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-13『撃退』
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「は、はいっ。すみません。すみません」
体にすっかり癖がついてしまったかのように、フェスがまた頭を深く下げて謝り倒していた。
客の荒くれ者達がやって来て二日目に入っている。彼らのせいで旅館の中は物騒なほど賑やかだ。夕食の時は料理が少ないだの、もっと豪華なものを寄越せだの、好き放題に言って厨房を困らせていた。夜中は中々寝付かず、持ち込んだ酒を飲んで日が昇るまで叫び通す始末。
これがあともう一泊はあると思うと、従業員一同の顔色は疲れと呆れから蒼白にやつれていっていた。
「酒持ってくるのが遅いんだよ!」
「す、すみません。あ、あの。お客様、お部屋でお煙草は――」
「はあっ?! これは煙草じゃねえよ」
「いえ、その。どう見ても煙草で――」
「うるっせえな。俺が違うって言ったら違うんだよ」
「そ、そんな……うぅ」
旅館のどこにいても彼らの罵声が聞こえてくるようで、朝の布団を片づけ終えて客室から戻ってきたフェスはすっかり憔悴しきっていた。
私は事務所で彼女を迎え、頭を撫でて苦労をねぎらってあげた。
「お疲れさま。よく頑張ってくれたわね」
「シェリーさぁん……」
耳をしな垂らせて抱きついてきた獣人の少女を受け止める。気弱な性格なのに、本当によく頑張ってくれたものだ。
彼女が仕事を投げ出さずにしっかりとこなしてくれたおかげで時間を作ることができた。
「ロロ。昨日言ったものはできてるかしら」
「うん」
旅館の法被を羽織ったロロが、一冊の薄い手帳を手渡してくれた。私はその中身をぱらぱらと確認し、にやり、とほくそ笑んだ。
「それじゃあフェス。後は任せてゆっくり休みなさい」
「え、でも接客は……」
ぽんぽん、と私はフェスの頭をたたいて頼もしく
微笑む。
「私が行くわ。ロロ、ついてきてちょうだい」
「わかったよ」
私は事務所の奥から仲居の着物を取り出し、着替えて出た。
これまで洋服ばかり着ていたせいもあって、初めての着物は不思議な感じだった。けれど簡単に羽織れる物だったので手こずらなかったのは幸いだ。
「あ、その……」
更衣室の前で待っていたロロが、着替えた私を見た途端に視線を泳がせた。
「なによ。似合わないって?」
「いや、違う。いいと思うよ。その、凄く似合ってる」
「……あ、そう」
改めてそう直球に言われると、びっくりして恥ずかしくなってしまう。
私は赤くなった顔の火照りをごまかすようにさっさと歩き出した。
目指すは荒くれ者達のいる客室。そこに私は先ほどの手帳を懐にしまい、床板の軋む廊下を歩いていった。
客間のすぐ側から、彼らの騒音は十分に響いて届いてきた。
私は彼らの部屋の扉をノックすると、返事も待たずに部屋へと入った。
「ああ、なんだよ?」
開いた扉と一緒に、不機嫌そうな男の声がやってくる。それと同時に煙の臭さ。充満した酒のにおいも相まって、鼻がもげそうだ。
「呼んでねえぞガキ」と酒の空き瓶を放ってきた男達だが、しかしやって来たのが気弱な獣人ではなく私だと気づき、一瞬だけ動きを止めた。
真顔に彼らを見やる私と目が開い、男達が不快そうに顔をしかめる。
「なんだよ」
「お客様。当館での喫煙はご遠慮くださいますようにお願いしましたよね」
物怖じせず、わざとらしく笑顔を作って私は言った。私の視線は、私が来たにも関わらず窓際で煙草をふかし続けている男へと向けられている。
しかしその男も、私が言ったところで悪びれる素振りなど見せはしない。
「はあ? だから煙草じゃねえって。あのガキにも言っただろ」
「いいえ、煙草ですね」
「違えよ!」
語気を強めて脅してくるが、そんなものに怯む私じゃない。
こほん、と息を払って、私は平常心を保って彼らに向き直る。
「実はこういうものがありまして」
そう言いながら私は懐から手帳を取り出した。男達の視線も不思議そうに集まる中、それを開いてみせる。
「これはこの旅館での宿泊のルールを記したものでございます。当旅館をご利用いただくすべてのお客様に遵守していただく項目がここに書かれています」
「は? だからなんだよ」
「実はここに――」
あるページ開いて私は読み上げる。
『当旅館にて喫煙を行うことは禁止とする。そおれに反する者。厳重なる注意によっても更正しないと判断される者は、問答無用でこの旅館から退去していただき、金輪際の立ち入りを禁止する』
「――というものがありましてね」
「は? なんだよそれ」
「つまり、再三の注意をしたにも関わらず違反を繰り返す方は、事情がどうであれすぐに出て行ってもらうってことです」
わかったかな、僕? とでも言いたげな口調で私は言う。
当然というか、男達は激昂した様子で私へとつっかかってくる。
「ふざけんなよ。こっちは金を払って泊まってやってるんだぞ。客を追い出すのかよ」
「ええ、そうなりますね。残念ながら。しかしお客様がお約束を守っていただけませんでしたので」
「そんなの聞いてねえよ」
「それは、お客様がご来館の際に仲居からの説明を聞かなかったのが悪いのでは?」
「ふざっけんな。今までそんなことなかったじゃねえか!」
そう。そんな旅館のルールなんて存在しなかった。できあがったのはつい昨日だ。
しかしそれを彼らが知る手段はない。何故なら、彼らは昨日、自分達から旅館の説明を受けることをすっぽかしたのだから。
実はずっとありました、と私達が押し通しても、彼らはそれを受け入れるほかない。
「ずっと再三の注意をさせていただいていましたが、今回ばかりはもう限度というものでして。このルールに則り、お客様にはご退室願います」
深く頭を下げた私の一方的な言いぶりに、さすがの男達も相当に腹が立ったのか、壁をぶちたたいて脅してくる。更にはその内の一人が私へと、鬼気迫る顔で近づき、凄みをきかせて睨みつけてきた。
「おいおい。客にそんな態度でいいのかよ」と。
だが私は一切臆さずに男を見返し、
「この旅館に害なす人間は客とは見なさないわ」
ただ一言、冷徹にそう言い放った。
「なんだとっ?!」
「ふざけんな!」
「いい気になりやがって!」
男達が一様に立ち上がって私に詰め寄り、仕舞いには殴りかかろうとしてきたところを、巨大な体躯が間に割って入る。獣人だ。男達より一回りは大きな体格をした、調理服を着た板前の獣人が私を守るように立ちふさがった。
気づけば他の獣人の従業員達も、部屋の外からたくさん中を覗き込んでいる。
その威圧感に、男達は気圧されて殴り来る勢いを削がれていた。
彼らの前にロロが歩み出る。
「お客様。そういうことですのでご退室願います。表には馬車も用意いたしました。どうか大事にならぬようお引き取りください」
「……くそっ」
さすがの男達も、この旅館のほとんどの従業員達に睨まれるように囲まれ、バツが悪そうな顔を浮かべていた。
「さあ、お帰りだ。手伝ってさしあげろ」と、板前の獣人が外の仲間達に声をかける。フェスを筆頭にわらわらと中へやって来た獣人達は、あっという間に男達の荷物をまとめ上げ、部屋の外まで運び出していた。
そうして瞬く間に男達は外へと連れ出され、玄関の外に用意された馬車へと放り投げられるように詰め込まれていた。
「ふざけんなよお前ら。客にこんなことして良いと思ってるのかよ」
「料金も結構です。どうぞそのままお帰りください。まだ日も高いですし、他の町で新しい宿も見つかるでしょう」
男達の小言にはまったく相手をせず、私は淡々と案内をする。そして馬車の御者に声をかけると、男達を乗せた馬車はそのまま走り出していく
。
「もう来なくていいわよ」という気持ちも込めて、従業員一同、満面の笑顔で、
「ご来館ありがとうございました!」と送り出したのだった。
鬼を退治したとでもばかりに、荒くれ者達がいなくなったことで、獣人の従業員達は嬉しそうに拳を突き上げたりしていた。
彼らもあの客達に散々迷惑をかけられていたのだろう。その鬱憤を晴らせて気分爽快とばかりに喜んでいる。
「見たか、あの最後まで驚いたような顔。出荷される牛みたいだったぜ」
「そういう事は思っていても口に出さない方がいいわよ」
体格の良い板前の獣人が高笑いして言うのを私が気持ち程度に注意すると、彼は素直に「お、おう。悪い」と謝っていた。
獣人の彼らは私を随分と受け入れてくれているようだ。もうすっかり、私をこの旅館の一員として接してくれているように思う。
実際、彼らのために住居を改善したり、共通の敵である荒くれ者達を一緒に撃退したのだから、すっかり私を認めてくれているようだった。
「や、やりましたね!」と尻尾をぶんぶん振って抱きついてくるフェスは、我が子にしたいくらい可愛らしくて、もしゃもしゃと頭を撫でくり回してやった。
この旅館で好き放題していた厄介者は退治した。けれど問題はまだ残っている。
「なんてことをしたんだい!」
気分良く浸っていた私達の元へ怒号が飛び込んでくる。
ミトだ。
ずっと旅館にいながらも私の指示を無視して見物だけしていた彼女が、鬼気迫った顔で私へと向かってきていた。
「あの人達は数少ないうちのお得意さまだよ。確かに素行は悪いが、これで客も減って旅館が潰れでもしたら大問題だ。せっかくの太客だったんだ。どうしてくれるのさ!」
ひどく怒った調子でミトは私に詰め寄ってきた。
確かに彼女の言い分はよくわかる。一組でも多く客がほしい寂れた旅館のくせに、数少ないそれを追い返すなんて馬鹿げている。
けれど私は一概にはそう思わなかった。
「客が一組こなくなっただけで潰れるなんて、そこまでってことよ。遅かれ早かれ、その客の気まぐれで潰れてたわ」
たまたま続けて来てくれていただけで、これからも来るとは限らない。常連客は確かに大事だが、それは保証されているわけではない。彼らがいるからと何もせずにいるのはただの思考停止だ。
「ミトさんは周囲の住民にこの旅館がどう思われてるかご存じかしら?」
「そ、それは。昔からある伝統的な、この町の象徴さ」
そんなわけがない。願望だ。
「悪いところは身を切り落としてでも浄化する必要がある。それはこの旅館がミトという町の一員であるために必要なこと。あんな荒くれ者達じゃなくて、誰もが来られるような公衆的な場所にすること。それが何よりも大事よ」
「何を言って……ん?」
腑に落ちない顔で眉間をしかめるミトの背後から、ふとざわついた声が聞こえ始めた。遠くから届いてくるその賑やかな声は次第に大きくなり、こちらへと近づいてきていた。
体にすっかり癖がついてしまったかのように、フェスがまた頭を深く下げて謝り倒していた。
客の荒くれ者達がやって来て二日目に入っている。彼らのせいで旅館の中は物騒なほど賑やかだ。夕食の時は料理が少ないだの、もっと豪華なものを寄越せだの、好き放題に言って厨房を困らせていた。夜中は中々寝付かず、持ち込んだ酒を飲んで日が昇るまで叫び通す始末。
これがあともう一泊はあると思うと、従業員一同の顔色は疲れと呆れから蒼白にやつれていっていた。
「酒持ってくるのが遅いんだよ!」
「す、すみません。あ、あの。お客様、お部屋でお煙草は――」
「はあっ?! これは煙草じゃねえよ」
「いえ、その。どう見ても煙草で――」
「うるっせえな。俺が違うって言ったら違うんだよ」
「そ、そんな……うぅ」
旅館のどこにいても彼らの罵声が聞こえてくるようで、朝の布団を片づけ終えて客室から戻ってきたフェスはすっかり憔悴しきっていた。
私は事務所で彼女を迎え、頭を撫でて苦労をねぎらってあげた。
「お疲れさま。よく頑張ってくれたわね」
「シェリーさぁん……」
耳をしな垂らせて抱きついてきた獣人の少女を受け止める。気弱な性格なのに、本当によく頑張ってくれたものだ。
彼女が仕事を投げ出さずにしっかりとこなしてくれたおかげで時間を作ることができた。
「ロロ。昨日言ったものはできてるかしら」
「うん」
旅館の法被を羽織ったロロが、一冊の薄い手帳を手渡してくれた。私はその中身をぱらぱらと確認し、にやり、とほくそ笑んだ。
「それじゃあフェス。後は任せてゆっくり休みなさい」
「え、でも接客は……」
ぽんぽん、と私はフェスの頭をたたいて頼もしく
微笑む。
「私が行くわ。ロロ、ついてきてちょうだい」
「わかったよ」
私は事務所の奥から仲居の着物を取り出し、着替えて出た。
これまで洋服ばかり着ていたせいもあって、初めての着物は不思議な感じだった。けれど簡単に羽織れる物だったので手こずらなかったのは幸いだ。
「あ、その……」
更衣室の前で待っていたロロが、着替えた私を見た途端に視線を泳がせた。
「なによ。似合わないって?」
「いや、違う。いいと思うよ。その、凄く似合ってる」
「……あ、そう」
改めてそう直球に言われると、びっくりして恥ずかしくなってしまう。
私は赤くなった顔の火照りをごまかすようにさっさと歩き出した。
目指すは荒くれ者達のいる客室。そこに私は先ほどの手帳を懐にしまい、床板の軋む廊下を歩いていった。
客間のすぐ側から、彼らの騒音は十分に響いて届いてきた。
私は彼らの部屋の扉をノックすると、返事も待たずに部屋へと入った。
「ああ、なんだよ?」
開いた扉と一緒に、不機嫌そうな男の声がやってくる。それと同時に煙の臭さ。充満した酒のにおいも相まって、鼻がもげそうだ。
「呼んでねえぞガキ」と酒の空き瓶を放ってきた男達だが、しかしやって来たのが気弱な獣人ではなく私だと気づき、一瞬だけ動きを止めた。
真顔に彼らを見やる私と目が開い、男達が不快そうに顔をしかめる。
「なんだよ」
「お客様。当館での喫煙はご遠慮くださいますようにお願いしましたよね」
物怖じせず、わざとらしく笑顔を作って私は言った。私の視線は、私が来たにも関わらず窓際で煙草をふかし続けている男へと向けられている。
しかしその男も、私が言ったところで悪びれる素振りなど見せはしない。
「はあ? だから煙草じゃねえって。あのガキにも言っただろ」
「いいえ、煙草ですね」
「違えよ!」
語気を強めて脅してくるが、そんなものに怯む私じゃない。
こほん、と息を払って、私は平常心を保って彼らに向き直る。
「実はこういうものがありまして」
そう言いながら私は懐から手帳を取り出した。男達の視線も不思議そうに集まる中、それを開いてみせる。
「これはこの旅館での宿泊のルールを記したものでございます。当旅館をご利用いただくすべてのお客様に遵守していただく項目がここに書かれています」
「は? だからなんだよ」
「実はここに――」
あるページ開いて私は読み上げる。
『当旅館にて喫煙を行うことは禁止とする。そおれに反する者。厳重なる注意によっても更正しないと判断される者は、問答無用でこの旅館から退去していただき、金輪際の立ち入りを禁止する』
「――というものがありましてね」
「は? なんだよそれ」
「つまり、再三の注意をしたにも関わらず違反を繰り返す方は、事情がどうであれすぐに出て行ってもらうってことです」
わかったかな、僕? とでも言いたげな口調で私は言う。
当然というか、男達は激昂した様子で私へとつっかかってくる。
「ふざけんなよ。こっちは金を払って泊まってやってるんだぞ。客を追い出すのかよ」
「ええ、そうなりますね。残念ながら。しかしお客様がお約束を守っていただけませんでしたので」
「そんなの聞いてねえよ」
「それは、お客様がご来館の際に仲居からの説明を聞かなかったのが悪いのでは?」
「ふざっけんな。今までそんなことなかったじゃねえか!」
そう。そんな旅館のルールなんて存在しなかった。できあがったのはつい昨日だ。
しかしそれを彼らが知る手段はない。何故なら、彼らは昨日、自分達から旅館の説明を受けることをすっぽかしたのだから。
実はずっとありました、と私達が押し通しても、彼らはそれを受け入れるほかない。
「ずっと再三の注意をさせていただいていましたが、今回ばかりはもう限度というものでして。このルールに則り、お客様にはご退室願います」
深く頭を下げた私の一方的な言いぶりに、さすがの男達も相当に腹が立ったのか、壁をぶちたたいて脅してくる。更にはその内の一人が私へと、鬼気迫る顔で近づき、凄みをきかせて睨みつけてきた。
「おいおい。客にそんな態度でいいのかよ」と。
だが私は一切臆さずに男を見返し、
「この旅館に害なす人間は客とは見なさないわ」
ただ一言、冷徹にそう言い放った。
「なんだとっ?!」
「ふざけんな!」
「いい気になりやがって!」
男達が一様に立ち上がって私に詰め寄り、仕舞いには殴りかかろうとしてきたところを、巨大な体躯が間に割って入る。獣人だ。男達より一回りは大きな体格をした、調理服を着た板前の獣人が私を守るように立ちふさがった。
気づけば他の獣人の従業員達も、部屋の外からたくさん中を覗き込んでいる。
その威圧感に、男達は気圧されて殴り来る勢いを削がれていた。
彼らの前にロロが歩み出る。
「お客様。そういうことですのでご退室願います。表には馬車も用意いたしました。どうか大事にならぬようお引き取りください」
「……くそっ」
さすがの男達も、この旅館のほとんどの従業員達に睨まれるように囲まれ、バツが悪そうな顔を浮かべていた。
「さあ、お帰りだ。手伝ってさしあげろ」と、板前の獣人が外の仲間達に声をかける。フェスを筆頭にわらわらと中へやって来た獣人達は、あっという間に男達の荷物をまとめ上げ、部屋の外まで運び出していた。
そうして瞬く間に男達は外へと連れ出され、玄関の外に用意された馬車へと放り投げられるように詰め込まれていた。
「ふざけんなよお前ら。客にこんなことして良いと思ってるのかよ」
「料金も結構です。どうぞそのままお帰りください。まだ日も高いですし、他の町で新しい宿も見つかるでしょう」
男達の小言にはまったく相手をせず、私は淡々と案内をする。そして馬車の御者に声をかけると、男達を乗せた馬車はそのまま走り出していく
。
「もう来なくていいわよ」という気持ちも込めて、従業員一同、満面の笑顔で、
「ご来館ありがとうございました!」と送り出したのだった。
鬼を退治したとでもばかりに、荒くれ者達がいなくなったことで、獣人の従業員達は嬉しそうに拳を突き上げたりしていた。
彼らもあの客達に散々迷惑をかけられていたのだろう。その鬱憤を晴らせて気分爽快とばかりに喜んでいる。
「見たか、あの最後まで驚いたような顔。出荷される牛みたいだったぜ」
「そういう事は思っていても口に出さない方がいいわよ」
体格の良い板前の獣人が高笑いして言うのを私が気持ち程度に注意すると、彼は素直に「お、おう。悪い」と謝っていた。
獣人の彼らは私を随分と受け入れてくれているようだ。もうすっかり、私をこの旅館の一員として接してくれているように思う。
実際、彼らのために住居を改善したり、共通の敵である荒くれ者達を一緒に撃退したのだから、すっかり私を認めてくれているようだった。
「や、やりましたね!」と尻尾をぶんぶん振って抱きついてくるフェスは、我が子にしたいくらい可愛らしくて、もしゃもしゃと頭を撫でくり回してやった。
この旅館で好き放題していた厄介者は退治した。けれど問題はまだ残っている。
「なんてことをしたんだい!」
気分良く浸っていた私達の元へ怒号が飛び込んでくる。
ミトだ。
ずっと旅館にいながらも私の指示を無視して見物だけしていた彼女が、鬼気迫った顔で私へと向かってきていた。
「あの人達は数少ないうちのお得意さまだよ。確かに素行は悪いが、これで客も減って旅館が潰れでもしたら大問題だ。せっかくの太客だったんだ。どうしてくれるのさ!」
ひどく怒った調子でミトは私に詰め寄ってきた。
確かに彼女の言い分はよくわかる。一組でも多く客がほしい寂れた旅館のくせに、数少ないそれを追い返すなんて馬鹿げている。
けれど私は一概にはそう思わなかった。
「客が一組こなくなっただけで潰れるなんて、そこまでってことよ。遅かれ早かれ、その客の気まぐれで潰れてたわ」
たまたま続けて来てくれていただけで、これからも来るとは限らない。常連客は確かに大事だが、それは保証されているわけではない。彼らがいるからと何もせずにいるのはただの思考停止だ。
「ミトさんは周囲の住民にこの旅館がどう思われてるかご存じかしら?」
「そ、それは。昔からある伝統的な、この町の象徴さ」
そんなわけがない。願望だ。
「悪いところは身を切り落としてでも浄化する必要がある。それはこの旅館がミトという町の一員であるために必要なこと。あんな荒くれ者達じゃなくて、誰もが来られるような公衆的な場所にすること。それが何よりも大事よ」
「何を言って……ん?」
腑に落ちない顔で眉間をしかめるミトの背後から、ふとざわついた声が聞こえ始めた。遠くから届いてくるその賑やかな声は次第に大きくなり、こちらへと近づいてきていた。
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