Archaic Almanac 群雄流星群

しゅーげつ

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第四部 夢幻のレミニセンス

66.乱れ集る黙約の日

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 ノルドランド王国監察官、アデラル・コルバート。
スミ―ル伯庶子である彼は、卓越した政務能力で生家を上回る地位に付いた傑物である。


 四侯――テトラマーキスと呼ばれる開拓時代の七英志に繋がる侯爵家よりも上位に位置し、
王国の官僚席次である《一頭・二役・三公・四侯・五官・六老・七民》の中でも空位の一頭、
執政官《コンスル》に次ぐ二役――

ディスペリオールは、実質的なナンバー2と言える。


 法務官《プラエトル》を担うマルセルと同格でもある、監察官《ケンソル》のアデラルは、
統計調査や中央の公安、官僚の人事権をも持つ為、王都内では絶大な権力を持つ。

 内政に関する全ては彼の手中にあったと言っても過言ではない。


 そんな立場ながら表には立たず、目下であるイサーク・エスパニョールと、付かず離れず、
それでいて敵対もせずに静観していたのは、彼自身の野心によるものだろう。

 イサークが帝国を引き込み中央を征し女王に退位を迫り、自身が王となろうとしていた事、
そんな解り易い動きを利用し王都へ侵入する帝国が、女王を略取しようとしている事。


 これらの謀を彼は全て事前に把握していたに違いない。その上で放置していたと思われる。
その理由を最早確認は出来ないが、恐らく彼自身の願い――原理に基づいている。



 前王セシリア・ノルドランドに対する、執着とも言える異常な程の敬愛と揺るぎない忠誠、
そして素性――元種の分からない現王フローラに対する複雑な思い。

 男親を明確に推測出来る王子エリアスに対して抱く嫌悪、とは違う言葉に出来ない感情は、
生き写しのような容姿より生じる『憎むより処女受胎を信じたくなる』妄執だった。

 後にこの言葉を刃と共に王子に突きつけた初老の、苦悶の深さは伺い知れない物がある。


 ただ一つ確実に言えるのは、彼は決して現王を恨んではおらず、むしろ救おうとしていた。
長く政に携わる彼には、幼い王の半端な正義感が自身を苦しめ蝕む事が解っていたのだ。


 事実女王フローラは、後に王国の玉座から自ら降りる結末となる。
 そうなる前に呵責の念から解放しようとしていたのかもしれない。


 まるで娘に向ける肉親の情のような物が、僅かながらも彼の胸中には潜んでいたのだろう。
だからこそ最後の最後で誰しもが予測出来ない行動を取ってしまった。


 幾筋も昇る城下町からの噴煙を王城の執務室から見下ろし、目を細め機を待つアデラルは、
小さくノックされる扉に低い声で応え、唯一の同志を無言で迎え入れるのだった。


  ***


 「姉上! おられますか!!」

 水聖会の扉を勢いよく開け放ったシェーラは、礼拝堂で肩寄せ震える子供達の姿を捉えた。

次いで長椅子に座り、怯える女の子の頭を撫でているソフィアの姿を確認し安堵しながらも、
四散した猫達に気付き今更、そっと扉を閉めた。


 「落ち着きなさい……シェーラ。言いたいことは分かっています。
今は会徒が消火と救出、犯人の捜索に全力を尽くしています。それより……そちらは?」


 ソフィアはシェーラの後ろに立ち、不躾に周囲を見渡していた赤髪黒コートに目をやった。
待ってましたと男は前に踊り出て、上げた右腕を振り下ろして一礼する。

 「こりゃどーもどーも? 俺の名はフェアフォクス、こちらの姉さんの手下になったんで、
そこんとこヨロって事で一つ」

 「あねさん……ってシェーラ、これは一体??」
 「よく分からないんですが、気を失うまで殴って、起きたら……こんな風に」

 「俺ぁ姉さんの容赦の無さに惚れた! 好きに使ってくれて構わねぇぜ!」
 「あらあら……シェーラにもやっと春が来たのかしら。けど、その方って確か……」

 「ええ……思いっきりレッドペアの片割れです。どうしましょう? 投獄しますか?」
 「おいおい! そりゃねぇぜ姉さん!! 俺はもう逆らう気ぃねぇんだぜ!?」
 ソフィアは様子を伺い警戒する少女を膝の上に座らせて、小考した。

 「いえ……良いと思います。今は手駒が欲しい状況なので、この方は貴女に一任します」
 「お! 流石姉さんの姉さんは話が早ぇえ!」

 「いえいえ、何かあればシェーラに処理させますんで。それより……」
 二コリと笑って真顔に戻ったソフィアの二の句を、シェーラは察して継いだ。


 「はい。王都に入った後、対象は衛兵と共にフォックスの相方を連れて城へ向かいました。
任務中に彼等との戦闘で離れましたが、特に怪しい動きは見せておりません。ただ……」


 「ただ?」
 「先行した彼は独断でドイエン卿と子息を処理していました。政変の重要人物ですが……
これで真実を明るみにすることは難しくなったと思われます」

 「そうね。ただあの親子が生きていると、マルセル嬢が足を引っ張られた恐れがあります。
結果だけ見れば悪い話でも無いかも知れません。彼が手に掛けた証拠も出ないでしょう」

 「それを見越しての事でしょうか……何を企んでいるのか、表情からも読み取れません」
 ソフィアは膝の少女を床に降ろして、子供達の所へ誘い、振り返らずに続けた。


 「……貴方達はすぐに王城へ向かって下さい。嫌な予感がします」


   ***


 丁度その頃――城下町に火の手が上がって半刻。


 王城の中庭園では女王フローラとマルセル・ドイエンが、白卓で向かい合って座っていた。
女王の傍にはお付きのサーシャ・シスルがメイド姿で給仕をしている。

 
 「陛下、本日は彼はおられないのですね」

 「……え? カイルなら……護衛に付いてからずっと休みも取らずに付き従って居たので、
アデラル卿の進言もあり休みを与えました。要らないと言って聞きませんでしたが……」

 「それは……確かに良くないですね。書記官ではないので管轄外ですが」
 「彼はエリアスが無理に衛兵にした方ですし仕方ないと思います。
護衛兵長のエリアスが、シフトをちゃんと組まなかった事が原因です……」

 失礼します――と、サーシャが差し出した紅茶をマルセルが、次いでフローラが口に運ぶ。
噴水から勢いよく上がる清水が緩やかな風に揺れ、軽く喉を輪唱させ吐息が相次いだ。


 「王子は……何と言いますか、色々無理をしているように見受けられます」
 「そうね……あの子は何でも一人でこなそうとしてしまう。
だから自分の部下に対しても、自分と同じように出来るはずと思い込んでしまうの」

 「それは……少し身につまされる思いです。恐らく……努力が報われていないのかと」
 「努力……ですか?」

 「はい。もっと言えば、報われていないと『思い込んでしまって』いる。私もそうでした。
どれだけ頑張っても誰も認めてくれない、家族ですらも。そんな風に……」
 「……私も、そうなのでしょうか。エリアス……弟にとっては」


 「どうでしょうか。少なくとも陛下は王子を殴ったりしませんし、恵まれた環境かと――」
 「――殴ら……貴女、そのような目に……?」

 「昔の話です。今は報われてますから。唯一の味方だった弟は……気がかりですが」
 「ええ……ギルドに依頼を出したのでしたね。弟君ペイロア様は温厚で真面目な方ですし、
国にとっても重要な方。ロータル卿が向かわれたのならきっと大丈夫です」

 「そうですね……はい。だと良いんですが……」
 言い淀んだマルセルが、続く句を決意するまでの僅かな間に――一人の衛兵が駆けこんだ。


 「報告です! 城下で反乱が発生! 方々で火の手が上がっております!」
 「な、なんですって!?」


 不意に凪いだ風に放たれた水飛沫は、円弧を描いてフローラの心の奥の何かを捕え水盆へ、
そして地下の穴へと吸い込まれ、入り混じって行った。 


 
   ***


  「お、王子……よくご無事で」
 ソファに座り煤だらけの顔を手巾を拭くエリアスは、申し訳なさそうなラウルを一瞥した。


 「どうなってるんだ……私兵の教育は。門で誰何を受けた時は斬りかけたぞ」
 「も、申し訳御座いません……余りにも軽装で服が汚れていたからかと……
衛兵の話では、ガリバルから抜け出した戦人と勘違いしたそうです」

 「まさに隧道から抜け出して来たんだが、廃坑を抜け出るのに鎧が邪魔だったから捨てた。
出た直後にリアーナが倒れやがって、リッツで馬を借りて余計に時間を食った」

 「彼女はただの疲労のようですが……王子は大丈夫なのでしょうか?」
 「今にも倒れそうなくらいには寝不足だ。まぁ護衛兵お馴染のアミアス練兵で慣れている。
それよりメラニーは来ていないか? リコという子供を連れているはずだが」


 「リコ……子供の事は分かりませんが、メラニーさんなら3日前にこちらへ来たそうです。
私が戻ってませんでしたから、そのままトゥールへ向かわれたと聞きましたが」

 「そうか。無事に戻っているなら、とりあえずは良い。ところで今のガリバルは――」
 「――あ、あの、王子! 戻って来る際にオフェリアさんは見ませんでしたか!?」
 ラウルの口から出た名にエリアスは気まずそうにして、手巾を膝の上で四つ折りにした。


 「……隧道の露店までは一緒だった。その後の……いや、爆発直後は瓦礫で分断されたが、
向こうも崩落後はまだ無事だったはずだ。上手く抜け出せたかまでは分からんが……」
 「そ……そうですか。すみません、話を遮ってしまいました」

 「……構わん。その、ガリバル爆破の件は何か掴んでいるのか?」
 「それが……」


 ラウルはパルベスメイヤー、ラザレが語った顛末を一先ず脚色はせずにエリアスに伝えた。
見聞きしていない事に関して憶測を挟むのを避けた為である。


 「……リーゼ・レインバー、ベーレンのギルド嬢か。何故セビリスに居たのかが疑問だな」
 「オフェリアさんから聞いたのですが、お二人は友人だそうです。関係があるかは……」

 「もしエスパニに居る事を知っていたとして、友人の身を危険に晒すような真似をするか? 
いちギルド嬢がやる犯罪にしては手がかかり過ぎている。余り信用出来ないな、その――」
 「――はい、ラザレさんですね。良かった……王子も同じお考えで」


 「そもそもオフェリアを俺の護衛に付けたのはアイツだろう? まずそこからして変だろ。
衛兵はセビリスにも居る訳だからな。現にチルトはノースゲートの……そうだ、チルトだ!」
 「チルト? どなたですか?」

 「ノースゲートから俺達に付き従っていた護衛兵だ。アイツの行動には不自然な点が多い。
商人ギルドから無理矢理付けられたのもそうだが、イベリスで先に離脱……は、俺のせいか」
 「よく分かりませんが、馬車を手配したのがギルドなら、そうおかしい事も無いのでは?」


 「それだけじゃない。アイツは何故かイベリス馬房の主に『逃げろ』と言っていたらしい」
 「『逃げろ』ですか……どういう事でしょう?」

 「正確な文言は覚えていないが、そんな感じの事を言っていた。後は……これだ」
 懐に手を入れたエリアスは、裏地のポケットから取り出した、小さな鍵を取り出した。


 「えっと……何ですかこれは? 白い……棒?」
 「溝が無いが、これは鍵だ。俺達はこれで避難坑から脱出出来た訳だが……見た事あるか?」
 「いえ……初めてみました。なんか使ったら折れそうですね」

 「俺は前にも一度見た。さっき話したリコが囚われた俺を救出する時に使っていたんだが、
この鍵は……避難路の扉だけじゃなく地下水路へ続く扉、足枷の錠まで開ける事が出来た」
 「……え? 同じ鍵でですか?」

 「いや、この鍵は形は全て同じだが、使うとまるで灰のように崩れて粉になってしまう」
 「そ、そんな事が……ならどんな扉でも開けられるってことですか?」

 「恐らくな。だから急ぎリコに事情を確認する必要がある。何故同じ物を持っていたのか」
 「そうですね……では王子はこの後はトゥールへ? 少しお休みになった方が……」

 「今はそんな暇は無い。何か大きな事が起こっているような――」

 コンコン

  エリアスの言葉に被せるように鳴ったノックの音に、
ラウルが応じ入って来たメイドは、訝しんだエリアスに委縮しながら封書を渡した。
ラウルは観念するように封を解く。

 「隠すつもりはありませんが……私も領主として中央に根を張って情報を収集しています。
何か異変があった時はこのようにして……え!?」


 「なんだ? どうした?」
 「お、王子! 一大事です! 王都で反乱が起こり城下が炎上しているそうです!」


 「な、なんだと!! こ、こうしては居られない! 俺はすぐに立つから急いで馬を……
そ、そうだ! リアーナが目覚めたらトゥールに向かう様に伝えてくれ! リコは任せたと」 


 「わ、分かりました! 馬は……あ! こちらへ!」

 勢いよく駆け出した二人の青年は驚くメイドを尻目に、領主館の外へ飛び出した。 
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