86 / 105
86 陸奥咆哮
しおりを挟む
「こちら見張所! 左舷距離二万二〇〇〇に敵戦艦と思しき艦影を確認! 本艦と同航せる模様!」
この段階になって、ようやく見張り員も敵艦の視認に成功したらしい。
「探照灯を照射いたしますか?」
白石参謀長が尋ねた。
「いや、今夜は月明かりもある。現状で探照灯を照射する必要はなかろう」
だが、近藤は参謀長の言葉を退けた。
天候はそれほど悪くはなく、空にはまだ下弦となっていない月が輝いている。弾着観測機による吊光弾の投下も可能である。
この状況で、あえて自らの位置を暴露する危険を冒してまで探照灯を照射する必要性は認められなかった。帝国海軍の射撃教範でも、夜間の探照灯照射は急迫した状況下でもない限り、推奨されていない。
「距離、二万一〇〇〇!」
すでに、陸奥以下三隻の戦艦は敵艦を射程内に収めている。
愛宕見張り員が敵艦を視認出来たということは、それよりも高い艦橋を持つ陸奥以下三戦艦の見張り員も敵戦艦を視認出来ているだろう。
と、空の彼方に眩い光源が発生した。
「陸奥より、水偵に吊光弾の投下を命じる通信が発せられた模様!」
少しの時間差を置いて、愛宕にも報告が届く。
敵艦の向こう側に投下された吊光弾のために、その艦影が夜の海上にはっきりと浮かび上がっていた。
「紛れもなく、米新鋭戦艦だな」
近藤は、双眼鏡の向こうに見える敵艦の艦影を見てそう呟いた。
帝国海軍は一九三〇年代後半、ノースカロライナの建造が始まる以前から米新鋭戦艦の存在を察知していた。
しかし、実際に帝国海軍がその戦艦を視認するのは、これが初めてのことであった。
不意に、艦橋の後方から腹に響くような轟音が近藤らの耳朶を打った。
「陸奥、撃ち方始めました!」
興奮した見張り員の声。
ついに、帝国海軍が待ち望んだ日米戦艦同士の砲戦が始まったのである。
小暮軍治少将は、自身が陸奥艦長としてこの海戦に参加出来たことを幸運に感じていた。
彼は日米開戦の足音が迫る昨年八月、陸奥艦長に着任した。
小暮は砲術科の人間であり、尉官時代から何度も陸奥乗り組みを命じられていた。陸奥砲術長を務めた経験もある。
その間に長門副砲長も務めるなど、何かと長門型に縁のある経歴を歩んできた。
そうして、いくつかの艦艇の砲術長や重巡筑摩の艦長などを経験した後、初めて戦艦の艦長に任じられたのがこの陸奥であった。
青年時代から馴染みのあるこの戦艦の艦長として米戦艦との砲戦に臨めることに、小暮の感慨もひとしおであった。
また、戦艦大和竣工まで帝国海軍の象徴として国民に親しまれてきた長門型の片割れの艦長となれば、相応の責任感と共に誇りも感じる(もっとも、大和の存在は国民には公にされていないので、今も国民の間では長門型が帝国海軍の象徴であったが)。
今回のMI作戦では、地上施設を砲撃する機会はあるかもしれないとは思っていたが、まさか敵戦艦と直接、砲火を交えることになるとは想像もしていなかった。
だが、地上施設を砲撃するよりも、むしろ敵戦艦との砲戦こそ自分の望むところである。
帝国海軍の将兵は、米艦隊を撃滅するために開戦前から猛訓練に励んできたのだ。今こそ、その精華を発揮する時が来たのである。
小暮を始め、陸奥乗員の誰もが初めて訪れた対艦砲撃戦の機会に興奮していた。
「左同航砲戦! 目標、敵一番艦! 主砲、交互撃ち方用意!」
小暮が命じれば、砲術長・中川寿雄中佐指揮の下で陸奥は砲撃を行うべく準備が始められた。
海面から四〇メートルの高さにある長さ十メートルの九四式測距儀が旋回し、的艦を捉える。
自艦の進路、速度、風向き、的艦の針路、速度、そこから導き出される自艦と的艦との移動距離。それらの数値が艦内奥深くで装甲に守られた主砲発令所に伝えられ、射撃諸元の計算結果が各砲塔に伝達される。
その射撃諸元に基づいて砲塔が左舷に旋回し、砲身が仰角を取った。
「射撃用意よし!」
どこか急かすような声で、中川中佐の報告が夜戦艦橋に届く。
刹那、小暮は帝国海軍の誰もが待ち望んでいただろう命令を下した。
「撃ち方始め!」
艦上で鳴り響く、主砲射撃を伝える二秒間の警笛。
「てっー!」
砲術長の号令が下った刹那、陸奥の左舷は朱に染まった。
四十一センチ砲四門が、轟音と共に砲弾を解き放つ。
爆炎は夜空を焦がし、爆風は海面に霧を噴き上げる。
それは、“世界のビック・セブン”と謳われた陸奥がその生涯で最初に行った敵艦への主砲射撃の瞬間であった。
砲口初速七九〇メートル毎秒。
四発の九一式徹甲弾は、大気を切り裂きつつ二万メートルの彼方に存在する敵艦へと突き進んでいった。
この段階になって、ようやく見張り員も敵艦の視認に成功したらしい。
「探照灯を照射いたしますか?」
白石参謀長が尋ねた。
「いや、今夜は月明かりもある。現状で探照灯を照射する必要はなかろう」
だが、近藤は参謀長の言葉を退けた。
天候はそれほど悪くはなく、空にはまだ下弦となっていない月が輝いている。弾着観測機による吊光弾の投下も可能である。
この状況で、あえて自らの位置を暴露する危険を冒してまで探照灯を照射する必要性は認められなかった。帝国海軍の射撃教範でも、夜間の探照灯照射は急迫した状況下でもない限り、推奨されていない。
「距離、二万一〇〇〇!」
すでに、陸奥以下三隻の戦艦は敵艦を射程内に収めている。
愛宕見張り員が敵艦を視認出来たということは、それよりも高い艦橋を持つ陸奥以下三戦艦の見張り員も敵戦艦を視認出来ているだろう。
と、空の彼方に眩い光源が発生した。
「陸奥より、水偵に吊光弾の投下を命じる通信が発せられた模様!」
少しの時間差を置いて、愛宕にも報告が届く。
敵艦の向こう側に投下された吊光弾のために、その艦影が夜の海上にはっきりと浮かび上がっていた。
「紛れもなく、米新鋭戦艦だな」
近藤は、双眼鏡の向こうに見える敵艦の艦影を見てそう呟いた。
帝国海軍は一九三〇年代後半、ノースカロライナの建造が始まる以前から米新鋭戦艦の存在を察知していた。
しかし、実際に帝国海軍がその戦艦を視認するのは、これが初めてのことであった。
不意に、艦橋の後方から腹に響くような轟音が近藤らの耳朶を打った。
「陸奥、撃ち方始めました!」
興奮した見張り員の声。
ついに、帝国海軍が待ち望んだ日米戦艦同士の砲戦が始まったのである。
小暮軍治少将は、自身が陸奥艦長としてこの海戦に参加出来たことを幸運に感じていた。
彼は日米開戦の足音が迫る昨年八月、陸奥艦長に着任した。
小暮は砲術科の人間であり、尉官時代から何度も陸奥乗り組みを命じられていた。陸奥砲術長を務めた経験もある。
その間に長門副砲長も務めるなど、何かと長門型に縁のある経歴を歩んできた。
そうして、いくつかの艦艇の砲術長や重巡筑摩の艦長などを経験した後、初めて戦艦の艦長に任じられたのがこの陸奥であった。
青年時代から馴染みのあるこの戦艦の艦長として米戦艦との砲戦に臨めることに、小暮の感慨もひとしおであった。
また、戦艦大和竣工まで帝国海軍の象徴として国民に親しまれてきた長門型の片割れの艦長となれば、相応の責任感と共に誇りも感じる(もっとも、大和の存在は国民には公にされていないので、今も国民の間では長門型が帝国海軍の象徴であったが)。
今回のMI作戦では、地上施設を砲撃する機会はあるかもしれないとは思っていたが、まさか敵戦艦と直接、砲火を交えることになるとは想像もしていなかった。
だが、地上施設を砲撃するよりも、むしろ敵戦艦との砲戦こそ自分の望むところである。
帝国海軍の将兵は、米艦隊を撃滅するために開戦前から猛訓練に励んできたのだ。今こそ、その精華を発揮する時が来たのである。
小暮を始め、陸奥乗員の誰もが初めて訪れた対艦砲撃戦の機会に興奮していた。
「左同航砲戦! 目標、敵一番艦! 主砲、交互撃ち方用意!」
小暮が命じれば、砲術長・中川寿雄中佐指揮の下で陸奥は砲撃を行うべく準備が始められた。
海面から四〇メートルの高さにある長さ十メートルの九四式測距儀が旋回し、的艦を捉える。
自艦の進路、速度、風向き、的艦の針路、速度、そこから導き出される自艦と的艦との移動距離。それらの数値が艦内奥深くで装甲に守られた主砲発令所に伝えられ、射撃諸元の計算結果が各砲塔に伝達される。
その射撃諸元に基づいて砲塔が左舷に旋回し、砲身が仰角を取った。
「射撃用意よし!」
どこか急かすような声で、中川中佐の報告が夜戦艦橋に届く。
刹那、小暮は帝国海軍の誰もが待ち望んでいただろう命令を下した。
「撃ち方始め!」
艦上で鳴り響く、主砲射撃を伝える二秒間の警笛。
「てっー!」
砲術長の号令が下った刹那、陸奥の左舷は朱に染まった。
四十一センチ砲四門が、轟音と共に砲弾を解き放つ。
爆炎は夜空を焦がし、爆風は海面に霧を噴き上げる。
それは、“世界のビック・セブン”と謳われた陸奥がその生涯で最初に行った敵艦への主砲射撃の瞬間であった。
砲口初速七九〇メートル毎秒。
四発の九一式徹甲弾は、大気を切り裂きつつ二万メートルの彼方に存在する敵艦へと突き進んでいった。
7
あなたにおすすめの小説
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。
現在1945年夏まで執筆
米国戦艦大和 太平洋の天使となれ
みにみ
歴史・時代
1945年4月 天一号作戦は作戦の成功見込みが零に等しいとして中止
大和はそのまま柱島沖に係留され8月の終戦を迎える
米国は大和を研究対象として本土に移動
そこで大和の性能に感心するもスクラップ処分することとなる
しかし、朝鮮戦争が勃発
大和は合衆国海軍戦艦大和として運用されることとなる
小日本帝国
ypaaaaaaa
歴史・時代
日露戦争で判定勝ちを得た日本は韓国などを併合することなく独立させ経済的な植民地とした。これは直接的な併合を主張した大日本主義の対局であるから小日本主義と呼称された。
大日本帝国ならぬ小日本帝国はこうして経済を盤石としてさらなる高みを目指していく…
戦線拡大が甚だしいですが、何卒!
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる