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巣ごもりオメガと運命の騎妃
14.運命制度
しおりを挟むざわざわと鳴りやまない人々の喧噪と、広場の隅に控えた楽団の奏でるささやかな音色が、夜空に吸い込まれていく。それらは混ざりあってひとつのまとまった音になってミシュアルの耳を騒がせたが、サリムの声は静かに響いた。
「ドマルサーニの運命制度を知っていますか?」
「運命制度? いいえ……」
サリムたちがナハルベルカへ来る前にドマルサーニのことは多少勉強したつもりだが、それらは主に風土や政治や歴史、それから忌避される行為などだ。
頭に叩き込んだ知識の中にあったものではないとミシュアルが首を振ると、サリムは丁寧に教えてくれた。
「ドマルサーニでは、アルファとオメガには運命のつがいがいると信じられています。運命のつがいについては?」
「聞いたことはあります。でも、噂程度で……」
ミシュアルも、運命のつがいという話は聞いたことがある。生まれた時から相手が決まっているだとか、出会ったらすぐに相手がわかるだとかの眉唾ものの話ばかりで、ナハルベルカではまだ性徴が決まる前後の子どもが信じるような夢物語として知られていた。
しかし、ドマルサーニでは子どもどころか王侯貴族に浸透したひとつの信仰であるとサリムは言った。
「ドマルサーニでは二ヶ月に一度、巡香会という出会いの場が開かれます。私も、巡香会で殿下と出会いました」
「皇太子も参加するような会なんですか?」
「はい。もともとは皇帝や皇太子の運命のつがいを探すための場なんです。運命のつがいを得ることは、希少な相手を傍に置くことができる権力や財、地位などを持っていると民に示すためのものでもあります。ドマルサーニでは、つがいを得た皇帝の代は栄えるとも言われているので」
「そんな意味があるんですね……」
ナハルベルカとドマルサーニは国同士の仲が良いが、文化までは同じではない。国をふたつ隔てただけでもこんなにも違うのかと、今更ながらミシュアルは異国に来たのだと思い知った。
「なので、皇帝や皇太子はつがいを得るまで毎回巡香会に参加するのがしきたりです。それにやがて貴族が参加するようになり、民たちも加わって、今のようにアルファとオメガのための、開かれた出会いの場になりました」
サリムは、運命のつがいを得られることは珍しく、普通に恋愛やなんらかの理由でつがいになった相手と結婚することがほとんどだと言った。
しかし、出会うことが難しい相手を得られるという希少性や、運命のつがいを得ることができたオメガからはより優秀なアルファが生まれやすいという言い伝えにより、皇帝の一族はアルファが生まれれば必ず運命のつがいとなるオメガを探すことが恒例となっており、それが巡香会という集いの始まりだった。
「運命のつがいとの婚姻は特別です。普通の婚姻とは別と考えられ、つがいの他に結婚相手がいても許されるんです。だから、殿下が他に妃を娶ることはおかしいことではないんです」
そう言うサリムの横顔は、ハイダルに向けられている。ミシュアルよりもだいぶ低いが、凛と背を伸ばしたその姿は、妃というよりは騎士として控えているように見えた。
しかし、それでもサリムは皇太子妃だ。ミシュアルもいつかその位置に立つことを思えば、もし自分ならどう感じただろうと考えるだけでも胸が苦しくなった。
「……ですが、それでは……」
ただアルファの名誉のためにつがうようなものではないか――そう言いかけた言葉を、ミシュアルは声にする前に飲み込んだ。
ミシュアルにそのつもりがなくとも、この言葉はサリムを傷つけてしまう。そう思ったからだ。
しかしサリムにはその言葉の続きがわかったようで、細い首がゆるく一度振られ、唇が綺麗に微笑みの形になった。
「悪いことばかりではありません。巡香会で運命のつがいに出会えなくても、オメガにはアルファと出会う機会が与えられます。上手くいけば玉の輿も狙えるんですよ」
真面目な彼にしては珍しく、ふふと笑いながらサリムは茶化すように言ったが、ミシュアルは続いた言葉に笑い返すことができなかった。
「その最たるものが私です。私は幼い頃親に捨てられて、神殿で育ちました。そのうえオメガで……でも、オメガだったから巡香会に出られて、本来なら目の前に立つこともなかったはずの殿下のつがいになりました。それからずっと育てていただきました。これ以上を望むのは……きっと、悪いことです」
そう言って、サリムは微笑んだ。
唇が閉ざされ、静かな声は聞こえなくなる。代わって楽団の奏でる流麗な調べと周囲の喧噪がミシュアルの耳に入ってきたが、まるで自戒するような言葉に滲んだ悲しげな響きは、かき消えることなくミシュアルの耳にいつまでも響いていた。
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