こちら異世界交流温泉旅館 ~日本のお宿で異種族なんでもおもてなし!~

矢立まほろ

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○3章 旅館のあり方

 -5 『中條』

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「面倒なことをして悪かったね、少年」

 事務所に案内された男性――査察官と呼ばれた中條は俺に気さくに笑いかけた。

 ふみかさんが帰ったことで緊急の招集がかかり、従業員は事務所へと集まることになった。

 輪を作って囲むように並んだ従業員たちに、ふみかさんと中條が向かい合う。

「みなさん。この方は――」
「ああ、私から言うよ」

 ふみかさんを手で制止し、中條がみんなの前に歩み出る。

「自分は中條。政府管轄の部署で、異世界での件を中心とした極秘事項を専門に管理している。といっても普段は事務局のデスクワークなんかが主だが、今回は実地にて仕事を任されたので赴いた次第だ」
「仕事?」

 従業員の中の誰かが疑問を漏らす。

「簡単なことさ。この旅館が現在、異世界との交流において正常に機能できているかどうかを調査するために使わされただけだよ。査察官と仰々しく銘打たれているが、まあただの様子見だ。短くて一週間ほど滞在するが、問題が無ければそのまま上に報告するだけ。ただ――」

 調子よく気さくな笑顔を振りまいていた中條の表情が途端に厳しいものに変わる。

「異常があれば話は別だ。ここ最近、この旅館ではトラブルが頻発していると聞く。中には見過ごすには大きすぎる問題もあった。聞けば従業員による過失があった可能性もあるとのこと。しかしセキュリティの徹底ができていなかった政府の管理側にも問題があったのは事実。そのため、機密保護の観点も踏まえて『この旅館の存在意義の見直し』も考えられている」

「見直し、ですか?」
「それって」

 従業員から口々に疑問の声が上がるが、中條は言葉を止めずに続けていく。

「意図しない情報漏えいは政府にとって不利益にしかなり得ない。これほど重大なことを世間に秘匿しているのだから。だから、大きなトラブルが続いたこの旅館を異世界間の交流拠点として存続させていていいものか。もっと別の形で交流の形をとれないものか。という話が上層部のお偉方の口から発せられているのさ」

「ここがなくなるかもしれないってことですか」と、側で一緒に見ていた俺の父親が叫んだ。

 隣の母親も、何も知らされていないのか眉をひそめて困惑している様子だ。二人の動揺は従業員にも瞬く間に伝染していく。

 ざわめきで騒然とし始めた空気を、しかし中條は鼻で笑って吹き飛ばした。

「決まりってわけじゃあない。政府だって、わざわざ費用を割いてまで投資してきたこの旅館を易々手放したくはないだろうさ。『門』の移動ができない以上、取り壊しとまではいかなくとも、スタッフを信頼の置ける政府役員に総入れ替えする程度に落ち着くだろう。まあそうなると君たち旅館側の従業員は解雇という形になってしまうが」

 淡々とした口調で告げられる中條に、従業員たちは誰もが言葉を失っていた。

「なあに。問題があれば、というだけの話だ。このまま君たちに預けていても大丈夫だと判断されればそのようなことも起こらない。だから安心して、これまで通りにしっかりと業務を全うしてくれたまえ」

 笑い声を含ませる中條に対し、従業員たちは誰一人、隣のふみかさんすらも、顔を俯かせて表情を曇らせているばかりだった。

「従業員の監督に監視。本当はこれ、誰かさんの仕事のはずなんだけどねえ」

 したり顔を浮かべながら言う中條の隣で、ふみかさんが伏せた顔をしかめる。

「何年もいりゃあ情が移っちまうってのは、人間の悲しい性だねえ」

 中條はそう言い残し、そのままふらりと軽い足取りで事務所を出て行った。

   ◇

「お父さんとお母さん、全然帰ってこないね」

 家で留守番をしていた千穂に晩御飯を作っていると、心配そうに尋ねてきた。

 両親はここ数日、ひたすらに泊りがけで事務作業などに明け暮れている。査察官の中條の手前、少しでも業務を滞らせないようにと掛かりきりになっているようだ。

 これまで遅くても二日に一度は帰って顔を見せていたこともあって、何かあったのではないか、と千穂ですら感づき始めている様子だった。

「大丈夫だ。父さんたちは頑張って仕事してる最中だからな。帰って来れなくても、いざとなったら俺がバイトをやめればいい。そうしたら千穂の世話はできる」

 なるたけ笑顔を作って言ってみた。
 だが千穂のくすんだ表情は晴れなかった。
 顔を覗き込み、俺を思い扱うように眉をしかめる。

「でもお兄ちゃん。すごく行きたそうだよ」
「……え?」
「シエラお姉ちゃんたちと一緒にいるとき、すごく楽しそうだったもん」

「そう、かな」
「そうだよ。千穂も、一緒にあの旅館で楽しく働いてみたいもん。ねえ、お兄ちゃん。千穂ももっと大きくなったらあの旅館で働けるかな?」

 千穂の言葉に、俺は何も言い返すことができなかった。

   ◇

 中條が査察に訪れてからたった二日で、旅館の空気はがらりと変貌していた。

 絶対的な権力を持った上司に睨まれて仕事をしなければならない環境。もしヘマをすれば職を失いかねない。

 誰に言われたわけでもない、どこからともなく滲み出てきた緊張感が従業員たちの中で流れていた。

 俺のようなアルバイトの学生とは違い、正規雇用のスタッフたちには人生に関わる問題だ。その相手が国家権力で、扱っているものが国家機密というのだから、想像以上に事は重たかった。

 スタッフたちの接客は以前よりも見違えるほど丁寧になっている。
 仲居はどんな客の機微にすら反応して対応できるよう意気込み、厨房ではより早く、より豪華で見栄えのいい美味しい料理の提供を心がけられた。

 意識向上により微細な部分のブラッシュアップがなされ、旅館としての質は向上しただろう。しかし俺にとってはそれが良い事ばかりとは思えなかった。

「いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました」
「やあ、こんにちは。今回もゆっくりさせてもらうよ」
「いつもありがとうございます」

 常連の客に対してもマニュアルどおりに。

 いつ中條に見られ、仕事の不備を問い詰められるかもわからない。誰にどう見られても良いようにするには、そのマニュアルからなかなか足を踏み外すことができないのだ。

「どうしたんだ、そんなに堅苦しくして」
「いえ、そんなことは。お荷物をお持ちしますのでどうぞこちらへ」
「今日もいつもと変わらない軽装だから必要ないさ」
「そんなそんな。ちゃんとお運びしますので」
「……そ、そうかい」

 これまでの仲居たちの接客との違和感に、決まりが悪そうな顔をする客も少なくはなかった。

 良くも悪くも対等だった距離感が、明確に客と従業員として線引きされた気がした。誰もがそのきまずさを味わっていたが、誰にもそれをどうすることもできない状況だった。

「たとて誰が見ていても、見ていなくても、常に自分にできる最高の仕事をこなす。それは当たり前のことだよ」

 そう従業員たちに言った中條の言葉はまさにその通りで、正論過ぎる故に誰も言い返すことができなかった。アドバイザーの役割であるふみかさんですら、彼の目がある以上は仕方がない、と肩をすくめるばかりだ。

 接客が丁寧になったのはいいが、その重苦しい空気が、俺にはどうしても居心地悪かった。
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