【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第二部

@25 助手席

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 ウェイの自動車の助手席に僕は座っていた。食材の買い出しの手伝いに僕が呼び出された形だ。沈黙を破ったのはウェイの謝罪だった。
「ユヅハの要望だったんです。部屋なんていくつも空いていました」
 何となく予想はついていた。
「あなたがユヅハと…何というか、その、仲良くしているのを見るのは私も嬉しいんですよ」
 ウェイは昨晩のことをいつの間にか知っていた。
「ウェイ、すまないが…その、あまりその話はしたくない」
「…彼女を擁護すると、彼女は人との距離を摑むのが苦手なんです。ユヅハは私ともかなり親密でしたが…あなたには他の感情も抱いているようです」
「…君が女性だからだろう」
「男性ですよ」
 僕は思わず彼女の顔を見た。相変わらず前髪で表情は見えない。
「いつからか女性として過ごすようになりましたけどね」
 まったく考えもしなかった。しかし彼女…ウェイがつまらない嘘をつくような性格には思えない。
「彼女が私とあなたを二人きりにしても何も思わない理由ですよ」
 僕は彼の声をやはり若い女性のものとしか認識できなかった。
「声まで変えられるものなんだな」
 ウェイは無言で道路脇に車を止め、僕の方を向いた。彼は自分の前髪をかき上げ、高い襟を引き下げた。彼は顔と喉に大きな傷跡を負っていた。しかしそれが気にならないほどの美貌を彼は持っているように思えた。彼の眼をよく見てみると虹彩に全く凹凸がなかった。
「義眼か」
「ええ、声帯も。小さい頃に大きな…事故に遭いまして」
 彼は髪を下ろして車を発進させた。僕の顔をちらりと見て彼は言う。
「そんな顔をしないでください。こう見えてもなかなか便利なんですよ」
「ユヅハと身体を機械化することについて話したことがあるんだ。僕はそういった技術に抵抗がないと言った、彼女も義手だからね」
「実際は違いましたか?」
「いや、そういうわけじゃない。君やユヅハが健康なのを見ると何も問題はないとわかるんだが…自分がその対象になると思うと考えが揺らぐんだ。不誠実だろう?」
 僕は昨晩の雨に濡れた街並みを眺めながらそう彼に言った。
「馴染みの薄い技術に抵抗を覚えるのは自然なことです。理性ではわかっていても実感としては違う…そういうものです。人間はいつだって矛盾しているのです」
「励ましのつもりかい?」
「ええ、自分に対する励ましでもあります」
 店の駐車場で彼は車を止めた。
「商品を受け取ってきます。車を見ていてくれませんか?」
 彼は僕を車に残して出ていった。
「人間はいつだって矛盾している…」
 僕は彼の言葉を復唱した。言葉の内容よりも彼が僕を励まそうとしてくれているという事実そのものが励ましになった気がした。
 彼を待つ間、することもないので車のパネル類を観察する。速度や残電量などの計器はわかったが、それ以外のものは何が何だかさっぱりだった。そしてそれらの中にひとつ半開きの引き出しがあった。ガムやキャンディを入れるのだろうか。僕は小さな良心の呵責を感じながらも引き出しを開けてみた。ウェイが中に何を入れているのか気になったのだ。
 中に入っていたのは見慣れない黒い物体だった。それに引き金がついているのを見て初めて僕はそれが何か悟った。
「拳銃…?」
 僕は咄嗟に引き出しを閉めて辺りを見回した。周囲に誰もいないのを見て僕は安心する。
「本当は届けてもらった方が便利でしょうが、店舗で受け取ると割引があるんですよ」
 そう言いながらウェイが戻ってきたのは数分後だった。僕は車を出て荷物をトランクに収納するのを手伝った。彼がハンドルを握り、運転を再開するまで僕は勝手に引き出しの中を覗いたことがバレないかとひやひやした。幸い彼が何かに気づくことはなかった。
 車が帰り道に入る。途中、僕はウェイに”三人称代名詞(プロナウン)”について尋ねた。例えば英語にはXe/Xemのような性別を特定しない三人称代名詞がある。中国語ではどうかわからないが、僕の母語である日本語で彼を代名するときに何と呼んだ方がいいかという質問だ。彼は呼びやすいように呼べばいいですよ、と即答した。なので僕はウェイを”彼”と呼ぶことにした。”彼女”より発音が短く、文字通りそっちの方が呼びやすい。むしろ変に気を遣うことは逆に彼に失礼な気がした。
 ウェイの建物に帰ると出迎えてくれたのはユヅハだった。
「おかえり」
 僕は顔を向き合わせてただいまと返した。
 ユヅハはすこしだけ不満そうだったが、ウェイは約束通りにと僕一人のために三階に部屋を用意してくれた。
 陽光が宙を漂う埃塵を照らし、空間がきらきらと光る。電灯を点けていないので部屋にはくっきりと明るい領域と暗い領域があった。
 僕は八角形の窓の傍に立った。明るい領域の方だ。窓には伝統的な木製の装飾があり、四角い枠が互い違いに組み合わさって景色を遮っている。凝ったものなのだろうが、今の僕には牢屋の鉄格子にも見えた。
「ユヅハお姉ちゃんが望んだことだよ」
 背後からの声。雪はやはり僕が何について思い込んでいるのか悟っている様子だった。
「彼女は、何かに錯覚しているのかもしれない」
「そんなことはないよ」
「僕には抵抗することもできた、しかし快楽に身を任せてしまった。彼女が始めたこととはいえ…」
「その理由は?」
「僕が抵抗しなかった理由?」
「ううん、ユヅハお姉ちゃんがお兄ちゃんとセックスした理由」
「理由なんてないさ」
 僕は大きく首を振る。太陽が木枠に遮られて瞬く。
「お兄ちゃんが好きだから」
 僕は雪の言葉に振り向く。雪は幽霊らしくぎりぎり陽が当たらないところに浮かんでいた。
血のように赤い眼が陰のなかに漂う。
「ふふ、お兄ちゃん嬉しそうだね」
「…好意を向けられるのは嬉しいさ」
「ボクもお兄ちゃんのこと好きだよ?」
 僕は真っ白な優しい幽霊に微笑む。雪はずいぶんと前から悪魔でも嫌悪の対象でもなくなっていた。それどころか───
「…ありがとう」
 僕は紅い瞳に向かってそう言った。
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