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Final Chapter
聖地リシャデルリシャから
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あの子は正真正銘に陛下の子ですわ、とアマディナが震える声で呟いたので、赤斧帝ケンドリックは薄らと目を開けて、同衾している女の顔を見つめたのだった。
「どうした?」
「陛下……モルド公家の跡取りだった少年に、あの子が何をしたのかご存じでしょう」
「それで彼奴が手打ちとしたならば、むしろモルドの一族に対しては温情ある処置だと思うが」
「いいえ、それについては私も何も申しません。ただ、ミマナ姫にあの子がどれ程執着しているかご存じで?」
「そちらか」とケンドリックは笑ってしまった。
「笑い事ではありませんわ!もしもこの婚約が破談にでもなったら、あの子は……」
「私の父は、母を奪われて狂った。私も君を奪われれば狂うだろう。それだけの話だ」
「陛下……」
アマディナは愛する男を思わず見つめた。
あれほど公明正大で慈悲深かったこの男は、病から回復した後から徐々に狂気に蝕まれつつある。
それに伴って、かつては過剰とも言えた彼女への寵愛も少しずつ失せているのに……。
それでも、それでも――彼女は彼を愛していた。
愛おしいと思えば思うほどに冷遇される事が哀しくて寂しくて、なのに愛しいと慕う心だけはどうしようもなくて。
皇后としては明らかに失格なのに、時々、こうして彼が正気に戻ったような顔をした時に酷く安堵してしまう己がいる。
彼の狂気も彼の愚かしさも彼の残酷さも――一国の皇后としては貫徹して憎まねばならない何もかもが、その瞬間に頑ななまでの思慕に変わってしまうのだ。
「ずっと父が憎かった。母亡き後からは、一度だって私を愛してくれない父が……」
そこでケンドリックがアマディナの胸に顔を埋めたので、彼女はたまらずに両腕で抱きしめたのだった。
「おい、ロウ」
最高級の娼館『パラダイス・ロスト』の一室。
バズムが何時ものように娼婦達を呼び集めてから、盛大に金貨をぶちまけて、豪快に大笑いした後。間もなく豪勢な食事が出されると言う時に――バズムは隣にいるロウにそうやって声をかけたのだった。
「今日はやけに元気が無いが、どうしたんじゃ」
美酒も飲まず、娼婦にその気を向ける事もなく、ひたすら落ち込んでいる。
『えっと……とっても深くて哀しくてセンシティブな事情があるの……』
「……クノハルがあの忌々しいクソ男の実家に遊びに行っているんだ……」
「アニグトラーンのひよこか」
「あんなのは盗人だ!」
「だったら今から手勢を率いてひよこの実家に殴り込むか?」
「そんな事をしたらクノハルに嫌われる!」
「貴様はクノハルちゃんの兄貴じゃあ無かったのか」
「正真正銘、俺の妹だぞ!」
『もう、ロウってば、また駄々をこねるワガママ虫になっちゃったわ……』
バズムは、ぐいとロウと肩を組んで、小声で言った。
「寂しいんじゃな、ずっと一緒だった妹が奪われて……」
ロウは項垂れて、
「いくら考えても俺のこの感情をどう処理したら良いか分からない。誰よりも幸せになって欲しいし、でも遠くに行ってしまうのも嫌なんだ」
「安全に、かつ嫌われぬようにずーっと側にいる方法をワシが教えてやらんでもないぞ?」
ロウの肩が僅かに震えた。
「……幾らだ、爺さん。知っているだろうが俺は文無しだぞ」
「まあ最後まで落ち着いて聞け。ワシは年老いた。もうかつてのようには戦えん。将軍の座はお返ししたし、そろそろ帝国十三神将も辞めねばなるまいよ」
「爺さん……」
「それで、じゃ。ワシは今、帝国十三神将の後釜を探しておる。ロウ、貴様がやらんか?」
「やらんさ」とロウは即答した。「帝国城におわす雲上の存在になってたまるか」
「フハーハハハハハハハッ!やはり言うのう、ロウ!」
心底から愉快そうに笑ってから、ギラリと目を獰猛に光らせ、バズムはまるで隠し持っていた短刀でロウの心臓に抉るように、固有魔法の『以心伝心』でこう告げた。
『じゃが、貴様も精霊獣を従えておるのじゃろう?』
『っ!?』
パーシーバーは息を呑み、思わずロウの背中にしがみついた。
『ドルマーの一件から疑ってはおったが、貴様の事が気に入ったから黙ってやっておった。しかしワシはケンのド阿呆や小さい陛下とは長い付き合いじゃったからな、すぐに勘付いたわい。
同じなんじゃよ、貴様も。絶対に裏切る事の無い半身がいつも近くにいるのじゃろう?幾ら孤独で一人の味方も居なかろうと、よしんば世界が敵に回ろうと、全ての人間に罵られ石礫を投げられようとも、魂を分かち合うその半身がいる限り何も怖れる事は無い。――見えんじゃろうが、貴様もそんな面構えじゃからな』
「……爺さん」ロウは小さな、低い声で呟いた。「俺の親父はアウルガ・ゼーザだ」
『じゃあ声に出してこう言うてみよ。貴様が精霊獣を従えていないのならば苦も無く言えるはずじゃ』
バズムはそこで喉から声を出して、ニヤリと冷酷に笑い、
「『お前なんか要らない。消えてしまえ。俺は俺一人で充分にやっていける』……とな」
『ロウ……っ!!!!!』
パーシーバーがガタガタと震える中、ロウは黙っていた。
局面は大詰めと見たバズムがとうとう――チェックメイトをかけようとした時だった。
それまで大喜びで金貨を懐に仕舞っていた娼婦の一人が、小窓から空を見た途端にきゃあきゃあと騒ぎだし、それがあっと言う間に全員に伝わって、手分けして大窓の掛け布を取って、バッと大窓ごと開け放ったのは。
「バズム様!ご覧下さいまし!帝都に聖地が降りて参りましたわ!」
「わあ、凄い!珍しい!」
「生きている内に空飛ぶ聖地リシャデルリシャを見る事が出来るなんて!」
「何て幸運なの!」
「帝都に降りてくるなんて、何百年ぶりじゃないかしら?」
「この世の何処よりも月に近い所なんでしょう?」
「ええ!神々に祈りが最も届きやすいから聖地って呼ばれているらしいわ」
「良いなあ……私も神々にもっと金貨が手に入るようにお祈りしたいわ……」
「もう!そんな事を祈ったら罰当たりよ!」
「「あはははははははは!」」
楽しげに騒いでいる娼婦達の向こう。
天空に浮かぶ聖地リシャデルリシャから、魔力で構築した架け橋が帝国城へと延びていく。
「……あら、まあ」と聞き慣れた声がしたのでバズムが振り返れば、扇で顔の半分を隠した大楼主マダム・リルリが、滅多無い事に、目を見張って窓から聖地を見上げていた。「何て、不吉な……」
「マダム?」
バズムが訊ねると、彼女は首を左右に振ってから、
「お食事の支度が調いました、バズム様」
と気怠そうな何時もの声で言ったのだった。
「ゲイブン、肉は嫌いなのか?」
何でもよく食べるゲイブンが肉料理の皿には手を付けようとしないので、キアラフォは不思議に思った。
バズムとロウが娼館『パラダイス・ロスト』で楽しく戯れている最中、キアラフォとゲイブンは階下にある下働きの人間のための食堂で、食事を取っていた。飯時に近いとあって料理人は威勢良く、忙しくしているが、彼らにも気前よくバズムから金貨が渡されているので、何時になく上機嫌で包丁を振るっていた。
「鶏なら幾らだって食べられるんですけど、馬や牛だと顔が浮かんじゃって駄目なんですぜ……」
なるほど、と納得して、
「だったらこの皿と交換しよう」
キアラフォは手元にあった鶏肉料理の皿と交換した。
笑顔でゲイブンは礼を言ってから、
「そういや、植物の精気じゃなくても平気なんですぜ?」
「……普通の食事も食べられない訳じゃないんだ。ボク達にとっての栄養補給としては劣りすぎているだけで」
「へえー!」ゲイブンはパチクリと瞬きしてから、「じゃあ今度、花束を持ってきますぜ!」
いや、とキアラフォは鬱陶しそうに首を振って、
「人間に好物があるように、ボク達の好きな植物もそれぞれ違う」
「キアラフォが好きなのって、何の植物なんですぜ?」
「百合が……真っ黒な百合だ。あの蕾の頃が一番味わい深くて……」
「へええー!おいらが揚げたての鶏肉の唐揚げが大好きなのと似ているんですぜ!」
思わず、キアラフォはゲイブンを睨み付けた。
「あまり調子に乗るな、ゲイブン」
「ご、ごめんですぜ!」
ゲイブンが謝った時、不意に外が騒がしくなった。
物好きな誰かが様子見に行ったかと思うと駆け込んできて、
「おい!大変だぞ、帝都に聖地が降りてきた!」
何だって、と我先に一目見ようと人が駆けだしていく。
ゲイブンも勿論続こうとしたのだが、
「……視認障壁や位置座標の特定妨害機能さえも解除したか。何を企んでいる?」
キアラフォが小声でそう呟いたように聞こえて、不思議そうにそちらを向いたのだった。
「キアラフォ?どうしたんですぜ?」
「ボクは……唐揚げはもたれるから、あまり好きじゃないんだ」
なーんだ、とゲイブンは無邪気に笑って、
「その時はおいらが他の料理と交換しますぜ!」
「どうした?」
「陛下……モルド公家の跡取りだった少年に、あの子が何をしたのかご存じでしょう」
「それで彼奴が手打ちとしたならば、むしろモルドの一族に対しては温情ある処置だと思うが」
「いいえ、それについては私も何も申しません。ただ、ミマナ姫にあの子がどれ程執着しているかご存じで?」
「そちらか」とケンドリックは笑ってしまった。
「笑い事ではありませんわ!もしもこの婚約が破談にでもなったら、あの子は……」
「私の父は、母を奪われて狂った。私も君を奪われれば狂うだろう。それだけの話だ」
「陛下……」
アマディナは愛する男を思わず見つめた。
あれほど公明正大で慈悲深かったこの男は、病から回復した後から徐々に狂気に蝕まれつつある。
それに伴って、かつては過剰とも言えた彼女への寵愛も少しずつ失せているのに……。
それでも、それでも――彼女は彼を愛していた。
愛おしいと思えば思うほどに冷遇される事が哀しくて寂しくて、なのに愛しいと慕う心だけはどうしようもなくて。
皇后としては明らかに失格なのに、時々、こうして彼が正気に戻ったような顔をした時に酷く安堵してしまう己がいる。
彼の狂気も彼の愚かしさも彼の残酷さも――一国の皇后としては貫徹して憎まねばならない何もかもが、その瞬間に頑ななまでの思慕に変わってしまうのだ。
「ずっと父が憎かった。母亡き後からは、一度だって私を愛してくれない父が……」
そこでケンドリックがアマディナの胸に顔を埋めたので、彼女はたまらずに両腕で抱きしめたのだった。
「おい、ロウ」
最高級の娼館『パラダイス・ロスト』の一室。
バズムが何時ものように娼婦達を呼び集めてから、盛大に金貨をぶちまけて、豪快に大笑いした後。間もなく豪勢な食事が出されると言う時に――バズムは隣にいるロウにそうやって声をかけたのだった。
「今日はやけに元気が無いが、どうしたんじゃ」
美酒も飲まず、娼婦にその気を向ける事もなく、ひたすら落ち込んでいる。
『えっと……とっても深くて哀しくてセンシティブな事情があるの……』
「……クノハルがあの忌々しいクソ男の実家に遊びに行っているんだ……」
「アニグトラーンのひよこか」
「あんなのは盗人だ!」
「だったら今から手勢を率いてひよこの実家に殴り込むか?」
「そんな事をしたらクノハルに嫌われる!」
「貴様はクノハルちゃんの兄貴じゃあ無かったのか」
「正真正銘、俺の妹だぞ!」
『もう、ロウってば、また駄々をこねるワガママ虫になっちゃったわ……』
バズムは、ぐいとロウと肩を組んで、小声で言った。
「寂しいんじゃな、ずっと一緒だった妹が奪われて……」
ロウは項垂れて、
「いくら考えても俺のこの感情をどう処理したら良いか分からない。誰よりも幸せになって欲しいし、でも遠くに行ってしまうのも嫌なんだ」
「安全に、かつ嫌われぬようにずーっと側にいる方法をワシが教えてやらんでもないぞ?」
ロウの肩が僅かに震えた。
「……幾らだ、爺さん。知っているだろうが俺は文無しだぞ」
「まあ最後まで落ち着いて聞け。ワシは年老いた。もうかつてのようには戦えん。将軍の座はお返ししたし、そろそろ帝国十三神将も辞めねばなるまいよ」
「爺さん……」
「それで、じゃ。ワシは今、帝国十三神将の後釜を探しておる。ロウ、貴様がやらんか?」
「やらんさ」とロウは即答した。「帝国城におわす雲上の存在になってたまるか」
「フハーハハハハハハハッ!やはり言うのう、ロウ!」
心底から愉快そうに笑ってから、ギラリと目を獰猛に光らせ、バズムはまるで隠し持っていた短刀でロウの心臓に抉るように、固有魔法の『以心伝心』でこう告げた。
『じゃが、貴様も精霊獣を従えておるのじゃろう?』
『っ!?』
パーシーバーは息を呑み、思わずロウの背中にしがみついた。
『ドルマーの一件から疑ってはおったが、貴様の事が気に入ったから黙ってやっておった。しかしワシはケンのド阿呆や小さい陛下とは長い付き合いじゃったからな、すぐに勘付いたわい。
同じなんじゃよ、貴様も。絶対に裏切る事の無い半身がいつも近くにいるのじゃろう?幾ら孤独で一人の味方も居なかろうと、よしんば世界が敵に回ろうと、全ての人間に罵られ石礫を投げられようとも、魂を分かち合うその半身がいる限り何も怖れる事は無い。――見えんじゃろうが、貴様もそんな面構えじゃからな』
「……爺さん」ロウは小さな、低い声で呟いた。「俺の親父はアウルガ・ゼーザだ」
『じゃあ声に出してこう言うてみよ。貴様が精霊獣を従えていないのならば苦も無く言えるはずじゃ』
バズムはそこで喉から声を出して、ニヤリと冷酷に笑い、
「『お前なんか要らない。消えてしまえ。俺は俺一人で充分にやっていける』……とな」
『ロウ……っ!!!!!』
パーシーバーがガタガタと震える中、ロウは黙っていた。
局面は大詰めと見たバズムがとうとう――チェックメイトをかけようとした時だった。
それまで大喜びで金貨を懐に仕舞っていた娼婦の一人が、小窓から空を見た途端にきゃあきゃあと騒ぎだし、それがあっと言う間に全員に伝わって、手分けして大窓の掛け布を取って、バッと大窓ごと開け放ったのは。
「バズム様!ご覧下さいまし!帝都に聖地が降りて参りましたわ!」
「わあ、凄い!珍しい!」
「生きている内に空飛ぶ聖地リシャデルリシャを見る事が出来るなんて!」
「何て幸運なの!」
「帝都に降りてくるなんて、何百年ぶりじゃないかしら?」
「この世の何処よりも月に近い所なんでしょう?」
「ええ!神々に祈りが最も届きやすいから聖地って呼ばれているらしいわ」
「良いなあ……私も神々にもっと金貨が手に入るようにお祈りしたいわ……」
「もう!そんな事を祈ったら罰当たりよ!」
「「あはははははははは!」」
楽しげに騒いでいる娼婦達の向こう。
天空に浮かぶ聖地リシャデルリシャから、魔力で構築した架け橋が帝国城へと延びていく。
「……あら、まあ」と聞き慣れた声がしたのでバズムが振り返れば、扇で顔の半分を隠した大楼主マダム・リルリが、滅多無い事に、目を見張って窓から聖地を見上げていた。「何て、不吉な……」
「マダム?」
バズムが訊ねると、彼女は首を左右に振ってから、
「お食事の支度が調いました、バズム様」
と気怠そうな何時もの声で言ったのだった。
「ゲイブン、肉は嫌いなのか?」
何でもよく食べるゲイブンが肉料理の皿には手を付けようとしないので、キアラフォは不思議に思った。
バズムとロウが娼館『パラダイス・ロスト』で楽しく戯れている最中、キアラフォとゲイブンは階下にある下働きの人間のための食堂で、食事を取っていた。飯時に近いとあって料理人は威勢良く、忙しくしているが、彼らにも気前よくバズムから金貨が渡されているので、何時になく上機嫌で包丁を振るっていた。
「鶏なら幾らだって食べられるんですけど、馬や牛だと顔が浮かんじゃって駄目なんですぜ……」
なるほど、と納得して、
「だったらこの皿と交換しよう」
キアラフォは手元にあった鶏肉料理の皿と交換した。
笑顔でゲイブンは礼を言ってから、
「そういや、植物の精気じゃなくても平気なんですぜ?」
「……普通の食事も食べられない訳じゃないんだ。ボク達にとっての栄養補給としては劣りすぎているだけで」
「へえー!」ゲイブンはパチクリと瞬きしてから、「じゃあ今度、花束を持ってきますぜ!」
いや、とキアラフォは鬱陶しそうに首を振って、
「人間に好物があるように、ボク達の好きな植物もそれぞれ違う」
「キアラフォが好きなのって、何の植物なんですぜ?」
「百合が……真っ黒な百合だ。あの蕾の頃が一番味わい深くて……」
「へええー!おいらが揚げたての鶏肉の唐揚げが大好きなのと似ているんですぜ!」
思わず、キアラフォはゲイブンを睨み付けた。
「あまり調子に乗るな、ゲイブン」
「ご、ごめんですぜ!」
ゲイブンが謝った時、不意に外が騒がしくなった。
物好きな誰かが様子見に行ったかと思うと駆け込んできて、
「おい!大変だぞ、帝都に聖地が降りてきた!」
何だって、と我先に一目見ようと人が駆けだしていく。
ゲイブンも勿論続こうとしたのだが、
「……視認障壁や位置座標の特定妨害機能さえも解除したか。何を企んでいる?」
キアラフォが小声でそう呟いたように聞こえて、不思議そうにそちらを向いたのだった。
「キアラフォ?どうしたんですぜ?」
「ボクは……唐揚げはもたれるから、あまり好きじゃないんだ」
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