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十五話
しおりを挟む「失礼。」
そう断りを入れて私の目の前に立ったのは、なんと旦那様だった。
彼は周囲の状況を軽く確認すると、先ほどまで私を見下し、人々の嘲笑を煽っていた公爵夫人に声をかけた。
「公爵夫人、今回の騒動を起こしてしまったことを謝罪します。大変申し訳ありません。」
そう言って旦那様は、私の代わりに頭を下げた。
しかし元の原因を作ってしまったのは私。
どんな理由があろうと、彼一人に背負わせるわけにはいかなかったので、私も同じように彼に倣って頭を下げた。
すると、それを聴いていたマーガレット様がキッと私たちを睨みつけた。
そして彼女はこちらに向かって文句を垂れてくる。
「ちょっと!私に謝罪はないわけ…?!」
興奮気味なのか、そう鼻息荒く謝罪を強要するマーガレット様に、旦那様は見下すようにこう言った。
「お前の"ソレ"は証拠がないから、事実かどうかは判別できない。だから俺たちはお前に謝る必要がない。」
「証拠ならここにあるわ…!」
そう言って彼女は、自身の破けたドレスのスカート部分と、腫れた右頬を旦那様にしっかりと見せつけた。
しかし旦那様はそれを一瞥すると、ハッキリとした口調で言う。
「それは証拠とは言わん。お前が悪意を持って自分でドレスを破いた可能性だって捨てきれん。それに……アルヴィラは右利きだ。正面に立って咄嗟にお前を叩いたのなら、お前の左頬に跡が残るはずだが?」
旦那様のその発言で、自分の話が事実と矛盾していることに気づいたマーガレット様は、ハッとして急いで自身の右頬を手で覆って隠した。
しかし彼女が右頬を腫らした姿はすでに多くの人達に目撃されている。
今更隠したところで、もう遅かった。
その証拠に周囲の人々は先程とは一変、この状況についてマーガレット様を見ながらヒソヒソと囁き合っていた。
そしてなぜかその後、旦那様は公爵夫人をチラリと見た。
公爵夫人は彼の眼光の鋭さに一瞬、狼狽えたように見えたが、しかしそこは流石の公爵夫人。
自身の威厳を保つために、一瞬でその怯えを押し隠した。
しかしそんな夫人を気にも止めず、旦那様はすぐに彼女から視線を外した。
「少なくとも俺は、片一方の意見だけで事実を決めない。……マーガレット、お前の一件からそう学んだからな。」
騙されていたことを知ったからか、そう睨みつけるように言った旦那様に、マーガレット様は心底悔しそうに歯噛みした。
そして公爵夫人も旦那様の言葉から自身の発言を振り返ったのか、キョロキョロと忙しなく視線を動かし、狼狽えているようだった。
「それに俺とお前が不倫してるという噂、それからアルヴィラの噂に関しても流したのはお前だったそうじゃないか。………そんな女の言い分を誰が信じると言うんだ?」
旦那様がそう指摘するとマーガレット様は、まさか彼にそれを知られているとは思わなかったのか、あからさまにビクリと肩を竦ませ動揺していた。
そんなマーガレット様を旦那様はさらに冷たい眼差しで睨みつけていた。
そしてその発言を聞いていた周囲の貴族たちは、どよめき、混乱していた。
「何だ?どう言うことだ?」
「つまりあの噂は嘘だったってこと…?」
「ロミストリー伯爵令嬢が流したって、さっき……。」
「それに頬の件も矛盾してますし……、」
そんな周囲の言葉から、マーガレット様は真実が白日の元に晒されそうになっていることを理解したのか、挙動不審になっている。
そしてそんな周囲のざわめきを好都合だと思ったらしい旦那様は、未だ混乱と動揺が入り混じる大衆に向かって、こう宣言した。
「この際だ、今ここで断言しよう。俺とマーガレットは噂されているような関係ではない。ただの友人だった。そして今はすでに縁を切っている。」
しかしそうキッパリ言い切った旦那様に、周囲はさらに困惑していた。
短時間でこれだけの情報量、無理もないはず。
「それから妻に関しての、あの不名誉な噂も事実無根だ。」
そこまで言われて、せっかく流した噂なのに無くなるのは嫌なのか、はたまた、ただ言われっぱなしなのは癪だったのか、焦燥に駆られたマーガレット様は旦那様に強く反論した。
「どうしてそう言い切れるのよ?!5年間も子供がいないくせに…!」
彼女のこの発言に、少なからずこの舞踏会に参加する夫人達の一部の空気が変わった。
その人たちは多分、夫人として、母として、子供を育む者として、その大変さを身に染みて実感して来た方たちなんだろう。
少なくとも子もおらず、成人したばかりで何も分かっていないマーガレット様の言葉に、夫人達は思うことがあったようだった。
そしてそんな重要な場面で、私は旦那様に期待していた。
旦那様は何と弁明してくれるんだろうか。
私は先程から紳士的な立ち居振る舞いを見せる旦那様に感動し、そんな淡い期待で胸を膨らませていた。
しかしそんな私の想いを裏切るかのように、旦那様は次の瞬間、とんでもないことを仰った。
「"石女"も何も……彼女は処女だが?」
その瞬間、舞踏会場は静寂に包まれた。
そして私は彼が何を言ったのか理解できなくて、思わずその場で動けなくなってしまった。
(何………言って……………?)
私が絶句して思わず二の句が告げずにいると、それを好機と捉えたのか、お喋りや噂好きの貴族達はまるで最高の餌を見つけたとでも言うかのように、次々に好き勝手耳打ちし始めた。
「処女か…身体は清いようだなぁ…」
「愛人にしてやっても……」
「夫にそんな事を暴露されるだなんて…」
「何と可哀想な……」
男性達からは下卑た笑いと、気持ちの悪い目に晒され、女性達からは気の毒そうに一抹の憐みと軽蔑の目を向けられた。
そしてマーガレット様はもう先ほどの事は何も気にしていないかのように、ただただこの状況が愉快なのか、声高らかに笑っていた。
そんな衆目に晒された私は、嫌でもこの状況を理解させられる。
ーーーそして絶望して、死にたくなった。
そう、私が馬鹿だったんだ。
こんな旦那様を一度でも信頼して、期待した、私が馬鹿だった。
馬鹿で、哀れで、惨めで、滑稽だった。
旦那様は未だに何にもわかっていないし、変わっていない。
そうだ。マーガレット様が指示していたのは態度や行動だけで、言葉自体は元々、旦那様自身の発言。
つまり彼自身の心や本質は、結局のところ全く成長していなかったんだ。
(それなのに私は……私は、私は…………私が、私が、私が………………、)
そんな絶望感に苛まれる私を、周囲はさらに嘲笑い、蔑み、冷やかし、馬鹿にした。
(もう……………………無理…………………………。)
怒り、憎しみ、悲しみ、羞恥、悔しさ、絶望。
それらを背負わされた私は、その感情の全てが心の中で溢れ出した。
そしてその重圧に耐えきれなくなった私は今までの名誉も威厳も、全てをかなぐり捨てて、その勢いのままに会場の外へと飛び出した。
「アルヴィラ!」
旦那様が私を呼び止める声が聞こえたが、もう、迷うことも、振り返ることもしなかった。
そして私は馬車までの道のりを、高いヒールで足を怪我するのも構わず、ただただ一直線に走った。
本当は彼に期待すること自体、間違ってたってわかってる。
だけど、私にはあの時、あの場所で、彼だけが唯一の砦だった。
こんな人でも、私の夫だからって……、
「なのに、どうして……、あんなことをッ………うぅッ……、」
今思い出しても吐きそうになる。
弁明するためだとはいえ、まさかあんなことを口走るだなんて。
他人にばかり助けてと言う私もおかしいのかもしれない。
けれど、どうしようもないことだってある。
多数に無勢では太刀打ちできない。
そんな中でまるで何でもないことのように、私が処女であることを大衆に向けて発信した。
人としてあり得ない。
あまりにも信じられない出来事だった。
もう無理だ、
もう何もかも終わった、
貴族として、
1人の人間として、
1人の女として、
これは悪夢だ、
ただの…悪い夢だ、
そう思いたかった。
いや、そう思わないとやっていられなかったのかもしれない。
そして私は走った勢いのまま馬車に乗り込むと、急いで馬を走らせるように御者に言いつけた。
「うぅッ……ぅ………ッうわぁあぁあぁぁあん!!!!」
私はその後、邸宅に着くまでの間、道を走り続ける馬車の中で、ただ1人涙を流し続けた。
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