。
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