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-14『前進』
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「あ、怖いねーちゃんだ」
「なんですって!」
「うひゃーっ」
からかうような声とともにやって来たのは、昨日私が出会った子供達だった。それが数人。加えて、彼らと手を繋いでそれぞれの家族と思われる人たちも一緒だ。総勢二十や三十ほどの団体が、私達のいる旅館の前にまで訪れていた。
「な、なんだいこれは。あたしは何も聞いてないよ」
「従業員への通達はさっきやってたのだけどね。みんな準備できているわよ。まさか聞いてない不真面目な従業員がいるとは思わないけど」
わかってて言ってのける私に、ミトは不快そうに唇を噛みしめ、そのまま旅館の奥へと帰っていってしまった。
気を取り直して私は子供達へと振り返る。
「なあ、ねーちゃん。温泉ってやつ、入れてくれるって本当か?」
「ええ、本当よ。特別サービス。タダでご招待しちゃうんだから」
「うおー、やったー!」
子供達がこぞって大声を上げて喜んだ。
「ここの温泉なんて久しぶりだねえ。できた頃に一度入ったっけな」
「私は来たことがないよ。泊まるにもそこそこの値段がするし、最近は寂れて近づくのも怖い雰囲気だったからね」
子供の親達も、温泉を前に口々にそんなことを話ながら中へと入っていく。
彼らは私が呼んだのだ。
この周辺に住んでいる子供達。そして、その家族。
身近なのに温泉について知らない子供達はやはり温泉に興味があるのは間違いない。そうでなければグリッドが言うように何度も裏山の管を見に来ないだろう。それだけじゃない。その時以外もたまに私達を見ていた。
この町で、外れにある大きなこの旅館は目立つ。
それでも近隣住民には親しみがなく、どんなものか知られていないのはもったいなさすぎる。
「子供達が怖いって思って完全に近づかなくなる前に、とても良い場所だって知ってもらわないとね」
私のその意見によって、ロロの承諾の元、日帰りでの温泉ツアーが計画されたのだ。これは今回ばかりの特別なものだが、感触によっては何度もやりたい。
「できることなら毎日日帰り客を受け入れて、この旅館の温泉がもっと世間に開放的にできたら一番ね」
「ろ、露天風呂だけに、開放的、ですか?!」
急にフェスがそんなことを被せてドヤ顔で言い出して、しかし数瞬の沈黙が流れてしまい、途端に恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。
「……な、なんでもないです。空耳です」
可愛いけれど、それは置いておいて。今は子供達だ。
「さあ。今日も騒がしくなるわよ」
ぱんっと平手を打ち、旅館の前に集まった従業員達に声をかける。
無料で招待したとはいえ、彼らは立派なお客様だ。荒くれ者達とは違う、この埃被った旅館に清涼な風の流れを作ってくれる。
「いよっし。仕事といくか」
「ふぇ、フェスも頑張りますっ!」
獣人の一人が気合を入れるように声をあげ、フェスも元気に拳を突き上げた。
そうして、呆気にとられどこか不満そうな顔をしたミトを残し、従業員達は意気揚々と自分の仕事場へと戻っていった。
「ほら、貴方たちも」と私は、ミトや彼女を取り巻く人間の従業員達に声をかける。
「お客様が待ってるわよ」
「…………」
しかしミトはただ静かに、私を睨むように見てくるばかりだ。そんな彼女の前に、ブラシを片手に持ったグリッドがやって来た。
「なー、お袋。このねーちゃんも結構いろいろ考えてやってるんだ。ちょっとは認めてやったらどうだ?」
「グリッド、お前……」
息子に言われ、少し心が揺さぶられたのだろうか。奥歯を噛んだ彼女の視線がやや泳ぐ。
「もしかして、私が人間の貴方達よりも獣人の宿舎を優先したことを不満に思ってたりするかしら?」
私は問いかける。
返事はないが、間違いなく欠片は抱いていることだろう。
「でも例え獣人宿舎がなかったとしても、貴方たちには何も言うつもりはないわ」
「なんで。俺たちは蚊帳の外かよ。人間はいらないってのか」と人間の従業員が苦言を漏らす。
そんな彼に優しく諭すように私は「いいえ」と首を振った。
「だって貴方たちの仕事ぶりは何も改める必要がないのだもの」
「っ!」
人間の従業員達がざわつく。
「今まで通り、けれど研鑽は忘れずに、しっかりと働いてくれたらいいわ。この旅館の空気や接し方は、私よりもずっと貴方たちが知っているもののはずだから。だから接客の仕方は貴方たちを参考にさせてもらいたいくらい」
それは私の本音だ。
私が客を装って宿泊したときも、失敗が目立ったのは獣人の従業員ばかりだった。彼らのやる気や集中力のなさなどが気になっただけだ。人間の従業員達はしっかりと頑張ってくれている。
「私は人間の貴方達を頼りにしているわ。この旅館の戦力だもの。たった数日ここにいただけで私でも素敵な場所だと思ってるんだもの。ここに長くいる貴方達は、もっともっと、強くそう思ってるに違いないわ。だから一緒に、この旅館を守っていきたいと思ってる。他でもない貴方達と」
私の言葉は届いているだろうか。
ミトを始め、人間の従業員達はただただ静かに私の声に聞き入っていた。
反応がない。
まだここに来たばかりの小娘の言葉など薄く思われているかも知れない。
けれど、やはり嘘はない。
「あんた達、行くよ」
表情は険しいまま、ミトは鼻を鳴らしてきびすを返した。だが、その足がすぐに止まる。
「……どうしたのさ」
立ち去ろうとしたミトだが、彼女を取り巻いていた人間の従業員達は彼女についていこうとはしていなかった。
彼らはしきりに顔を旅館の方へ向け、
「あ、あの。私達、お客さんのとこに行っていいですか」
「え?」
一人が言うと、他の人間もまた口を開く。
「お、俺も。せっかくお客様が来てくれてるんだし、もてなしたいっす」
そう言って、ミトを囲んでいた従業員達はお局様の顔色を窺った。
ミトは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、
「……ふん。好きにおし」とふてくされた様にそう吐き捨て、そそくさとどこかへ去っていってしまった。
残された従業員達は獣人達を追うように、旅館の方へと戻っていったのだった。
仲居頭の強情さは突き崩すことはできなかったが、他の人間の従業員達は少しは私に従ってくれるということだろうか。
人間関係としてもちょっとした進歩だ。
少しずつ。本当に少しずつ、前に進めているのだろうと、そう実感した。
「なんですって!」
「うひゃーっ」
からかうような声とともにやって来たのは、昨日私が出会った子供達だった。それが数人。加えて、彼らと手を繋いでそれぞれの家族と思われる人たちも一緒だ。総勢二十や三十ほどの団体が、私達のいる旅館の前にまで訪れていた。
「な、なんだいこれは。あたしは何も聞いてないよ」
「従業員への通達はさっきやってたのだけどね。みんな準備できているわよ。まさか聞いてない不真面目な従業員がいるとは思わないけど」
わかってて言ってのける私に、ミトは不快そうに唇を噛みしめ、そのまま旅館の奥へと帰っていってしまった。
気を取り直して私は子供達へと振り返る。
「なあ、ねーちゃん。温泉ってやつ、入れてくれるって本当か?」
「ええ、本当よ。特別サービス。タダでご招待しちゃうんだから」
「うおー、やったー!」
子供達がこぞって大声を上げて喜んだ。
「ここの温泉なんて久しぶりだねえ。できた頃に一度入ったっけな」
「私は来たことがないよ。泊まるにもそこそこの値段がするし、最近は寂れて近づくのも怖い雰囲気だったからね」
子供の親達も、温泉を前に口々にそんなことを話ながら中へと入っていく。
彼らは私が呼んだのだ。
この周辺に住んでいる子供達。そして、その家族。
身近なのに温泉について知らない子供達はやはり温泉に興味があるのは間違いない。そうでなければグリッドが言うように何度も裏山の管を見に来ないだろう。それだけじゃない。その時以外もたまに私達を見ていた。
この町で、外れにある大きなこの旅館は目立つ。
それでも近隣住民には親しみがなく、どんなものか知られていないのはもったいなさすぎる。
「子供達が怖いって思って完全に近づかなくなる前に、とても良い場所だって知ってもらわないとね」
私のその意見によって、ロロの承諾の元、日帰りでの温泉ツアーが計画されたのだ。これは今回ばかりの特別なものだが、感触によっては何度もやりたい。
「できることなら毎日日帰り客を受け入れて、この旅館の温泉がもっと世間に開放的にできたら一番ね」
「ろ、露天風呂だけに、開放的、ですか?!」
急にフェスがそんなことを被せてドヤ顔で言い出して、しかし数瞬の沈黙が流れてしまい、途端に恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。
「……な、なんでもないです。空耳です」
可愛いけれど、それは置いておいて。今は子供達だ。
「さあ。今日も騒がしくなるわよ」
ぱんっと平手を打ち、旅館の前に集まった従業員達に声をかける。
無料で招待したとはいえ、彼らは立派なお客様だ。荒くれ者達とは違う、この埃被った旅館に清涼な風の流れを作ってくれる。
「いよっし。仕事といくか」
「ふぇ、フェスも頑張りますっ!」
獣人の一人が気合を入れるように声をあげ、フェスも元気に拳を突き上げた。
そうして、呆気にとられどこか不満そうな顔をしたミトを残し、従業員達は意気揚々と自分の仕事場へと戻っていった。
「ほら、貴方たちも」と私は、ミトや彼女を取り巻く人間の従業員達に声をかける。
「お客様が待ってるわよ」
「…………」
しかしミトはただ静かに、私を睨むように見てくるばかりだ。そんな彼女の前に、ブラシを片手に持ったグリッドがやって来た。
「なー、お袋。このねーちゃんも結構いろいろ考えてやってるんだ。ちょっとは認めてやったらどうだ?」
「グリッド、お前……」
息子に言われ、少し心が揺さぶられたのだろうか。奥歯を噛んだ彼女の視線がやや泳ぐ。
「もしかして、私が人間の貴方達よりも獣人の宿舎を優先したことを不満に思ってたりするかしら?」
私は問いかける。
返事はないが、間違いなく欠片は抱いていることだろう。
「でも例え獣人宿舎がなかったとしても、貴方たちには何も言うつもりはないわ」
「なんで。俺たちは蚊帳の外かよ。人間はいらないってのか」と人間の従業員が苦言を漏らす。
そんな彼に優しく諭すように私は「いいえ」と首を振った。
「だって貴方たちの仕事ぶりは何も改める必要がないのだもの」
「っ!」
人間の従業員達がざわつく。
「今まで通り、けれど研鑽は忘れずに、しっかりと働いてくれたらいいわ。この旅館の空気や接し方は、私よりもずっと貴方たちが知っているもののはずだから。だから接客の仕方は貴方たちを参考にさせてもらいたいくらい」
それは私の本音だ。
私が客を装って宿泊したときも、失敗が目立ったのは獣人の従業員ばかりだった。彼らのやる気や集中力のなさなどが気になっただけだ。人間の従業員達はしっかりと頑張ってくれている。
「私は人間の貴方達を頼りにしているわ。この旅館の戦力だもの。たった数日ここにいただけで私でも素敵な場所だと思ってるんだもの。ここに長くいる貴方達は、もっともっと、強くそう思ってるに違いないわ。だから一緒に、この旅館を守っていきたいと思ってる。他でもない貴方達と」
私の言葉は届いているだろうか。
ミトを始め、人間の従業員達はただただ静かに私の声に聞き入っていた。
反応がない。
まだここに来たばかりの小娘の言葉など薄く思われているかも知れない。
けれど、やはり嘘はない。
「あんた達、行くよ」
表情は険しいまま、ミトは鼻を鳴らしてきびすを返した。だが、その足がすぐに止まる。
「……どうしたのさ」
立ち去ろうとしたミトだが、彼女を取り巻いていた人間の従業員達は彼女についていこうとはしていなかった。
彼らはしきりに顔を旅館の方へ向け、
「あ、あの。私達、お客さんのとこに行っていいですか」
「え?」
一人が言うと、他の人間もまた口を開く。
「お、俺も。せっかくお客様が来てくれてるんだし、もてなしたいっす」
そう言って、ミトを囲んでいた従業員達はお局様の顔色を窺った。
ミトは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、
「……ふん。好きにおし」とふてくされた様にそう吐き捨て、そそくさとどこかへ去っていってしまった。
残された従業員達は獣人達を追うように、旅館の方へと戻っていったのだった。
仲居頭の強情さは突き崩すことはできなかったが、他の人間の従業員達は少しは私に従ってくれるということだろうか。
人間関係としてもちょっとした進歩だ。
少しずつ。本当に少しずつ、前に進めているのだろうと、そう実感した。
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