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-6 『利口な従順』
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温室の中は地獄のような光景だった。
四方を火の壁が囲うように広がっていて、どうにか延焼していない土の道を辿って奥へと進んだ。口には濡れたハンカチをあてているが、煙の充満した温室内はそれでも息をするのは苦しかった。幸いと言えば、硝子の天井の一部が抜け落ち、そこから煙が抜けているおかげで充満しきっていないところか。
しかしそれでも、むしろ外からの風で勢いづけられているかのように火は強く、濡れた制服越しにじわじわと焼かれるような熱さを感じた。すぐにでも乾いてしまいそうだ。
裕福な貴族学園ということもあって温室はとても広い。そんな中を煙と炎に包まれた歩いていると、方向感覚を失ってしまいそうになる。
――なにやってるのかしら、私。
あまりに無鉄砲すぎる。
自分から火に包まれに行くなんて、そんなのサーカスのライオンでもしないだろう。
けれど後悔はしていなかった。
「まったく。引きこもって土から出れない恥ずかしがりの友人はどこかしらね」
冗談を口にできているだけまだ大丈夫だろう。
火の弱いところを探しながら、煙でくぐもった視界の中を懸命に歩き続ける。
けれど方向感覚をやられた私は、もはやマンドラゴラがどこにあるのかすらわからなくなっていた。
もう燃えてしまったのか、まだ無事なのか。それすらもわからない。
やがて、やや離れたところに温室の中にある小屋を見つけた。前にリリィと一緒に温室を訪れた時に見覚えがある。用具などが置かれている場所だ。
「あそこ……」
ふと、先ほどの教員の言葉を思い出す。
『中の消火装置のバルブを手動で動かせれば水の散布も始まるかもしれないが』
「……消火装置」
私はそれに一抹の望みをかけて駆け寄った。
小屋の金属でできたドアノブは熱気で熱くなっていた。
思わず引っ込めた手にまだ湿り気を残した制服の裾を纏わせ、ドアを開けて中に入る。
中には用具が丁寧に整理整頓して置かれていた。
ここを使っているのはリリィくらいだという。彼女の几帳面さだろう。
そんな部屋の中に、地面から天井と続く太い管を見つけた。管には赤いバルブが取り付けられていて、ご丁寧に『消火用』とかすんだ文字で書かれている。
「これね」
それに手をかけ、私は目一杯に力を込めて回した。
「……んっ。……んっ」
しかし驚くほど固かった。
付け根の部分が錆びていたのだろうか。長らく整備されていないせいだろう。
非力な私には厳しい。
少し走るだけですぐに息を切らすような私なのに。
小屋のすぐ外では今にも火の手が強まり、やがてはこの小屋すらも覆いこもうとする勢いだ。
けれど、諦める気にもなれなかった。
「んんんんんんっ!」
私は死に物狂いでそのバルブをまわした。
――かちり。
「……っ! 行って!」
僅かに動き、それからは早かった。
一度まわったバルブはゆるゆると回り、これ以上動かないところまで回りきってくれた。
「やったっ」
私が口許を綻ばせたのとほぼ同時に、温室の天井や支柱に設けられていた管から水がシャワーのように巻かれ始める。
どうやら散布の機能はしっかりと働いてくれたようだ。
「……まったく。これまで壊れてたらどうしようかと思ったわ」
溜め息を漏らしながら、私は安堵に肩を下ろした。
だがまだ安心はできない。
散布され始めた火の勢いこそ少し弱まりはしたが、しかし水の散布もまだ不十分で、煙は漂っているままだ。このままでは一酸化炭素中毒で倒れかねない。
けれども一心不乱にバルブを回した時に息を荒げて深く煙を吸ってしまったせいか、頭痛と眩暈がゆっくりと頭の中を蝕むようにやってきて、意識もぼうっとし始めてしまっていた。
出なければ。
水の散布で火も弱まっている。
土に植えられたマンドラゴラなら、まだ無事であればきっと助かるだろう。
後はもう、出るだけだ。
「……これはちょっと、しんどいかもね」
奇妙な笑いが零れた。
怖いというよりも、自分の無謀さに呆れた。けれどやっぱり後悔はなかった。
ここでもし足を止めたら、それこそ後悔になるだろう。
友人の大切な親友を守るために無茶をしたのだ。それで、その子の別の友人が倒れてしまっては元も子もない。
絶対に無事に戻るんだ。そう心を支えながら、私は足を動かし続けた。
でもどこに行けばいいのだろう。
ただでさえ煙で見えない視界もぼやけている。
足がふらついた。
どこに、どっちに向かえばいいのかもわからなくなる。
そんな中、
「ユフィ!」
声が聞こえた。
可愛らしい、聞き馴染みのある婚約者の声だった。
私はそれを頼りに、聞こえてきた方向目掛けて足を進めていった。
やがて視界が晴れ、外に出たとわかった。
それに安堵して膝をつく。かすんだ視界の中、フェロが駆け寄ってくるのがわかった。そのまま倒れそうになる私を彼は抱きとめてくれた。
「戻ってきたら中に飛び込んだって聞いて。心配したよ……もう、守れないかと思った」
心底震えた声でフェロはそう言った。
そして私を確かめるようにぎゅっと抱きしめていた。
「おい、大丈夫か! 保健室に運べ!」と教員達も駆け寄ってくる。
やがて消火装置の散水が見事に働き、火災の勢いはすぐに弱まっていっていた。温室のもう一つの区画は焼きレンガでそこより先が燃え広がらなかったことと、温室の周囲に隣接する建物がなかったのが幸いだっただろう。
散水によって煙もやがて晴れ、中の様子が見え始める。
「どらごんちゃん!」
リリィが大急ぎで中に駆け寄ると、土を掘り、埋まっていたマンドラゴラを掘り出して抱きしめていた。
どうやらどらごんちゃんは無事だったらしい。
本当に嬉しそうに、我が子を抱く母のように大切に抱えていた。
そうして火事騒動はひとまずの落ち着きを見せた。
私が介抱されているうちにやがて他の教員や消防隊などが駆けつけ、残り火の確認などの事後処理が行われている。
周囲は騒ぎを聞きつけた人混みで溢れていた。ライゼや長ネギたちの姿も見受けられる。
一人の教員が言った。
「いったいどうして火事が起こったのだ。あそこには何もないだろう」と。
「そもそもほとんど使われてない場所よね」
生徒の誰かが呟く。
事実、そこに立ち入る生徒なんて数が知れている。
そんな中、
「そこに出入りしてるのはリリィくらいだろ」と長ネギが声を上げた。
「リリィ……あの子か」
教員が、温室の中でマンドラゴラを抱きかかえる少女に目をつけ、彼女へと歩み寄った。
「もしやキミが何か火種を持ち込んだのかな?」
「……え?」
驚いた顔でリリィは教員を見上げた。
「そういや、さっきの休みにもそこにいたよな」と長ネギが野次のように声を飛ばす。
最悪だ。
それではまるでリリィが火事の原因みたいではないか。
何か反論したいけれど、煙で朦朧としていた私は横になったままなにもできない。
長ネギの言葉を聞き、教員は短く頷き、またリリィを見つめた。
「少し話を聞かせてもらおう。職員室に来てくれないか」
「……わ、わたし、何もしてません」
「故意にやったわけではないかもしれない。けれど、何か事故があったかもしれない。よっと話を聞かせてもらうだけだ」
口ではそう言っているが、教員の声調や表情から、リリィを深く疑っているのは明白だった。確かに温室に出入りしているのはリリィくらいだ。そこが燃えたのだから疑われるのも仕方ないが、教員の言い方はまるで故意にしろ過失にしろリリィであると断定しているかのようだった。
「私は、火の出るものなんて……!」
「とにかく来なさい」
「ま、待って、ください。私は……」
――体が動けばすぐにでもリリィを庇いに行くのに!
容疑をかけられて動揺するリリィに歩み寄ったのは、しかし私じゃなくてライゼだった。
「リリィ。とにかく場を落ち着けるためにも職員室に行こう。不安なら俺も行く」
「で、でもっ! 私は、ちがうんです……」
「わかっているよ。でも、それを確かめるためにも行こう。行って説明するんだ」
「…………はい」
ライゼにそう諭され、ショックを受けた表情で諦めたリリィは、やがて教員やライゼと共に職員室の方へと歩いていったのだった。
四方を火の壁が囲うように広がっていて、どうにか延焼していない土の道を辿って奥へと進んだ。口には濡れたハンカチをあてているが、煙の充満した温室内はそれでも息をするのは苦しかった。幸いと言えば、硝子の天井の一部が抜け落ち、そこから煙が抜けているおかげで充満しきっていないところか。
しかしそれでも、むしろ外からの風で勢いづけられているかのように火は強く、濡れた制服越しにじわじわと焼かれるような熱さを感じた。すぐにでも乾いてしまいそうだ。
裕福な貴族学園ということもあって温室はとても広い。そんな中を煙と炎に包まれた歩いていると、方向感覚を失ってしまいそうになる。
――なにやってるのかしら、私。
あまりに無鉄砲すぎる。
自分から火に包まれに行くなんて、そんなのサーカスのライオンでもしないだろう。
けれど後悔はしていなかった。
「まったく。引きこもって土から出れない恥ずかしがりの友人はどこかしらね」
冗談を口にできているだけまだ大丈夫だろう。
火の弱いところを探しながら、煙でくぐもった視界の中を懸命に歩き続ける。
けれど方向感覚をやられた私は、もはやマンドラゴラがどこにあるのかすらわからなくなっていた。
もう燃えてしまったのか、まだ無事なのか。それすらもわからない。
やがて、やや離れたところに温室の中にある小屋を見つけた。前にリリィと一緒に温室を訪れた時に見覚えがある。用具などが置かれている場所だ。
「あそこ……」
ふと、先ほどの教員の言葉を思い出す。
『中の消火装置のバルブを手動で動かせれば水の散布も始まるかもしれないが』
「……消火装置」
私はそれに一抹の望みをかけて駆け寄った。
小屋の金属でできたドアノブは熱気で熱くなっていた。
思わず引っ込めた手にまだ湿り気を残した制服の裾を纏わせ、ドアを開けて中に入る。
中には用具が丁寧に整理整頓して置かれていた。
ここを使っているのはリリィくらいだという。彼女の几帳面さだろう。
そんな部屋の中に、地面から天井と続く太い管を見つけた。管には赤いバルブが取り付けられていて、ご丁寧に『消火用』とかすんだ文字で書かれている。
「これね」
それに手をかけ、私は目一杯に力を込めて回した。
「……んっ。……んっ」
しかし驚くほど固かった。
付け根の部分が錆びていたのだろうか。長らく整備されていないせいだろう。
非力な私には厳しい。
少し走るだけですぐに息を切らすような私なのに。
小屋のすぐ外では今にも火の手が強まり、やがてはこの小屋すらも覆いこもうとする勢いだ。
けれど、諦める気にもなれなかった。
「んんんんんんっ!」
私は死に物狂いでそのバルブをまわした。
――かちり。
「……っ! 行って!」
僅かに動き、それからは早かった。
一度まわったバルブはゆるゆると回り、これ以上動かないところまで回りきってくれた。
「やったっ」
私が口許を綻ばせたのとほぼ同時に、温室の天井や支柱に設けられていた管から水がシャワーのように巻かれ始める。
どうやら散布の機能はしっかりと働いてくれたようだ。
「……まったく。これまで壊れてたらどうしようかと思ったわ」
溜め息を漏らしながら、私は安堵に肩を下ろした。
だがまだ安心はできない。
散布され始めた火の勢いこそ少し弱まりはしたが、しかし水の散布もまだ不十分で、煙は漂っているままだ。このままでは一酸化炭素中毒で倒れかねない。
けれども一心不乱にバルブを回した時に息を荒げて深く煙を吸ってしまったせいか、頭痛と眩暈がゆっくりと頭の中を蝕むようにやってきて、意識もぼうっとし始めてしまっていた。
出なければ。
水の散布で火も弱まっている。
土に植えられたマンドラゴラなら、まだ無事であればきっと助かるだろう。
後はもう、出るだけだ。
「……これはちょっと、しんどいかもね」
奇妙な笑いが零れた。
怖いというよりも、自分の無謀さに呆れた。けれどやっぱり後悔はなかった。
ここでもし足を止めたら、それこそ後悔になるだろう。
友人の大切な親友を守るために無茶をしたのだ。それで、その子の別の友人が倒れてしまっては元も子もない。
絶対に無事に戻るんだ。そう心を支えながら、私は足を動かし続けた。
でもどこに行けばいいのだろう。
ただでさえ煙で見えない視界もぼやけている。
足がふらついた。
どこに、どっちに向かえばいいのかもわからなくなる。
そんな中、
「ユフィ!」
声が聞こえた。
可愛らしい、聞き馴染みのある婚約者の声だった。
私はそれを頼りに、聞こえてきた方向目掛けて足を進めていった。
やがて視界が晴れ、外に出たとわかった。
それに安堵して膝をつく。かすんだ視界の中、フェロが駆け寄ってくるのがわかった。そのまま倒れそうになる私を彼は抱きとめてくれた。
「戻ってきたら中に飛び込んだって聞いて。心配したよ……もう、守れないかと思った」
心底震えた声でフェロはそう言った。
そして私を確かめるようにぎゅっと抱きしめていた。
「おい、大丈夫か! 保健室に運べ!」と教員達も駆け寄ってくる。
やがて消火装置の散水が見事に働き、火災の勢いはすぐに弱まっていっていた。温室のもう一つの区画は焼きレンガでそこより先が燃え広がらなかったことと、温室の周囲に隣接する建物がなかったのが幸いだっただろう。
散水によって煙もやがて晴れ、中の様子が見え始める。
「どらごんちゃん!」
リリィが大急ぎで中に駆け寄ると、土を掘り、埋まっていたマンドラゴラを掘り出して抱きしめていた。
どうやらどらごんちゃんは無事だったらしい。
本当に嬉しそうに、我が子を抱く母のように大切に抱えていた。
そうして火事騒動はひとまずの落ち着きを見せた。
私が介抱されているうちにやがて他の教員や消防隊などが駆けつけ、残り火の確認などの事後処理が行われている。
周囲は騒ぎを聞きつけた人混みで溢れていた。ライゼや長ネギたちの姿も見受けられる。
一人の教員が言った。
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「そもそもほとんど使われてない場所よね」
生徒の誰かが呟く。
事実、そこに立ち入る生徒なんて数が知れている。
そんな中、
「そこに出入りしてるのはリリィくらいだろ」と長ネギが声を上げた。
「リリィ……あの子か」
教員が、温室の中でマンドラゴラを抱きかかえる少女に目をつけ、彼女へと歩み寄った。
「もしやキミが何か火種を持ち込んだのかな?」
「……え?」
驚いた顔でリリィは教員を見上げた。
「そういや、さっきの休みにもそこにいたよな」と長ネギが野次のように声を飛ばす。
最悪だ。
それではまるでリリィが火事の原因みたいではないか。
何か反論したいけれど、煙で朦朧としていた私は横になったままなにもできない。
長ネギの言葉を聞き、教員は短く頷き、またリリィを見つめた。
「少し話を聞かせてもらおう。職員室に来てくれないか」
「……わ、わたし、何もしてません」
「故意にやったわけではないかもしれない。けれど、何か事故があったかもしれない。よっと話を聞かせてもらうだけだ」
口ではそう言っているが、教員の声調や表情から、リリィを深く疑っているのは明白だった。確かに温室に出入りしているのはリリィくらいだ。そこが燃えたのだから疑われるのも仕方ないが、教員の言い方はまるで故意にしろ過失にしろリリィであると断定しているかのようだった。
「私は、火の出るものなんて……!」
「とにかく来なさい」
「ま、待って、ください。私は……」
――体が動けばすぐにでもリリィを庇いに行くのに!
容疑をかけられて動揺するリリィに歩み寄ったのは、しかし私じゃなくてライゼだった。
「リリィ。とにかく場を落ち着けるためにも職員室に行こう。不安なら俺も行く」
「で、でもっ! 私は、ちがうんです……」
「わかっているよ。でも、それを確かめるためにも行こう。行って説明するんだ」
「…………はい」
ライゼにそう諭され、ショックを受けた表情で諦めたリリィは、やがて教員やライゼと共に職員室の方へと歩いていったのだった。
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