【完結】ガン=カタ皇子、夜に踊る

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Final Chapter

最悪の兄妹仲の果て

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 ……かつて、ミマナ・トゥーラィス・モルドには兄モトゥスがいた。年の離れた同母兄であったが、二人の仲は恐ろしく悪かった。モトゥスは己の出自に対して自信があり過ぎたのに、幼い妹に勝てる所は何も無かったからである。頭の出来も召使いからの支持も親からの期待も、何もかも彼の方が劣っていた。

 ミマナが幼少の頃覚えている最も忌まわしい記憶は、恐怖で泣きじゃくる己を襲う兄を、乳母や召使い達が必死になって止めようとしたのに、『馘首にされたいのか!』の一言で手が出せなくなって、結局父母が駆けつけるまで庭にあった石で殴られた事である。
後頭部には今でもその時の傷痕が残っているし、男が本気で襲ってきたら女なんて一方的に殴られるしかない現実を充分に彼女は思い知った。


 ……その直前に、彼女は皇太子となったヴァンドリックと初めての見合いをしていた。
未来の皇后にして皇太子妃ともなれば、この幼さでも婚約が定まるのは珍しい事では無かった。ましてやネロキーア公家の専横を予防するため、赤斧帝の治世を安定させるために、二人の婚約はほぼ内定していたのである。

 「わあ!」
初めてヴァンドリックと出会った時の事をミマナは今でも鮮明に覚えている。
「何て可愛いの!」
目を輝かせた幼い少年がミマナの元へやって来て、
「私がヴァンドリックだよ。君がミマナ姫?」
そうやって差し出された小さな手に、彼女はいつの間にか己の手を重ねていた。


 二人は花の盛りの百花広場を一緒に歩いて回った。赤斧帝と皇后アマディナの微笑んで見守る前で。
「ミマナはとっても頭が良いんだってね?」
「それは……」
兄から『女の癖に賢しいぞ!』と散々に虐められて育った彼女は、一瞬震えた。
「何て素敵なんだろう!私の未来の伴侶がこんなに可愛い上に、賢い人だなんて」
――実兄の暴力と支配の所為で、ずっと冷たい暗闇に追いやられていた彼女の心の上に、あまりにも眩しく暖かな光が差し染めた様だった。
「賢しい女は、お嫌ではないのですか」
「私と共に歩み、いずれこの国を治めていく時に支えてくれる相手が愚かな方が嫌だなぁ」
ヴァンドリックはミマナの手を優しく握り直して、じっと見つめた。
その手の温もりに、視線に、彼女は我知らず身震いする。

 こんなにも暖かで優しい存在が此の世に存在したのか。
 この瞳に見つめられる程、この世界に幸福な事があったのか。

 「ええと……君の好きなものは何?」
「……皇太子殿下です。今、今、どうしようも無くお慕いしてしまいました」
「あははは」と少し恥ずかしそうにヴァンドリックは笑ったが、ややあってからミマナを抱きしめた。「嬉しい。本当に嬉しい。私の一方通行ではないんだよね?媚びへつらいではないんだね?君の真心から言ってくれたんだよね。
――ねえ、またこうやって会って話せないかな?」
「どうか!」



 それから彼女はますます学芸に身を入れた。皇太子に嫁ぐ大貴族モルド公家の姫君としての相応しい教養と教育を身につけるために、傍目から見ても恐ろしい位に研鑽を重ねるようになった。それなのに彼女はとても生き生きとしていて、毎日が心底から楽しそうであった。

 「妹の分際で!女の癖に!もう消えてしまえ!」

 それが気に入らなかったモトゥスに石で殴られて、意識不明になるまでの酷い怪我を負った彼女の元に、皇太子自らが見舞いに訪れた。
世継の皇太子が幼い内に帝国城の外に出るなど異例の事であったが、ヴァンドリックはこの時だけは我が儘を押し通した。しかも母親である皇后アマディナまで連れてきたのだから、モルド公家は上から下への大騒ぎになったのだった。

 「ミマナ、私のミマナ……」
答えたくても今の彼女には意識さえも無く、幾ら彼が声をかけても、ただそこに横たわっているだけであった。
運良く意識が戻って怪我が治ったとしても、これは一生寝たきりであろうと医者も暗い顔をしていた。
それを聞いたヴァンドリックは、すっと顔から表情を消した。
「モルド公子モトゥスを私の前に連れてくるように」


 一方、モトゥスは高をくくっていた。
幾ら妹が皇太子妃に内定したと言っても、所詮は3人以上いる妃の一人でしかない。気に入らない優秀な妹を消した所で、モルド公家の跡取りとなる者は彼で確定しているのだ。どうなっても軽い処分しか下されないだろう、と。

 彼が謹慎させられていた部屋から連れ出され、迎賓の間に連れてこられた時だった。
最初に気付いた違和感は、彼の両親が暗い顔をしている事だった。――特に母親なんて目を真っ赤に泣きはらしている。
……まさか。
彼がギョッとした時、親衛隊の兵士によって彼はその場に組み伏せられたのだった。
「皇太子殿下、こ、これは……!?」
「モルド公と夫人は納得し承知した」辺りの空気ごとぞっと背筋が凍るような、冷酷無慈悲な為政者の声。こんなにも幼い少年が出せるものなのか!?モトゥスは混乱し恐怖した。「もう一人、跡取りを産む事をだ」
「っ!?」
「では母上、頼みます」
ええ、と哀しそうな顔でアマディナは頷くと、固有魔法の『交換』を使った。
「がああっ!?」
モトゥスは頭に激痛を感じて、意識が瞬く間に遠のいていった。
遠のく意識の向こうで皇太子が徹底的に無関心な顔をして彼を見下ろしている――その光景だけが最期に目に焼き付いた。


 「何て事。主立った傷は『交換』出来たけれども、全ての傷の跡までは……魔力が足りなかったわ」
物憂げなアマディナの声を追いかけるように、小さな呻き声がした。
「……うう、っ……」
「ミマナ!」
ヴァンドリックは駆け寄って寝台の中のミマナの手を握った。
「良かった、目が覚めたんだね」
「ヴァン、様……?」
「そうだよ、私だよ。たった一人、痛かったね、怖かったね……」
うわあああん、とその瞬間にミマナは子供らしく泣きじゃくった。
痛みと恐怖と安堵が同時に押し寄せて、何も言葉にならなかった。嗚咽と涙がこぼれるだけだった。
彼女が落ち着くまでずっと、ヴァンドリックは手を握っていた。


 彼女は女である。暴力ではどうやっても男に負ける、とてもか弱い存在だった。
しかし策謀においては、彼女は正真正銘の魔女であった。
蜘蛛が糸を張り巡らすより静かに、蛇が獲物を絞め殺すがごとく無慈悲に、蠍が毒を打ち込むよりも残忍に、自由自在に策謀を巡らせる事が出来て、しかもそれに何の良心の呵責を感じない。
もしかすれば人として、彼女は石で殴られた時に――あるべきだった良心や恐怖までもが壊されたのかも知れない。

 それで良いのだし、それが何だと言うの?
彼女は今日も淑やかに、優美に微笑んでいる。

 だって、彼女の愛する男から――今日も彼女に向けられる眼差しが、こんなにも眩くて温かいのだから。
 誰よりも信じられて、頼られて、片時も欠かせない存在として常に求められているのだから。
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