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第二部
@24 言葉
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ウェイは急須や茶葉、その他にいくつか見慣れない道具を取り出した。
「日本の茶道で使うものとはすこし違うんだね」
へりが波打つ黒檀のテーブルにウェイは細長い切れ目が何本も入った台のようなものを置き、上に急須を置いた。ウェイは朗らかな声で話す。
「誤解しないでください、これは茶道のような荘厳な風習というより、もっと家庭的なものです」
僕はテーブルに載っている透明なやかんの湯が沸いていることに気がついた。それだけではなく、テーブルの中に鯉が泳ぎ始めた。テーブルは黒檀を精巧に再現した、電磁調理から画面表示まで兼ねている多機能家具だったのだ。こういった古い道具を真似た新しい道具というのはかなり僕たちの生活に溶け込んでいる。一見した単純さは品性を表していると好まれているのだ。もし数世代前の人間が今の社会に来たら二度驚くだろう。一つ目は生活空間の見た目の変わらなさ、二つ目はそこに隠された機能の豊富さだ。見た目はもはや当てにならない。
「邏陽(ルオヤン)の淹れるお茶は格別」
ユヅハの言葉を聞いて僕の期待は高まった。ボトルに入れて売られたり濃縮されたものではなく、こう本格的に淹れるお茶は飲んだことがなかったからだ。
ウェイは茶葉を入れずにやかんから急須に湯を注ぎ始めた。湯が限界まで入ってもウェイは手を止めなかったので僕は思わず声を上げてしまいそうになった。しばらく湯が切れ込みの入った台に流れてようやくウェイは手を止めた。そして彼女は蓋を載せ、その上からも湯をかけ始めた。
「奇妙に見えるでしょう。茶壺を温めてるんですよ」
彼女は小さい茶杯にも同じように湯をかけ、急須の湯を台に捨てた。台の切れ込みは湯を流すためのものだったのだ。ようやくウェイは茶葉をすこしばかり急須に入れ、やや高めのところから湯を注ぐ。予想に反して湯の曲線は急須の中だけでなく外にも落ちた。溢れた泡を彼女は蓋で取り、それを載せて最後にもう一度急須の外側に湯をかけた。
「わかった、茶具を絶対に冷ましたくないんだね」
「ええ、東洋医学では冷めたものを口に入れるのは避けられるべきと考えられているんです。”気”の流れを妨げると言われています」
僕は北京で食べた中華料理がとてつもなく熱かったのを思い出した。中華では食の熱さに何かこだわりがあるのだろう。
「気…それは何か宗教的なものなのか?」
僕は精霊信仰のようなものを想像した。
「科学的ではないという意味では近いでしょう。私も信じているわけではありません。私だってアイスクリームは大好物ですからね」
「伝統のようなもので、誰も疑問を抱かずにその言葉を使う」
僕はユヅハの言葉に頷いた。
時間が経ち、茶が出来た。ウェイは茶杯の湯を捨て、今度こそは丁寧に茶を注いだ。
「いい香りだ」
落ち着く香りだった。僕は二人と一緒に茶を口に含んだ。香りが広がり、程よい苦味が通った。頭が冴えるような味わいだった。
「美味しい」
僕とユヅハは同時にそう呟き、ウェイは微笑んだ。
ウェイはちょっとした菓子を出し、茶を囲んで話す準備を整えた。僕は学園のことについて話した。そして僕はウェイが学校には通っていないということを知った。理由を聞こうかとも考えたが、やめておいた方が良い気もした。僕らの数時間の会話にはこの原則があった。僕たちは言葉にせずとも互いに敏感な部分には触れまいと努力した。僕とウェイはユヅハの家庭に関する話はしなかったし、僕とユヅハはウェイの過去に触れようとはせず、ウェイとユヅハは僕から話すまで個人的なことを聞かなかった。そのため、僕たちの会話は社会の関心事や学術的なものに留まった。
「そういえばFRCには個人証明がないというのは来てから知ったよ」
「厳密に言うと個人情報の提示を代理する企業は存在しています、しかし国際的にはほとんど地位を認められていません」
ウェイはユヅハの杯に茶を注ぎながら答える。最初飲んだものと違って薄めに淹れられたものだ。
「個人証明って奇異なシステムだと思いませんか?」
僕は彼女の質問の意味を汲み取れず、黙ってしまった。
「国家や政府ではなく民間企業が数十億もの人間の情報を一元的に管理しているんです」
「言われてみればそうかもしれないが…実際に便利だろう」
「そこが重要です。とてつもなく便利なんです。生活のほとんどすべてを片手で管理できる、使わない手はありません」
「何が言いたいんだい? 奇異だけど便利だということかい?」
「我々には多様性が必要なんです。個人証明ははっきり言って…」
「魏邏陽…」
ユヅハがたしなめるようにウェイの名前を呼んだ。
「ああすみません。つい…」
ユヅハは唐突にウェイに何か中国語を話した。ウェイは首を傾げながらも何か言葉を返した。
「ユヅハにお手洗いの場所を案内してきます」
二人は数分後に戻ってきた。
「いま、何時?」
戻ってきて開口一番ユヅハが尋ねる。
「えっと…午前一時を回ったところだ」
僕は腕環を覗く。日付は八月二十二日を指していた。月曜日だ。
「ずいぶんと話してしまいましたね。そろそろ寝ますか?」
初対面の会話だったが、結果として僕はウェイについて多くを知ることはできなかった。彼女も僕についてきっとそうだろう。
「ああ、それがいい」
「片付けはやっておきますよ」
僕は感謝の念を述べて寝る準備をしようと立ち上がった。
「その…あなたたちが泊まる部屋なんですが、すこし問題があって」
ウェイはユヅハの方をちらりと見た。
「泊まらせてもらう身だ。ちょっとした欠点は目をつむるよ」
僕は荷物から歯ブラシを取り出しながら言った。
「他の部屋はほとんど機材を置いていて、来客用の部屋が一つしかないんです」
「それってつまり…」
僕はすでに寝間着姿のユヅハの方を向いた。彼女は嫌がるだろう。
「僕はここで寝るよ」
僕は居間にあるソファを指差した。寝心地はきっと悪いが大きさは充分だ。
「風邪を引く」
ユヅハが言う。
「そんな。まずいよユヅハ。君だって嫌だろう」
「私は構わない」
僕はウェイの方を見たがすぐに目を逸らした。本当に他に部屋がないというのなら従うほかない。
「ユヅハ…その…本当に嫌じゃないのか?」
「問題ない」
僕は両手を上げた。半ば降参のような格好だ。
「わかった、そうするよ」
「すみませんね。明日にはもう一つ部屋を空けますから」
寝る前の支度を済ませた僕たちにウェイは部屋を案内してくれた。
ベッドが二つあったというのはせめてもの救いだ。僕は布団に入って電灯を消した。ベッド脇の副電灯が淡黄色の光を周囲に投げかけていた。窓脇に置いてある花瓶に瑞々しい花が数本挿さっている。ウェイが摘んだものなのか造花なのかはわからなかった。
「たくさん部屋があるはずなのに、そのほとんどが機材で埋まっているなんてウェイは一体どんな仕事をしているんだろうね」
「…」
ユヅハは無言だった。まだ寝てはいないはずだ。僕はしばらく彼女の言葉を待った。
「私と同じ部屋は嫌だった?」
それはどちらかというと僕が尋ねる質問じゃないだろうか。
「そんなことはない、どうして聞くんだい」
「さっき、私と同じ部屋を避けてるように見えた」
「それは…一応異性だから…」
「友達なのに? 経馬シンとは数年も同じ部屋で住んでいた!」
「そうだけど、それは違うじゃないか」
僕は身体を起こした。
「性別なんて問題じゃないと言ってほしい」
「…性別なんて問題じゃない。僕が悪かったよ」
「やっぱり誰もわかってなんかくれない」
ユヅハは毛布にくるまり僕に背を向けた。
「君は、僕なら君のことが全てわかると思ったのか?」
言葉は返ってこなかった。
「確かに僕と君は似ているところが多い、けれどそれだけで以心伝心というわけにはいかないよユヅハ。でもわかり合うことができないわけじゃない…ただいくつか言葉が必要なだけだ…君だって僕について知らないことがあるだろう?」
僕はできるだけ落ち着いた口調で話した。
「言わなくちゃわからない?」
「ああ、ときには」
「言ってもわからないときは?」
「何回でも言ってくれ、何回でも聞くよ」
彼女は誰かに理解してほしかったのだろう。でも彼女は自身の特異な出自やそれに起因する悩みを今まで誰にも打ち明けることができなかった。
「温もりが欲しい」
毛布の中から声が響く。
「星空を眺めたときから、抱きしめてくれたときから、ずっとこんな気持ちを抱いている。コズなら察してくれると思ったけど、わかってくれなかった。だから言う」
「…」
「コズに最も近くにいてほしい」
「ユヅハ、それは…」
「わからないなら何回でも言う。コズの腕の中で安心したい」
「それは…間違っているよ」
僕にその資格はない。
「間違っていない、これは私の本心。何回でも言う」
「そう言われると誤解してしまいそうになる、僕が君にふさわしい人間なんじゃないかって」
「私が嫌いなら逃げて」
ユヅハは彼女のベッドから起き上がり、僕のベッドに乗る。ずるい言い方だ。
「…嫌いなわけないじゃないか」
僕は温かく抱擁された。
パズルの最後のピースが埋まったような感覚を僕は覚えた。冷たい雨の中を孤独に歩いてきた。それがずっと続くと思っていた。しかし急に暗雲が晴れ、眩しい陽が顔を現す。陽は暑いぐらいの抱擁をする。母親がするような抱擁を、僕がされたことのない抱擁を。
「…暖かい」
僕の言葉だった。そして太陽が耳元で囁く。
「コズ、愛してる」
僕は思わず泣きそうになってしまった。
「あぁ…僕もだよ」
ユヅハの吐息が胸元にかかる。彼女が僕の衣服を摑むのを感じ取る。僕は一瞬だけ彼女の肌を見た。副電灯の薄暗い明かりの中でも傷痕がはっきりと見て取れた。
肌と肌が触れ合う。やけに熱いユヅハの肌と冷えた義手の質感。 僕も彼女も何一つ手慣れていなかった。不格好ながらも互いに手探る。そしてユヅハが僕の上に跨った。
彼女が動くたびに髪が揺れ、柔らかい匂いが鼻をつついた。快感の奥で、もう後戻りはできないのだと僕は悟る。
五感が昂り、ついにその時が来た。
「っ…」
僕の小さな性器から精液が放たれる。ユヅハが動きを止め、汗の雫が僕に垂れた。言葉はなく、僕たち二人はしばらく息切れをしながらそのままの姿勢でいた。
彼女を思うなら僕は彼女を止めるべきだっただろう。しかし僕はそれができなかった。勇気がなかったからではなく、温かさと快楽に逆らえなかったのだ。ユヅハの好意につけ込んで僕は一線を越えてしまった。僕は自分の醜く縮こまった性器から、血の付いた避妊具を外しながらそんな事を考えた。全身に彼女の温かさと重みが残っている。
僕は心のどこかで恐れを抱いた。それは火に対する恐れに似ている。
火は温かく、温かすぎるのだ。その温かさに惹かれ手を伸ばすとたちまち火傷をしてしまう。しかし寒空の下、火の元を離れるわけにはいかない。いちど火で温まった人は二度とそこを離れられなくなってしまう。再び寒空に旅立つ勇気は僕の中から永遠に失われてしまったのだ。
「日本の茶道で使うものとはすこし違うんだね」
へりが波打つ黒檀のテーブルにウェイは細長い切れ目が何本も入った台のようなものを置き、上に急須を置いた。ウェイは朗らかな声で話す。
「誤解しないでください、これは茶道のような荘厳な風習というより、もっと家庭的なものです」
僕はテーブルに載っている透明なやかんの湯が沸いていることに気がついた。それだけではなく、テーブルの中に鯉が泳ぎ始めた。テーブルは黒檀を精巧に再現した、電磁調理から画面表示まで兼ねている多機能家具だったのだ。こういった古い道具を真似た新しい道具というのはかなり僕たちの生活に溶け込んでいる。一見した単純さは品性を表していると好まれているのだ。もし数世代前の人間が今の社会に来たら二度驚くだろう。一つ目は生活空間の見た目の変わらなさ、二つ目はそこに隠された機能の豊富さだ。見た目はもはや当てにならない。
「邏陽(ルオヤン)の淹れるお茶は格別」
ユヅハの言葉を聞いて僕の期待は高まった。ボトルに入れて売られたり濃縮されたものではなく、こう本格的に淹れるお茶は飲んだことがなかったからだ。
ウェイは茶葉を入れずにやかんから急須に湯を注ぎ始めた。湯が限界まで入ってもウェイは手を止めなかったので僕は思わず声を上げてしまいそうになった。しばらく湯が切れ込みの入った台に流れてようやくウェイは手を止めた。そして彼女は蓋を載せ、その上からも湯をかけ始めた。
「奇妙に見えるでしょう。茶壺を温めてるんですよ」
彼女は小さい茶杯にも同じように湯をかけ、急須の湯を台に捨てた。台の切れ込みは湯を流すためのものだったのだ。ようやくウェイは茶葉をすこしばかり急須に入れ、やや高めのところから湯を注ぐ。予想に反して湯の曲線は急須の中だけでなく外にも落ちた。溢れた泡を彼女は蓋で取り、それを載せて最後にもう一度急須の外側に湯をかけた。
「わかった、茶具を絶対に冷ましたくないんだね」
「ええ、東洋医学では冷めたものを口に入れるのは避けられるべきと考えられているんです。”気”の流れを妨げると言われています」
僕は北京で食べた中華料理がとてつもなく熱かったのを思い出した。中華では食の熱さに何かこだわりがあるのだろう。
「気…それは何か宗教的なものなのか?」
僕は精霊信仰のようなものを想像した。
「科学的ではないという意味では近いでしょう。私も信じているわけではありません。私だってアイスクリームは大好物ですからね」
「伝統のようなもので、誰も疑問を抱かずにその言葉を使う」
僕はユヅハの言葉に頷いた。
時間が経ち、茶が出来た。ウェイは茶杯の湯を捨て、今度こそは丁寧に茶を注いだ。
「いい香りだ」
落ち着く香りだった。僕は二人と一緒に茶を口に含んだ。香りが広がり、程よい苦味が通った。頭が冴えるような味わいだった。
「美味しい」
僕とユヅハは同時にそう呟き、ウェイは微笑んだ。
ウェイはちょっとした菓子を出し、茶を囲んで話す準備を整えた。僕は学園のことについて話した。そして僕はウェイが学校には通っていないということを知った。理由を聞こうかとも考えたが、やめておいた方が良い気もした。僕らの数時間の会話にはこの原則があった。僕たちは言葉にせずとも互いに敏感な部分には触れまいと努力した。僕とウェイはユヅハの家庭に関する話はしなかったし、僕とユヅハはウェイの過去に触れようとはせず、ウェイとユヅハは僕から話すまで個人的なことを聞かなかった。そのため、僕たちの会話は社会の関心事や学術的なものに留まった。
「そういえばFRCには個人証明がないというのは来てから知ったよ」
「厳密に言うと個人情報の提示を代理する企業は存在しています、しかし国際的にはほとんど地位を認められていません」
ウェイはユヅハの杯に茶を注ぎながら答える。最初飲んだものと違って薄めに淹れられたものだ。
「個人証明って奇異なシステムだと思いませんか?」
僕は彼女の質問の意味を汲み取れず、黙ってしまった。
「国家や政府ではなく民間企業が数十億もの人間の情報を一元的に管理しているんです」
「言われてみればそうかもしれないが…実際に便利だろう」
「そこが重要です。とてつもなく便利なんです。生活のほとんどすべてを片手で管理できる、使わない手はありません」
「何が言いたいんだい? 奇異だけど便利だということかい?」
「我々には多様性が必要なんです。個人証明ははっきり言って…」
「魏邏陽…」
ユヅハがたしなめるようにウェイの名前を呼んだ。
「ああすみません。つい…」
ユヅハは唐突にウェイに何か中国語を話した。ウェイは首を傾げながらも何か言葉を返した。
「ユヅハにお手洗いの場所を案内してきます」
二人は数分後に戻ってきた。
「いま、何時?」
戻ってきて開口一番ユヅハが尋ねる。
「えっと…午前一時を回ったところだ」
僕は腕環を覗く。日付は八月二十二日を指していた。月曜日だ。
「ずいぶんと話してしまいましたね。そろそろ寝ますか?」
初対面の会話だったが、結果として僕はウェイについて多くを知ることはできなかった。彼女も僕についてきっとそうだろう。
「ああ、それがいい」
「片付けはやっておきますよ」
僕は感謝の念を述べて寝る準備をしようと立ち上がった。
「その…あなたたちが泊まる部屋なんですが、すこし問題があって」
ウェイはユヅハの方をちらりと見た。
「泊まらせてもらう身だ。ちょっとした欠点は目をつむるよ」
僕は荷物から歯ブラシを取り出しながら言った。
「他の部屋はほとんど機材を置いていて、来客用の部屋が一つしかないんです」
「それってつまり…」
僕はすでに寝間着姿のユヅハの方を向いた。彼女は嫌がるだろう。
「僕はここで寝るよ」
僕は居間にあるソファを指差した。寝心地はきっと悪いが大きさは充分だ。
「風邪を引く」
ユヅハが言う。
「そんな。まずいよユヅハ。君だって嫌だろう」
「私は構わない」
僕はウェイの方を見たがすぐに目を逸らした。本当に他に部屋がないというのなら従うほかない。
「ユヅハ…その…本当に嫌じゃないのか?」
「問題ない」
僕は両手を上げた。半ば降参のような格好だ。
「わかった、そうするよ」
「すみませんね。明日にはもう一つ部屋を空けますから」
寝る前の支度を済ませた僕たちにウェイは部屋を案内してくれた。
ベッドが二つあったというのはせめてもの救いだ。僕は布団に入って電灯を消した。ベッド脇の副電灯が淡黄色の光を周囲に投げかけていた。窓脇に置いてある花瓶に瑞々しい花が数本挿さっている。ウェイが摘んだものなのか造花なのかはわからなかった。
「たくさん部屋があるはずなのに、そのほとんどが機材で埋まっているなんてウェイは一体どんな仕事をしているんだろうね」
「…」
ユヅハは無言だった。まだ寝てはいないはずだ。僕はしばらく彼女の言葉を待った。
「私と同じ部屋は嫌だった?」
それはどちらかというと僕が尋ねる質問じゃないだろうか。
「そんなことはない、どうして聞くんだい」
「さっき、私と同じ部屋を避けてるように見えた」
「それは…一応異性だから…」
「友達なのに? 経馬シンとは数年も同じ部屋で住んでいた!」
「そうだけど、それは違うじゃないか」
僕は身体を起こした。
「性別なんて問題じゃないと言ってほしい」
「…性別なんて問題じゃない。僕が悪かったよ」
「やっぱり誰もわかってなんかくれない」
ユヅハは毛布にくるまり僕に背を向けた。
「君は、僕なら君のことが全てわかると思ったのか?」
言葉は返ってこなかった。
「確かに僕と君は似ているところが多い、けれどそれだけで以心伝心というわけにはいかないよユヅハ。でもわかり合うことができないわけじゃない…ただいくつか言葉が必要なだけだ…君だって僕について知らないことがあるだろう?」
僕はできるだけ落ち着いた口調で話した。
「言わなくちゃわからない?」
「ああ、ときには」
「言ってもわからないときは?」
「何回でも言ってくれ、何回でも聞くよ」
彼女は誰かに理解してほしかったのだろう。でも彼女は自身の特異な出自やそれに起因する悩みを今まで誰にも打ち明けることができなかった。
「温もりが欲しい」
毛布の中から声が響く。
「星空を眺めたときから、抱きしめてくれたときから、ずっとこんな気持ちを抱いている。コズなら察してくれると思ったけど、わかってくれなかった。だから言う」
「…」
「コズに最も近くにいてほしい」
「ユヅハ、それは…」
「わからないなら何回でも言う。コズの腕の中で安心したい」
「それは…間違っているよ」
僕にその資格はない。
「間違っていない、これは私の本心。何回でも言う」
「そう言われると誤解してしまいそうになる、僕が君にふさわしい人間なんじゃないかって」
「私が嫌いなら逃げて」
ユヅハは彼女のベッドから起き上がり、僕のベッドに乗る。ずるい言い方だ。
「…嫌いなわけないじゃないか」
僕は温かく抱擁された。
パズルの最後のピースが埋まったような感覚を僕は覚えた。冷たい雨の中を孤独に歩いてきた。それがずっと続くと思っていた。しかし急に暗雲が晴れ、眩しい陽が顔を現す。陽は暑いぐらいの抱擁をする。母親がするような抱擁を、僕がされたことのない抱擁を。
「…暖かい」
僕の言葉だった。そして太陽が耳元で囁く。
「コズ、愛してる」
僕は思わず泣きそうになってしまった。
「あぁ…僕もだよ」
ユヅハの吐息が胸元にかかる。彼女が僕の衣服を摑むのを感じ取る。僕は一瞬だけ彼女の肌を見た。副電灯の薄暗い明かりの中でも傷痕がはっきりと見て取れた。
肌と肌が触れ合う。やけに熱いユヅハの肌と冷えた義手の質感。 僕も彼女も何一つ手慣れていなかった。不格好ながらも互いに手探る。そしてユヅハが僕の上に跨った。
彼女が動くたびに髪が揺れ、柔らかい匂いが鼻をつついた。快感の奥で、もう後戻りはできないのだと僕は悟る。
五感が昂り、ついにその時が来た。
「っ…」
僕の小さな性器から精液が放たれる。ユヅハが動きを止め、汗の雫が僕に垂れた。言葉はなく、僕たち二人はしばらく息切れをしながらそのままの姿勢でいた。
彼女を思うなら僕は彼女を止めるべきだっただろう。しかし僕はそれができなかった。勇気がなかったからではなく、温かさと快楽に逆らえなかったのだ。ユヅハの好意につけ込んで僕は一線を越えてしまった。僕は自分の醜く縮こまった性器から、血の付いた避妊具を外しながらそんな事を考えた。全身に彼女の温かさと重みが残っている。
僕は心のどこかで恐れを抱いた。それは火に対する恐れに似ている。
火は温かく、温かすぎるのだ。その温かさに惹かれ手を伸ばすとたちまち火傷をしてしまう。しかし寒空の下、火の元を離れるわけにはいかない。いちど火で温まった人は二度とそこを離れられなくなってしまう。再び寒空に旅立つ勇気は僕の中から永遠に失われてしまったのだ。
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