15 / 53
-15『商機は逃さず』
しおりを挟む
初めて旅館の中に入った子供達は、ロビーの中を物珍しそうに見て走り回っていた。
それを彼らの母親が叱ったり、転んで泣き出す子がいたりと、さっきまでとはまた違った賑やかさに満ちていた。
これは嬉しい騒がしさだ。
純粋に、この旅館を楽しみにしてくれているとわかる。
男湯へはロロが、女湯へはフェスが案内し、彼らは思い思いに露天風呂を堪能していった。
野外ではいる公衆浴場はこの近辺では珍しい。まるでプールを楽しむように、子供達のはしゃぐ声が浴場の外にまで響いていた。
風呂をあがれば、暖簾の目の前には売店がある。
茹だった顔で出てきた親子達は吸い寄せられるようにそこへ集まり、牛乳やジュースなどを買って景気よく飲み干していた。
売店の品物は別料金だが、もともとは温泉を無料で入れているのだ。その浮いた分が大なり小なりと、得をしている、という前提が頭にこびりついて財布の紐が緩くなりがちである。
商売において『タダ』というのは、それによって、それ以上の利益を得られるようにする投資――餌にすぎない。
「お風呂に入って干からびた体には、一杯の水でも格別に美味しいわよね。汗をかいて塩分も出てる。それに入浴って意外とお腹が減るものだし。ちょっと塩饅頭のような摘める茶菓子もあるといい。子供にはスナックも。その誘惑をすぐにその場で発散させるために売店は不可欠。うん、いい感じだわ」
寝ころんでくつろげる休憩室もあり、そこで家族達は買い寄った飲み物や食べ物を持ち寄ると、男風呂や女風呂の感想などといった家族の会話に花を咲かせていた。
誰もが楽しそうで、幸せな表情を浮かべている。
「大成功ね」
昨晩この計画を思いついてから、あまり使われずに埃かぶっていた売店などを人知れず掃除しておいた甲斐があった。おかげで寝る頃には直に日の出が出そうな時間だったけれど、これだけ役になったのならば疲れも吹き飛ぶものだ。
売店の売り子や他の従業員達も、その賑やかさに混じるように楽しそうにしている。
「よかったね」と、ロロが声をかけてきた。彼の手には売店で売られているジュースが握られていて、ひんやりと冷たそうな滴を垂らすそれを私へと手渡してきた。
「ここがこんなに活気づいているのは久しぶりにみたよ。僕じゃあきっと、こんな風にはできなかった。何も決めれなくて、何も変えれなくて、いつか本当に潰れちゃってたと思う……」
やや声調が沈むロロだが、ふと私と目が合うと、その口元はふっと柔らかく笑んだ。
「でもシェリーがきて、なんだかやっていけそうな気がするよ。君となら変えられる。この旅館を」
へへっ、と気恥ずかしそうに頬を掻くロロ。
「だからどうか、これからもよろしくね。シェリー」
ロロはそう言って私に手を差し伸べた。
彼は本当に、心の底から目の前の光景が嬉しそうだった。母親である女将のハルさんが現役だった頃の、まだ盛況だった当時の旅館を思い出すように、楽しそうなお客様達を温かい目で見守っていた。
そんな彼の優しさをひしひしと感じながら、私は喜んで握手を返した。
「あー、楽しかった」
「すげー気持ちよかったー。家でお湯をかぶるだけよりもずっと!」
「また来たい!」
体を上気させてまだまだ元気を余らせている子供達が私達の周りを走ってくる。
「怖いねーちゃん。温泉っていいな!」
「そうでしょ」
本当に、そう思う。
それに関しては私の事情なんて関係なくその通りだ。
温泉に入って、気持ちいい笑顔を携えて出てくるお客様達の顔を見て、なんだか私まで嬉しくなってくるのは何故だろう。
私の婚約破棄のために旅館を盛況にする。そのために私はここにきた。
最初はただただそう思っていたけれど、私にも少しずつ、それだけじゃない何かが芽生え始めているのかもしれない。
どんな困難を前にしても頑張る獣人の仲居や従業員達の頑張りを見て、親子で湯の番をしながらずっと守られてきたこの旅館の温泉という宝物を見て。
私の期日まではまだ数ヶ月。
これからこの旅館がどれだけ成長できるかわからない。けれど、できる限りのことを頑張ってみようと私は強く決意しながら、
「誰が怖いねーちゃんよ」
「あいてっ」
とりあえず子供の頭を軽く小突いておいた。
それを彼らの母親が叱ったり、転んで泣き出す子がいたりと、さっきまでとはまた違った賑やかさに満ちていた。
これは嬉しい騒がしさだ。
純粋に、この旅館を楽しみにしてくれているとわかる。
男湯へはロロが、女湯へはフェスが案内し、彼らは思い思いに露天風呂を堪能していった。
野外ではいる公衆浴場はこの近辺では珍しい。まるでプールを楽しむように、子供達のはしゃぐ声が浴場の外にまで響いていた。
風呂をあがれば、暖簾の目の前には売店がある。
茹だった顔で出てきた親子達は吸い寄せられるようにそこへ集まり、牛乳やジュースなどを買って景気よく飲み干していた。
売店の品物は別料金だが、もともとは温泉を無料で入れているのだ。その浮いた分が大なり小なりと、得をしている、という前提が頭にこびりついて財布の紐が緩くなりがちである。
商売において『タダ』というのは、それによって、それ以上の利益を得られるようにする投資――餌にすぎない。
「お風呂に入って干からびた体には、一杯の水でも格別に美味しいわよね。汗をかいて塩分も出てる。それに入浴って意外とお腹が減るものだし。ちょっと塩饅頭のような摘める茶菓子もあるといい。子供にはスナックも。その誘惑をすぐにその場で発散させるために売店は不可欠。うん、いい感じだわ」
寝ころんでくつろげる休憩室もあり、そこで家族達は買い寄った飲み物や食べ物を持ち寄ると、男風呂や女風呂の感想などといった家族の会話に花を咲かせていた。
誰もが楽しそうで、幸せな表情を浮かべている。
「大成功ね」
昨晩この計画を思いついてから、あまり使われずに埃かぶっていた売店などを人知れず掃除しておいた甲斐があった。おかげで寝る頃には直に日の出が出そうな時間だったけれど、これだけ役になったのならば疲れも吹き飛ぶものだ。
売店の売り子や他の従業員達も、その賑やかさに混じるように楽しそうにしている。
「よかったね」と、ロロが声をかけてきた。彼の手には売店で売られているジュースが握られていて、ひんやりと冷たそうな滴を垂らすそれを私へと手渡してきた。
「ここがこんなに活気づいているのは久しぶりにみたよ。僕じゃあきっと、こんな風にはできなかった。何も決めれなくて、何も変えれなくて、いつか本当に潰れちゃってたと思う……」
やや声調が沈むロロだが、ふと私と目が合うと、その口元はふっと柔らかく笑んだ。
「でもシェリーがきて、なんだかやっていけそうな気がするよ。君となら変えられる。この旅館を」
へへっ、と気恥ずかしそうに頬を掻くロロ。
「だからどうか、これからもよろしくね。シェリー」
ロロはそう言って私に手を差し伸べた。
彼は本当に、心の底から目の前の光景が嬉しそうだった。母親である女将のハルさんが現役だった頃の、まだ盛況だった当時の旅館を思い出すように、楽しそうなお客様達を温かい目で見守っていた。
そんな彼の優しさをひしひしと感じながら、私は喜んで握手を返した。
「あー、楽しかった」
「すげー気持ちよかったー。家でお湯をかぶるだけよりもずっと!」
「また来たい!」
体を上気させてまだまだ元気を余らせている子供達が私達の周りを走ってくる。
「怖いねーちゃん。温泉っていいな!」
「そうでしょ」
本当に、そう思う。
それに関しては私の事情なんて関係なくその通りだ。
温泉に入って、気持ちいい笑顔を携えて出てくるお客様達の顔を見て、なんだか私まで嬉しくなってくるのは何故だろう。
私の婚約破棄のために旅館を盛況にする。そのために私はここにきた。
最初はただただそう思っていたけれど、私にも少しずつ、それだけじゃない何かが芽生え始めているのかもしれない。
どんな困難を前にしても頑張る獣人の仲居や従業員達の頑張りを見て、親子で湯の番をしながらずっと守られてきたこの旅館の温泉という宝物を見て。
私の期日まではまだ数ヶ月。
これからこの旅館がどれだけ成長できるかわからない。けれど、できる限りのことを頑張ってみようと私は強く決意しながら、
「誰が怖いねーちゃんよ」
「あいてっ」
とりあえず子供の頭を軽く小突いておいた。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。
猫屋敷 むぎ
ファンタジー
誰もが憧れる勇者と最強の騎士が恋したのは聖女。それは私ではなく、姉でした。
復活した魔王に侯爵領を奪われ没落した私たち姉妹。そして、誰からも愛される姉アリシアは神の祝福を受け聖女となり、私セレナは支援魔法しか取り柄のない白魔導士のまま。
やがてヴァルミエール国王の王命により結成された勇者パーティは、
勇者、騎士、聖女、エルフの弓使い――そして“おまけ”の私。
過去の恋、未来の恋、政略婚に揺れ動く姉を見つめながら、ようやく私の役割を自覚し始めた頃――。
魔王城へと北上する魔王討伐軍と共に歩む勇者パーティは、
四人の魔将との邂逅、秘められた真実、そしてそれぞれの試練を迎え――。
輝く三人の恋と友情を“すぐ隣で見つめるだけ”の「聖女の妹」でしかなかった私。
けれど魔王討伐の旅路の中で、“仲間を支えるとは何か”に気付き、
やがて――“本当の自分”を見つけていく――。
そんな、ちょっぴり切ない恋と友情と姉妹愛、そして私の成長の物語です。
※本作の章構成:
第一章:アカデミー&聖女覚醒編
第二章:勇者パーティ結成&魔王討伐軍北上編
第三章:帰郷&魔将・魔王決戦編
※「小説家になろう」にも掲載(異世界転生・恋愛12位)
※ アルファポリス完結ファンタジー8位。応援ありがとうございます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる