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第1章
3 . 決断
しおりを挟む翌朝オーウェンは二度の夜泣きに目を覚まされたが、赤ん坊にしては少ないほどだ。そこまで寝不足ではなかった。
オーウェンは朝の牛の世話を済ますと、さっそく孤児院へ出かけた。
孤児院は、オーウェンの家から馬車で2時間ほどかかる。そこは海岸に面しているが林や森がないので少し殺風景だった。
孤児院の扉を開けると、受付のカウンターには誰もいない。すみませんと、大声で言うと奥から全身灰色の優しそうなお婆さんが出てきた。
「これはこれは、ハミルトン伯爵。こんにちは。ようこそキャベン孤児院へ。どういったご用件で?」
「もう隠居しておりますが...それはさておき、実はこの子を孤児院で少しの間預かって欲しいのです。」
オーウェンは、事の経緯を話すと、お婆さんは快諾してくれた。
「色々と書類が必要なので、そこのソファにおかけ下さいな。すぐに戻って参りますので。」
と言うと、また奥の方へ消えていった。
外の海岸から子供たちの声がしてきた。春とは言え、まだ海は冷たい。どうやら、砂浜でお城でも作っているようだ。
きやっきゃ、きやっきゃと騒ぐ子供の声を久しぶりに聞いたオーウェンは、幼かった頃の我が子を思い出す。
「三人とも立派に成長したものだ。お前もいつか優しいお母さんに、真っ直ぐいい子に育てて貰いなさい。」
せめての願いだった。かわいくて仕方がない。今も堕ちそうだ。できれば自分の手で育てたかった。
そう思って、ふにゃふにゃと動く赤ん坊を見ていると、瞳が合ってしまった。
だめだっ!と思い顔を背けようとするが、なぜかできなかった。
赤ん坊はオーウェンに咲いかけずに、じっと葵の瞳で見つめる。なにか寂しそうな雰囲気を醸し出しているように、オーウェンは思えた。
まさにその時。オーウェンは堕ちた。
そう、堕ちてしまったのだ。
オーウェンの保護欲、庇護欲が積もり積もって、理性というものは崩れた。修復不可能なほどに。
オーウェンの赤ん坊を見る目は昨日とは打って変わった。
抑えがもう効かない。オーウェンは赤ん坊を抱き上げると、赤ん坊の頬を自分の頬と擦り合わせる。
「くっ、もうだめだ。完全に堕ちたな。」
自分で自分に嘲笑する。ハミルトン伯爵の面影はもうすでに無くなっていた。
「おやおや、あなた程のお方でも赤ん坊の前となるとそのようなお顔をなさるのですね。ほほほっ。これはこれは意外なこと。 それでは、持ってきた書類に記入をよろしくお願い致します。」
奥の方から10枚ほどの紙の束をお婆さんが持ってきた。
オーウェンは決断しなければならなかった。老夫の身で赤ん坊を育てる覚悟も。
だが、もう既にオーウェンの脳裏からは「孤児院に預ける」という選択肢は消えていた。
「お婆さん、わざわざ書類を持ってきて下さったのにすみません。前言撤回です。私がこの子を引き取ります。」
お婆さんは一瞬驚くと、真剣な顔をオーウェンに向ける。
「失礼と分かった上で申し上げますが、それはお止めになさった方がよろしいかと。赤ん坊を育て上げるのは大変なことです。私は多くの子供たちの面倒を見てきましたが、簡単に育った子など一人もおりません。その上、男一人でなど... 断言します。それは、その子のためにはなりません。」
オーウェンはよく分かっていた。この道がどんなに非現実的で無理のある話だということを。しかし、もう後には戻れない。
「.....ベビーシッターを一人雇おうと思います。さすがに男手一つでは無理なことは承知してます。」
「ベビーシッター⁈ 私はあまりお勧めはしませんが。やはり、子供は子供と触れ合うことで成長してゆきます。大人に囲まれすぎるのも...」
「私は決めたことを覆すような男ではない。最後まで責任は持ちます。例え、どんなことが起ころうとも。」
決めるまでが長いオーウェン。しかし、決断後の行動は誰よりも速かった。
お婆さんは説得を諦めたようだ。
「どうやら覚悟はおありのようですね。分かりました。こちらの方で一人、ベビーシッターが余っておりましたの。孤児院の経営は難しいのでね。良ければ雇っては頂けませんか? 出自などには問題がありませんので、ご安心下さい。」
「なんと有難い!頼みます。この事は口外なさらないようにして下さい。ハミルトンの家に傷はつけられないのでね。」
「お任せください。」
オーウェンは幸せを噛み締めて孤児院を後にした。
その腕には赤ん坊を抱いて。
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