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第三章
監視者の塔(かんししゃのとう)
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第3話:監視者の塔(かんししゃのとう)
時間は再び“現在”に戻る。
東雲市の郊外、葦が揺れる荒野の中に、一本の孤高な塔が夜空を貫いて立っていた。
公には「第七気象観測塔」とされていたが、Zenoの情報網ではこう呼ばれていた——
「ソニック・サテライト・ステーション(Sonic Satellite Station)」
Sombraシステムにおける、現実世界で最も重要な神経ノードの一つ。
この塔は、まるで巨大な耳のように、都市の心音を静かに聴いていた。
市民の会話、足音、無意識の溜息——それらは全て音響データとして変換され、Sombraのクラウドに流れ込む。予測モデルの最深部を構成する、最も生々しく、最も秘匿された“素材”。
Echoの拠点は、冴月区の老朽化した地下配管メンテナンスステーションの廃棄エリア。
湿った空気の中、ホログラムがソニック衛星塔の3D構造を映し出し、その光がメンバーの顔を照らしていた。
主要メンバー:
● 葵(あおい) / Mira(ミライ):神谷零のパーソナルAI。脳機インターフェースを通じて神谷と常時同期。「葵」は擬人化された対話名で、冷静かつ精緻な判断を提供するだけでなく、彼に特有の“感情的共鳴”も見せ始めている。
● Zeno(ゼノ):コードネーム「タロット14」。膨大なデータから未来予測を行う統計解析の専門家。元SNSアルゴリズム顧問、現在は地下ネットの分析屋。寡黙だが一言で核心を突く。
● Anya(アニヤ):「蜂后(ビー・クイーン)」。音声模倣とソーシャルエンジニアリングの達人。どんな声でも1分以内に完璧に再現可能。性格は明るく、チームのムードメーカー。
● 一色大悟(いっしき だいご):自称「オープンソース狂」。量子復号の鬼才。愛用ノートPCは10キロ、米軍級のシミュレーション環境を常備。正義感が強く、神谷と技術論でよく衝突する。
● 綾瀬真希(あやせ まき):ハードウェア特化エンジニア。主に物理的セキュリティの解析と対策を担当。
「目標は中枢のバックアップサーバだ。」
Zenoがレーザーポインターで図の中心部を指しながら言った。
「そこに“ロジック・ノイズ”モジュールを仕込む。破壊はしない。だが、Sombraの流れに分類不能な“雑音”を発生させ、後の作戦を覆い隠す。」
一色大悟は黙って10キロのノートPCを抱え、眉をしかめた。
「物理セキュリティは軍用レベル。声紋、熱反応、動的キーの三段階ゲートだ。ペンタゴンに侵入する方がまだマシだぜ」
Anyaが笑って、小さな首掛けデバイスを取り出す。
「物理系は任せて。“蜂后”はもうこの施設の全上級エンジニアの声紋を取得済み。三秒で誰にでもなれるわ」
神谷零は無言のまま、構造図を凝視していた。
脳内インターフェースが全てのデータを並列処理し、可能な侵入経路を高速演算していた。
「行動開始、3時10分」
Zenoが静かに言う。
「データ流量のピーク時間。監視員が最も油断している瞬間。我々の猶予は、15分だ。」
3時08分。
4人の影が地下の通気管へと音もなく滑り込んだ。
狭く冷たい金属管の中、ヘッドライトのわずかな光だけが彼らの道を照らす。
「第一ゲート、声紋認証。準備はいい?」Anyaの声が骨伝導イヤホンに響く。
彼女は端末の前に立ち、咳払いを一つ。
次の瞬間、声は年老いた男性のものに変わっていた。
「認証コード:Delta-7-3-4。臨時保守アクセスを申請します」
「許可されました。ようこそ、佐藤様」電子音が応じ、ゲートが静かに開いた。
一色がAnyaに親指を立てる。
次なる廊下には、蜘蛛の巣のような赤外線センサーが網の目のように張り巡らされていた。
「Zeno、今だ」神谷が低く呼びかける。
「ダミーデータ注入開始」
Zenoは遠隔から市政ネットワークの異常を偽装し、監視員の注意を逸らした。
「熱感知器リダイレクト済。虚偽熱源へ誘導中。猶予は90秒」
第二ゲートに到達。量子乱数ベースの動的キー認証——1分毎に変化する認証コード。
一色がPCをポートに接続し、無数のコードが画面を埋める。
「完全ランダムじゃない……。安定性のために規則性が残ってる。逆算して……よしっ!」
ロック解除成功。
彼らはついに核心部「主制御センター」へと到達した。
ドーム状のホール全体が波形とデータで埋め尽くされ、中央には巨大な球体装置が浮遊し、光ファイバーが神経のように張り巡らされていた。
神谷がバックアップサーバに接近しようとしたその時——
視界の端にある小さなスクリーンが目に入った。
表示されていたのは“音声データ”ではなかった。
「視覚補完中:B13区域、視覚異常補正中」
映像の中、公園のベンチに座っていた少女が、補正後には立ち上がり、伸びをして、立ち去っていた。
二つの映像、同じ時間、異なる“現実”。
神谷の指が制御台に触れ、ログを呼び出す。
「……何してる、零!? 時間ないぞ!」
「待て……!」
日誌には、こんな記録があった:
[2038-10-26 03:14:21] 使用者 #74331:赤色感知精度 -3% 調整
[2038-10-26 03:14:28] 人混み注意力 +7% 增幅
神谷は呟いた。
「これは……監視じゃない。現実の上書きだ」
一色が呻く。「人間の“見る”という行為すら、コントロールされてるってのか……」
それは「プライバシー」ではない。「現実定義権」の争奪戦だった。
神谷は無言でUSBサイズのモジュールをサーバに接続。
「ロジックノイズ、展開開始……完了。撤退!」
全員が元の通路を辿って地上へ。
朝の冷気の中に出た瞬間、すべてが虚構に感じられた。
帰路の車内、一色がぽつりとつぶやく。
「……俺たちが世界を見てたんじゃない。世界が、俺たちに“見せてた”んだ」
神谷は拳を握りしめた。
——白石理子のあの言葉が、胸を刺す。
「システムが、すべての“間違い”を排除した時……
本当に消えるのは、過ちじゃなく“人間らしさ”そのものなのかもしれない」
答えは、いまや明確だった。
(第3話・完)
時間は再び“現在”に戻る。
東雲市の郊外、葦が揺れる荒野の中に、一本の孤高な塔が夜空を貫いて立っていた。
公には「第七気象観測塔」とされていたが、Zenoの情報網ではこう呼ばれていた——
「ソニック・サテライト・ステーション(Sonic Satellite Station)」
Sombraシステムにおける、現実世界で最も重要な神経ノードの一つ。
この塔は、まるで巨大な耳のように、都市の心音を静かに聴いていた。
市民の会話、足音、無意識の溜息——それらは全て音響データとして変換され、Sombraのクラウドに流れ込む。予測モデルの最深部を構成する、最も生々しく、最も秘匿された“素材”。
Echoの拠点は、冴月区の老朽化した地下配管メンテナンスステーションの廃棄エリア。
湿った空気の中、ホログラムがソニック衛星塔の3D構造を映し出し、その光がメンバーの顔を照らしていた。
主要メンバー:
● 葵(あおい) / Mira(ミライ):神谷零のパーソナルAI。脳機インターフェースを通じて神谷と常時同期。「葵」は擬人化された対話名で、冷静かつ精緻な判断を提供するだけでなく、彼に特有の“感情的共鳴”も見せ始めている。
● Zeno(ゼノ):コードネーム「タロット14」。膨大なデータから未来予測を行う統計解析の専門家。元SNSアルゴリズム顧問、現在は地下ネットの分析屋。寡黙だが一言で核心を突く。
● Anya(アニヤ):「蜂后(ビー・クイーン)」。音声模倣とソーシャルエンジニアリングの達人。どんな声でも1分以内に完璧に再現可能。性格は明るく、チームのムードメーカー。
● 一色大悟(いっしき だいご):自称「オープンソース狂」。量子復号の鬼才。愛用ノートPCは10キロ、米軍級のシミュレーション環境を常備。正義感が強く、神谷と技術論でよく衝突する。
● 綾瀬真希(あやせ まき):ハードウェア特化エンジニア。主に物理的セキュリティの解析と対策を担当。
「目標は中枢のバックアップサーバだ。」
Zenoがレーザーポインターで図の中心部を指しながら言った。
「そこに“ロジック・ノイズ”モジュールを仕込む。破壊はしない。だが、Sombraの流れに分類不能な“雑音”を発生させ、後の作戦を覆い隠す。」
一色大悟は黙って10キロのノートPCを抱え、眉をしかめた。
「物理セキュリティは軍用レベル。声紋、熱反応、動的キーの三段階ゲートだ。ペンタゴンに侵入する方がまだマシだぜ」
Anyaが笑って、小さな首掛けデバイスを取り出す。
「物理系は任せて。“蜂后”はもうこの施設の全上級エンジニアの声紋を取得済み。三秒で誰にでもなれるわ」
神谷零は無言のまま、構造図を凝視していた。
脳内インターフェースが全てのデータを並列処理し、可能な侵入経路を高速演算していた。
「行動開始、3時10分」
Zenoが静かに言う。
「データ流量のピーク時間。監視員が最も油断している瞬間。我々の猶予は、15分だ。」
3時08分。
4人の影が地下の通気管へと音もなく滑り込んだ。
狭く冷たい金属管の中、ヘッドライトのわずかな光だけが彼らの道を照らす。
「第一ゲート、声紋認証。準備はいい?」Anyaの声が骨伝導イヤホンに響く。
彼女は端末の前に立ち、咳払いを一つ。
次の瞬間、声は年老いた男性のものに変わっていた。
「認証コード:Delta-7-3-4。臨時保守アクセスを申請します」
「許可されました。ようこそ、佐藤様」電子音が応じ、ゲートが静かに開いた。
一色がAnyaに親指を立てる。
次なる廊下には、蜘蛛の巣のような赤外線センサーが網の目のように張り巡らされていた。
「Zeno、今だ」神谷が低く呼びかける。
「ダミーデータ注入開始」
Zenoは遠隔から市政ネットワークの異常を偽装し、監視員の注意を逸らした。
「熱感知器リダイレクト済。虚偽熱源へ誘導中。猶予は90秒」
第二ゲートに到達。量子乱数ベースの動的キー認証——1分毎に変化する認証コード。
一色がPCをポートに接続し、無数のコードが画面を埋める。
「完全ランダムじゃない……。安定性のために規則性が残ってる。逆算して……よしっ!」
ロック解除成功。
彼らはついに核心部「主制御センター」へと到達した。
ドーム状のホール全体が波形とデータで埋め尽くされ、中央には巨大な球体装置が浮遊し、光ファイバーが神経のように張り巡らされていた。
神谷がバックアップサーバに接近しようとしたその時——
視界の端にある小さなスクリーンが目に入った。
表示されていたのは“音声データ”ではなかった。
「視覚補完中:B13区域、視覚異常補正中」
映像の中、公園のベンチに座っていた少女が、補正後には立ち上がり、伸びをして、立ち去っていた。
二つの映像、同じ時間、異なる“現実”。
神谷の指が制御台に触れ、ログを呼び出す。
「……何してる、零!? 時間ないぞ!」
「待て……!」
日誌には、こんな記録があった:
[2038-10-26 03:14:21] 使用者 #74331:赤色感知精度 -3% 調整
[2038-10-26 03:14:28] 人混み注意力 +7% 增幅
神谷は呟いた。
「これは……監視じゃない。現実の上書きだ」
一色が呻く。「人間の“見る”という行為すら、コントロールされてるってのか……」
それは「プライバシー」ではない。「現実定義権」の争奪戦だった。
神谷は無言でUSBサイズのモジュールをサーバに接続。
「ロジックノイズ、展開開始……完了。撤退!」
全員が元の通路を辿って地上へ。
朝の冷気の中に出た瞬間、すべてが虚構に感じられた。
帰路の車内、一色がぽつりとつぶやく。
「……俺たちが世界を見てたんじゃない。世界が、俺たちに“見せてた”んだ」
神谷は拳を握りしめた。
——白石理子のあの言葉が、胸を刺す。
「システムが、すべての“間違い”を排除した時……
本当に消えるのは、過ちじゃなく“人間らしさ”そのものなのかもしれない」
答えは、いまや明確だった。
(第3話・完)
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