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第1部 示される能力(ちから)
23 煌一の立場
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ガラガラとキャスターが転がる音が近づいてくる。ドンッ! とドアが乱暴に開け広げられ、
「ひなたっ!」
煌一の怒鳴り声、すくみ上るひなた、ずかずかと入ってくる煌一、後ろに続くストレッチャー、見慣れない三人の男、廊下から恐る恐る覗く警官、雷雅は驚いて目を丸くする。
「おまえがいて、何やってんだっ!」
「ごめんなさい!」
狼狽えたひなたが雷雅の背中に隠れた。煌一が手を伸ばしてひなたを捕まえ、雷雅から引き離す。乱暴はよせっ! 思わずひなたを庇おうとした雷雅を振り払って、煌一が龍弥を覗き込む。
「うん、よくやった、龍弥」
いきなり声色が変わった煌一を、雷雅がハッと見る。ひなたを怒鳴りつけたのとは打って変わって、煌一の声は震えている。そして小さな溜息を吐いた。それほど龍弥を心配していたのか? ひなたはなんでもなさそうなことを言ったが、龍弥はとんでもなく危険な目にあったんだと、改めて感じた。
「退け、雷雅。龍弥を連れて帰る。ストレッチャーに乗せるのに邪魔だ」
煌一が連れてきた男たちが龍弥をストレッチャーに移していると、医師が駆け込んできた。
「なにをする気だ? 退院なんか――」
「どこも悪いところはないのでは?」
途中で口籠った医師を煌一が遮ると途端に医師の表情が変わり、
「――そうですね。しばらく安静に。なにかあったら受診してください」
何事もなかったかのように部屋から出ていく。また影か……密かに思った雷雅だ。
マスターの車で、一足先にひなたと雷雅は陽だまりに帰った。先に行け、と煌一に言われ病室を出た時、廊下にいた警官の姿は消えていた。きっと母さんのほうに戻ったんだと思った時、急に母親の顔が見たくなった。が、言い出せなかった。母親を恋しがるなんて恥ずかしいと感じた。
煌一は龍弥を陽だまりの、雷雅の部屋に運ぶと言う。雷雅一人には広すぎる部屋だし母が入院中の今、部屋も余っている。その部屋には引っ越しのとき、ひなたが新品のベッドを入れてくれた。そこに龍弥を受け入れるべく、ひなたがシーツを掛けたり掛布団を用意したりしていた。
ベッドメイキングが終わるころ、龍弥を乗せた車が陽だまりの前に停まった。龍弥にストレッチャーを使ったのは病院の駐車場まで、そこからは担がれて車に乗せられたらしい。外階段を負ぶられて昇ってきた龍弥の顔を見た雷雅は、本当に大丈夫なのかと感じていた。こんなに生気のない顔って、初めて見たと思った。病院でもこんなだったっけ? 思い出そうとして、怖くてまともに見れなかったことを思い出す。
龍弥をベッドに寝かせると、部屋に残ったのは雷雅とひなた、煌一の三人だけだ。マスターは『コーヒーでもお出ししましょう』と、煌一の部下の男たちと一緒に店へ降りて行った。
煌一が身を乗り出すようにして龍弥の顔を覗き込む。
「龍弥、タツ? 聞こえるか?」
雷雅が初めて聞く、煌一の優しい声だ。煌一は両手で包み込むように龍弥のこめかみのあたりを抑える。目を閉じなにか念じているようだ。暫くそうしていたが
「ダメだ……」
と、やがて溜息を吐いた。
「そこまで深く逃げ込んだ?」
心配そうにひなたが煌一に尋ねる。
「災厄魂を探知するのは得意だろうが……不意を突かれて慌てたんだろう。とっさの緊急避難で、最大限のものを使った、そんなところだ――何時だ?」
「そろそろ六時。日没まで一時間」
「襲われてから七時間近くってところか。日没まで待って、もう一度目覚めを促してみよう。それでだめなら強制的に起こすしかないな」
「強制的に?」
「うん、ライガの力を試すいい機会だ――マスターが気を利かせてくれた。お茶にしよう」
煌一がそう言うと同時に勝手口の呼び鈴が鳴り、雷雅が慌てて出て行った。
マスターが持ってきてくれたのはポットにたっぷりのコーヒーとフルーツタルトだった。煌一のためだろう、灰皿も用意されていた。
フルーツタルトはいろいろな果物が乗ってとても美味しい物だったが、ひなたはともかく煌一も一緒では落ち着かない。それ以上に龍弥のこともあって、味わって食べる余裕がなかった。
「僕の力を試すって?」
不安げな雷雅に煌一は答えず、代わりにひなたが言った。
「ライガがタツヤに、目覚めろって命じてタツヤが起きるかどうかってこと」
「それが僕の力を試すことになるんだ?」
「陽の命令に影は必ず従うって教えたでしょ。陽の一族としての力がライガにどれくらいあるか、タツヤの反応を見れば判るってことだ」
「あぁ……」
なるほど、と思いながらどこか納得できない。誰かに命じることに馴染めない。巧くできるだろうか? 責任は感じるがそんな責任が自分にあることすら、どこか他人事のように感じる。陽の一族――何もかも夢の中みたいだ。
ケーキを食べ終わったひなたの前に、何も言わずに煌一が手付かずの自分の皿を滑らせた。嬉しそうなひなたの顔がなんとなく気に入らない。会うたびひなたを怒鳴るくせに、そう思った。龍弥のことだってひなたのせいじゃないのに……
「なんで日没まで待つの?」
雷雅のこの質問に答えたのもひなただ。
「日の出と日没には気軸が変わるから、掛けた術の効果に変化が起きることがあるんだ。気軸って言うのは大気の様子って考えていい」
「へぇ……」
へぇ、と言うほかない。でも、龍弥が自分になんらかの術をかけて意識をどこかに隠した、と言うのは雷雅にもなんとなく判った。そして日の出と日没は、影の一族にとって大きな影響力を持っているんだろう。
煌一が、マスターが用意した灰皿を持って玄関から出ていく。外階段でタバコを吸う気なのだろう。
「煌一さんってタバコ、吸うんだね」
玄関ドアが閉まる音を聞いてから雷雅がそう言うと、
「タバコを吸う人が珍しい?」
ひなたが笑う。
「うん。身近にはいないから」
「そっか。それもそうだね、ライガは未成年だし、お母さんも吸わないんでしょ?」
「吸わないよ。ひなたさんは煌一さんにタバコ、やめて欲しいんだよね?」
「あれ? なんで?」
「前に、やめたんじゃなかったのかって煌一さんに言ってた」
「そうだったっけ?」
「それにしても煌一さん、なんですぐ怒鳴るんだろう? 龍弥のことだって、ひなたさんが悪い訳じゃないのに病室でいきなりだもん。ひなたさんが殴られるんじゃないかって、心配だった」
「ライガ、煌一はわたしだろうがほかの誰かだろうが、殴るなんてない。そこは信じて――ま、わたしが近くにいるから安心してたのに、って思ったんじゃないか? それに他には怒鳴る相手がいないしね」
「なにそれ?」
「自分に怒鳴る代わりにわたしに怒鳴った」
「八つ当たりじゃん」
「わたし相手じゃなきゃできないでしょ、八つ当たりなんて」
「ひなたさん相手にならいいんだ? 誰が相手でも駄目だと思うけど?」
「わたし相手ならいいのさ。煌一の立場を理解できるのは、今はわたしだけだから」
「そんなに煌一さんって苦しい立場なの?」
「うん。それにね、八つ当たりだってことは煌一だって判ってる。ちゃんとあとで謝ってくれる。だからいいんだ。ほら、わたし、煌一の妻だしね」
夫婦だからいい? それ、違くない? そう思った雷雅だったが、恋人さえいたことのない自分は何も言えないと黙った。それに『妻だし』と言ったひなたの顔が誇らしげに見え、それを否定しちゃいけないとも思った。
そんな雷雅を見てクスリとひなたが笑い、それと、と付け足した。
「ライガのうしろからわたしを引き離したのは、あれは焼きもちだよ」
「焼きもち?」
「わたしがライガに接近し過ぎた。で、カッとなった。だから少々乱暴になった。それだけだ」
「そ……そうなんですね」
ひなたがそう妄想しているだけななんじゃないかと心配になる雷雅だ。
煌一が部屋に戻り、時計を気にし始める。
「そろそろだな」
龍弥が横たわる部屋に煌一が向かい、ひなたが後を追う。もちろん雷雅も続いた。
「ひなたっ!」
煌一の怒鳴り声、すくみ上るひなた、ずかずかと入ってくる煌一、後ろに続くストレッチャー、見慣れない三人の男、廊下から恐る恐る覗く警官、雷雅は驚いて目を丸くする。
「おまえがいて、何やってんだっ!」
「ごめんなさい!」
狼狽えたひなたが雷雅の背中に隠れた。煌一が手を伸ばしてひなたを捕まえ、雷雅から引き離す。乱暴はよせっ! 思わずひなたを庇おうとした雷雅を振り払って、煌一が龍弥を覗き込む。
「うん、よくやった、龍弥」
いきなり声色が変わった煌一を、雷雅がハッと見る。ひなたを怒鳴りつけたのとは打って変わって、煌一の声は震えている。そして小さな溜息を吐いた。それほど龍弥を心配していたのか? ひなたはなんでもなさそうなことを言ったが、龍弥はとんでもなく危険な目にあったんだと、改めて感じた。
「退け、雷雅。龍弥を連れて帰る。ストレッチャーに乗せるのに邪魔だ」
煌一が連れてきた男たちが龍弥をストレッチャーに移していると、医師が駆け込んできた。
「なにをする気だ? 退院なんか――」
「どこも悪いところはないのでは?」
途中で口籠った医師を煌一が遮ると途端に医師の表情が変わり、
「――そうですね。しばらく安静に。なにかあったら受診してください」
何事もなかったかのように部屋から出ていく。また影か……密かに思った雷雅だ。
マスターの車で、一足先にひなたと雷雅は陽だまりに帰った。先に行け、と煌一に言われ病室を出た時、廊下にいた警官の姿は消えていた。きっと母さんのほうに戻ったんだと思った時、急に母親の顔が見たくなった。が、言い出せなかった。母親を恋しがるなんて恥ずかしいと感じた。
煌一は龍弥を陽だまりの、雷雅の部屋に運ぶと言う。雷雅一人には広すぎる部屋だし母が入院中の今、部屋も余っている。その部屋には引っ越しのとき、ひなたが新品のベッドを入れてくれた。そこに龍弥を受け入れるべく、ひなたがシーツを掛けたり掛布団を用意したりしていた。
ベッドメイキングが終わるころ、龍弥を乗せた車が陽だまりの前に停まった。龍弥にストレッチャーを使ったのは病院の駐車場まで、そこからは担がれて車に乗せられたらしい。外階段を負ぶられて昇ってきた龍弥の顔を見た雷雅は、本当に大丈夫なのかと感じていた。こんなに生気のない顔って、初めて見たと思った。病院でもこんなだったっけ? 思い出そうとして、怖くてまともに見れなかったことを思い出す。
龍弥をベッドに寝かせると、部屋に残ったのは雷雅とひなた、煌一の三人だけだ。マスターは『コーヒーでもお出ししましょう』と、煌一の部下の男たちと一緒に店へ降りて行った。
煌一が身を乗り出すようにして龍弥の顔を覗き込む。
「龍弥、タツ? 聞こえるか?」
雷雅が初めて聞く、煌一の優しい声だ。煌一は両手で包み込むように龍弥のこめかみのあたりを抑える。目を閉じなにか念じているようだ。暫くそうしていたが
「ダメだ……」
と、やがて溜息を吐いた。
「そこまで深く逃げ込んだ?」
心配そうにひなたが煌一に尋ねる。
「災厄魂を探知するのは得意だろうが……不意を突かれて慌てたんだろう。とっさの緊急避難で、最大限のものを使った、そんなところだ――何時だ?」
「そろそろ六時。日没まで一時間」
「襲われてから七時間近くってところか。日没まで待って、もう一度目覚めを促してみよう。それでだめなら強制的に起こすしかないな」
「強制的に?」
「うん、ライガの力を試すいい機会だ――マスターが気を利かせてくれた。お茶にしよう」
煌一がそう言うと同時に勝手口の呼び鈴が鳴り、雷雅が慌てて出て行った。
マスターが持ってきてくれたのはポットにたっぷりのコーヒーとフルーツタルトだった。煌一のためだろう、灰皿も用意されていた。
フルーツタルトはいろいろな果物が乗ってとても美味しい物だったが、ひなたはともかく煌一も一緒では落ち着かない。それ以上に龍弥のこともあって、味わって食べる余裕がなかった。
「僕の力を試すって?」
不安げな雷雅に煌一は答えず、代わりにひなたが言った。
「ライガがタツヤに、目覚めろって命じてタツヤが起きるかどうかってこと」
「それが僕の力を試すことになるんだ?」
「陽の命令に影は必ず従うって教えたでしょ。陽の一族としての力がライガにどれくらいあるか、タツヤの反応を見れば判るってことだ」
「あぁ……」
なるほど、と思いながらどこか納得できない。誰かに命じることに馴染めない。巧くできるだろうか? 責任は感じるがそんな責任が自分にあることすら、どこか他人事のように感じる。陽の一族――何もかも夢の中みたいだ。
ケーキを食べ終わったひなたの前に、何も言わずに煌一が手付かずの自分の皿を滑らせた。嬉しそうなひなたの顔がなんとなく気に入らない。会うたびひなたを怒鳴るくせに、そう思った。龍弥のことだってひなたのせいじゃないのに……
「なんで日没まで待つの?」
雷雅のこの質問に答えたのもひなただ。
「日の出と日没には気軸が変わるから、掛けた術の効果に変化が起きることがあるんだ。気軸って言うのは大気の様子って考えていい」
「へぇ……」
へぇ、と言うほかない。でも、龍弥が自分になんらかの術をかけて意識をどこかに隠した、と言うのは雷雅にもなんとなく判った。そして日の出と日没は、影の一族にとって大きな影響力を持っているんだろう。
煌一が、マスターが用意した灰皿を持って玄関から出ていく。外階段でタバコを吸う気なのだろう。
「煌一さんってタバコ、吸うんだね」
玄関ドアが閉まる音を聞いてから雷雅がそう言うと、
「タバコを吸う人が珍しい?」
ひなたが笑う。
「うん。身近にはいないから」
「そっか。それもそうだね、ライガは未成年だし、お母さんも吸わないんでしょ?」
「吸わないよ。ひなたさんは煌一さんにタバコ、やめて欲しいんだよね?」
「あれ? なんで?」
「前に、やめたんじゃなかったのかって煌一さんに言ってた」
「そうだったっけ?」
「それにしても煌一さん、なんですぐ怒鳴るんだろう? 龍弥のことだって、ひなたさんが悪い訳じゃないのに病室でいきなりだもん。ひなたさんが殴られるんじゃないかって、心配だった」
「ライガ、煌一はわたしだろうがほかの誰かだろうが、殴るなんてない。そこは信じて――ま、わたしが近くにいるから安心してたのに、って思ったんじゃないか? それに他には怒鳴る相手がいないしね」
「なにそれ?」
「自分に怒鳴る代わりにわたしに怒鳴った」
「八つ当たりじゃん」
「わたし相手じゃなきゃできないでしょ、八つ当たりなんて」
「ひなたさん相手にならいいんだ? 誰が相手でも駄目だと思うけど?」
「わたし相手ならいいのさ。煌一の立場を理解できるのは、今はわたしだけだから」
「そんなに煌一さんって苦しい立場なの?」
「うん。それにね、八つ当たりだってことは煌一だって判ってる。ちゃんとあとで謝ってくれる。だからいいんだ。ほら、わたし、煌一の妻だしね」
夫婦だからいい? それ、違くない? そう思った雷雅だったが、恋人さえいたことのない自分は何も言えないと黙った。それに『妻だし』と言ったひなたの顔が誇らしげに見え、それを否定しちゃいけないとも思った。
そんな雷雅を見てクスリとひなたが笑い、それと、と付け足した。
「ライガのうしろからわたしを引き離したのは、あれは焼きもちだよ」
「焼きもち?」
「わたしがライガに接近し過ぎた。で、カッとなった。だから少々乱暴になった。それだけだ」
「そ……そうなんですね」
ひなたがそう妄想しているだけななんじゃないかと心配になる雷雅だ。
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