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第二部
@38 萩原 ユヅハ
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出口に近づくに連れ、僕たちは幻想的な光から現実へと引き戻された。夥しい光量が僕たちに投げかけられる。空は暗く、すでに夜だった。光は地上からのもので、それらは大型車両のライト、あるいは大型の探照灯、そして銃器に装着されたライトだった。僕たちは完全に包囲されていた。
「…計画があります」
ウェイがそう言う。僕たちは射線の通らない開口部の陰に隠れていた。彼ら…おそらく警察からは投降の呼びかけなどはなく、沈黙を保ったままだった。彼らが僕たちを殲滅させるつもりなら一瞬でできるだろう。彼らの沈黙はこちらの出方を窺っているようだった。
「ここに爆弾があります。彼らのほとんどを吹き飛ばすのに充分な威力があります」
彼は荷物から水筒ぐらいの金属製の円筒を取り出した。かろうじて服に隠せそうな大きさだ。
「ここから投げたって届かない」
「私は環華人民銀行の制服を着ています。従業員が避難するふりをして彼らの懐で爆発させます」
「彼らはとっくに君が従業員でないと特定しているかもしれない。そうすればどうなる?」
「射殺されるだけです。あなたたちは投降すればいい」
「だめ」
ユヅハが首を大きく振る。
「やらせてください」
「ダメだウェイ、そればかりは同意できない」
彼の様子はすこしおかしかった。呼吸が荒く、しきりに周囲を見回している。
「ウェイ、大人しく投降しよう」
「行かせてください、兄さん」
ユヅハが眉をぴくりと動かす。僕にだけわかった。彼は幽霊を見ている。
「ウェイ、しっかりするんだ」
僕は彼の陰に隠れる雪を見た。この場にそぐわないほど可愛らしい真っ白さで雪は僕を見つめる。
「兄さん、迎えに来てくれたんですね。もうすぐそっちに行きます」
「ウェイ、僕は君の兄じゃない」
「…何が起こっている?」
ユヅハは一瞬ハッとしたような顔をしたが、すぐに心配そうに僕とウェイを交互に見た。投降するにしてもウェイが何をしでかすかわからない。僕はどこかへ遠くへ飛んでいきそうな集中力を必死に振り絞ってウェイを説得する。
「爆弾は僕が預かる。いいね?」
ウェイは強くそれを握っていたが、僕がその手を撫でると彼はようやく手を緩めた。
「…渡してくれてありがとう」
爆弾を慎重に離れたところに置く。爆弾の信頼性が高いことを信じるしかなかった。
「邏陽も幽霊を?」
ユヅハが尋ねる。彼女も僕が幽霊を見ることを知っている。
「ああ、彼は前に死んだ兄を見ると言っていた」
「違いますよ兄さん、兄さんはいまここにいるじゃないですか」
僕はウェイに返事をせずにやるべきことを考える。
「奴ら、撃ってくると思ったけど…全く動きがない」
僕は手鏡を使って彼らを観察した。制服のポケットに入っていた誰かのものだ。光が眩しかったが、目が慣れてくると装甲車に書かれた文字が見えた。
「環華人民銀行…武装警備。警察じゃないのか?」
「警察より早く到着した? でもヘリを使ったとしても早すぎる」
「最初から近くに潜伏してたのかもしれないな。くそ」
僕は投降するしか手段がないことを再確認した。僕が扉から身を乗り出そうとするとユヅハが僕に何かを渡した。それは彼女の拳銃だった。
「…私が行く」
彼女は一瞬だけ翡翠のネックレスを握り、陰から身を乗り出した。
「ユヅハ!」
彼女は両手を上げて扉から歩み出る。光が彼女の方を向き、逆光で僕から見えるのはユヅハの黒い輪郭のみになった。
ユヅハにつられるように僕は光の中へと歩み出た。僕らは強烈な光の持つ暑さを感じながらも、無数の銃口を向けられた舞台へと踊り出る。
「私は…」
ユヅハが声を出す。しかしその声は掠れ、とても彼らまで届くとは思えなかった。ユヅハは息を吸い込み、もう一度声を張り上げた。
「私は…萩原ユヅハ! 萩原孔樹の娘!」
無数の光が揺れた。彼らの中に動揺が走ったのが見てわかった。しばらく沈黙が続く。気がつくと僕の隣にウェイが両手を上げて立っていた。僕はウェイが何も持っていないのを見て安心した。警備員たちの沈黙はちょっとした時間だったのかもしれないが、僕には無限の時間のように感じられた。
「全ての武器を捨ててそこから動くな!」
拡声器越しの声が聞こえて警備員、といっても軍人のような装備を着込んだ彼らのうち数人が僕たちに歩み寄った。彼らの顔はまるごと覆面に覆われて顔が全くわからなかった。彼らは僕らの服を念入りに手で確認し、ほとんど全てのポケットに手を入れた。ボディチェックだ。それが終わると最も階級の高そうな一人が覆面を脱いだ。無精髭を生やした彼は、見た者全員が竦むような鋭い眼をしていた。
その男が僕らにかけた言葉は短かった。
「萩原孔樹が交渉の席に着く用意があると」
僕たちは重苦しい装甲車に乗せられた。薄暗い収容空間の隅に警備員たちが立っており、僕らの挙動に眼を光らせている。車に最後に乗り込んだのが無精髭の男だった。彼はMFD端末ほどの大きさの機械を僕たち一人ひとりに向けた。その機械はスキャナーだった。
「ケイタス物流従業員…この個人証明IDは偽造されたものだな?」
ウェイが頷く。彼は多少回復しているように見えて僕は安心した。
「我々の仲間はどうしましたか?」
「彼らは賢明だよ。包囲されると一滴の血も流さずに投降した」
僕は安堵のため息を漏らした。李閲慕もきっと命だけは無事だ。
「いつから気づいてたんです? 我々があの施設を強襲していると」
「最初は上手くやってたよ。本当に気が付かなかった。通報したのはアンドロイドだった」
「空間充電規格を通しての警報は…アンドロイドが管理していた?」
僕たちは偽の火災警報が成功したと思い込んでいたが、それを管理するアンドロイドたちはそこで異常に気づいたのだろう。僕の言葉に無精髭の男が感心したように頷く。
「ああ、そうだ」
「潜入を知っていて私達を泳がせていた」
「ああ。トラックを見つけ出して…そこから逆探知をかけてお前らの本隊を特定した。そもそもそれがこの施設の役目さ。お前らのような恐怖分子(テロリスト)が襲撃したくなるような施設だったろう?」
僕は異常とも言える有人警備の薄さを思い出した。それでいて”本物”のような完成度の高いセキュリティ…。完全に罠として設計されたものだった。
「だとしたら…従業員の保護が甘すぎるんじゃないか? 僕たちは何度も従業員に危害を加えるチャンスがあった」
僕は尋ねる。従業員たちがこの施設が罠で、いつ敵がやってくるかわからない場所であると知っているならばもっと警戒的になるはずだ。少なくとも自分の命を守るために。
「ああ、あそこの従業員の大半はあそこが偽物だって知らないんだ」
「…何だって?」
「そのままの意味だよ。ほとんどの従業員はあそこが本物だと思って作業している」
僕たちに真実を伝えてくれた青年は数少ない真実を知っている者だったというのだろうか。他の従業員は自分の生命へのリスクを知らずに働いていたのだ。彼らは自分たちが保護されていると思っていたはずだ、しかし真実は違った。彼らはあくまで餌の一部だったのだ。
「さて…五分間お前らに時間を与える。交渉の準備をするがいい」
無精髭の男が言い、車が停まった。男は腕環でタイマーをセットし、他の警備員と共に装甲車から出た。装甲車に残されたのは僕たち三人のみとなった。
僕はカウントダウンが始まってすぐにウェイに声をかけた。五分間は短すぎる。
「ウェイ、動揺しているのかい?」
彼は頷いた。彼は今まで常に冷静を装っていたが、本当に何にも動じないわけではなかった。この作戦中だって彼は必死に正気を保っていたのだろう。自分に重すぎる責任がかかっているのだから。それが失敗したとなればさっきのように現実逃避に走ってしまうのも無理はない。そしてそれは僕にも経験がある。
僕は目を閉じて深呼吸をした。暗闇の中に雪が浮かぶ。雪は顔だけでこう語っていた。
「残念だったね」
僕はこの結果をそれほど悪いものだと受け取れなかった。僕の最大の恐怖はユヅハや自分、あるいはウェイが傷つくことや、誰かを傷つけなくてはいけない状況だったからだ。少なくとも彼らは肉体的には傷ついていない。しかし交渉がうまく行かなければ僕たちは逮捕されるだろう。
「ウェイ、君の兄は君に何を語るんだい」
僕は彼の”幽霊”を否定しなかった。彼にとっても僕にとっても幽霊は真実だからだ。
「何も語りません…ただそこに居るのです。その優しい眼差しで私を見守るのです」
ユヅハは親友の隠された思いに何か感じるところがあるらしく、僕とウェイの話に耳を傾けていた。
「君はそれをどう解釈する?」
「私を待っているように感じます…まるでこっちに来てほしいと言いたげに…」
僕は何となくそれがどういうものなのか想像できた。”こっち”というのはきっと、安寧や平穏を表しているのだろう。
「君の兄は君が平穏になれることを望んでいるんだと思う」
ウェイは僕の解釈を否定しなかった。今のウェイはちっぽけに見えた。僕よりも丈の大きかった彼は…それこそ小さな弟のように見えた。
「ウェイ、あと一踏ん張りだ」
ウェイが僕の手を摑んだ。僕はそこから意思を感じることができた。彼は活力を取り戻した。
「交渉の内容を決めないと」
ユヅハが間を見計らって言った。ユヅハもかなり不安と焦燥を感じている表情だった。
「まずはあちらの要求が何かを把握しないといけませんね」
ウェイが言う。僕はウェイの理の通った言葉に安心した。
「僕が思うにユヅハ、君は最も重要な要素だと思う」
わざわざ言うまでもない事実だった。萩原孔樹が交渉の席に着くという判断を下したのはユヅハが前線に出たからだ。
「問題は萩原孔樹がどのような、そしてどれほどの価値をユヅハに見出しているか、ということです」
「おそらく彼は君に彼の庇護下に戻ることを要求するだろう。それの対価として僕たちの釈放を提示するかもしれない」
ユヅハはこの言葉を聞いて顔を曇らせた。彼女は僕たちが逮捕されることを絶対に望まないだろう。しかし彼女は萩原孔樹の支配下に戻ることにも多大な抵抗を感じている。そうなれば二度と僕やウェイと会えなくなる可能性だってある。
「…ユヅハ、君の決定を尊重するよ」
ウェイが僕の言葉に同意した。ユヅハは何か言いたげだったが、その瞬間に装甲車の扉が開け放たれた。
「時間だ」
僕たちは銃口で作られた道を進み、建物の扉の前に立つ。無精髭の男が建物の扉を開き、長い廊下が目に入った。
僕はユヅハが怯えているのに気づいた。僕は彼女の手を握る。
「きっとどうにかなるさ」
「…計画があります」
ウェイがそう言う。僕たちは射線の通らない開口部の陰に隠れていた。彼ら…おそらく警察からは投降の呼びかけなどはなく、沈黙を保ったままだった。彼らが僕たちを殲滅させるつもりなら一瞬でできるだろう。彼らの沈黙はこちらの出方を窺っているようだった。
「ここに爆弾があります。彼らのほとんどを吹き飛ばすのに充分な威力があります」
彼は荷物から水筒ぐらいの金属製の円筒を取り出した。かろうじて服に隠せそうな大きさだ。
「ここから投げたって届かない」
「私は環華人民銀行の制服を着ています。従業員が避難するふりをして彼らの懐で爆発させます」
「彼らはとっくに君が従業員でないと特定しているかもしれない。そうすればどうなる?」
「射殺されるだけです。あなたたちは投降すればいい」
「だめ」
ユヅハが首を大きく振る。
「やらせてください」
「ダメだウェイ、そればかりは同意できない」
彼の様子はすこしおかしかった。呼吸が荒く、しきりに周囲を見回している。
「ウェイ、大人しく投降しよう」
「行かせてください、兄さん」
ユヅハが眉をぴくりと動かす。僕にだけわかった。彼は幽霊を見ている。
「ウェイ、しっかりするんだ」
僕は彼の陰に隠れる雪を見た。この場にそぐわないほど可愛らしい真っ白さで雪は僕を見つめる。
「兄さん、迎えに来てくれたんですね。もうすぐそっちに行きます」
「ウェイ、僕は君の兄じゃない」
「…何が起こっている?」
ユヅハは一瞬ハッとしたような顔をしたが、すぐに心配そうに僕とウェイを交互に見た。投降するにしてもウェイが何をしでかすかわからない。僕はどこかへ遠くへ飛んでいきそうな集中力を必死に振り絞ってウェイを説得する。
「爆弾は僕が預かる。いいね?」
ウェイは強くそれを握っていたが、僕がその手を撫でると彼はようやく手を緩めた。
「…渡してくれてありがとう」
爆弾を慎重に離れたところに置く。爆弾の信頼性が高いことを信じるしかなかった。
「邏陽も幽霊を?」
ユヅハが尋ねる。彼女も僕が幽霊を見ることを知っている。
「ああ、彼は前に死んだ兄を見ると言っていた」
「違いますよ兄さん、兄さんはいまここにいるじゃないですか」
僕はウェイに返事をせずにやるべきことを考える。
「奴ら、撃ってくると思ったけど…全く動きがない」
僕は手鏡を使って彼らを観察した。制服のポケットに入っていた誰かのものだ。光が眩しかったが、目が慣れてくると装甲車に書かれた文字が見えた。
「環華人民銀行…武装警備。警察じゃないのか?」
「警察より早く到着した? でもヘリを使ったとしても早すぎる」
「最初から近くに潜伏してたのかもしれないな。くそ」
僕は投降するしか手段がないことを再確認した。僕が扉から身を乗り出そうとするとユヅハが僕に何かを渡した。それは彼女の拳銃だった。
「…私が行く」
彼女は一瞬だけ翡翠のネックレスを握り、陰から身を乗り出した。
「ユヅハ!」
彼女は両手を上げて扉から歩み出る。光が彼女の方を向き、逆光で僕から見えるのはユヅハの黒い輪郭のみになった。
ユヅハにつられるように僕は光の中へと歩み出た。僕らは強烈な光の持つ暑さを感じながらも、無数の銃口を向けられた舞台へと踊り出る。
「私は…」
ユヅハが声を出す。しかしその声は掠れ、とても彼らまで届くとは思えなかった。ユヅハは息を吸い込み、もう一度声を張り上げた。
「私は…萩原ユヅハ! 萩原孔樹の娘!」
無数の光が揺れた。彼らの中に動揺が走ったのが見てわかった。しばらく沈黙が続く。気がつくと僕の隣にウェイが両手を上げて立っていた。僕はウェイが何も持っていないのを見て安心した。警備員たちの沈黙はちょっとした時間だったのかもしれないが、僕には無限の時間のように感じられた。
「全ての武器を捨ててそこから動くな!」
拡声器越しの声が聞こえて警備員、といっても軍人のような装備を着込んだ彼らのうち数人が僕たちに歩み寄った。彼らの顔はまるごと覆面に覆われて顔が全くわからなかった。彼らは僕らの服を念入りに手で確認し、ほとんど全てのポケットに手を入れた。ボディチェックだ。それが終わると最も階級の高そうな一人が覆面を脱いだ。無精髭を生やした彼は、見た者全員が竦むような鋭い眼をしていた。
その男が僕らにかけた言葉は短かった。
「萩原孔樹が交渉の席に着く用意があると」
僕たちは重苦しい装甲車に乗せられた。薄暗い収容空間の隅に警備員たちが立っており、僕らの挙動に眼を光らせている。車に最後に乗り込んだのが無精髭の男だった。彼はMFD端末ほどの大きさの機械を僕たち一人ひとりに向けた。その機械はスキャナーだった。
「ケイタス物流従業員…この個人証明IDは偽造されたものだな?」
ウェイが頷く。彼は多少回復しているように見えて僕は安心した。
「我々の仲間はどうしましたか?」
「彼らは賢明だよ。包囲されると一滴の血も流さずに投降した」
僕は安堵のため息を漏らした。李閲慕もきっと命だけは無事だ。
「いつから気づいてたんです? 我々があの施設を強襲していると」
「最初は上手くやってたよ。本当に気が付かなかった。通報したのはアンドロイドだった」
「空間充電規格を通しての警報は…アンドロイドが管理していた?」
僕たちは偽の火災警報が成功したと思い込んでいたが、それを管理するアンドロイドたちはそこで異常に気づいたのだろう。僕の言葉に無精髭の男が感心したように頷く。
「ああ、そうだ」
「潜入を知っていて私達を泳がせていた」
「ああ。トラックを見つけ出して…そこから逆探知をかけてお前らの本隊を特定した。そもそもそれがこの施設の役目さ。お前らのような恐怖分子(テロリスト)が襲撃したくなるような施設だったろう?」
僕は異常とも言える有人警備の薄さを思い出した。それでいて”本物”のような完成度の高いセキュリティ…。完全に罠として設計されたものだった。
「だとしたら…従業員の保護が甘すぎるんじゃないか? 僕たちは何度も従業員に危害を加えるチャンスがあった」
僕は尋ねる。従業員たちがこの施設が罠で、いつ敵がやってくるかわからない場所であると知っているならばもっと警戒的になるはずだ。少なくとも自分の命を守るために。
「ああ、あそこの従業員の大半はあそこが偽物だって知らないんだ」
「…何だって?」
「そのままの意味だよ。ほとんどの従業員はあそこが本物だと思って作業している」
僕たちに真実を伝えてくれた青年は数少ない真実を知っている者だったというのだろうか。他の従業員は自分の生命へのリスクを知らずに働いていたのだ。彼らは自分たちが保護されていると思っていたはずだ、しかし真実は違った。彼らはあくまで餌の一部だったのだ。
「さて…五分間お前らに時間を与える。交渉の準備をするがいい」
無精髭の男が言い、車が停まった。男は腕環でタイマーをセットし、他の警備員と共に装甲車から出た。装甲車に残されたのは僕たち三人のみとなった。
僕はカウントダウンが始まってすぐにウェイに声をかけた。五分間は短すぎる。
「ウェイ、動揺しているのかい?」
彼は頷いた。彼は今まで常に冷静を装っていたが、本当に何にも動じないわけではなかった。この作戦中だって彼は必死に正気を保っていたのだろう。自分に重すぎる責任がかかっているのだから。それが失敗したとなればさっきのように現実逃避に走ってしまうのも無理はない。そしてそれは僕にも経験がある。
僕は目を閉じて深呼吸をした。暗闇の中に雪が浮かぶ。雪は顔だけでこう語っていた。
「残念だったね」
僕はこの結果をそれほど悪いものだと受け取れなかった。僕の最大の恐怖はユヅハや自分、あるいはウェイが傷つくことや、誰かを傷つけなくてはいけない状況だったからだ。少なくとも彼らは肉体的には傷ついていない。しかし交渉がうまく行かなければ僕たちは逮捕されるだろう。
「ウェイ、君の兄は君に何を語るんだい」
僕は彼の”幽霊”を否定しなかった。彼にとっても僕にとっても幽霊は真実だからだ。
「何も語りません…ただそこに居るのです。その優しい眼差しで私を見守るのです」
ユヅハは親友の隠された思いに何か感じるところがあるらしく、僕とウェイの話に耳を傾けていた。
「君はそれをどう解釈する?」
「私を待っているように感じます…まるでこっちに来てほしいと言いたげに…」
僕は何となくそれがどういうものなのか想像できた。”こっち”というのはきっと、安寧や平穏を表しているのだろう。
「君の兄は君が平穏になれることを望んでいるんだと思う」
ウェイは僕の解釈を否定しなかった。今のウェイはちっぽけに見えた。僕よりも丈の大きかった彼は…それこそ小さな弟のように見えた。
「ウェイ、あと一踏ん張りだ」
ウェイが僕の手を摑んだ。僕はそこから意思を感じることができた。彼は活力を取り戻した。
「交渉の内容を決めないと」
ユヅハが間を見計らって言った。ユヅハもかなり不安と焦燥を感じている表情だった。
「まずはあちらの要求が何かを把握しないといけませんね」
ウェイが言う。僕はウェイの理の通った言葉に安心した。
「僕が思うにユヅハ、君は最も重要な要素だと思う」
わざわざ言うまでもない事実だった。萩原孔樹が交渉の席に着くという判断を下したのはユヅハが前線に出たからだ。
「問題は萩原孔樹がどのような、そしてどれほどの価値をユヅハに見出しているか、ということです」
「おそらく彼は君に彼の庇護下に戻ることを要求するだろう。それの対価として僕たちの釈放を提示するかもしれない」
ユヅハはこの言葉を聞いて顔を曇らせた。彼女は僕たちが逮捕されることを絶対に望まないだろう。しかし彼女は萩原孔樹の支配下に戻ることにも多大な抵抗を感じている。そうなれば二度と僕やウェイと会えなくなる可能性だってある。
「…ユヅハ、君の決定を尊重するよ」
ウェイが僕の言葉に同意した。ユヅハは何か言いたげだったが、その瞬間に装甲車の扉が開け放たれた。
「時間だ」
僕たちは銃口で作られた道を進み、建物の扉の前に立つ。無精髭の男が建物の扉を開き、長い廊下が目に入った。
僕はユヅハが怯えているのに気づいた。僕は彼女の手を握る。
「きっとどうにかなるさ」
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