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○第3話 三つ目看板猫とあったかクリスマス

 -4 『クリスマスパーティー』

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 クリスマス当日がやって来た。

 喫茶店『スリーアイ』の扉には大きなリースが飾られて、店内には折り紙で作った色とりどりの輪飾りが貼られている。カウンターの脇には精巧な模型の小さなツリーが置かれていて、光沢の眩しい丸い球や電飾で綺麗に彩られていた。すっかりクリスマスムード全開である。

 普段ならば昼になると沙織がよく仕事の休憩にやって来るのだが、今日は休みを取っているらしい。

 以前、美咲がクリスマスに何か用事があるのかと尋ねると、「大人の秘密よ」と軽くあしらわれていた。

 しかしそう言う沙織の余裕の表情からしておそらく何かあるのだろう。いいなあ、と美咲が羨ましそうにしていた。

 沙織がいない代わりにいつもは見ない客層が度々店を訪れてきた。
 クリスマスとなると外出してお茶を飲む家族やカップルが増えるのだろう。

 普段は混まない時間帯でも、今日ばかりは絶えず客足が伸び続いていた。

「朝から出てもらって悪いね」
「大丈夫ですよ。お昼からお世話になりますし」

 用意された珈琲をお盆に乗せて運ぶ美咲に、マスターが労いの声をかける。美咲は少しも不満を感じさせないからっからの笑顔で答えていた。

 昼過ぎからは友達を呼んでのクリスマス会である。
 最初は乗り気でなかった美咲も、いざ当日となると楽しみになっているのだろう。

 客から注文を伺っている時も、サイフォンでゆっくり抽出されていく珈琲を待つ間も、ずっとそわそわした様子で落ち着かないでいた。

 今日の店内は珈琲のほろ苦さに混じって、随分と甘い香りで満たされている。クリスマス限定のメニューとして特製のパンケーキがあるのだ。

 上にホイップクリームを高く巻き、ツリーの電飾をイメージしたカラフルなチョコスプレーを振りかけている。天辺には小さな星型の薄いチョコが飾られ本物のクリスマスツリーのように綺麗だ。

 それが奥様方や女の子に人気のようで、マスター一人で作っていてはとても手が回らないほどの大盛況だった。美咲もオーダーや注文の品を運ぶ合間に、マスターお手製のレシピを片手にパンケーキを作ったりしていた。

 どたばた走り回るほどの大繁盛。

 猫の手も借りたいと嘆くマスターを横目に、ソルテはまたお気に入りの天窓の前で退屈そうに欠伸をしていた。ほどほどに賑やかなのは構わないのだが、昼寝するにはうるさすぎて、外を散歩するには寒すぎる。

 仕方なく足元から聞こえてくる主婦の旦那への愚痴話などに耳を傾けながら、のんびりと一日を過ごすことにした。

「いらっしゃいませ」

 溌剌な美咲の声が響く。

 相変わらずうるさいくらいに元気であるが、その接客は板についてきたように思う。お店に入ってきた客を笑顔で迎え、席にまで誘導していく。その成長ぶりに、マスターが我が子を見るような目でよく微笑んでいるのをソルテは知っている。

 すっかりこの店に定着してしまった赤穂美咲という少女の騒がしさに、ソルテも少しずつ慣れ始めてしまっていた。

 またドアベルが鳴る。来客だ。
 美咲が開いたドアへと駆け寄り、丁寧にお辞儀をして新しい客を迎え入れる。

 やって来たのは美咲の友達だった。気付けばもう昼の二時である。

「おっす美咲ー」
「……お邪魔します」

 この前に会ったボーイッシュ少女と眼鏡少女が店に入ってくる。だが、その後ろにまだもう二人続いていた。気付いた美咲の視線の先には、彼女たちと同い年くらいの男の子がいた。

「あれ? 田辺と深沢じゃん。なんでいるの」

 小首を傾げる美咲に、先頭に立つボーイッシュ少女は申し訳なさそうに顔の前で片手を切る。

「ごめんね。今日のことを男子たちに言ったら興味持ったらしくてさ。突然で悪いんだけど、追加で参加ってできるかな」
「ええ……」

 あまりの急なことに、美咲は眉をひそめてマスターへと視線を送る。カウンターで遠目に眺めていたマスターも苦笑を浮かべていた。

「あー。無理だったら俺たちはいいよ」と、奥で待っている男子の一人が言う。

 だがボーイッシュ少女が慌てた口ぶりで「いやいやちょっと待ってて」と引き止めるものだから、美咲もどう言えばいいのか反応に困っているようだった。

「なんとかしてみるよ」とマスターが苦渋に頷き、もともと彼女たちのために用意していたテーブル席へと案内した。

 三人の予定だったため、四人掛けのテーブルでは必然的に一人があぶれる。片方に男子が二人、もう片方にボーイッシュ少女と眼鏡少女。美咲は通路に椅子を持ち出して座ることになった。

「ほんとごめんね」と謝るボーイッシュ少女に、美咲は「まあいいよ」と苦笑を返すばかりだった。

「美咲ちゃんも行ってきたらいいよ。楽しんでおいで」

 マスターの言葉に甘えて、美咲はお店のエプロンを外して集団に参加した。

 どうやら男子たちはクラスメイトらしく、随分と仲がいい様子でさっそく話が盛り上がり始めていた。

 美咲がここでバイトをしていることに驚いた話だとか、今日は一段と寒いだとか、昨日のテレビでやってた漫才番組が面白かっただとか。どうでもいいような談笑が広がっていく。その中心はボーイッシュ少女で、積極的に男子たちに声をかけては盛り上げようとしているように思えた。

 騒がしくなるのはソルテにとっていい迷惑である。
 だが、楽しそうに笑う彼らを邪魔するのも忍びない。

 騒音で眠れないとなれば、苛々を押し殺して梁の上で寝転ぶくらいしかすることがない。マスターが梁に貼ってくれた爪とぎ用のおもちゃを引っ掻きながら暇を潰す。

「みんな、どんな飲み物がいいかな」

 他の客を相手する片手間に、マスターが美咲たちのところにやってきた。

「ねえみんな、何にする」とボーイッシュ少女が身体を前のめりに注文を率先して取り纏めた。何故だか知らないが随分と気合が入っているようだ。各々が好きな飲み物を注文すると、普段の美咲以上に耳に悪い劈くような大きい声でボーイッシュ少女が注文を頼んだ。

 それからマスターが持ってきてくれた飲み物たちを通路側にいる美咲が受け取って配っていく。その間もボーイッシュ少女は男子たちとの会話に夢中のようだった。隣に座る眼鏡少女も、当たり障りのない相槌を打って話を聞き流しているように見えた。

「洒落た店だな」と男子が言うと、
「そうでしょ!」とどうしてかボーイッシュ少女が鼻高々に胸を張る。

「ここ、デザートとかも美味しいんだって」
「へえ。でも俺、あんまり甘すぎるの苦手なんだよな」

「あ、じゃあコーヒーゼリーとかどう? きっと甘すぎなくて美味しいよ」
「コーヒーゼリーかあ。俺、ホットコーヒー頼んだのにまたコーヒーってのもな」
「えっ。あ、そうだよね。じゃあどうしよっか」

 随分と積極的に話しかけてはいるが、些か空回り気味のようだ。

「チーズケーキだったら甘すぎないからどうかな」と美咲が助け舟を出し、結局それに決まった。

 その場を仕切りたがる存在というものはどうしても現れる。

 自己顕示欲だとかそういう小難しいことはソルテにはわからないが、それは猫の世界だって、いやどの動物だって同じだろう。

 群れにはボスが存在する。
 ボスは他者より秀で、率先して上に立つことで存在をアピールする。故にそのポジションを勝ち取れるものは強者であり、絶対的な立場を得ることができるのだ。

 学はなくとも野良猫として生きてきたソルテにはわかる。

 力の誇示は他者への牽制。
 そしてもう一つ他に、異性への優性のアピールとして使われる。

 ボーイッシュ女子のそれは典型的な後者であった。

 彼女の視線はほとんど常に、向かいの席に座った田辺と呼ばれる少年に向けられている。真上のソルテから見れば一目瞭然だ先ほどから話を振っているのも、大方田辺という少年に向かってばかりだった。

 やはりクリスマスに色めき立つのは人間の性というものなのだろうか。

 飲み物が揃った彼女たちの元にマスターがやって来る。
 真っ白な四角い箱をテーブルに置くと、箱を開けて中身を取り出した。

「おおー」と各々から感嘆の声が漏れた。

 用意されたのは、生チョコでコーティングされたホールケーキだった。円周に白いホイップが飾り付けられ、先の細いしぼり袋で五芒星のような星の模様が大きく描かれている。真ん中には白い板チョコにチョコペンで『メリークリスマス』と英語で書かれていた。

 今回のクリスマス会のための特製である。

 マスターはこのためにいつもより二時間以上早く家を出たくらい気合が入っているものだ。もともと三人分の予定だったから直径はそれほど大きくはないが、十分の見ごたえである。

 それをその場で器用に五等分に切り分けると、マスターは喜ぶ子どもたちの笑顔を見て、満足そうなやり遂げた顔で戻っていった。

 美味しいと彼女たちが言葉を漏らすたび、カウンターで聞き耳を立てるマスターの口許が緩むのがソルテには面白く見えた。
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