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しおりを挟む次に目が覚めたのは翌朝で、既に蘇芳は傍らにいた。
「…芹様」
目を開けた芹に気付いた蘇芳は、どこか擦れた声と、腫れぼったい目をしていた。八の館の住人の元で泣いたのだろうかと思いながら視線を合わせると、ほっとしたように目元が和らいだ。
「朝です。体調はいかがですか」
「うん、大丈夫」
散々に眠ったせいだろうか、体調はとても良かった。あれほど動くのが億劫だった昨日とは違い、体もよく動く。ただ、裸足で走り回ったせいで傷を負った足の裏に違和感があり、布団から引き出してみると、布が巻かれていた。
「怪我をなさっていたので、布を当てています。痛みますか」
「……少し」
嘘をついた。
本当は少しも痛くなかった。けれど、小さな嘘で最後の一日を誰にも邪魔されることなくいられるのなら、良心は痛まなかった。
「今日はどうなさいますか」
「…いつも通りでいいよ。それより、お腹すいた」
芹の言葉に、蘇芳は一瞬息を飲んだ。無理もない。最後の日だと言うのに、無為に過ごすようにしか思えないだろう。
しかし、芹の胸中を知ってか知らずか、蘇芳はかしこまりましたと頭を下げた。
「朝餉をお持ちします」
「うん、お願い」
深々と頭を下げた蘇芳は、それからすぐに戻ってきた。
膳の上に載った食事はいつもより豪勢で、朝だというのに甘い干菓子も乗っていた。
「美味しいね、これ。ぽりぽりする」
白米と、大根を干して漬けたもの、菜の浮いた汁もの、芋と山菜を煮たものを平らげ、淡い桃色をした砂糖菓子を食んだ。
手のひらほどの小さな漆の皿に載った菓子は五つほどだったが、芹がそれを食べ終えてしまうと、蘇芳が自分の分をすべて分けた。
「蘇芳も食べたらいいのに」
「芹様に差し上げますよ」
「いいの? ありがとう」
甘いものが嫌いなわけではないので、気を遣ったんだろうなと思ったが、それも口に運び、最後のひとつは摘まんで蘇芳に差し出した。
「はい」
「いえ、俺は」
「はい」
ずいと差し出すと、迷った末に口が開かれる。そこに干菓子を落として、芹は両手を合わせた。
「ごちそうさま」
口の中に菓子を放られた蘇芳はもごもごとしていたが、やがて飲み込むと深く頭を下げた。
「下げてもよろしいですか」
「うん。あ、でも…俺も厨行こうかな。自分のは、自分で持つよ」
最後だし、とは言わなかった。
しかし蘇芳はなにかを言いかけて口を紡ぎ、それでは一緒に、と厨まで短い食後の散歩を楽しんだ。
屋敷の厨には多くの妖がいる。芹がよく甘味をねだった小豆洗いや、いつも忙しそうにしているのっぺらぼうの顔を見て、ごちそうさま、と膳を返した。
「今日はあと、書庫に本を返して、それから……ああ、穂摘に会う約束をしてればよかった」
「よろしければ、お呼びしますが」
「ううん、穂摘も忙しいだろうし。大丈夫」
会えたらよかったが、会えないのならば仕方ない。それに、優しい穂摘の前に立ったら、泣かずにいる自信もなかった。
戻りすがら通った芹の部屋は存外早く修理がなされ、もうすでに戻れそうだったが、さっと着替えをして、奥の部屋に置いたままだった書庫の本と、離れから持ってきたお気に入りのものを一冊取れば、もうそこに用はなかった。
そのまま書庫に向かい、借りていた書物を返した。
いつもならそのあとは書棚を探り、大蜘蛛と少し話をして、何冊か借りて帰る。けれど、今日は書物を借りずに、すぐに書庫を出た。
あとはもう、どこに行くつもりもなく、蘇芳の部屋に戻った。
「今日はもう、なにもしないよ。ただ、傍にいてほしい」
縁側の傍に置いてあったせいで、日差しに暖められた座布団に腰掛けて一息つきながらそう告げると、蘇芳はわかりましたと頷いた。
そうして芹は、どこか遠方へ出かけるわけでなく、特別な事をするわけでもなく、淡々と一日を過ごした。
芹には本があるが、蘇芳はなにかするだろうかと思ったが、意外なことに隣に座り、芹がめくる紙面を眺めはじめた。それはとても嬉しい事で、べったりともたれながら、芹はだらだらと書物の文字を追いかけた。
そうして昼餉の膳が運ばれてきて、やはり豪華なものを満腹になるほど食べて、そのままやってきた睡魔に流されるように横になった。
蘇芳も一緒に寝よう、と手招きをすると、生真面目な従者は珍しく応じてくれて、一緒に座敷に寝転んだ。
眩しいから庇になってと笑いながら影に隠れるふりをしてすり寄ると、それならばもっとこちらへ、としっかりした腕が抱き寄せてくれる。
不安などなにもない。ただ幸せに包まれて、芹は目を閉じた。思わずこぼれた涙の粒は、あたたかな畳に吸い込まれて、すぐに消えた。
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