【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第二部

@35 制服

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 知らない誰かの名前が刺繍された制服を着ながら歩くのは僕を奇妙な気分にさせた。
「この施設の構造は二重の半球だと考えてください。環華人民銀行のドームがフィネコン社の審査所を取り囲んでいるのです」
 これはウェイが施設の構造情報を手に入れなくては摑めなかった情報だ。しかし僕たちは未だにフィネコン社側のドーム内部の構造を把握できていなかった。僕たちはとりあえずとフィネコン社の審査所、つまりは外側のドームの中心に向かって歩く。真っ直ぐ中心に向かう廊下はなく、ほとんどがぐるりと審査所を取り囲むようになっていた。そのため僕らは移動に無駄な時間を使わざるを得なかった。
 ウェイはさきほどからずっと多機能端末を確認していた。
「…警備システムは常に変動しているようです。このままではいずれ隠蔽が機能しなくなります」
「制限時間はどれくらい?」
 ユヅハが尋ねた。
「およそ…一時間です」
「フィネコン社の審査所の警備がどれだけ厳重かはまだわからない。制圧するまでに時間がかかるかもしれない。急ごう」
 僕たちは角に差し掛かったところで足音を聞いた。明らかにこちらに向かってくるものだった。先頭にいた僕はどうするかと尋ねる代わりに後ろを向いた。
「ここなら死体を隠せる。処理する」
 ユヅハが銃に手をかける。
「いいえ、私達は制服を着ています。このまま素通りしましょう」
 僕はウェイの意見に賛成した。僕たちは何事もないように歩き始めた。角を曲がると足音の正体が見えた。僕たちと同じ制服を着込んだ若い男だった。僕たちは軽く会釈をして彼の横を通り過ぎた。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
 背後からの声に全員が立ち止まった。僕の視界に訳文が表示される。僕は振り向き、男と目を合わせる。
「お前らどうせ昨夜のサッカー見ただろ? 中国対イギリスの。俺さ、部長と賭けてたんだけど夜勤で見れなかったんだよ。どっちが勝ったかわかるか?」
 藍色戦線の基地からはインターネットに繋げないため、僕たちの誰もが結果を知らなかった。しかし彼の口ぶりから察するにここではそこそこ注目度が高いのだろう。僕たち全員が知らないというのは不自然すぎるかもしれない。僕は中国語が話せないため、必然的に他の二人がどうにかするのを待つしかなかった。
「イギリスが勝った」
 ユヅハが堂々と言う。
「そうか! ありがとう!」
 男は上機嫌で去っていった。きっと彼はイギリスに賭けていたのだろう。
「どうやって知ったんだい」
「知らない」
 ユヅハは二つに一つに賭けたのだ。それが当たったかどうかは誰も知らない。
「あと角を二つ曲がったらフィネコン社審査所の出入口に到着します」
 ウェイの図面を見て気づいたことだが、審査所は意外と小さかった。おそらく最低限の人員のみが働いているのだろう。環華人民銀行側も敷地あたりの従業員は少ないが、それでも全員が顔見知りというほどではない。フィネコン社側の従業員数が数十人程度だとしたならば、今の僕たちのような制服での偽装は役に立ちそうにない。
「審査所の内部はどうなっているんだい?」
「データリンク室があることだけは確実です。しかし管轄が違うため詳細な構造は入手できませんでした」
「相手が重武装している可能性は?」
「その可能性は低いと考えています。審査所の保護は管理側企業の責任ですから。むしろ審査手続きに抵抗されうるという理由で武装解除されている可能性が高いと考えられます」
 審査手続きというのは管理側企業が不正を審査する必要があると判断した場合に執行されるものだ。本社とのデータリンクから情報を精査する、それはもちろん開示側企業からしたら企業秘密を開示しなくてはいけないのと同義なため抵抗する動機はある。そういった彼らに重武装を管理側企業が許すとは思えない、ということだった。
 僕は進捗を李閲慕に報告した。彼女は報告を好意的に解釈した。
「このままなら楽勝で制圧できそうね!」
 僕は李閲慕の楽観的さに経馬シンと似たものを感じ取った。今考えるとこの二ヶ月弱で随分と周りの景色は変わった。学園から抜け出すことに罪悪感を感じるようだった僕は今、世界的なテロに参加している。個人証明はもはや水や電気に匹敵する生命線になりつつある。それが麻痺することによってどれほどの人間が混迷するだろうか。僕はそれを生々しく想像することができたが、もはや罪悪感は感じなかった。
 僕たちはしばらく歩く。道中何人かの従業員とすれ違ったが、誰も僕らを気に留めなかった。彼らはみな他者に無関心なようだった。最初に会ったサッカーファンの男のような人間の方が少数派なのかもしれない。
「この先がフィネコン社の敷地のようです」
 僕たちが角を曲がると明らかな境界線があった。今までの床の色は無機質な灰色だったが、フィネコン社の方は鮮やかな青色だった。境界は頑丈な壁や扉に遮られているわけではなかったが、問題は境界に何人も武装した警備員がいたことだった。そして大きな張り紙が目に入った。
“ここから先はフィネコン社の敷地である。環華人民銀行の従業員は立入りを厳禁とす”
「まずいな」
 僕たちは怪しまれないように何事もなかったかのように境界の入り口を横目に通り去った。
「どうやら審査以外での立入りは禁止のようです」
 立ち止まって談話をするのは怪しまれる可能性がある。そのため僕らはフィネコン社側から遠ざかるように適当に歩いた。そこで僕たちは男性とすれ違った。彼も他の皆と同じように僕らを気に留めなかったが、問題は彼の服装だった。青と灰色を基調とした特徴的な制服だった。
「あれってフィネコン社の制服?」
 ユヅハが小声で言い、ウェイは頷く。
「…フィネコン社側からの出入りは自由?」
 僕の言葉にウェイが頷く。
「きっとそうでしょうね、フィネコン社の敷地は小さい。食事や休憩は環華人民銀行側でしているはずです」
 出入りが自由なのはフィネコン社側のみで、環華人民銀行側からの立入りは厳禁…。僕はウェイにあることを聞いた。
「君が環華人民銀行のコンピュータから抽出した情報に仕事のマニュアルに関するものはないかい? 例えば環華人民銀行の従業員がフィネコン社側の敷地に立ち入れる例外だとか」
 僕たちは適当な倉庫室に忍び込んでウェイがノートパソコンをいじるのを見守った。ウェイは一般時のマニュアルを開いた。
「まずは審査手続です。環華人民銀行がフィネコン社の不正を疑った場合に審査員がフィネコン社のデータリンク室に立入ります。しかし他に例外は…なさそうです」
 僕たちの計画ではデータリンク室に入って審査手続きを強制的に執行することだったが、それはコンピュータに対してのみの操作だ。境界の警備員が道を開けるには本社からの正式な通達が必要になる。
「本社からの審査通達を偽装は可能?」
「不可能です。審査手続は二日以上前に通達される必要があります」
 これは一般に公開されている情報だ。管理側企業は二日以上前に審査の必要性を宣言しなくてはならない。その二日後にようやく境界の警備員は道を開ける。
「仕方ない。本隊に指示を仰ごう」
 僕は通信を本隊宛に設定した。
「待って、これは一般時のマニュアル。非常時もあるの?」
 ユヅハはパソコンの画面を指差した。
「非常時もありますが…そっちは自然災害や火災のときの避難について書かれているものです」
「一応見てみよう」
 僕は本隊への通信を取りやめた。ウェイは非常時のマニュアルを開き、精読していく。地震…洪水…砂嵐…政変…。そんな単語が表示されては消えていった。
「ちょっと待ってくれ、ここは?」
 僕が指差したのは火災の欄だった。そこでは火災が発生した場所によって対応が分けられていた。その条文に僕たちの注目を引くのに充分な記載があった。
[フィネコン社側からの発火で、内部に人員が取り残されている場合に限り環華人民銀行の救助隊が侵入し消火、救護活動を行う]
 その場にいる全員が無言になった。皆がどうやってこの条項を使うか考えている。
「救助隊についての条項を見てみよう」
 ウェイが言われた通りに操作した。
「火災時の救助隊は主に医務室の人員によって組織されるが、状況が深刻で医務人員の支援が期待できない場合はF-570火災訓練、K-133医療訓練を受けた人間が担当する…」
 ウェイは長い文章を僕たちにわかりやすいように噛み砕いて説明した。
「邏陽、火災警報を偽造することはできる?」
 火災警報を偽造し、僕たちが救助隊のふりをすれば堂々とフィネコン社のデータリンクにまで近づける。
「簡単に言ってくれますね」
 そう言ったウェイの顔には自信があった。場の全員が希望を持った。しかしウェイだけは冷静だった。
「しかし、いくつも解決するべき課題があります。医務室の人間になり済ませるか、あるいは訓練の受講資格を偽造できるか…そもそもフィネコン社側に人員が残るかどうか…」
「どちらにせよ三十分以内に決めなくてはならない」
 ウェイの隠蔽は事前に準備されたものだった。それはウェイが詰所に侵入したときに流したコンピュータウイルスが警備システムに侵入し、解析を行ってカメラの映像やセンサーの情報をリアルタイムで偽造するというものだった。人間相手だとしたらこれは映画製作のような大事業となっただろうが、警備システムはほとんど無人だった。警備システムは映像や音声、その他のセンサーからの情報を解析して正常か異常かの結果を出す。ウェイのウイルスはそこにしか介入しない。そしてウイルスには警備システムの自己診断を解析し自身の存在を隠す機能があったが、ウェイには一つ誤算があった。それは警備システムの自己診断プログラムが常に変動しているということだった。自己診断プログラムにウイルスが対処できなくなった場合、警報が鳴ってウイルスが削除されるだけなら運がいい。最悪の場合、逆探知がかけられ僕たちの本隊に危害が及ぶ危険すらある。
 僕はウェイに、もう一度ウイルスを流すことはできないかと尋ねた。ウェイは首を振り、一度対処されたウイルスは免疫が生成されるため同じ手は使えないのだと話した。隠蔽ウイルス自体がウェイによって数日もかけて製作されたものだった。つまりここで新しいウイルスを作ることも不可能だった。
「医務室に救助隊を組織するべきかどうかの連絡が行くはずだ。医務室には救助隊が不要だと伝え、敷地の境界の警備員には我々が救助隊だと伝えれば良い。しかし問題は連絡手段が何かだろう」
 これにはウェイもお手上げだった。
 僕は腕環を眺めた。学園であれば生徒同士や教員との連絡は全てこれで済む。しかしこのような施設では端末は一種類とは限らないだろう。僕はあることに気づいた。
「腕環が充電されているな。ウェイ、問題ないか?」
 僕は空間充電が一方的なもので、僕たちに不利益になるようなことはないと知っていたがウェイに確認した。
「空間充電規格ですね。一方的な磁場によるものなので僕たちを特定する材料にはなりません。…ちょっと待ってください」
 ウェイは考え込む。
「…空間充電規格はその安定性と建物のどこにでも巡らされているという特性上、非常時の警告によく用いられます。充電の磁場に乗せて特定の数値を伝導することで範囲内全ての端末が警告を受信することができます」
 僕は学園の避難訓練を思い出した。警告が鳴ると端末の充電が停止された。
「これを利用しているとしたら…非常時の警報は双方向でない可能性があります」
「境界の警備員は医務室の人間と直接連絡をしない…」
 僕はユヅハの言葉に同意した。
「ウェイ、できるか?」
「やってみるしかないでしょう」
 僕は仮説の証明のために受信機を持ってあちらこちらに移動した。施設のどこであっても同じ警報を受信できるか確認するためだった。
「ウェイ、どうだい?」
 僕は耳の通信機に向かって話す。
「確認できました。充電用の磁場の他に、同じ規格で非常に長い羅列が繰り返されています。これの一部を欠損させることで警報の種類や状況を変更できるのでしょう。おそらくは受信側の端末にあらかじめ受取人を登録しておくことで、施設全体に同じ信号を発するだけで必要な人間に必要な情報が行くようになっているのかと」
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