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11 彼女は目覚めない

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 細い通路を2度右折して客室へ導く大廊下に入るなり,人の折り重なって倒れているのが目に入った。その数は客室に近づくごとに増えていく。みな両頰が赤く膨れあがり鼻血を垂れたり吐血したりしている。リドルに感染したのだ。
 客室の自動扉に接近するのが躊躇される――駄目だ,迷っている暇などない。今にも飛行船は爆破されようとしているのだから。
 意を決して前に踏み出す――
 想定を上回る惨状が広がっていた。足の踏み場もなく客室を埋め尽くす人,人,人――テーブルもカウンターも舞台も人間がうずたかく積み重なり,衣装こそ違えど同様の症状を呈して倒れ伏す人々はマネキンの群れのようにも見える。白を基調とした客室が血に染め抜かれて一変し,嗅覚の異常な刺激と相俟って狂気を誘発しそうになる。
「どちらさまでしょう?――」横たわる人々を踏まないようによちよち歩きでこちらへ来るのは山田だ。汗塗れの顔面を紅潮させてはいるが,一見して不調は観察されない。
 防護服のなかの人間が私だと分かるなり,山田は両眉を寄せ,一瞬だけ泣きそうになったが,すぐさま表情を引きしめた。「突然にみんな血を吐いて倒れてしまったんだ。生きてる人もいるけど,息をしてない人もいる。僕とあの子だけが今のところ何ともない――」
 舞台上で倒れる女性に戯れかける幼児がいる。女性は母親だろうか。幼児が耳もとで歌を聞かせても,長髪を絡め抜いても,胸にのぼって乗馬ごっこをしても反応を示さない。
「聴蝶さんと同じ病院にいた男の子だよ。普段はおばあちゃんが育てているとかで,今日は離れて暮らすお母さんと久々のお出かけだったらしいよ……」そこまで言って涙声になったが,また気をとりなおす。「聴蝶さんは?――聴蝶さんは無事なの?」
「山田――それは後で話す」
「な,何さ? 何かあったの?」
「お兄ちゃん!――」舞台上の男児が大声をあげた。「お兄ちゃんてばっ!――こっちむいて! これ,なあに!」
 男児は両腕に爆弾を抱いていた。
 私は舞台に飛びあがった。男児が驚いて泣いて逃げまわる。
「富総館さん――」気づかぬ間に山田が背後に立っていた。「僕に任して」身を丸めて私の前に回りこむと,男児の名を呼びながらゆっくりと距離を詰める。そして優しい口調で爆弾を渡すようにと諭した。
 男児がだぁあんっと擬音を発し,爆弾を山田の胸にぶつけた――
 山田がにっこり笑い,男児の頭を撫でてから後退る。男児と十分な距離を保ったところで背を返し真顔になった。微かに震えている。私もそろりと山田に近づき,爆弾に顔を寄せ赤いコードを引きちぎった――
 とても静かだった。爆弾かのじょは目覚めないでいてくれた。
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