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7. 怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか?
怜、果たして彼女は本当に自分を好きなのか? ⑥
しおりを挟む信じていた兄に売られた。
そのショックは言葉にしようもなく、放心状態なまま役所に連れて行かれ、婚姻届けを見てようやく我に返ったものの、三人の高圧的な眼差しを前に否を唱える度量もなく、震える手でミミズの這ったようなサインをさせられ、ご丁寧にも怜が判子を捺してくれて、あっという間に受理されてしまう。
梓は魂が抜けかけていると言うのに、役所の人に「おめでとうございます」と声を掛けられ、それに答えたのは南条親子で、翔は少し離れた所に座り、一人ぼんやりしていた。
やっと肩の荷が下りたと、安心しているのだろうか?
嫁には出さんとか言っていた翔に、いきなり掌を返された戸惑いもあるけど、突き放されたようで寂しさの方を強く感じる。
梓も何だかんだ言って相当なブラコンだ。
言葉にし難い切なさを感じながら翔を見ていると、いきなり後ろから抱き着かれた。一瞬怜かと思って怒鳴りそうになったが、柔らかな感触にすぐ凛子だと気付く。梓が無下に振り払うことも出来ないでいると、凛子は耳元でふふふと嬉しそうに笑った。
「怜くんのお嫁さんなのねぇ」
しみじみと言われ、梓は「はあ」と気の抜けた返事をしてしまった。
まだ実感としてないせいもある。
しかしそれ以上に、ゲイの息子に望むことは叶わないであろうと思っていた結婚だから、感慨も一入なのかも知れないが、梓から言わせて貰えば、こんなゲリラ的婚姻は無効だと声を大にして言いたい。
怜に訴えたところで無意味だと思うが、文句の一つも言わないとと周りを見て、怜が近くに居ない事に気が付いた。
視線を彷徨わせ、カウンターの前に立っている怜を見付け、声を掛けようとしたところで、係りの人に微笑みながら会釈し、踵を返してとこちらに歩いて来る。
「何してたの?」
訝しんだ目で怜を見ると、彼は悪びれもなく口を開く。
「ああ。不受理届を出して来た」
「不受理届?」
「うん。勢いで離婚届を出しても、受け取って貰えないようにね」
思考回路が停止した。
あんぐりと口を開けたまま怜を見上げる。
何と言う手際の良さだ。梓はそもそもそんなものの存在すら知らなかったと言うのに、怜は本当に抜け目ない。
(婚姻届けは勢いで出したのに、離婚届は不受理って……凄く理不尽じゃない?)
この人と生涯共にすることになるのかと考えて、気が遠くなりそうだった梓に追い打ちが掛かる。
「僕が簡単に手放すとか、思ってたわけじゃないよね?」
やんわりと笑っているのに見ていてちょっと怖い笑顔を浮かべ、凛子の手から梓を攫い、彼の大きな懐にすっぽりと収まる。耳元で怜がふふっと笑いを漏らした。
流されている。完全に流されている。
分かってて、怜の腕を振り解けない。
「今日から南条梓だからね?」
嬉しそうな声がそう耳元で告げてくる。
凛子が少女の様に嬌声を上げ、周囲の視線を集めると彼女は「息子がやっと結婚してくれたもので、申し訳ありません」と喜びダダ洩れで頭を下げている。どえらい美人に謝罪されて、みんな言葉を飲んで凛子に見惚れてしまうのは、解りたくないけど良く解り、同じ顔をした怜を見上げて梓は嘆きの溜息を零した。
事務所に戻る凛子の専用車の後部座席で、怜の父親に報告をしている凛子を横目に、梓はこっそりと溜息を吐く。
凛子は結納の打診に来た筈なのに、話が思わぬ方向に転がった。
それと言うのも、凛子の向こう隣でボーッと車外の流れる風景を眺めている翔のせいだ。
どう言う心境の変化があったのか、翔を問い詰めないと納得できない。
翔ならきっと梓の踏ん切りが付かないうちは、この結婚にGOサインを出さないと、勝手に信じていた。
AZデザイン事務所の入っているビル前で降ろして貰い、凛子を見送ると梓はいち早く踵を返して歩き出す。ご機嫌が斜めだと分かる梓の歩調に、後ろを長いストライドで悠々と歩く二人が苦笑している。
足音も荒くエントランスを抜け、エレベーターの昇降ボタンを押す。梓の爪先が苛立たしげにタンタンタンと床を打っていた。
「アズちゃ~ん?」
「…なにッ!?」
ご機嫌伺をする怜に刺々しい口調で返事をすると、彼は「何でもないで~す」と言葉を引き取っていく。
何とも居心地の悪い空気が流れ、八階に着くや梓は翔を引っ張って彼の部屋に直行した。
翔を強引にソファに座らせ、彼女がその向かいに腰掛けようとすると、怜はいつものように梓を膝に抱っこしようとして睨まれ、「あっち」と翔の隣を指定されてすごすごと従った。
梓は腕を組んで翔を睨み据えた。
「お兄ちゃんに聞きたい」
「なんだ?」
「結納の話が出た時は難色を示していたのに、何で入籍ってなったら急に態度変えたの?」
「遅かれ早かれ結婚するって話だったんだし、入籍も無事に済んだんだから、もおどうだって良いだろ」
面倒臭そうに背凭れに寄り掛かる。梓は眉を顰めた。
「良くない!」
頬を膨らませている妹を見、「しょうがねえなぁ」とぼやく。
翔は膝に両腕を着き、前屈みになって梓を見据えた。知らず口を引き結んで翔を見返す。
「お前、俺を理由にするだろ」
「……え」
そう言われて胸がつきんとした。梓の瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
「明確にしなくても、どっかで思ってるはずだ。梓は兄貴思いの優しい子だからな」
目元を切なげに歪めて微笑んだ。梓まで切なくなる。
「どっかの男に爪の垢でも煎じて飲ませて欲しいくらいだ」
「うるさいよ」
翔が隣に目を流すと、怜がムスッとして答える。どうやら自覚はあるらしい。
軽口を利く兄に口端を緩めると、翔も口角を上げる。
「まあ渋る理由はそれだけじゃないかも知れないが。で、なかなか色よい返事を貰えないコイツが暴走するだろ。今日みたいに」
怜を指差し、翔がほとほと面倒でしょうがないと顔に書いて言った。
翔も相当面倒臭い性格してると思うけど、と二人を交互に見ながら梓がこっそりツッコミを入れてると、翔の右眉がピクリと持ち上がる。
しばしジッと見られ、妙に勘のいい兄に息を詰めてしまった。翔はふっと鼻で笑い、知らない振りをしてくれたようだ。
いや。脱線したら戻すのが面倒臭いだけかも知れない。
「俺を気にするなって言ったって、梓は気にするんだろうし、無駄に時間を掛けたら変に考えて、また碌な答え出さないだろ。だったら俺が背中押さなくてどうする?」
「お兄ちゃん……」
またと言われて軽く抉られたけど、兄が言うように碌でもない事を考えるかも知れない。そうなる前に背中を押すと言ってくれた兄の本心に触れ、胸が温かくなった。
それでいきなり入籍賛成かと、飛躍しすぎる思考回路に反論がないではないが。
けど。
この人の妹で良かったと、心の底から思ったのに……。
「それで嫌がらせに絡んで来るのが怜だけなら未だしも、三魔女にまで絡まれたら仕事にならないだろ?」
「……あたしの感動を返せ」
飄々と言って退ける兄にイラっとした。
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