【青天白雪、紅の君。2072】 〜2072年夏、僕は無口な少女と出会った〜

凜 Oケイ

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第三部

@64 選択肢

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 病室に入ってきたのは一人の男だった。環華人民銀行の制服を着た丈の高い男。制服を着ていても胸板の厚さや腕の太さを隠しきれていない。彼の表情は堅く、周囲のもの全てに対するような威圧感を出していた。僕は申し訳程度の会釈をしたが、男は無表情のまま折りたたみ椅子に座った。
「英語は話せるな」
 僕は頷く。
「俺は環華人民銀行武装警備、ハルビン支部、対テロ突入部隊の隊長だ」
 武装警備は僕たちが夏に審査所の襲撃に失敗した際にも僕たちを包囲した。あの時彼らは集落に偽装していた。今回はこの男の部隊が僕と邏陽を襲ったのだろう。
「俺があんたの頭を撃ち、俺の部下が魏邏陽を射殺した」
「…射殺だって?」
「ああ」
 彼は事実を誤認している。邏陽は重傷のはずだが…死んではいない。
「…彼は死んでいない」
「いいや、死んだ」
 男はあくまでそう主張する。
「死んでいない…彼はこの病院で治療を受けているはずだ」
 太った医師ははっきりとそう言っていた。”繊細な治療中”であると。
「誰がそう言った?」
「…医師が」
 男は面白がる様子で勝手にナースコールを押した。やってきた看護婦に彼は何かを話す。きっと医師を呼んでこいと言っているのだろう。しばらくして太った医師がやってきた。
「医者さん、こいつに魏邏陽が生きてるって言ったのか?」
 男は医師に凄む。
「ええと…」
 医師の顔が汗ばむ。
「検死したのはあんたのはずだろ? なぜ嘘をつく」
「患者が起きたときは…刺激しない方がいいと考えて…」
 彼らは何を話しているのだろう? 魏邏陽は生きている。死んでいるはずがない。
「仁山コズさん…非常に言いにくいのだが…魏邏陽は死亡した」
「いや、」
「脳みそぶち撒けたんだ。生きてるはずないだろ」
 隊長が馬鹿にするように言い放つ。彼の言葉で僕はあの場面を思い出す。僕は魏邏陽を引きずり…彼の後頭部から…彼の脳が…。
「うっ」
 僕は思わず口を押さえる。とてつもない嘔吐感に襲われる。しかし僕は不快な酸味を感じただけで食道からは何も出なかった。二日半何も食べていない、出すだけの中身もないのだ。
「でも…彼の心臓は…まだ動いていた! 心肺蘇生をすれば…」
「幻覚じゃないのか?」
 男はそう切り捨てた。しかし医師の反応は少し違った。
「弾丸が貫入したのは額と左目で…弾丸の運動エネルギーと入り込んだ圧縮空気が脳の大部分を破壊し…後頭部の頭蓋をこじ開けたわけだ。…しかし魏邏陽の脳幹は比較的損傷が少なかった。その場合、死後数十秒から数分、心臓が鼓動できた可能性はある…」
「なら彼は死んでいないじゃないか」
 この医師はどうしてでも邏陽を死んだことにしたいのだろうか?
「仁山コズさん…死の定義は様々で、身体の全細胞が活動を停止するまでは正確に死とは言えない、という立場もあるが…意識の永続的な消失を死と定義するなら…彼は…」
 医師はできるだけ僕を傷づけないように言葉を選んでいるようだった。これほどまでに良心的な医師がなぜ僕に嘘をつくのか理解できなかった。
 僕は頭の中で反論を練ったが、それを口にする前に隊長の男が後頭部を手で掻きながら舌打ちした。
「医者さん、もう下がってくれ」
 医師は脂汗を手ぬぐいで拭きながら病室を出ていった。
「魏邏陽の話はもうやめよう、時間の無駄だ」
 男は続ける。
「俺はあんたに事情聴取をしに来たんじゃあない、むしろこちらからいくつかのことを伝えに来たのみだ。あんたにゃ選択肢があるが…事実上はない」
 男は指をポキポキと鳴らす。
「あんたは魏邏陽という”テロリスト”と深い繋がりがあった。魏邏陽が関与したテロ行為、数ヶ月前には偽の審査所襲撃、今回は環華人民銀行幹部とその妻の殺害…到底許される行為じゃない。本来ならば奴が犯罪者と知りながら繋がっていたあんたも重罪だ。しかしだ、あんたは日本国籍で、俺らはあくまで一中国企業の自衛組織、俺らがあんたに警告なしで弾を撃ったという事実は都合が悪い───ならばお互いに黙ってればいい。違うか?」
 一理あるように思えた。しかし僕はあえて尋ねる。
「じゃあ、”事実上選べない選択肢”というのは?」
「簡単だ。あんたが俺らに警告なしで撃たれたという事を告発すればいい。しかしこちらにはあんたと魏邏陽、そして萩原ユヅハによる審査所襲撃の記録もしっかり残っている。萩原孔樹は魏邏陽の提供する情報欲しさと娘可愛さにあんたらを釈放したらしいが、俺たちはそうはいかない。今からだってあんたらを裁判にかけることだってできる。あんたらは一生ムショ暮らしさ」
 ユヅハの名前を出されて僕はたじろいでしまう。彼の言う通りだ、選択肢などない。
「わかった…僕は告発しない…」
「賢明な判断だ」
「警告なしで撃つのがそれほど重大な行為ならば、なぜ警告をしなかったんだ? そうすれば僕たちを裁判にかけることだってできたんじゃないのか?」
 少し挑発的な聞き方だった。しかし彼の裏を探らずにはいられなかった。
「警告なしで撃ったのはあんたらを危険すぎると判断したからだ。前回の事件の後、偽の審査所からは爆弾が見つかった。俺たちを吹き飛ばすのに充分な威力があったそうだ。幸いあんたらはそれを使わなかったが、今回使わないという保証はどこにもなかった。だから魏邏陽の顔を確認し次第撃つように部下に指示をした」
 僕は邏陽が持っていた水筒ほどの大きさの爆弾を思い出した。あのとき、僕は彼を説得してそれを放棄させた。
「それに、俺たちにとって裁判を起こすことはそれほど重要じゃない」
「…どういうことだ?」
「やけに探るじゃないか、いいだろう。…公平審査は知ってるな」
「もちろん、僕たちが審査所を襲撃したのもそれが理由だ」
 公平審査、それは個人証明企業同士による相互監視だ。環華人民銀行はフィネコン社を監視し、環華人民銀行はフォーディール社に監視される。監視する方の企業がされる側の企業に不正の疑いがあると考えた場合、審査手続きを執行する。本社とのデータリンクがある審査所に踏み込み、監視される会社の持つ全データを審査する。
「一つ目に、フォーディール社は環華人民銀行を邪魔だと考えている。二つ目、個人証明企業に関する裁判の詳細は全て監視側の企業に渡さなければならない。三つ目、テロに関連する裁判は人民銀行に都合が悪い…ここまで言えばわかるだろ?」
「フォーディール社が審査手続きを遂行する可能性があると?」
 男は頷く。
「…しかし環華人民銀行の業務に不正がなければ困るのはフォーディール社の方のはずだ。中途半端な証拠で審査手続きを遂行したとなれば信用を落とす」
「人民銀行が不正をやっているかは俺の知るところじゃない。しかし俺らは上層部から”フォーディール社に審査手続きを決断させるような裁判はするな”と釘を刺されている」
 そんなの実質不正をしていることを認めているようなものじゃないか。
「誤解するなよ、不正をしていなくたって審査手続きを踏まれれば厄介なんだ。それを避けたいと思うのは自然なことだろ?」
「…なるほど」
 彼らにとって裁判を起こすことは大した問題ではなく、最優先は危険なテロリストの排除なのだろう。死人に口なしというわけだ。しかし今回は僕と邏陽が生きていたためにこうして彼が僕に交渉しに来たのだろう。
 僕はもう一つ抱えていた疑問を彼にぶつけることにした。彼がこの質問に答える人物として適当かはわからなかったが、とりあえず僕は質問した。
「君たち環華人民銀行は…大層な金をかけて審査所の偽物を作るほどにテロリストに困っていたのか?」
 砂漠にあったあのドームは疑似餌にしては大きく、そして豪華すぎた。単なる企業がこの男の部隊のような高度に訓練された部隊を”テロ対策”のためだけに持っているというのもその証左のような気がした。
「ああ、それが俺たちがいる理由だ」
 彼の口ぶりからは肯定も否定も感じられず、単に事実を述べているような口調だった。
「…今のテロリストは過去のものとは質がまったく違う。彼らは要人を人質にとるのではなく、機密情報を人質にとる。大使館に爆弾を仕掛けるのではなくデータ上に爆弾を仕掛ける…特に藍色戦線はひどく厄介だった。…すべてが電子化された社会でハッキングといった行為がどれだけの力を持っていると思う」
 彼はゆっくりと続ける。
「もちろんハッキングに打つ手がないというわけじゃない。環華人民銀行も閉域網や量子暗号といった手で対処できると思っていた。そうしたら彼らは現実でも攻撃を仕掛けるようになった。絶対に解読できない暗号があったとしても解読できる正規の端末まで辿り着けばいい。逆探知される前に相手のオペレータを殺せばいい…」
 僕は彼の口角が微妙に上がるのを見逃さなかった。
「だから俺らもそうしたわけだ。仮想空間では防御に回ることしかできない我々も、現実でなら物量で勝る。罠を仕掛け敵をおびき寄せることができる」
「…相手と同じ土俵に立てれば、あとは物量が勝敗を決めるというわけか」
 彼は満足げに頷く。
「そうだ。しかし藍色戦線が実際に生み出す金銭的損害よりも、俺たちを養ったり審査所の偽物を作るほうが金がかかっているのもまた事実だ」
 僕はそれを聞いて彼の顔を見る。
「ならどうして、といった顔だな。答えは簡単だ。”信用”はそうはいかない。ハッキングによって盗まれた金がたったの一人民元だったとしよう。ラッキーか? いやそんなわけはない。信用の損失は一人民元の数万、数億倍にも上る。テロリストの攻撃が失敗し、我々が防御に失敗したという事実だけで我々は大損害なんだ」
 個人証明企業の顧客は完璧を求める…。そしてそれは攻撃をする側にとってどんなに有利な条件だろう。百回、いや一千、一万回の攻撃のうち一回でも相手に刺さればそれで相手は勝手に大損害を出す。
「なりふり構ってられないというわけか」
 使える手はすべて使う、でなければ顧客を失う。僕は他の個人証明企業もきっと同様のことをしているのだろうと考える。
「そういうことだ。我々は顧客第一なんでね」
 彼はちらりと腕輪を見る。彼はなぜか腕輪を腕の内側につけていた。
「さて、そろそろお勉強の時間も終わりにしよう」
 男は立ち上がり、首をポキポキと鳴らした。用は済んだというわけだろう。
「…あんたは本当に悪運が強い。前回は女が萩原孔樹の娘だったから助かり、今回は日本人だから、環華人民銀行が事なかれ主義だから助かる。俺が頭を撃ったはずなのにピンピンしてる」
 捨てぜりふのような口ぶりだった。
「自分でもそう思うよ」
 男は一瞬だけ不快そうな顔をした。
「初めてのタイプだ」
「…何だって?」
「今まで何人もの恐怖主義者(テロリスト)を見てきた。彼らのほとんどは藍色戦線のように強い思想を持って暴力や破壊を起こす。しかし魏邏陽やあんたにそんな”大義”があるとは思えない。だからといって金や快楽のためにやっているわけでもない…。はっきり言って気持ちが悪い、何が目的なんだ?」
「今回の殺人はテロじゃないよ」
 邏陽がユヅハの両親を殺したのは政治的な目的なんかじゃない。
「…それは愛だ」
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