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第三部
@55 工場
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僕たちは集合場所である工場のかなり前で無人タクシーを降り、残りを徒歩で移動した。理由は二つある。一つはタクシーの記録に工場の住所を残すべきではないと考えたから、そしてもう一つは自分たちの足で周囲の地形を把握しておきたかったからだ。
この辺りは小さな工場が密集しており、作業着を着た人間が街に多かった。建物はどれも古びている。40年代後半の工業成長の頃の面影をそのまま残しているようにも見えた。
「ここだ」
何の変哲もない、すこし古びた建物だった。僕たちは頑丈そうな扉の前に立つ。扉にはカレンダーが表示されており、それを見るに今日はまだ正月休みのようだった。しかし誰かがここで僕たちを待っているはずだ。相手は既に僕たちの姿をカメラで確認していたりするのだろうか。
来客用のチャイムなどはなく、僕は扉を拳で叩いた。反応はない。もう一度叩く。しかし反応はない。
「…」
覚悟を決めて扉を開ける。鍵はかかっておらず、扉は不快な軋みを上げてゆっくりと開いた。入った通路には誰もおらず、どこからか機械音がするだけだった。工業油の匂いがする。
「どうしよう、一回ここを出るかい?」
ユヅハは首を横に振る。
「あそこのドア、半開きになっている。中に誰かいるかもしれない」
彼女はポケットに手を入れる。ナイフが入っているポケットだ。機械音はユヅハが言う部屋から鳴っているようだった。
半開きになったドアの隙間から中を覗き込む。ユヅハの言った通り、部屋の中に人がいた。その男は冬だというのにタンクトップを着て汗をかいていた。彼はこちらに背を向け、無言で作業機械を見つめている。
「声をかけよう」
僕はそう言って重いドアを完全に開ける。男はこちらに背を向けたままだった。気づいていないのだろうか。
「やぁ、」
男はピクリとも動かなかった。僕は更に大きな声で話しかける。
「やぁ! 手紙をもらったんだ」
男はビクンと背を跳ねさせ、ようやくこちらを向いた。本当に僕たちの来訪に気が付かなかったようだ。
「っと…今日だっけか?」
男は若く、僕たちと同じぐらいの歳に見えた。日焼けした肌のところどころ黒く汚れがついていた。工業油などだろう。
「ああ、手紙に書いてあったはずだ」
「いけねぇな、忘れてたよ…ちょいと待ってくれ、すぐ終わるから」
青年は作業機械に向き返り、何らかの作業を再開した。ユヅハは苛立っているようだった。僕もそれは理解できる。僕たちは一刻も早く魏邏陽の状況を知りたいのだ。
青年にとってのすぐ、というのは三十分以上を意味するらしい。三十分後、彼は満足げに作業機械から奇妙な黒い塊を取り出した。何かの部品のようで、ところどころに肉抜きがされていた。
「それは?」
ユヅハが尋ねる。
「こいつか? これは自動小銃の部品だ。耐久性はそのままに、54%の軽量化に成功してる。藍色戦線に設計を頼まれたんだ」
僕とユヅハは顔を見合わせた。
「藍色戦線と繋がりが?」
僕の質問に青年は頷く。
「誰にも言ってくれるなよ。っとそこのドアを閉めてくれ」
言われたとおりに僕たちが入ってきたドアを閉める。
「ここでは何を話してもいい。藍色戦線のことも、魏邏陽のことも」
「…盗聴の恐れはないのか?」
僕はMFDを取り出して電源を消そうとする。そして僕はMFDが電波に接続されていないことに気がついた。
「安心しな、この建物がまるごとファラデー・ケージになってるんだ。電磁波的には…完全に外部と遮断されてる」
ファラデー・ケージ。金属などの導体で囲まれた空間のことだ。ケージが接地されていれば内部の電界は外には現れない。つまり仮に盗聴器があったとしても外部に音声データが流れることはないということになる。
青年は汚れた手袋を口で外し、額の汗を拭った。確かにこの部屋はなかなか暑い。ファラデー・ケージとやらのせいで通気性がものすごく悪いのかもしれない。
彼は僕たちに座るように促した。といっても椅子の上ではなく、何らかの資材が入ったダンボール箱の上だった。
彼はまず自分の名前を述べた。
「俺について話そう。俺はここで働いてるもんだ。俺含め、ここの工場の数人の社員は秘密裏に藍色戦線と繋がりがある。藍色戦線がハイテク組織なのは知ってるだろ? それを支えてんのが俺らみたいな技術屋ってわけだ」
藍色戦線のような強力な非正規武装組織が生まれた背景には、高度な技術や知識が民間に広まりやすくなったからではないかという言説がある。例えば数十年前には既に家庭用の立体造形機で樹脂製の拳銃を作れるようになっていた。これはかなり粗末なものだったらしいが、現代の造形機ならばかなり高性能なものが作れるはずだ。そしてこういった方法で製造された武器は追跡(トレース)が困難だ。これは武器本体に限った話ではなく、弾薬の製造やハッキングに使用される電子機器、更には戦略もまたそうなのだ。しかしだからといって技術や知識が広まることを止めることなど誰にもできない。政府や大企業にできることといえばやり取りされる知識や技術をできる限り監視することだけなのだ。
「手紙を出したのも君かい?」
彼は首を大きく横に振る。
「俺に詳しい情報を知る権限はない。ただあるデータをあんたらに見せて、それに対する返答を藍色戦線に送る。今回の依頼はそれだけさ」
彼はただ藍色戦線に僕たちを呼び出すように頼まれただけなのだろう。
「そのデータって?」
彼は立ち上がり、ある小さな箱を持ってきた。彼は表面の包装を破り、箱を開けて中身を取り出す。包装はまるで箱が今まで開封されていないことを証明するためのものにも見えた。中身は小型の磁気記憶媒体だった。それもかなり古い規格のものだ。彼はそれをひび割れた小型のモニタに接続する。
「ふむ…動画みたいだな」
彼は再生の操作をする。黒い画面のまま、女性が話す中国語の音声が流れた。邏陽の声ではない。ユヅハは動画を一時停止して僕のために翻訳をする。
「この動画の宛先は萩原ユヅハと仁山コズである言っている」
ユヅハはまた再生の操作をする。しばらく黒い画面のまま無音で動画が進み、急に光が入った。壁が映っていたが、誰かがカメラの方向を変えると人物が画角に入った。僕とユヅハは息を呑む。邏陽だ。彼は初めて僕と会ったときのような襟の高い黒い服を着ていた。
「お久しぶりです」
日本語だった。久しぶりに彼の声を聞く。記憶が一気に呼び戻される。
「連絡ができなくなって心配をかけたと思います。伝えておきたいのは、自分はいま無事だということです」
僕は安心したが、それと共に次に続く言葉への覚悟をした。
「しかし…私に、そしてもしかしたらあなたたちにも危険が迫っている可能性があります」
彼は憂鬱そうに一息ついた。
「藍色戦線は私のせいで修復不可能な傷を負い、派閥ごとに分裂しかけています」
彼が指しているのは彼がユヅハを親から解放するためにした一連の行動のことだ。彼はユヅハの父親に藍色戦線の詳細な情報を流し、その代わりとしてユヅハと絶縁させた。
「もちろん藍色戦線の一部は私を恨んでいます。…そしてあなたたちをも。いま私は藍色戦線の中でもまだ私に好意的な一派を通じてあなたたちにメッセージを送っています。そして好意的でない一派は私とあなた達に危害を加えるつもりです」
僕は心の底でやはりそうかと考える。僕たちが藍色戦線に送った”僕たちは魏邏陽が勝手にやったことに巻き込まれただけである”というメッセージを藍色戦線の過激派は素直に受け取らなかったのだろう。
「私は交渉をし、ある条件を取り付けました。それがあなたたちにこの動画を送った理由です。この条件を実行するに当たって、ユヅハの許可が必要です」
僕はユヅハを見る。彼女は邏陽のためならどんな条件をも飲むだろう。
「ユヅハ、萩原孔樹(こうき)と萩原陶(すえ)を殺害してもいいですか?」
僕は少し驚いたが、ユヅハは表情を全く変えなかった。彼女の答えはもう決まっているのだろう。
「彼ら(過激派)はついに、ダミーの審査所の最高責任者が萩原孔樹だったことを突き止めたのです」
僕は奥歯を噛む。事情を知らない彼ら(過激派)は萩原孔樹の娘というだけでユヅハを狙う可能性がある。
「藍色戦線の過激派は私が責任を取るために、そして報復のために萩原夫妻を殺害することを、私とあなたたちへの”粛清”を取りやめる条件だとしました。ユヅハ、返答を伝達係に渡してください」
僕は目の前に座っている日焼けした青年を見る。彼が伝達係なのだろう。
「どんな返事でも私はあなたたちの決定を尊重します。───ユヅハとコズへ。愛を込めて」
録画はそこで終わった。また黒い画面になり、中国語の音声が流れる。
「この動画を確認し終えたらすぐに記憶媒体ごと破壊するように、と言っている」
動画が完全に終わると青年はモニターから記憶媒体を抜き取った。
「もうこいつを破壊するけどいいな?」
僕とユヅハは頷く。青年は記憶媒体を金属用の粉砕機に入れ、一瞬だけスイッチを入れた。小さくプラスチックが砕ける音がした。
「さて、俺はあんたたちの返答を受け取り、それをまた藍色戦線に送る。ユヅハさん…あんたは親が殺されるのを許可するかい? 答えはわかっているが、聞いておかんとな」
青年は席に戻り、ユヅハを見つめる。彼女は青年を真っ直ぐ見つめてこくりと頷いた。
「…それだと親が殺されてもいいという返事になってしまうだろ」
「うん、いい。それが返答」
青年は信じられないものを見つめるような顔をする。
「だって…親だろ? 親が両方…殺されるのが問題ないと?」
ユヅハがまた頷き、青年は助けを求めるように僕と目を合わせた。
「そのままの意味だ。彼女は返答として”はい”と言っている」
青年は表情を歪めて頭を抱える。彼は何に困っているのだろうか。
「君が魏邏陽に送る返事に他のメッセージを含めることはできる?」
ユヅハは気にせず青年に話しかける。
「ああ、一応できるが…」
「直接連絡を取りたい、と送ってほしい」
「わかった。…けどあんまり期待すんなよ。直接チャットやら通話をするのはかなりのリスクがある」
ユヅハは満足げに頷いて立ち上がった。用件は済んだのだ。
「じゃあ返答は君に頼んだ。また彼…邏陽から連絡があればすぐに僕たちに伝えてくれ」
僕も立ち上がり、ドアノブに手をかける。
「待ってくれ、」
青年が少し震えた声で言う。
「本当にいいんだな…? 俺が…この返事を送ることで二人の人間が死ぬことになるんだ」
彼は責任を感じているのだろうか。僕はドアノブに手をかけたまま口を開いた。
「…君はその覚悟をして藍色戦線を支援しているんじゃないのか?」
彼は何も言わない。
「そういえば先月…中国共産党員の一人が銃殺されたな。君が彼らのために設計している銃の部品が使われなかったという保証はあるのかい?」
言い過ぎただろうか。僕は、彼がユヅハの親との関係についてまったく知らないのに口出しをしようとしたということに苛ついたのかもしれない。彼は単に稼ぎが良いという理由だけでこの仕事を引き受けたのだろうか。日本政府は藍色戦線とのやり取りを”非推奨”としているが、違法ではない。
「だけれど…今回の件で君が責任を感じる必要はない。君はただメッセージを伝えるだけでいいんだ」
今度は彼に好意的な言葉をかける。彼が変な気を起こして返答を書き換えられたらたまったものじゃない。彼を刺激しても何の得にもならないのだ。彼は俯いたまま小さくわかったと呟いた。
「邏陽なら上手くやるだろう」
工場から出ると同時に僕はそうユヅハに言った。彼は有能だ、暗殺ぐらいなら上手くやってのけるだろう。
「…邏陽の顔、どこか曇っていた」
ユヅハには腑に落ちないところがあるようだった。
「君の親を殺すのに抵抗があるのか…あるいは成功に自信がないのかもしれない。今は彼を信じよう」
僕たちは再びタクシーに乗り、この時が止まったかのような工場街を抜け出した。
この辺りは小さな工場が密集しており、作業着を着た人間が街に多かった。建物はどれも古びている。40年代後半の工業成長の頃の面影をそのまま残しているようにも見えた。
「ここだ」
何の変哲もない、すこし古びた建物だった。僕たちは頑丈そうな扉の前に立つ。扉にはカレンダーが表示されており、それを見るに今日はまだ正月休みのようだった。しかし誰かがここで僕たちを待っているはずだ。相手は既に僕たちの姿をカメラで確認していたりするのだろうか。
来客用のチャイムなどはなく、僕は扉を拳で叩いた。反応はない。もう一度叩く。しかし反応はない。
「…」
覚悟を決めて扉を開ける。鍵はかかっておらず、扉は不快な軋みを上げてゆっくりと開いた。入った通路には誰もおらず、どこからか機械音がするだけだった。工業油の匂いがする。
「どうしよう、一回ここを出るかい?」
ユヅハは首を横に振る。
「あそこのドア、半開きになっている。中に誰かいるかもしれない」
彼女はポケットに手を入れる。ナイフが入っているポケットだ。機械音はユヅハが言う部屋から鳴っているようだった。
半開きになったドアの隙間から中を覗き込む。ユヅハの言った通り、部屋の中に人がいた。その男は冬だというのにタンクトップを着て汗をかいていた。彼はこちらに背を向け、無言で作業機械を見つめている。
「声をかけよう」
僕はそう言って重いドアを完全に開ける。男はこちらに背を向けたままだった。気づいていないのだろうか。
「やぁ、」
男はピクリとも動かなかった。僕は更に大きな声で話しかける。
「やぁ! 手紙をもらったんだ」
男はビクンと背を跳ねさせ、ようやくこちらを向いた。本当に僕たちの来訪に気が付かなかったようだ。
「っと…今日だっけか?」
男は若く、僕たちと同じぐらいの歳に見えた。日焼けした肌のところどころ黒く汚れがついていた。工業油などだろう。
「ああ、手紙に書いてあったはずだ」
「いけねぇな、忘れてたよ…ちょいと待ってくれ、すぐ終わるから」
青年は作業機械に向き返り、何らかの作業を再開した。ユヅハは苛立っているようだった。僕もそれは理解できる。僕たちは一刻も早く魏邏陽の状況を知りたいのだ。
青年にとってのすぐ、というのは三十分以上を意味するらしい。三十分後、彼は満足げに作業機械から奇妙な黒い塊を取り出した。何かの部品のようで、ところどころに肉抜きがされていた。
「それは?」
ユヅハが尋ねる。
「こいつか? これは自動小銃の部品だ。耐久性はそのままに、54%の軽量化に成功してる。藍色戦線に設計を頼まれたんだ」
僕とユヅハは顔を見合わせた。
「藍色戦線と繋がりが?」
僕の質問に青年は頷く。
「誰にも言ってくれるなよ。っとそこのドアを閉めてくれ」
言われたとおりに僕たちが入ってきたドアを閉める。
「ここでは何を話してもいい。藍色戦線のことも、魏邏陽のことも」
「…盗聴の恐れはないのか?」
僕はMFDを取り出して電源を消そうとする。そして僕はMFDが電波に接続されていないことに気がついた。
「安心しな、この建物がまるごとファラデー・ケージになってるんだ。電磁波的には…完全に外部と遮断されてる」
ファラデー・ケージ。金属などの導体で囲まれた空間のことだ。ケージが接地されていれば内部の電界は外には現れない。つまり仮に盗聴器があったとしても外部に音声データが流れることはないということになる。
青年は汚れた手袋を口で外し、額の汗を拭った。確かにこの部屋はなかなか暑い。ファラデー・ケージとやらのせいで通気性がものすごく悪いのかもしれない。
彼は僕たちに座るように促した。といっても椅子の上ではなく、何らかの資材が入ったダンボール箱の上だった。
彼はまず自分の名前を述べた。
「俺について話そう。俺はここで働いてるもんだ。俺含め、ここの工場の数人の社員は秘密裏に藍色戦線と繋がりがある。藍色戦線がハイテク組織なのは知ってるだろ? それを支えてんのが俺らみたいな技術屋ってわけだ」
藍色戦線のような強力な非正規武装組織が生まれた背景には、高度な技術や知識が民間に広まりやすくなったからではないかという言説がある。例えば数十年前には既に家庭用の立体造形機で樹脂製の拳銃を作れるようになっていた。これはかなり粗末なものだったらしいが、現代の造形機ならばかなり高性能なものが作れるはずだ。そしてこういった方法で製造された武器は追跡(トレース)が困難だ。これは武器本体に限った話ではなく、弾薬の製造やハッキングに使用される電子機器、更には戦略もまたそうなのだ。しかしだからといって技術や知識が広まることを止めることなど誰にもできない。政府や大企業にできることといえばやり取りされる知識や技術をできる限り監視することだけなのだ。
「手紙を出したのも君かい?」
彼は首を大きく横に振る。
「俺に詳しい情報を知る権限はない。ただあるデータをあんたらに見せて、それに対する返答を藍色戦線に送る。今回の依頼はそれだけさ」
彼はただ藍色戦線に僕たちを呼び出すように頼まれただけなのだろう。
「そのデータって?」
彼は立ち上がり、ある小さな箱を持ってきた。彼は表面の包装を破り、箱を開けて中身を取り出す。包装はまるで箱が今まで開封されていないことを証明するためのものにも見えた。中身は小型の磁気記憶媒体だった。それもかなり古い規格のものだ。彼はそれをひび割れた小型のモニタに接続する。
「ふむ…動画みたいだな」
彼は再生の操作をする。黒い画面のまま、女性が話す中国語の音声が流れた。邏陽の声ではない。ユヅハは動画を一時停止して僕のために翻訳をする。
「この動画の宛先は萩原ユヅハと仁山コズである言っている」
ユヅハはまた再生の操作をする。しばらく黒い画面のまま無音で動画が進み、急に光が入った。壁が映っていたが、誰かがカメラの方向を変えると人物が画角に入った。僕とユヅハは息を呑む。邏陽だ。彼は初めて僕と会ったときのような襟の高い黒い服を着ていた。
「お久しぶりです」
日本語だった。久しぶりに彼の声を聞く。記憶が一気に呼び戻される。
「連絡ができなくなって心配をかけたと思います。伝えておきたいのは、自分はいま無事だということです」
僕は安心したが、それと共に次に続く言葉への覚悟をした。
「しかし…私に、そしてもしかしたらあなたたちにも危険が迫っている可能性があります」
彼は憂鬱そうに一息ついた。
「藍色戦線は私のせいで修復不可能な傷を負い、派閥ごとに分裂しかけています」
彼が指しているのは彼がユヅハを親から解放するためにした一連の行動のことだ。彼はユヅハの父親に藍色戦線の詳細な情報を流し、その代わりとしてユヅハと絶縁させた。
「もちろん藍色戦線の一部は私を恨んでいます。…そしてあなたたちをも。いま私は藍色戦線の中でもまだ私に好意的な一派を通じてあなたたちにメッセージを送っています。そして好意的でない一派は私とあなた達に危害を加えるつもりです」
僕は心の底でやはりそうかと考える。僕たちが藍色戦線に送った”僕たちは魏邏陽が勝手にやったことに巻き込まれただけである”というメッセージを藍色戦線の過激派は素直に受け取らなかったのだろう。
「私は交渉をし、ある条件を取り付けました。それがあなたたちにこの動画を送った理由です。この条件を実行するに当たって、ユヅハの許可が必要です」
僕はユヅハを見る。彼女は邏陽のためならどんな条件をも飲むだろう。
「ユヅハ、萩原孔樹(こうき)と萩原陶(すえ)を殺害してもいいですか?」
僕は少し驚いたが、ユヅハは表情を全く変えなかった。彼女の答えはもう決まっているのだろう。
「彼ら(過激派)はついに、ダミーの審査所の最高責任者が萩原孔樹だったことを突き止めたのです」
僕は奥歯を噛む。事情を知らない彼ら(過激派)は萩原孔樹の娘というだけでユヅハを狙う可能性がある。
「藍色戦線の過激派は私が責任を取るために、そして報復のために萩原夫妻を殺害することを、私とあなたたちへの”粛清”を取りやめる条件だとしました。ユヅハ、返答を伝達係に渡してください」
僕は目の前に座っている日焼けした青年を見る。彼が伝達係なのだろう。
「どんな返事でも私はあなたたちの決定を尊重します。───ユヅハとコズへ。愛を込めて」
録画はそこで終わった。また黒い画面になり、中国語の音声が流れる。
「この動画を確認し終えたらすぐに記憶媒体ごと破壊するように、と言っている」
動画が完全に終わると青年はモニターから記憶媒体を抜き取った。
「もうこいつを破壊するけどいいな?」
僕とユヅハは頷く。青年は記憶媒体を金属用の粉砕機に入れ、一瞬だけスイッチを入れた。小さくプラスチックが砕ける音がした。
「さて、俺はあんたたちの返答を受け取り、それをまた藍色戦線に送る。ユヅハさん…あんたは親が殺されるのを許可するかい? 答えはわかっているが、聞いておかんとな」
青年は席に戻り、ユヅハを見つめる。彼女は青年を真っ直ぐ見つめてこくりと頷いた。
「…それだと親が殺されてもいいという返事になってしまうだろ」
「うん、いい。それが返答」
青年は信じられないものを見つめるような顔をする。
「だって…親だろ? 親が両方…殺されるのが問題ないと?」
ユヅハがまた頷き、青年は助けを求めるように僕と目を合わせた。
「そのままの意味だ。彼女は返答として”はい”と言っている」
青年は表情を歪めて頭を抱える。彼は何に困っているのだろうか。
「君が魏邏陽に送る返事に他のメッセージを含めることはできる?」
ユヅハは気にせず青年に話しかける。
「ああ、一応できるが…」
「直接連絡を取りたい、と送ってほしい」
「わかった。…けどあんまり期待すんなよ。直接チャットやら通話をするのはかなりのリスクがある」
ユヅハは満足げに頷いて立ち上がった。用件は済んだのだ。
「じゃあ返答は君に頼んだ。また彼…邏陽から連絡があればすぐに僕たちに伝えてくれ」
僕も立ち上がり、ドアノブに手をかける。
「待ってくれ、」
青年が少し震えた声で言う。
「本当にいいんだな…? 俺が…この返事を送ることで二人の人間が死ぬことになるんだ」
彼は責任を感じているのだろうか。僕はドアノブに手をかけたまま口を開いた。
「…君はその覚悟をして藍色戦線を支援しているんじゃないのか?」
彼は何も言わない。
「そういえば先月…中国共産党員の一人が銃殺されたな。君が彼らのために設計している銃の部品が使われなかったという保証はあるのかい?」
言い過ぎただろうか。僕は、彼がユヅハの親との関係についてまったく知らないのに口出しをしようとしたということに苛ついたのかもしれない。彼は単に稼ぎが良いという理由だけでこの仕事を引き受けたのだろうか。日本政府は藍色戦線とのやり取りを”非推奨”としているが、違法ではない。
「だけれど…今回の件で君が責任を感じる必要はない。君はただメッセージを伝えるだけでいいんだ」
今度は彼に好意的な言葉をかける。彼が変な気を起こして返答を書き換えられたらたまったものじゃない。彼を刺激しても何の得にもならないのだ。彼は俯いたまま小さくわかったと呟いた。
「邏陽なら上手くやるだろう」
工場から出ると同時に僕はそうユヅハに言った。彼は有能だ、暗殺ぐらいなら上手くやってのけるだろう。
「…邏陽の顔、どこか曇っていた」
ユヅハには腑に落ちないところがあるようだった。
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