きぼうダイアリー  ~三つ目看板猫の平凡で優雅な日常~

矢立まほろ

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○第1話 三つ目看板猫とミステリー少女

 -9 『遺したもの、残されたもの』

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 たどり着いたのは近所の小学校だった。

「麻生先生、急に呼び出してすみません。でもどうしてもお願いしたいんです」

 職員室から出てきた小太りな中年男性に少女が頭を下げる。
 先生と呼ばれた男性は、突然のことに困惑したように額の汗を拭った。

「頼まれてもねえ。事情があるとはいえ、いいものなのかどうか」
「もし皆になにかを言われたらすべて私が責任を取ります。勝手に一人でやったことだって謝りますから。だから、どうか、お願いします」

 少女は何度も繰り返し頭を下げた。

 自殺した同級生の少年のこと。
 彼から託されたメッセージのこと。

 先生もその事情を聞かされたゆえに、彼女のお願いをきっぱり断ることもできない様子だった。

「……わかった」

 ようやく先生が渋面を縦に振ると、少女は顔を持ち上げて謝辞を繰り返した。

「ただし、先生は何も見ていない。いいね?」
「はい」
「だから、それはきみだけで見なさい」
「……はい。ありがとうございます」

 改めて深く頭を下げ、少女は校庭の隅にある用具倉庫に向かった。

 中から中型のスコップを取り出す。
 そして学校の校庭の一番隅、ウサギの飼育小屋がある裏の一角に向かった。

 そこには既に先生が先回りしていて、美咲に軍手を渡してくれた。少女の両手が塞がり、さすがにソルテも地面に飛び降りる。

 ソルテと先生が傍で見守る中、

「ふんす」と鼻息を荒げながら少女はスコップで地面を掘り始めた。

 つい遊び心が騒ぎ出し、スコップの隣で気持ちばかりにソルテも土を引っ掻き出す。あまり役には立てていないが、もとよりそのつもりもなく、ただ掘るのが楽しいだけである。

 数分も立たないうちに何か固いものにぶつかる音が響き、少女の手が止まる。そして屈みこむと、穴から四角いステンレスの缶の箱を取り出した。

 土を被っていたり外面が凹んだりしているが、他に大きな外傷はなさそうだ。少女はそれを両手の平に乗せると、穏やかな表情で土を払いのけていった。

「私たちのタイムカプセル……あの頃のままだ」

 少女が感慨深く呟く。

「きみたちはいま高一だっけか。というともう四年くらい前になるのか」
「そうですね。二十歳になったらみんなで開けようって約束で卒業式の日に埋めました。八年経ったらここで会おうって約束したのに……あと四年も待てないや。先生がまだここに残っててよかったです。助かりました」

 タイムカプセルを地面に置いて少女が蓋に手をかける。少し離れたところで見守っている先生に顔を向けた。

「いいですよね、先生」
「わかってはいると思うけど、片山くんのだけだよ」
「わかってますよ先生。こんな勝手なことしてるんだもん。これ以上はわがまま言いません」

 少女はほんの数瞬ほど何かを思いつめるように缶箱のタイムカプセルを見つめると、意を決して蓋を開けた。

 中には小さなキーホルダーやぬいぐるみがいくつか。それと、ジッパー付きの袋に入れて折り畳まれた便箋の束があった。少女はそこから一枚の紙を選んで抜き出す。それを広げると、少女は先生には届かないくらい小さな声でその文面を口にした。

『八年後の二十歳になった自分へ。
 二十歳の俺は、ちゃんと自分の夢を叶えられていますか。小学一年の頃からずっとサッカーだけやって来て、監督には才能があるって言われて、それだけに熱中して。将来は絶対にプロサッカー選手になってやるって言っていた俺の夢は、ちゃんと叶っていますか。』

 一文字ずつ、噛み締めるように少女は呟く。
 心なしか、文字を追うその瞳が次第に潤んでいくように見える。

『俺にはもう一つの夢があります。今の夢の、その先にある夢です。

 それは、本当にサッカー選手になった姿を、好きな人に見てもらうことです。ずっと幼馴染な関係のままでどこまで行っても友達みたいな感じだから、全然関係が進まなくて、兄弟みたいに見られてて。でも、立派な俺になったらきっとあいつも振り向いてくれると思うから。だから、死ぬ気でサッカーを頑張れよ。

 でも、もし――』

 と、そこまで読んで少女の声が少し止まる。
 手に力が入り、紙がくしゃりと曲がる。その手はかすかに震えている。

『でも、もし俺がサッカー選手の夢を諦めていたなら、その時は、あの子のこともきっぱりと諦めてください。

 ――今の俺は、正直言って怖いです。俺にはサッカーしかありません。勉強も駄目。物覚えも悪くて落ち着きもない。ただできることはひたすらに、無我夢中に目の前のボールを追いかけることだけ。そんな俺がもしサッカー選手になれなかったら、きっと俺には何も残らないと思います。

 たった一つの取り得も失くなったらどうしようって、ずっとその恐怖と闘っています。俺からサッカーを取って、何も残らないダメ男になってしまった俺を見たら、きっとあいつに失望されてしまうから。なにより、そんな情けない俺を見て欲しくないから。

 だから、死ぬ気でサッカーをやり続けてください。二十歳を過ぎても、諦めないでプロサッカー選手を目指してください。頑張れ。頑張れ、俺!』

 一通り読み終えて、しかしまだ紙の余白に小さな文字で続きがあることに少女が気づく。

『――追伸。

 もし俺がサッカーを諦めていたら、きっとここにも顔を出さないと思う。恥ずかしくて出せないと思う。だから、その時はたぶん美咲が俺のを勝手に見るんじゃないかな。

 もしこれをお前が見ていたのなら、告白の代わりに、俺のことを忘れてくれ。こんな俺と言う存在ごと忘れて、幸せになってくれ。それが、みじめでみっともない、俺の最後の望みだ』と。

 全てを読み終えた少女がそっと紙を閉じる。その瞳には大量の涙が溢れていた。

 頬を伝っては新しく目尻に溜まり、また頬を伝って、雨粒のように足元の土を濡らしていった。しばらく俯いたまま、鼻を啜る涙声ばかりが漏れ聞こえていた。

 しんしんと落涙する嗚咽を漏らす中、やがてふと、心の叫びを噛み殺すような少女の独白がソルテの耳に届いた。

「…………ばか」と、一言。

 震えた、微かな声だった。

 事故という辛い出来事をどうにか乗り越えても、その先には、下半身不随でサッカーを諦めた姿を少女に失望されるだろうという恐怖が待ち構えている。

 まさに前後虎狼。
 一難去って、その先に、もっと大きな困難が待ち構えているのだ。

 常人にとっては些細なことかもしれない。命を投げ出すほどのことではないのかもしれない。だが彼にとっては、それは余程の大事だったのだ。

「なにこれ。じゃああいつは、自分にはサッカーしかないって勝手に思いこんでて、事故でそれもできなくなったから私に失望されると思ったってこと? そんなことで自分から命を断ったってこと?」

 少女の中でパズルのピースが埋まっていっているのだろう。
 残されたメッセージの答え。彼からの遺言のようなものだ。

「なによそれ。私そんなこと言ってないよ。サッカーしてるとこが好きなんて一言も言ってないよ。ずっと一緒にいただけなのに。勝手に一人で自分に酔わないでよ。それしかないって決め付けないでよ。あんたの好きなとこくらい私に決めさせてよ。なんで、そんなに……」

 くすぶるような小さな声が、次第に静かに怒気を孕んでいく。そして少女は俯いた顔を勢いよく持ち上げた。

 背を向けていた先生が頃合を見計らって声をかけた。

「彼の言葉は受け取ったかい」
「……はい。ちゃんと」

 涙を拭い、少女は頷く。
 そして目尻の水滴を振り払うように、目一杯の笑顔を作って言った。

「先生、ありがとうございました」と。

 張ったように快活で、でもどこか震えた少女の声は、冬の寒空によく響いた。
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