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中編
22.歩み寄り-1
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植え付けられた凌辱の記憶で男性恐怖症になりはしたが、イリスの前へ顔を出すなど全く悔い改めていないと思われたアルヴィド。しかし実際は、人格形成の根幹となっていたエーベルゴート家での記憶を消されたために、しでかしたことの記憶はそのまま別人と化していた。
今のアルヴィドは、かつての自分の思考の記憶はあっても、理解できない。それでいて犯した罪は自らのものと捉え、イリスへの罪悪感から命懸けの償いへ身を投じていた。彼は、簡単に錯乱するイリスの手へ心臓を握らせ、そして自分の心の傷を抉りながら、必死に治療へあたっている。同時に、それで許されることはないと戒めてもいる。
休日に校長室を訪ねたイリスは、グンナルへまとまり切らない思考を聞いてもらっていた。
「彼を治療に協力させることが、正しい事か、わからなくなりました。肉体が本人で、私へしたことの記憶もある。でも、人格が途切れてしまってるのなら、他人の罪を押し付けられたことと、何の違いがあるんでしょうか」
その罪を問うことは正しいのか。その罪を償うことは必要なのか。
「以前、今のアルヴィドに心からの反省はできないと言った。なぜそうしたのか、最早理解できないのだからな。だが、それで罪がなかったことになるだろうか?」
グンナルは、イリスとの会話を密かに隣室へ匿ったアルヴィドへ聞かせるなどした。だからイリスは、彼はアルヴィド寄りの立場なのだと思っていた。
「今のアルヴィドは、例えば記憶が混濁して一時的に人格が変化している状態と、何が違う? もしくは、エーベルゴートでの記憶はそのままに、ただ本当に改心した場合はどうだ? 何かの拍子に以前の人格へ戻る可能性がある。あるいは、私たちを完璧に欺いているだけで、中身に変わりはないかもしれない。……感傷に流され、無理に彼を他人と思い込むことで、後になって後悔はしないか?」
しかし今のグンナルは、イリスがアルヴィドにとって楽な方へ傾きかけるのを、阻もうとしている。彼に同情して裏切られ、イリスに悔いが残らないように。許さなくてはならないと、思い込まないように。
「彼の話を聞いた時、私は指輪を嵌めていました。意識して念じはしませんでしたが、彼が本当に考えていることを知りたいと望みました。だから、アルヴィドは嘘をついていないと、思います。彼は、本当に、昔とは違うんです」
話している間、イリスは積極的な指示などを念じていなかったが、指輪は熱を発していた。動作していた証拠だ。
アルヴィドは、自身の罪悪感をイリスに知られないようにしていた。そのため胸中を暴かれるまでは、過去の行いを他人事だと口にした。その行動と照らしても、彼が昨日語ったのは本心だ。
「アルヴィドのことは、まだ憎いし、恐ろしいです。先生がおっしゃるように、彼の根底には、私にしたことを再びできる、彼も自覚しない素養のようなものがあるんじゃないかと、そんな風に考えてしまいます。ですが、そうやって切り捨てていいのか、正解が、わからないんです……」
治療へ専念し、アルヴィドの心情を無視すれば、これ以上悩むこともない。
だがそれは考えることをやめ、イリスが自らの心の整理を放棄するということ。
治療の過程で学んできた。辛いことや不安なことから目を背けても解決しない。向き合って、自分の中で消化していかなくてはならない。
「アルヴィドを、許したいのか」
グンナルのその表現は、イリスの複雑な心境の中から、的確に願望を拾い上げた。
「……はい」
何が正しいか、どうするべきか、答えは見つからない。それでもグンナルのおかげで、イリスがどうしたいのかは、明確になった。
抱く恐怖は変わっていない。この心情はそのままに、イリスの中の道理はアルヴィドを裁けないと言っている。
アルヴィドを、理性や道理ではなく、心の底から許すと思えるようになりたい。自身にそうしなくてはならないと強いるのではなく、彼への恐れや疑念を乗り越え、本心から許したい。
そのためには、昔とは変わったアルヴィドの心と人格を、実感を持って理解していく必要がある。
「そうか……」
グンナルは、イリスが自分の思いに反して無理にそう口にしているわけではないとわかったようだ。
痛ましげな表情だが、どこか穏やかに、ほんの少しだけ口角を上げた。
「私は、お前たち二人ともが、救われることを願っている」
今のアルヴィドは、かつての自分の思考の記憶はあっても、理解できない。それでいて犯した罪は自らのものと捉え、イリスへの罪悪感から命懸けの償いへ身を投じていた。彼は、簡単に錯乱するイリスの手へ心臓を握らせ、そして自分の心の傷を抉りながら、必死に治療へあたっている。同時に、それで許されることはないと戒めてもいる。
休日に校長室を訪ねたイリスは、グンナルへまとまり切らない思考を聞いてもらっていた。
「彼を治療に協力させることが、正しい事か、わからなくなりました。肉体が本人で、私へしたことの記憶もある。でも、人格が途切れてしまってるのなら、他人の罪を押し付けられたことと、何の違いがあるんでしょうか」
その罪を問うことは正しいのか。その罪を償うことは必要なのか。
「以前、今のアルヴィドに心からの反省はできないと言った。なぜそうしたのか、最早理解できないのだからな。だが、それで罪がなかったことになるだろうか?」
グンナルは、イリスとの会話を密かに隣室へ匿ったアルヴィドへ聞かせるなどした。だからイリスは、彼はアルヴィド寄りの立場なのだと思っていた。
「今のアルヴィドは、例えば記憶が混濁して一時的に人格が変化している状態と、何が違う? もしくは、エーベルゴートでの記憶はそのままに、ただ本当に改心した場合はどうだ? 何かの拍子に以前の人格へ戻る可能性がある。あるいは、私たちを完璧に欺いているだけで、中身に変わりはないかもしれない。……感傷に流され、無理に彼を他人と思い込むことで、後になって後悔はしないか?」
しかし今のグンナルは、イリスがアルヴィドにとって楽な方へ傾きかけるのを、阻もうとしている。彼に同情して裏切られ、イリスに悔いが残らないように。許さなくてはならないと、思い込まないように。
「彼の話を聞いた時、私は指輪を嵌めていました。意識して念じはしませんでしたが、彼が本当に考えていることを知りたいと望みました。だから、アルヴィドは嘘をついていないと、思います。彼は、本当に、昔とは違うんです」
話している間、イリスは積極的な指示などを念じていなかったが、指輪は熱を発していた。動作していた証拠だ。
アルヴィドは、自身の罪悪感をイリスに知られないようにしていた。そのため胸中を暴かれるまでは、過去の行いを他人事だと口にした。その行動と照らしても、彼が昨日語ったのは本心だ。
「アルヴィドのことは、まだ憎いし、恐ろしいです。先生がおっしゃるように、彼の根底には、私にしたことを再びできる、彼も自覚しない素養のようなものがあるんじゃないかと、そんな風に考えてしまいます。ですが、そうやって切り捨てていいのか、正解が、わからないんです……」
治療へ専念し、アルヴィドの心情を無視すれば、これ以上悩むこともない。
だがそれは考えることをやめ、イリスが自らの心の整理を放棄するということ。
治療の過程で学んできた。辛いことや不安なことから目を背けても解決しない。向き合って、自分の中で消化していかなくてはならない。
「アルヴィドを、許したいのか」
グンナルのその表現は、イリスの複雑な心境の中から、的確に願望を拾い上げた。
「……はい」
何が正しいか、どうするべきか、答えは見つからない。それでもグンナルのおかげで、イリスがどうしたいのかは、明確になった。
抱く恐怖は変わっていない。この心情はそのままに、イリスの中の道理はアルヴィドを裁けないと言っている。
アルヴィドを、理性や道理ではなく、心の底から許すと思えるようになりたい。自身にそうしなくてはならないと強いるのではなく、彼への恐れや疑念を乗り越え、本心から許したい。
そのためには、昔とは変わったアルヴィドの心と人格を、実感を持って理解していく必要がある。
「そうか……」
グンナルは、イリスが自分の思いに反して無理にそう口にしているわけではないとわかったようだ。
痛ましげな表情だが、どこか穏やかに、ほんの少しだけ口角を上げた。
「私は、お前たち二人ともが、救われることを願っている」
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