【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第三部

@58 強権

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───何かを叩く音がする。
 僕は朦朧とした頭で身体を起こした。音はドアから響いている。誰かがドアを強くノックしているのだ。僕がベッドから出るとユヅハも起き上がった。
「…誰?」
 彼女は深刻そうな顔をしていた。僕は電灯をつける。時刻は午前三時を回っている。心臓がどくどくと脈打つ。もしかしたら藍色戦線の殺し屋だろうか。それならば逃げなくてはならない、しかし窓は嵌め殺しだ。どうする、戦うか?
 外から電灯をつけたことがわかったのか、ノックは止んだ。
「…誰だ」
 僕はドア越しに英語で尋ねる。
「警察だ。萩原ユヅハがそこにいるな。ドアを開けるんだ」
 中国訛りの英語だった。僕はユヅハを見る。彼女は目を見開き、状況を理解しようとしていた。
「…私たちを逮捕しに来た?」
 彼女は小声で呟く。僕たちと魏邏陽の繋がりがもう警察にバレたのだろうか。
「わからない。ドアを開けるか?」
 彼女はしばらく考えたのち、頷いた。
「いまドアを開ける」
 僕はドアを開く。そこに立っていたのは武装した警官三人だった。
「…こんな時間に何の用だ」
「萩原ユヅハを保護しに来た」
「保護? 何のために」
 ユヅハが尋ねる。逮捕ではないと察して彼女はほんの少し安心したようだ。
「萩原ユヅハ、50分前にあなたの両親が殺害されたことが確認された。あなたにも危害が及ぶ可能性があるため、あなたを保護しなくてはならない」
 ユヅハは平然を装っていたが、邏陽がすでに行動を起こしたと知って動揺していた。僕もこめかみを汗が流れた。
「彼女はもう両親と絶縁している。君たち警察に彼女を保護する権限はないはずだ」
 僕は抗議するが警官は聞く耳も持たない。
「犯人はまだ判明していないが、犯人が両親との絶縁を知らない可能性もある、これは法律に基づいた保護だ」
 彼らは意地でもユヅハを保護するつもりらしい。
「拒否する」
 彼女は堂々とそう言った。
「いいや、これは任意のものではない。我々は危険が及ぶ可能性がある人間を48時間保護下に置くことができる。これはテロリズム対策の法律を根拠にしている」
「…私はここを離れない」
「我々は非致死的な実力を行使する権限を与えられている」
 別の警官が言う。警官たちの腰には非致死性の電撃銃(テイザー・ガン)が装備されていた。
「保護するために暴力を振るうと?」
 僕はユヅハの前に立つ。彼らは何て強権的なのだろう。
「テロ対策のためだ。萩原孔樹は環華人民銀行の社員だ。彼が殺害されたのは政治的な動機による可能性が高い」
「政治的な動機なら彼女に危害は及ばないはずだ。彼女は環華人民銀行とは無関係の日本人だ」
 警官たちは苛ついたようだった。
「いいか萩原ユヅハ、三十秒以内に我々に従わなければ法律に基づき実力を行使する」
 ユヅハは口を僕の耳元に持ってきて小声で話し始めた。
「コズだけでも邏陽を迎えに行って」
 僕は頼りなく頷く。ユヅハは大人しく警官に従って服を着込み、最低限の荷物をまとめて警官たちと去っていった。
 警官たちとユヅハが去ったあと、僕はただ一人この部屋に取り残された。さっきまで寝ていたベッドに座り込み、頭を抱える。
「僕はどうするべきだ?」
 答えは出ない。僕は考え方を変える。
「…まず状況を整理するべきだ」
 邏陽がユヅハの両親を殺したのは一時間ほど前、午前二時前後だろうか。そして警官たちがユヅハを保護しに来たことから邏陽はまだ逮捕されていない。そして藍色戦線の関与もまだ確認されていない可能性が高い。
 邏陽がまだ市内にいる可能性はある。しかし市内といってもハルビン市は五万平方キロメートルもあるのだ。僕はMFD端末を手に取る。答えは出た。僕にできることは繋がることを信じて邏陽に通話をかけ続けることだけだ。
 ユヅハがしていたようにひたすらに通話をかけ続ける。発信している間に、僕はいつ邏陽に繋がって出発することになってもいいように服や荷物をまとめた。
「邏陽…君はいったい何を考えているんだ?」
 僕は彼のことがわからなくなる。今回の彼の行動には奇妙な点がいくつもある。彼は自分の家でも通信ケーブルを使うほど慎重だったのに、今回彼は連絡手段としてインターネット回線を指定した。これは何かの罠なのか? 審査所のときのように僕たちは何かに上手くはめられているのだろうか? 萩原孔樹は実は殺害されておらず、僕たちに何らかの危害を加えようとしているのではないか? あるいはユヅハを取り戻すため───。思考が止まらなくなる。あらゆる最悪の可能性を思いついてしまう。
 ずっと鳴り続けていた発信音が急に止まった。僕はMFD端末に飛びつく。画面は通話状態を示していた。ついに繋がったのだ!
「邏陽! 聞こえるか!」
 僕は端末に向かって叫ぶ。しかし聞こえてきたのは邏陽の声ではなかった。中国語…いや広東語の女性の声だった。彼女は何かを話すが僕は聞き取れない。僕がGDAIグラスの翻訳機能を起動しようとすると彼女は英語に切り替えた。
「───えっと…その声は…仁山コズよね?」
 聞き覚えのある声。
「李閲慕か?」
「ええ、そうだけど。でもどうしてこのアドレスを───」
「邏陽と話したいんだ」
「…理由を聞いてもいいかしら?」
 僕はできるだけ整理して話すように努めたがどこかで焦りが出てしまう。
「…つまり邏陽が何かを隠してるって言いたいワケ?」
 彼女は僕が邏陽を疑っていると感じ、機嫌が悪くなった。
「それを確かめたいんだ。君も奇妙だと思わないかい? こんな回線で話すことの危険性を彼もわかっているはずだ。それにユヅハの両親───」
「待って! その話はここでは話さないで」
「…彼と事前に通話をしたんだ。彼はそのときも様子がおかしかった。最後の挨拶とでも言うんだろうか…僕とユヅハには二度と会えないような話しぶりに感じられたんだ」
 話していて僕の持つ根拠の薄さにむしゃくしゃする。
「…考えてみると、この”ビジネス”の直前も邏陽はやけに…変に明るかった」
 李閲慕はしばらく黙り込む。
「わかったわ。邏陽に繋ぐ。でも”ビジネス”の話は具体的にはしないで」
「わかった」
「もし…もしもよ、邏陽が何か変なことをしようとしてたら絶対に止めて」
 僕は彼女と約束する。しばらく無音の状態が続き、ついに再度音が聞こえた。
「コズさん?」
 ずっと待っていた、彼の声だ。
「やぁ、邏陽。…”ビジネス”は成功したようだね」
「ええ、おかげさまで」
 相変わらず丁寧な話しぶりだったが、彼の声は少し疲れているようにも聞こえた。
「これからどうするんだい?」
 彼はこの質問を予想外だと感じたようだ。数秒間の沈黙があった。
「もちろん李閲慕と合流しますよ。それから”本社”に報告を…」
「邏陽、実を言うと僕とユヅハは君を心配しているんだ。こんな言い方はしたくないが…何かを隠していたりはしないかい?」
「いえ、何も隠してなんかはいません」
「この回線では話せないことなら直接会って話すこともできる。僕はいまハルビンにいるんだ」
「ハルビンに? ユヅハも一緒なんですか?」
 彼はかなり驚いたようだった。
「ユヅハは親が殺されたという理由で警察に保護されて…今は行動できない」
「…”テロ対策のため”ですね。二日間の拘束が警察に認められています。…しかしなぜハルビンに?」
「ユヅハは君がそれほど心配だったんだ。彼女は君の様子をおかしいと感じたんだ」
「…そうですか」
「君がいま何を考えているのかわからない…でも助けになれるなら何だってするよ」
「あなたに何ができるんですか?」
 彼らしからぬ棘のある言い方だった。そして僕は答に窮する。さっきだって僕はユヅハが警察に連れて行かれるのをただ見ていることしかできなかった。
「私の心配をする必要はありません。安心して日本に帰ってください」
 彼の言いぶりは僕を突き放しているみたいだ。彼の口からそんな言葉を聞くとやけに不安になってしまう。
「邏陽、僕は怖いんだ、こんな形で君と二度と会えなくなるのが…」
 僕は続ける。
「でも僕は君を信用している。君相手に疑心暗鬼になることなんてできない。…だから君に従うさ。ユヅハの解放を待って…大人しく日本に帰る。何も問題はない、そうだろう?」
「ええ」
「李閲慕が君を心配していると思う。彼女を安心させてほしい」
「…わかりました」
 僕は浅く息を吸う。
「じゃあね、邏陽。邪魔をして悪かった」
 僕はついに終話のボタンに指を伸ばす。彼がここまで言うんだ。全ては僕とユヅハの考えすぎだったのだ。僕たちはただありもしない不安に取り憑かれて───
「待ってください」
 MFD端末の画面まで指がほんの数センチといったところで彼は呟いた。僕はゆっくりと指を画面から離す。
「…コズさん、あなたに会いたい」
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