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クワイエット・テラー

合流/発火 Ⅵ

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 しかし、遅かった。イサゴージュは遅すぎた。

 そこにいた誰もが何が起きたかはっきり理解できたものはいなかった。気づいた時には、イサゴージュの上半身はきれいさっぱりなくなっていて、その断面からはあの橙色の体液がぐつぐつと煮えたぎるように湧いていた。かろうじて推測できたことは、マイカの紫の炎がイサゴージュの上半身を一瞬で焼き尽くしたということだけだった。

 事が済んだというのに、マイカは自分が何をしたかを全く知らないまま、ルミナの胸の中に甘えていた。紫の炎は次第に小さくなっていき、やがて消えた。周りにいた者全員が、マイカと上半身がすっかりなくなったイサゴージュを交互に見て、口をあんぐりと開けていた。

 ルミナも、他の者と同じく、紫色の閃光で視界が遮られて何が起きたかはその目で確かめることはできなかった。しかし、マイカがイセリックの力を発揮して根絶者を倒してくれたという事実だけで十分だった。

「ありがとう。マイカさん」

 ルミナはマイカを強く抱きしめた。

「え?」マイカはルミナの声で我に返る。

 サラサラのブロンドヘアーの毛先が、マイカの頬を優しくなでた。

「あなたが私たちを守ってくれたのよ」

 そう言って、ルミナはゆっくりとマイカを離し、両肩にひどい火傷の手をポンと置く。マイカはその手を見て、シュンとした。

「ごめんなさい……。ルミナさんの綺麗な手が……」

 ルミナは何も言わずに首を横に振った。マイカはハッとして、後ろを振り返る。

「きゃあ!」

 マイカはイサゴージュの変わり果てた姿を見て、度肝を抜いた。

「なんで!?……なんでこんなになっちゃったの!?」

「君がやったんだよ」ヒクマが駆け寄り、ニンマリと笑って見せて、マイカに言った。

「私が?」マイカは血の気が引く思いがした。「どういうこと?」

「パメラ・ブライズなんて比べ物にもならないぜ!まったく!イセリックの力ってのはとんでもないな!」

 ヒクマはがっはっはと高笑いした。

「本当に私が?……倒した?」マイカはイサゴージュの亡骸を見つめて呆然としていた。何も考えられない。嬉しさや安堵の感情も湧いてこなかった。

 この巨大な怪物は、今でこそ無残な姿をさらしているが、マイカを途方もない苦しみでもって死の際まで追い詰めたはずであるのだが。

「そうです。あなたが倒したんです。私はルミナさんの力でもあると思いますけど!」

 ミソノがほくそ笑みながら歩み寄ってきた。

「ルミナさん!」

 マイカはすぐにまた振り返ってルミナの顔を見ると、また泣き出しそうになった。マイカは緊張して、何を言ったらよいか分からなかった。

「私、ずっとあなたに憧れていました。……ずっと大好きでした」

 マイカは勢いにまかせてそう言った。

 だが、ルミナは、突然の告白に目を丸くしている。ヒクマとミソノも顔を見合わせて、肩をすくめた。

「私たち、どこかで会ったことがあったかしら?」

 マイカはルミナが困惑しているのを見て、まずいと思いすぐに取り繕おうとした。

「いえ、あの……、こちらの話で!」

 マイカはあたふたした。本当の意味では、これが初対面なのだ。印象を悪くしてしまっていないか心配になった。

「ごめんなさい!私、一人で舞い上がっちゃって……!」

「いいのよ」ルミナはクスッと笑って言った。「あなたは私たちの命の恩人なんだから。私もあなたが大好き。私にとって、ヒーローよ」

「私がルミナさんのヒーロー……」

 マイカは顔を真っ赤にして、もじもじとした。人生で味わったことのない高揚感だ。その時、その湧きあがった感情に呼応するように、マイカは足元がふわっと浮くような感覚を覚えた。こちらは、何度も味わったことがあるあの感覚だ。

「そうだ……!時間!」

 マイカはすっかり時間のことを忘れていた。もう1時間などとっくに経ってしまっているはずだ。帰らなくてはいけないが、こんなにいい場面で帰ることになるなんて、とマイカは今更になってとても名残惜しく感じた。最初は、帰りたくても帰れなかったのに!

「ルミナさん!私、もう行かなくちゃ!」

 マイカは背中から紫色の光を放ちながら、空中に浮遊していく。

「マイカさん!」ルミナがマイカを見上げて叫んだ。「私たちにはあなたが必要なの!また、来てくれる!?」

 マイカは精一杯の笑顔で答える。

「はい!必ず!」

 その言葉を言い終えると、マイカはたちまち自ら放った紫色の光に包まれ、瞬く間に消えていった。

 雫が一滴、ルミナの頬に落ちた。
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