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○3章 手汗魔王と死者の王

 -14『ひとまずの決着です』

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 それは眩い光だった。
 白く、輝かしい光がダンスフロアを満たしていた。

 ボクのよく知る黒い靄のような、全てを蝕むまがまがしいものではない。

 白く透き通った輝きを持つその魔法は、キメラ魔獣の首元を貫き、引きちぎっていた。

 さすがの死体の兵といえど、頭をなくした胴体だけでは行動できないようだ。
 腐敗臭とガスを撒き散らしながら、その巨体はゆっくりと床に沈んでいった。

「やった……のかな?」

 魔法の使用で体力を消耗しきったボクが、息を乱しながらに様子を窺う。

 キメラ魔獣は完全に沈黙している。
 聞こえるのはボクの荒い息遣いと、壊れた壁や柱が崩れ落ちる砂利の音だけだ。

 全身全霊の力を込めたせいで、もう足を動かす力すら残っていない。

 疲労感と、充足感。
 その余韻に浸るように、ボクはそこで膝をついて放心した。

「そんな……まさか……」

 震えた声を響かせたのは、ずっと隠れ潜んでいたヴリューセンだった。

 全幅の信頼を預けていたキメラ魔獣が倒され、その裏切りを未だ信じられないといった様子で驚いていた。

「どうしてだ。こいつは私の自信作なのだぞ。より精度の高い死霊魔術をかけ、四年の歳月をかけて入念に仕上げてきたというのに」

 それほど前もった計画だったとは。
 ボードの乗っ取りも、死霊魔術の研究も、ずっと昔から水面下で続けられてきたのだろう。

 しかしその集大成と言えるキメラ魔獣が一人の少年に倒されたとあっては、彼の自信が揺らぐのも仕方のないことかもしれない。

「せっかくあの方から直々に指導を頂いていたというのに。此度の失態、どう落とし前をつけるべきか」

 動揺に声を震わすヴリューセンの瞳がぐらりとボクを捉えた。心なしか、口角がかすかに持ち上がる。

「ならばこの小僧を死人兵にすればすればよいではないか」
「…………っ?!」

 にたりと冷笑を浮かべ、飾りのようにつけていた腰元の長剣を抜いたヴリューセンが歩み寄ってくる。しかしすっかり力が抜け切っていたボクは、まるで動くこともできなかった。

 鈍色の切っ先を光らせ、彼は愚直にこちらへと近づいてくる。

「駄目よ!」と咄嗟にボクの前にエイミが飛び出し、手を広げて遮った。

「どけ、小娘。貴様も死にたいか」
「どかないわ。私は彼を守らなくちゃいけないもの」

 エイミに戦う力なんてない。
 ヴリューセンが一度剣を振るえば、その刃にあっという間に倒れることだろう。

 けれどもエイミは一切の怯みも見せず、背筋をしゃんと張り、ボクを庇い立てていた。

 その後姿を見て、ボクは身体を呆けさせたまま、不思議な感覚を覚えていた。

「…………あれ、なんだろう。へんな、感じだ」

 何かその光景が気になったのだけれど、もはや意識する力もなく、思わずその場に座り込んでしまう。

 ボクなんかほうって逃げてくれればいいのに。
 ボクなんかのために命を落とさなくていいのに。

 ボクなんか。ボクなんか――。

 そう叫びたくても身体が動いてくれない。
 ボクの周りにまた黒い靄が立ち込め始める。

 少しずつ力が戻っているのだろう。
 だがヴリューセンを止められるほどではない。

「逃げ……エイミ」

 ようやっとそう喉から吐き出せたボクに、エイミは首だけを振り返らせてにっと笑む。

「大丈夫よ。もう貴方を見捨てたりなんてしないわ」

 そんな優しい言葉に、ボクは顔の上部がほんのりと熱くなる感覚を抱いた。

「友情か、恋慕か。どちらにせよ下らんものよ。なれば先の手向けとして逝け」

 ヴリューセンが冷酷に言い放ち、刃を振り上げる。
 どす黒い視線の元、それがエイミへ振り下ろされようとした時だった。

 どこかから短剣が飛来し、ヴリューセンの手首を掠めた。

 肉を裂き、血が吹き出る。
 ヴリューセンはたまらず苦痛に呻き、握っていた長剣を地面に落として蹲った。

「そこまでよぉ」

 聞き覚えのある、無駄に色気の孕んだ低い声が響く。

 キメラ魔獣によって破壊され、外と繋がった壁の穴に、颯爽と佇む人影が一つ。白銀の鎧を輝かせ、くるりとまがった触覚のような前髪を風にたなびかせるは、国家騎士団が団長、ガイセリスだった。

 やや尻を突き出すようにモデル立ちした彼は、指先を唇につけ、ボクたちへ投げキッスとウインクを送ってきていた。なんとも嬉しくはないのが残念だ。

「貴様、国家騎士団が何故ここに」

 切り裂かれた腕を抱えながらヴリューセンが問う。

「近頃頻繁に行方不明になる案件を辿っているうちに、ドールゼという男に行き当たったわぁ。彼の現在の生業は人身売買。そして調べをまわしていると、その顧客先としてトラッセルの商人が浮かんできたのよぉ。そして探っていたところに今回の騒ぎ。死霊魔術の研究には多くの人柱が必要だ物ねぇ」

「なるほど。君たちにまで勘付かれていたとは。私は随分と間抜けだったようだ」

 ヴリューセンを嗅ぎまわっていた連中というのは王国騎士団のことだったのか。
 随分と筒抜けだったとヴリューセンは悔やんでいる様子だが、申し訳なくなる。

 ごめんなさい、ボクたちはただ根拠もなく適当にやって来ただけなんです、と。

 しかしガイセリスの言葉を聞いて納得した。
 ミレーナのいたランドの町でも人攫いなどが頻発していた。
 それが死霊魔術の実験とし利用されていたとすれば合点がいく。

「もはやここまでか」
「ええ、そうよぉ。大人しくお縄に捕まりなさい」

 ガイセリスがヴリューセンへと歩み寄る。
 だが、ボクはヴリューセンの瞳に覇気が失われていないことに気付いた。

「あぶない!」

 思わず、咄嗟に力の限り声を張る。しかしほぼそれと同時に、ヴリューセンは無事な片腕で懐の短剣を取り出し、ガイセリスの首元むかって切りかかった。

「あら怖い」

 ガイセリスの上半身が華麗に反り、刃先をかわす。
 そして伸ばされたヴリューセンの手首を掴むと、軽く捻らせた。その軽快な所作からは想像が付かない勢いでヴリューセンの身体が反転し、思い切り地面に叩きつけられる。

 地に伏した彼の頭をガイセリスは踏みつけると、口許に手を当て肩をすくめた。

「もう。私を強引に襲っていいのは色男だけよぉ」

 さすがは王国騎士団の団長を務めているだけのことはある。
 怖かったわ、と乙女めいた表情を浮かべたオカマなのに、腕は確かなようだ。

 一瞬の反抗をいとも容易く鎮圧し、彼の合図によって白銀の鎧を纏った部下たちがダンスフロアへと入ってくる。彼らによって、ヴリューセンはあっという間に連行されていってしまった。
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