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四話
しおりを挟む年若い執事の1人が急いで執務室に駆け込んできた。
「だ、旦那様…!どうにか奥様を引き留めることができました…!!」
その言葉を聞いた時、旦那様は相変わらずの仏頂面だが、その中でも僅かにホッとしたような、安堵したような表情を見せた。
「そ、そうか……、」
「はい!!」
旦那様のその安堵には、奥様との離婚の可能性が低くなったことからくる安心感が含まれているのだろう。
だがそこで年若い執事は何かを思い出したのか、顔を少しばかり曇らせて言いにくそうに口籠った。
「……あ……しかし………、」
「..........?」
「どうした?」
気まずそうにする彼の姿が気になった私は、その先を促した。
すると促された執事は意を決したように、しかし申し訳なさそうにこう話し出す。
「実はその……1ヶ月だけだと………、仰られておりました。」
「何……?」
「それはどういうことだ?」
驚愕する私たちに対し、年若い執事は事の経緯を簡単に、順を追って説明した。
「"奥様を引き留める"という提案に妥協する代わりに、1ヶ月という猶予を奥様が決められたのです。その1ヶ月の間に旦那様の態度の改善が見られなければ、その時は奥様は構わず出て行くと仰っておりました…!!」
「..........。」
その話を聴き終えると、旦那様はとうとう黙り込んでしまった。
最初、執事の話を聞いた時点では離婚がなくなるかもしれないということに安堵していた。
しかし実はそうではなかったことにかなりショックを受けたようだ。
しかしこんなことで一喜一憂されていては困る。
折角のチャンスが台無しになってしまう。
だからこそ旦那様には今すぐ立ち直ってもらわなければならない。
本当の苦難はまだ始まってもいないのだから。
これからなのだから。
「これは挽回のチャンスですぞ、旦那様。あの心優しい奥様が最後にくれたこの猶予を、結果がどうなろうと絶対無駄にしてはなりません!!」
「…………………。」
「旦那様!」
「…………わかっている。」
最初こそ、その奥様が提示した"1ヶ月の猶予"に納得がいかなかったのか、少し渋っているようだった。
しかし私の呼びかけに気を取り戻した旦那様は喝が入ったのか、今はすでに普段通りの彼に戻っていた。
しかし、かなり動揺しているのは確かなようで……。
「だが……1ヶ月は流石に短すぎないか。せめて1年くらいなければ、その…………、」
ごねる旦那様の気持ちはわからなくもないが、どう考えても私たちは文句を言える立場じゃない。
そもそもこうなった1番の原因は旦那様自身なのだから。
「何を言っておられるのですか。そもそも5年間耐えてらっしゃった奥様の傷や期間を考えれば、この短い1ヶ月の期間は妥当ですよ。それほどまでに旦那様への期待は薄く、早く離縁したいということなのでしょう。」
そんな私の言葉に旦那様はかなりショックを受けたようで、少しだけ顔を俯かせてこう呟いた。
「……………トーマス、俺はそこまで彼女に嫌われていたのか?」
「逆にここまで言われて気が付かなかったのですか………?」
頭は良いはずなのに、何故気がつかないのだろうか。
ここまでの事態を招いておいて、離縁を叩きつけられておいて、嫌われていないと思っていたのか?
正直、この時ばかりは本当に旦那様を恐ろしく感じた。
そんな私たちの会話を聞いていた年若い執事は旦那様に向かって、徐に深く頭を下げたと思ったら、こう言った。
「……旦那様。これは私達、使用人共が旦那様にあげられる最後のチャンスです。この機会に奥様とちゃんと向き合って下さい。そして奥様に愛を伝えて、証明して差し上げて下さい。」
突然の出来事と発言に私と旦那様は暫く唖然としてしまった。
しかしその彼の丁寧な所作を見て、それが紛れもない彼の本心であることを理解する。
つまりそれくらい、旦那様には奥様を本当に引き留めて頂きたいということだ。
だからこそ私も、執事長として若い執事と共に旦那様へと頭を下げた。
「ーーー私からも。この残りの1ヶ月、ご自分の力で奥様を引き留めて下さい。私たちも可能な限りサポート致します。そして奥様を必ずや幸せにするのです。」
深々と頭を下げる私たちをジッと見つめていた。
その瞳の感情は読み取れず、相変わらず何を考えているのかはわからない。
しかしその身に纏う雰囲気の中に、普段とは少しだけ、ほんの少しだけ違う、どこか和らいだものを感じ取ることができた。
「……わかった。
お前達……………感謝する。」
それが今の旦那様が言える精一杯の言葉だったのか。
私たちに聞こえるギリギリの声でそう呟いたあと、旦那様は私たちに背を向けた。
しかし旦那様からの感謝の言葉を聞いたのは、なんとこの家に長く勤めている私でも、この時が初めてだった。
隣にいる執事も思わずと言った風に、目を見開いて驚いていた。
5年間止まってしまって、錆びついた時計の針。
まだ動き出す気配はない。
だがしかし、その錆が今この瞬間、少しだけ剥がれたような気がしたのだ。
進まなければいけないのは、なにも旦那様だけではない。
私たち使用人達もだ。
旦那様の欠点を知っていて正さなかったこと。
それが奥様の痛みなっていること。
知っていて、何もできなかったこと。
その事実から目を逸らしてしまったこと。
旦那様には散々偉そうに説教してしまったが、我々にもそれなりに多くの罪があった。
しかし、そんな私たちをあの心優しい奥様は好きだと言ってくれた。
だからこそ、今回は必ず奥様のお心を取り戻せるようにしたい。
変わろうとしている旦那様にも、痛みを抱えた奥様にも、2人が幸せになる未来を願い、尽力したかった。
そしてその時盗み見た旦那様の瞳は不安と緊張と、それからほんの僅かな期待と熱意に揺れていた。
「他人の心は……正直俺にはまだよくわからない。だがお前達の努力が無駄にならないように、それから俺自身が後悔しないためにも、彼女としっかり向き合おうと思う。」
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