Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第二部 擾乱のパニエンスラ

戦史5 イベリス陥落 SAL,1st,AD121

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 ほんの刹那、リコの脳裏には様々な記憶が去来した。


 保護林道では――初めての恐怖に、情景全てがそっぽを向いたような感覚に襲われた。
 中央埠頭での――初めての指示に、牽制するだけで良いと言う言葉に秘かに安堵した。

 
そして今、エリアスの明確な攻撃指示が、動揺と選択の多叉路へとリコを誘い込む。

 
 心の奥底からポコポコと、泡のように沸き上がる苦悩を嘲笑うかのように――
 スルっと人差し指と中指の間をすり抜け、左上から右下へ弧を描いた矢は――


 僅かな時間差を置いて詠唱中の術士の背を、正確に貫く――自らの意に反して。


 「……っ! て、てめぇ!!」



 次の瞬間、エンリーチが粉塵の中で見たソレは、風の速さで霞を切り裂く漆黒の影だった。
まるで畦畔と化した地面を稲妻のように走り――残った術師を斬り捨て、堀へと突き落した。

 「く……そ、ガキが!! Egosperovisfums!」  
 高速で展開した防壁がロッドを覆い、即座に踵を返し襲来した間一髪エリアスの刃を弾く。


 突進による勢いで後方へ弾き飛ばされたエンリーチは、自らの術で刻んだ大穴に捕らわれ、
短い呻き声を携えて下級術士と同様に――転げ落ちた。


 「痛っ……」
 ガクッと膝を付いて、身体中から赤い滴りを落とす褐色の少女。


 「あ……う……ん、っと。だ、大丈夫? リアーナ……すぐ治すから」
 リコの小さな声が聞こえたのか否か、仲間の元に駆け戻ろうとしたエリアスが穴に達した、
その時――淵に手をかけ這い出すエンリーチが咆哮する。

エリアスは支援を断念し、牽制の態勢へと移行した。


 「てめぇら……やってくれたな……許せない! 絶対に!! 許さない!!」

 「リコ! こっちは良い、早く止血してやれ!」
 「……え、っと……わ、分かった」


 この時、エリアスはリコの動揺に気づかなかった――そんな余裕は無く、気づけなかった。


 穴から這い出た土塗れの男は、洒落っ気を地の底へ落としてきたかのように汚く猛る。

 「くそ……くそくそくそ!! フ〇ック! ファ〇ク! ファアアアアァァッ〇!!!! 
ムカつく糞アマだけじゃない、鬱陶しいガキ共!! ○×▽の○×に▽×○してやる!!」


 天衝くエンリーチの怒号に応じるかのように、響く地鳴りが大地を、遠鳴りが風を揺らす。
壁奥から伝わってくる震動が、天蓋を突き破らんと押し寄せる。

 「ちょ、ま、待て……な、なんだこれは――」

 
 焦るエリアスを他所にエンリーチはハッと振り返り、自らの怒りを強引に鎮火していく。

 「っ……! あ、ま、マズい! こうしちゃいらんない!」

 「あ! お、おい! 待てお前!」
 エリアスの制止も聞かずに、背を向け門へ走り出すエンリーチは、
自らが抉った三つの穴を、ひょいひょいと軽快に飛び越え大門の前に戻り、
乱れた髪を整えた。

 「悪いけど~ これ以上アンタ達、ガキの相手をしてる暇はないのよ!」


 「待て! おい、リコ! そっちは頼んだぞ!」
 後を追おうとするエリアスをぼんやりと見送り、リコは眩む意識の中でリアーナを癒す。


 「何なのこの爆発……? けど、仕方ない。やるしかないのよアタシ! 女は度胸!」
 元気よく両頬を張ったエンリーチは、自らも初めて使う土精術を――瞑目して詠唱する。

 Ego terra tu rumus nulla moenia inter nos――



 門を覆い隠す土壁に右手を添えると指先から順に茶褐色の光を放ち、微細な粒子となって、
一歩づつ前に踏み出したエンリーチの右腕、右肩、胴――上体、と順に土壁と同化していく。


 「な、何をする気だ! リ、リコ! 撃てるか!?」

 間に合わないと判断したエリアスは、後方でリアーナに治癒を使うリコに援護を促したが、
リコは過度な消耗で血色を失い、焦点の定まらない目をしていた。

 「くっ……無理か! おい! 何をする気だ! 待――」
――エリアス、リコ、リアーナ、三人の中で真っ先に異変を察知したのはエリアスだった。



 天蓋の中で蠢く黒い霧――霧の中を走り閃く火花

 火勢で撓んで軋む外壁――壁奥から近づく重低音

 音波に苛まれ傷む鼓膜――外膜が膨れ上がる天蓋



 「おい! お前ら! 離れ――」
 踵を返したエリアスの黒眼に映る景色――
膝を付き堪えるリアーナの姿に蹲るリコの姿――


大きな3つの穴、駆け抜け、飛ぶ――走馬灯のように――


脳裏と脊髄を、時間が駆け巡った。



 地の底から巨大な何かが破り出て、這い上がって天に昇るかのように――

 全てが揺れ、波打ち――
遅れて、激しい爆発が鳴り――

響き――轟き――


 「な、なんだ!? 何が起き……!! うわっ」
 衝撃に煽られ踵を捕らわれたエリアスは、最後の穴に転げ落ちた。



 ドーン、ドーン、ドドーンと、何度も何度も、何度も続いた音は城外の大気をも震わせる。 


 内部で吹き上げられた爆風と噴煙は、まるで見えない境界があるかのように空で跳ね返り、
押し戻され火花を連ねた。

有形無形全てを伝播した衝撃は、外壁を苛み、城外にまで及び、耳を伝い脳を甚振る。




 永遠に続くような爆発の後――天蓋が溶けるように霧散し、
次いで黒煙と細やかな粉塵が、ブワッと――

抑圧から開放されるかのように、天高く舞い上がった。


 天を裂く様々な物質は各々の自重を空に預け――その差異を以って気ままに墜下し始める。


 頭蓋のような形を成した黒煙は音もなく弾けるようにして、空の青に大輪の花を咲かせ――
その寸分の後、朽葉色の質量を帯びた豪雨と化して、地上へと降り注いだ。



 「痛っ! あっつ! な、なんか……降って」
 膝を付いていたリアーナが唸って、おもむろに両手で頭を守る。


 「こ、これは……砂? 石か……いや……こ、これは!」
 奇しくも追認する形でエリアスが答え、自身の頬を伝う――

黒赤の熱水を拭う。



 「うわあああああああああああああ」
 突如叫声を上げたリコは、ふらふらと立ち上がって、転げながら地面を這って掻き進む。


 「おい!! リコ! どうした!! こっちに来るな!」
 穴から上体を出したエリアスは、リコを見た。

落ちる事も意に介さず、這い出ては転び、落ちては昇りを繰り返して橋へ向かうリコの顔は、
悲痛と慟哭で満ち溢れていた。


 やがて門の前に辿り着いたリコは、エンリーチを飲み込んだままの土壁を叩いて――猛る。
 「な、なんで!!!! こんな……!! なんで!!」


 上手く働いて居ないリコの小さな心の中では、この数日の思い出が――高速で駆け巡った。


 クロスビレッジでの邂逅、アルゲンリトゥスの危機、
貯水池畔での憩い、保護区での迷い、

その全ての中で、傍に居て、強情ながら助けてくれた――
小さなお下げの女の子――クロエ。


 リコは、港湾での分かれ道で感じた小さな気配を思い出した。思い出して――泣いた。


 「嘘だ……嘘だ嘘だ……こんなの……中、に……ま、まだ……うああああぁぁ――」


 慟哭は沈黙へと変わり、リコは土壁にもたれて、崩れ落ちるように橋に倒れこんだ。


 「お、おい! リコ!!」
 エリアスは穴から飛び出て叫ぶ。


 「リアーナ! 動けるか!?」
 リアーナもその声に促されるように、痛む身体を引きずりリコの元へと向かう。


 「一体……中で何が……エ、エンリーチはどこに行ったんだ……?」
 リコの腕を取り引き上げようとして蹌踉めくリアーナの肩を、すかさずエリアスが掴んだ。


 「リアーナ! 言いにくいかも知れんが、お前は本当に何も聞いてないのか!?」
 エリアスの言葉の意図をリアーナは瞬時に察し、気まずそうに俯く。

 「い、いや……こんなことは私も……ほ、本当、嘘じゃない……」


 「……解った。とにかくリコを連れてここを離れるぞ! 歩けるか!?」
 リアーナは考えるのを止め無言で大きく頷くと、エリアスの反対側に回り、
挟み込むように、リコの両肩を担ぎ出来る限り早く――

残る体力を振り絞って、門を離れた。



 馬房に達するまで背後から感じたのは、
数多の悲鳴。凄惨な痛苦。末期の声。怨嗟の言葉。

実際には届いてないが、それでもエリアスは唇を噛み締めて馬房のドアを蹴り明けた。

 「どわ! なんだ! って……旦那か。用は済んだんですかい?」 
 馬房主は突然の来訪者に驚いて鞍を落とし、気を失っている栗毛に目を向けた。


 「ソイツは……前に言ってた泡毛のガキですかい? てかさっきの音はなんだったんだ?」
 リアーナにリコを任せて、エリアスは黒馬の元へと急ぐ。男は鞍を拾い後を追った。


 「おい! どうしたってんだ旦那! そんなに急いで……イベリスに何が――」
 「今すぐ逃げろ! どこでも良い! 何でも良いから、すぐにここを離れるんだ!」


 エリアスはリアーナと二人でリコを鞍に担ぎ上げ自ら騎乗すると、
落ちないように指示し、互いを縄で結ばせる。
手綱を左手に持ち、右手で黒馬の首筋を軽く撫で深く息を吐いた。


 「リアーナ、弓と矢筒はそのままお前が持っててくれ、邪魔になる」
 無言で支度を進めるリアーナを横目に、馬房主はやっと問いかけを挟む隙を得た。

 「アンタ等なんなんだ! 幾らお役人でもよ、いきなり……どこに行けってんだ――」
 「――俺は王子エリアスだ! 悪い事は言わん、言う通りにしろ! 後で説明する!」


 「お、お、お王子ィィィィ? な、なんで王子がこんな所に……」
体に似合わずオロオロとする大男に構わず、エリアスは馬房の馬を見渡した。


 「リアーナ、馬は乗れるか? 流石に三人は無理だ」
 「自信はない……騎竜なら……う、馬は見るのも初めてなんだ! て、帝国には――」
 「四の五の言ってる暇は無い! おい! お前! とにかくコイツを馬に乗せろ!」


 「何が何やら……くそ! 嬢ちゃんすまん!」
 馬房主は言われるがままにリアーナを抱き上げて馬の鞍に乗せた。

 「とにかくマドールへ行くぞ! あれは……恐らく帝国がイベリスに侵攻したんだ」


 「そ、そんな!! 俺の家は街の中なんだ! 女房も息子も下層に!」
 「もうムリだ! 残念だが、街は……全滅だ。諦めるしか……」

 「……そ、そんな」
 「ここに居ても押し寄せた帝国に殺されるだけだぞ! 
今は……一先ずドリードへ退いて、領主に報告して対応を考えるしかない」
 「……わ、わかりやした」

 「残った馬は全て野に放て。帝国に使われたら厄介だ……補償はしてやる」

 珍しく気を使ったエリアスの言葉が頭に入っていない馬房主は、馬房の柵を開放してから、
リアーナの後ろに飛び乗り、草を食んでいた数頭の馬を出口へと追いやった。

四方に散った馬達は、だからといって逃げるような事も無く、主である大男の挙動を伺う。


 「アイツ等は指示を出さないと逃げないのか? とっとと行かないと間に合わんぞ」

 エリアスは焦れたように周囲を馬で旋回して催促する。
 馬房主は大きな体が小さく見えるような小声で呟いた。

 「あっしらが駆け出せば勝手に付いてきやす……最後まで来るかは分かりやせんが」
 「それを早く言え! 行くぞ!」

 「……坊主が言ってた事を聞いてればこんなことには……畜生」
 「ん? 坊主……? 何の話だ?」

 「旦那が一番最初にここに来た時、お付きで来てた若い弱っちそうな護衛の坊主の事でさ。
旦那達が街に向かった後に馬を借りに来て、そん時に何か、言ってたんで……」


 「護衛……チルトの事か? 何を言ってたんだ?」
 「最初は世間話だったんでさぁ……街で苦労してる女房の話をしてたら急に神妙な顔でよ、
『家族を連れて街から離れた方がいい』とか言いやがったもんで……」


 「ど、どういう意味だ? なぜチルトがそんな事を? アイツは中央の衛兵だぞ?」
 「知りやせんが……イベリスの生活のしづらさを愚痴った時にポロっとそんな話を」

 「それだけなら、軽口のようにも聞こえなくはないが……だがもし何か関係が――」
 「――お、おい、そんな話をしている場合なのか!? わ、私は……これからどうすれば」

 やり取りを見守っていたリアーナが逸る思いに駆られ、エリアスが頷こうとしたその時――
城壁の向こうでは収まらない燻ぶりを、貫くように無数の火柱が立ち上り大気を揺らす。


 「お、王子! やっぱ俺は街に……!!」
 「バ、バカ! アレが見えないのか! 命令だ! 行くぞ!」


 引き返そうとする馬房主の馬の尻に鞭打って強制的に走らせたエリアスは――駆け出した。
二頭の馬と、四人は失意と恐怖を背に負って一路エスパニ中央道を急ぐ。


 随行していた数頭の馬は途中まで一丸となっていたが、一頭また一頭と何処へ散って行き、
最後まで残った兄弟馬が去り、



やがて使命を載せた二頭だけが並走する形となった。


 
 背筋には嘲笑うような轟音と絶え間ない悲鳴が、いつまでも響動めいていた。
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