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20 . Prisoner

Prisoner ⑭

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 藤田と言う男からは、昏さを微塵も感じることが出来なかった。
 一言で表すなら “爽やか” に尽きる。
 その彼が陰湿な事を繰り返すとは到底想像が付かない、十玖は直感的に思った。彼が美空を好きかどうかは別にして、悪い人間ではないようだ。
 もし美空にちょっかいをかける気なら、徹底排除は厭わない心算である。

「藤田さんがいつも一緒だった男性ですが、誰です? どう言った方ですか?」

 祐人の単刀直入な質問に、藤田は顔を曇らせた。溜息のような吐息を漏らし、「彼は」と言葉を絞り出す。

「つい最近まで、うちのコンビニでバイトしてた阿部という者です」
「最近まで?」

 聞き返した祐人に頷き、

「はい。 “土曜日のお遣い女子” っと…そちらのハルさんの妹さんがウチに来なくなってから、間もなく辞めましたけど」
「辞めた。それで、以降は?」

 皆が微かな落胆を見せ、それでも情報を得ようと祐人が身を乗り出す。
 辞めた後も藤田は阿部とライヴ会場に居た。何らかの連絡を取っているものだと思って祐人も訊いたのだが、藤田の答えは違っていた。

「ウチでバイトしてた時は、シフトが分かってたから先回り出来たんですけど、辞めてからは、阿部が彼らのライヴに足繁く通っているんで、そこを狙って無理矢理合流してるんですよね」
「待ち伏せてるってこと? では連絡は取れない?」

 眉を顰めた祐人に、藤田は神妙な顔で頷いた。

「アイツ、高校の同級なんでこんな事言いたかないけど、危ないと思う。俺も偶然知ったんですけど、お遣い女子をストーキングしてたと思う。ただこれと言った証拠を残さなくて、尻尾掴むのに、俺が阿部をストーキングするってね、何とも妙な事態。ヤツの行動が分かってた時は、それとなく彼女を守ることも出来ましたけど、辞められると流石に無理で、何とか阿部を止めようと頑張ったんですけどね」

 がっくり項垂れて大きな溜息を吐く。それから顔をぐいっと持ち上げて、視線を一巡した。

「アイツ何しました?」
「こちらも色々と推測の域を脱してないんだけどね、阿部が隣りの彼女に接触して、トークを嵌めようとしたんだ」
「え? ……なんで?」

 弥生から十玖に視線を移し、再び祐人を見る。本当に分かってないらしい。
 きょとんとする藤田を、A・Dの四人が苦虫を噛んだ顔で見入った。

「Coo、お遣い女子、だっけ? 彼女はトークの恋人なんだけど、知らなかった?」

 祐人は人の悪い笑みを浮かべ、瞠目した藤田を眺めている。彼は祐人の言葉に偽りがないのか確かめるように視線を巡らせたが、一縷の望みも無いことに早々気が付いたらしい。

「……知らなかった」
「ファンも公認なんだけど」
「ははは……なんてこった」

 十玖の顔を見たまま虚ろな笑いを漏らし、藤田が本音を喋り出す。

「人気バンドのヴォーカルでモテて、イケメンで彼女まで美人とか、美味しいとこ取りじゃないか」

 藤田の皮肉めいた褒め言葉。
 きっと彼は、十玖が苦労もなく美空を手に入れ、順風満帆だと疑ってもいないのだろう。実際はヘタレだし、自分の気持ちにも疎かったせいで、美空を怒らせてばかりだった。告白した時だって口論の勢いだったし、しかもその場から逃げ出した。
 今でもあの時のことを思い出すと、顔から火が出そうだ。
 しかし晴日は、藤田の言い回しに気になる所があったらしく、不遜な表情で藤田を睨んだ。

「言っとくけど、妹が先に十玖に惚れたんじゃないからな!」
「そうなんですか?」

 意外そうに訊き返しておきながら、藤田は「それもアリか」と呟いてニコニコし始めた。何となく藤田の腹の中が読めて、十玖は面白くない。

「寧ろ十玖、クゥちゃんに嫌われてたよな?」
「嫌われてなかったしッ」
「あ~はいはい。美空が好きで好きで仕様がない癖に、告れないで周囲の男牽制するわ、俺にまでヤキモチ妬いてガンくれるわで、美空を困らせてただけだよな。けどあん時の十玖、相当態度悪かったよな? 竜助」
「兄貴にボディーブローとかないよなぁ」

 竜助が苦悶するように眉を寄せ、十玖が「アレは条件反射で」と言った言葉に、晴日が鳩尾を擦りながら被せて来る。

「拳が腹に入った瞬間、更に捻じ込んだよな? ぐりって。内蔵吐くかと思ったぞアレは」
「蛙かよオマエは。…まあ何にせよ、俺らがA・Dに入れてやらなきゃ、きっとまだ拗らせてたよな?」
「入れてやらなきゃって、どれだけ上からですか。僕がノイローゼになりそうなくらい毎日『入れ』って付き纏ってた癖に。大体みんな、人の事とやかく言える立場なんですか!? それよりも! 阿部ってヤツのことですよ」

 すぐに脱線する晴日を上目遣いで睨む。彼はへらっと笑って見せた。

  

 これまでにあった被害を藤田に話すと、彼は納得して頷いた。
 阿部は理工学を専攻していたので機械関係は強く、パソコンにも明るいそうだ。
 早速、十玖と弥生の画像データを美空に送りつけたらしく、そのデータと一緒にご立腹のスタンプが貼付されていて、十玖の顔から血の気が引いた。
 説明の電話をすれば『冗談よ。怒ってないわよ?』と明るい声で言ってたけど、かなり本気が入っていたのを感じ取り、鼓膜がチリチリし、胃がギリッと痛くなった。

 普通にヤキモチを妬いてくれるのは嬉しいが、浮気を捏造されて嫉妬されるのは、美空を信じていても怖い。
 十玖は席を外し、美空に誠心誠意で愛情を伝えて応接室に戻って来ると、居た堪れない程の生温かい微笑みが待っていた。

「色男も彼女には形無しなんだな。ちょっと安心した」

 ほっこり笑って藤田に言われると、イラっとするのは何故だ。
 それに付けても。
 望まぬ事態に陥れようとした諸悪の根源に、沸々とした怒りが込み上げて来る。

「許さん」

 くぐもった声を漏らすと、隣に座る謙人が「殺人はダメだよぉ。傷害致死もね」とにっこり微笑みながら、十玖の背中をぽんぽんする。
 物騒な軽口を叩く謙人を藤田が愕然と眺めていると、弥生が「気にしちゃダメだよ」とやはりニッコリ笑い、藤田の困惑がますます深くなる発言が続く。

「晴も暴れたらダメだからね?」
「ちょこっとくらいいいだろ」
「いい訳ないだろ。晴も十玖もキレたらヤバいって自覚してくれないと。猟友会に連絡されたくないでしょ?」

 猟友会なんてどれだけ獣扱いなんだろうか。
 十玖は、もはや人間扱いしてくれない謙人をジト目で見上げると、彼はシレッと言う。

「二人して捕まったら、他の男にクーちゃん取られちゃうかもしれないねえ。いいの?」
「「良くないッ!!」」

 十玖と晴日が異口同音に叫んだ。  
 その声量に度肝を抜かした藤田がソファからずり落ちそうになり、弥生が彼を引っ張り上げながら「怪我したくなかったら、Cooには絶対手出ししちゃダメよ」と暗黙のルールを耳打ちする。
 彼女の言葉を小耳に挟みながら、十玖は謙人に向き直った。

「けど謙人さん。盗撮のデータ、証拠として押収されたら、怒りを収める自信がない。人目に触れさせたくないし、出来るならヤツを記憶喪失にしてやりたい!」

 美空は何も知らず、何度もカメラに肌を晒していただろう。そして十玖と肌を重ね、可愛く淫靡に乱れる様子を阿部は観ていた。二人の蜜事を、そうと知らずに鑑賞されていた気分は最悪だ。
 阿部が美空を盗み見し、欲望を処理していたかと思うと、頭の芯がカッと熱くなった。殺しても殺したりない程の怒りの塊が、腹で渦巻いて突き破りそうだ。
 自分のセックスを人に観られるのは、恥ずかしいなんて言葉では済まないが、男だからまだ耐えられる。けど美空はどれほどの辱めを受けるだろうか。それを思うと胸が酷く痛んだ。


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