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第二章 婚姻届編
(2)荒巻の回想
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「ただいま~」
玄関を開けると、真新しい木の匂いだけがした。
ランドセルを脱ぎ捨てて、ぴかぴか光る飴色の床を滑るようにリビングに飛び込んだ。
だが、母ちゃんはいない。
大きな声で呼ぼうかと思ったが、父ちゃんがまだ寝ているだろうと気がついた。父ちゃんは、夕飯の時まで起こしちゃいけないのだ。
「母ちゃん?」
おつかいに行っているのかな。
とりあえず手を洗おうと、俺は洗面所に――。
だめだ、だめだ――。
わかっている。これは夢だ。
何度も何度も繰り返し見た夢。
目に焼きついて離れないのに、俺の脳は、その光景を再生するのにいつも手間取る。
『あああ――! あああ――!』
声にならない叫びが、夢の中だというのに、喉の奥から出てくる。
だめだ、そっちに行ったらだめだ。見てしまう。
洗面所の扉は、開きっぱなしだ。
洗面台の隣、洗濯機にもたれかかるように、母ちゃんが寝ていた。
窓からの白い陽射し。洗濯機にもたれかかる見慣れた姿。
「母ちゃん?」
横からそっと声をかけたが、反応はない。
だめだ、だめだ――。
「母ちゃん……?」
エプロンをした背中にそっと触れた感触。
どさっ――。
湿った俺の肌着が、ひゅっと顔を凪いでいった。
母ちゃんは、洗濯機の中に手を突っ込んだまま、死んでいた。
「堪忍(かに)な……、堪忍(かに)な……」
家にいながら、嫁が洗濯機に手を突っ込んだまま急性心不全で死亡しているのに気がつかなかったことについて、父親は葬式で泣きじゃくっていた。
だが、いくら泣いても、俺の中でその事実は消えなかった。
母ちゃんが亡くなったら、あっという間にじいちゃんは介護施設へと送り込まれた。子どもの頃は、「母ちゃんがいなくなったのだから当たり前だ」と思っていたが、長じるにつれて、当たり前だと思っていた自分を憎むようになった。
家事と育児と介護で疲れていたのに、誰もそれに気がつかず、母ちゃんひとりがやっていたことを、自分自身は引き受けなかったのだ。
俺は絶対にそんなことをしない。
死んでから泣いても何も戻ってこない。
俺は好きになった人に、自分はしたくないような苦労をさせない。
俺の見ていないところで死なせるような真似はしない。
一番マグロで建てた家は、あっという間に散らかって、床の色はくすんでいった。
玄関を開けると、真新しい木の匂いだけがした。
ランドセルを脱ぎ捨てて、ぴかぴか光る飴色の床を滑るようにリビングに飛び込んだ。
だが、母ちゃんはいない。
大きな声で呼ぼうかと思ったが、父ちゃんがまだ寝ているだろうと気がついた。父ちゃんは、夕飯の時まで起こしちゃいけないのだ。
「母ちゃん?」
おつかいに行っているのかな。
とりあえず手を洗おうと、俺は洗面所に――。
だめだ、だめだ――。
わかっている。これは夢だ。
何度も何度も繰り返し見た夢。
目に焼きついて離れないのに、俺の脳は、その光景を再生するのにいつも手間取る。
『あああ――! あああ――!』
声にならない叫びが、夢の中だというのに、喉の奥から出てくる。
だめだ、そっちに行ったらだめだ。見てしまう。
洗面所の扉は、開きっぱなしだ。
洗面台の隣、洗濯機にもたれかかるように、母ちゃんが寝ていた。
窓からの白い陽射し。洗濯機にもたれかかる見慣れた姿。
「母ちゃん?」
横からそっと声をかけたが、反応はない。
だめだ、だめだ――。
「母ちゃん……?」
エプロンをした背中にそっと触れた感触。
どさっ――。
湿った俺の肌着が、ひゅっと顔を凪いでいった。
母ちゃんは、洗濯機の中に手を突っ込んだまま、死んでいた。
「堪忍(かに)な……、堪忍(かに)な……」
家にいながら、嫁が洗濯機に手を突っ込んだまま急性心不全で死亡しているのに気がつかなかったことについて、父親は葬式で泣きじゃくっていた。
だが、いくら泣いても、俺の中でその事実は消えなかった。
母ちゃんが亡くなったら、あっという間にじいちゃんは介護施設へと送り込まれた。子どもの頃は、「母ちゃんがいなくなったのだから当たり前だ」と思っていたが、長じるにつれて、当たり前だと思っていた自分を憎むようになった。
家事と育児と介護で疲れていたのに、誰もそれに気がつかず、母ちゃんひとりがやっていたことを、自分自身は引き受けなかったのだ。
俺は絶対にそんなことをしない。
死んでから泣いても何も戻ってこない。
俺は好きになった人に、自分はしたくないような苦労をさせない。
俺の見ていないところで死なせるような真似はしない。
一番マグロで建てた家は、あっという間に散らかって、床の色はくすんでいった。
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