きぼうダイアリー  ~三つ目看板猫の平凡で優雅な日常~

矢立まほろ

文字の大きさ
12 / 30
○第2話 三つ目看板猫となかよし夫婦

2-1 『喫茶店の少女と猫』

しおりを挟む
「ほんとにアルバイト雇い始めたんだ」

 カウンターで頬杖をつきながら沙織が言った。
 彼女の視線は後ろでテーブル席を掃除している新人バイトへと向けられている。

 ――赤穂美咲。

 つい先日まで客としてやってきていた彼女だが、どういうわけか今週からアルバイトとして働いているのである。

「お店の雰囲気が気に入っちゃって。あと珈琲の香りも好きなんです」とは面接の時の彼女の志望理由である。

 二つ返事で契約をしてしまったマスターを、ソルテは恨むような気持ちで見つめていたものだ。おかげで休日や放課後の時間になると毎日のように彼女がやって来て、穏やかだったソルテの平穏は脅かされている。

 カップのソーサーを割った回数二回。
 椅子の足に蹴躓いて大きな物音を立てた回数四回。
 昼寝中のソルテを無理やり起こしてきた回数五回。

 無駄な雑音私語、ほぼ常にである。

 そんな美咲の落ち着きのなさを、マスターは孫を見るような優しい目つきで眺めていた。

「華があると賑やかになっていいでしょう」
「個人の喫茶店じゃあそんなにお金を落としてくれる上客もいないでしょ。儲かってるの?」
「まあ、おかげさまで」

 微笑を浮かべたマスターが、沙織の手元に並んでいるお皿を見る。

 生クリームの乗ったパンケーキに半枚のフレンチトースト。砂糖控え目のミルクティーが香り立ち、店内に甘ったるい匂いが充満している。おまけに食後のアメリカンをマスターが用意している最中だ。

「なるほど、私か」

 自問自答のように沙織は勝手に納得して頷いた。

「沙織さん以外にもけっこう注文してくださるお客様もいるんですよ」
「だから言ったでしょ、住宅街の喫茶店にスイーツは必須だって。開店してすぐ来た時に全然メニューがなかったからビックリしたわよ。珈琲とトーストだけでやってくつもりなのかと思ったわ」

「いやはや。ここを開く前までは洋菓子どころか料理すらあまりしなかったくらいですから。アドバイスを頂いてメニューに追加してみてよかったです。練習した甲斐がありました」

「こういう休憩できる喫茶店ってけっこうお年を召したおば様方がランチやティータイムで集まったりするのよ。そういう話を職場でもよく耳にしてね。あそこのケーキが美味しいだなんだって、聞いてもないのに楽しそうに話してくるの。あ、ここも話に出てたわよ。星四つだって。何個が満点か知らないけど」

「話題に出してもらえただけでも嬉しいことです」
「星百点満点かもね」
「それはちょっと、凹みますねえ――あ、そろそろかな」

 マスターがチェック柄のミトンを手にはめて足元のオーブンの扉を開ける。
 ふっくらと膨らんだスポンジケーキが、甘い香りと共に湯気を立ち上らせながら現れた。

「うわー。マスター、いま私より女子力高いんじゃないの」
「そうですかね」

 乾いた笑みをこぼす沙織に、マスターはつやつやした明るい顔で微笑んでいた。

 髭面の老人にミトンとエプロン、そしてケーキ。

 ――うむ、奇妙である。

「マスターさん、机拭き終わりましたよ!」

 白いダスターを片手に、子どものような威勢の良い声で美咲がカウンターへ駆け寄っていく。

「ありがとう。じゃあ次は、明日使う用のダスターを洗って漂白剤に浸けておいてもらおうかな。そのままだと手が荒れるから、水道の横にある使い捨ての手袋を使ってくれていいよ」
「はい、かしこまりました!」

 少女は快活に頷くと、不恰好な敬礼をしてからあっという間に店のバックヤードへと駆けていった。

「もの凄く無駄に元気ね」

 やや呆れ気味に沙織が呟く。
 それに関してはソルテもまったくの同意だ。

 赤穂美咲という少女が来てからというもの、いつもは静かであった客足の少ない時間帯も落ち着くことができなくなっていた。

 静かにしておくことができないのかと思うほどに騒がしい。
 せっかく戻ってきたと思ったソルテの静かなお昼寝タイムも、たった一人の喧騒によって台無しである。

 昼の三時過ぎになると美咲はほぼ毎日やって来る。おそらく学校が近いのだろう。その時間になるとソルテは彼女のことで頭が一杯だ。

 今日はどれだけ騒がしくなるのだろうか。
 どれだけソルテの邪魔をしてくるだろうか。

 考える度に憂鬱である。
 しかしこの喫茶店はソルテの居城。
 女の子一人のために外に逃げるなど家主のプライドとしても不本意だ。

「あれ、ソルテ。お昼寝するの?」

 テーブルの上に丸まって寝転んでいると美咲が声をかけてきた。近くの窓を拭きに来たらしい。

 ソルテのお気に入りの天窓の前は陽が差せば温かいのだが、あいにく今日は雲が多く隙間風ばかりで寒い。そのため暖房の風が当たるテーブル席でくつろいでいたのだが、そのせいで美咲に必要以上に絡まれてしまっていた。

「寝るんだったら私が子守唄を歌ってあげようか」

 いらないお世話である。
 が、ソルテのそんな気持ちも関係なく、美咲は小さく鼻歌を歌い始める。

「えへへ。上手でしょ。これ、この前学校のコンサートで学年二位だったんだ」

 だからどうした。
 ソルテにとってはやかましい雑音でしかない。

 ソルテは静かな場所が好きなのだ。

 サイフォンの湯が沸騰する泡の音。天窓から聞こえてくる鳥のさえずり。コツコツと、木を叩くような革靴の足音。マスターの鼻息。そんなささやかな環境音の方が、ソルテには至上の子守唄なのである。

 とりわけ猫は耳が良い。
 雑音を滅法嫌う性質なのだ。
 上手いかどうかもわからない人間の鼻歌ぐらいで安々と眠る赤子ではない。

 しつこく鼻歌を歌い続ける彼女から目を背けるように、ソルテはぐっと身を丸め、お腹に顔を埋めた。

 このまま眠れず不眠症にでもなればどうしてくれよう。
 いっそマスターに駄々をこね、迷惑料としておやつ増量でもねだってやろうか。

 ――ああ、それがいい。

 しめしめと内心でほくそ笑みながら、ソルテはゆっくりと瞳を閉じたのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

〜仕事も恋愛もハードモード!?〜 ON/OFF♡オフィスワーカー

i.q
恋愛
切り替えギャップ鬼上司に翻弄されちゃうオフィスラブ☆ 最悪な失恋をした主人公とONとOFFの切り替えが激しい鬼上司のオフィスラブストーリー♡ バリバリのキャリアウーマン街道一直線の爽やか属性女子【川瀬 陸】。そんな陸は突然彼氏から呼び出される。出向いた先には……彼氏と見知らぬ女が!? 酷い失恋をした陸。しかし、同じ職場の鬼課長の【榊】は失恋なんてお構いなし。傷が乾かぬうちに仕事はスーパーハードモード。その上、この鬼課長は————。 数年前に執筆して他サイトに投稿してあったお話(別タイトル。本文軽い修正あり)

あの日、幼稚園児を助けたけど、歳の差があり過ぎてその子が俺の運命の人になるなんて気付くはずがない。

NOV
恋愛
俺の名前は鎌田亮二、18歳の普通の高校3年生だ。 中学1年の夏休みに俺は小さい頃から片思いをしている幼馴染や友人達と遊園地に遊びに来ていた。 しかし俺の目の前で大きなぬいぐるみを持った女の子が泣いていたので俺は迷子だと思いその子に声をかける。そして流れで俺は女の子の手を引きながら案内所まで連れて行く事になった。 助けた女の子の名前は『カナちゃん』といって、とても可愛らしい女の子だ。 無事に両親にカナちゃんを引き合わす事ができた俺は安心して友人達の所へ戻ろうとしたが、別れ間際にカナちゃんが俺の太ももに抱き着いてきた。そしてカナちゃんは大切なぬいぐるみを俺にくれたんだ。 だから俺もお返しに小学生の頃からリュックにつけている小さなペンギンのぬいぐるみを外してカナちゃんに手渡した。 この時、お互いの名前を忘れないようにぬいぐるみの呼び名を『カナちゃん』『りょうくん』と呼ぶ約束をして別れるのだった。 この時の俺はカナちゃんとはたまたま出会い、そしてたまたま助けただけで、もう二度とカナちゃんと会う事は無いだろうと思っていたんだ。だから当然、カナちゃんの事を運命の人だなんて思うはずもない。それにカナちゃんの初恋の相手が俺でずっと想ってくれていたなんて考えたことも無かった…… 7歳差の恋、共に大人へと成長していく二人に奇跡は起こるのか? NOVがおおくりする『タイムリープ&純愛作品第三弾(三部作完結編)』今ここに感動のラブストーリーが始まる。 ※この作品だけを読まれても普通に面白いです。 関連小説【初恋の先生と結婚する為に幼稚園児からやり直すことになった俺】     【幼馴染の彼に好きって伝える為、幼稚園児からやり直す私】

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...