きみの嘘。ぼくの罪。すべてが『おもいでだ』としても

寄賀あける

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 スマホを眺めながら、真由美まゆみは迷っていた。杉山涼成すぎやまりょうせいとの話を、どう愛実あいみに伝えたらいいのか……

 あなたを見込んで話した。誰に話そうと話すまいとあなたに一任します、そう真由美に言った杉山の表情は穏やかだった。

 真由美が知った事実の中にスクープと言えるものも含まれる。これは誰にも言えないと思った。真由美とてだ。自社に多大な利益を生み出してくれる杉山の作家生命を脅かすなんてできない。だいたい、真由美は学術書を編纂へんさんする部門だ。作家のスクープなんか欲しくもない。

 それよりも、と真由美は思う。わたしは愛実と懐海なつみのことで杉山に会いに行った。二人に関係のないこと……実際には充分関係するのだけれど、直接ではないとして、そのあたりは無視しよう、そう真由美は決めた。

 それにしても、と真由美は思う。あれほどの思いを杉山から寄せられる由紀恵という女性に会ってみたいと思った。羨ましいと感じていた。

 恋をしたことがないわけじゃない。結婚を考えた相手だっていた。けれど結局仕事を取った。結婚したからと言って仕事を辞める必要などないはずだけど、真由美の恋の相手はなぜか皆、真由美の仕事に理解を示さなかった。そして一様に子どもを欲しがった。

 真由美の瞳に涙がにじむ。わたしだって本心は子どもが欲しい。でも、わたしには

 生理不順に悩まされ、やっとその理由が判った時、筋腫きんしゅは子宮ごと取らなければ日常生活に支障をきたすほどになっていた。

 そのころ付き合っていた男はそれを知って『女じゃなくなったってこと?』と、真由美の傷に塩を塗り込むような言葉をいた。それ以後、どんなに好きになった男にも不妊の事実を告白できず、結婚の話が出れば別れを選んだ。

 愛実が妊娠し、相手の男とは別れたと聞いた時、真由美は少なからず自分の、男全体に向ける恨みのようなものを愛実のお腹の子の父親に感じた。

 なんとしてでも愛実の赤ちゃんを守りたい。自分には叶えようもないこと、だけど愛実には叶えて欲しかった。

 愛実と仕事のやり取りはすべてインターネットで済ませていた。時折、外で食事をすることはあったが、愛実の家に行ったことはない。真由美は愛実が同棲していたとは思いつけなかった。

 子どもの父親のことを愛実は一切打ち明けてくれなかった。年齢も職業もどこで知り合ったのかも。隠さなくてはならない相手だと言うことしか真由美には判らない。

 だから余計に真由美は男に腹が立った。すべてを愛実に背負わせて、自分の身は守る。許せなかった。

 慰謝料や養育費を請求するべきと真由美は息巻いたが、愛実には全くその気がない。本人は動かない、相手が誰かも判らない。そんな状態で、真由美にできることはなかった

 生まれたばかりの赤ちゃんを真由美が見たのは懐海なつみが初めてだった。嬉しそうな愛実が、ナツミを見て『パパにそっくり』と幸せそうに言った時、真由美は男を責めることを断念した。別れてもなお、愛実はその男を愛していると思い知らされた。

 そんなに好きなのに、なんで別れを飲んだのだろう。そう思った時、自分も同じなのかもしれないと思った。子どもを産めないことを言い出せず、別れた相手を思い出した。幸せでいて欲しい……それは愛実も同じなんだ。

 だが、杉山涼成が愛実を探していると知った時、真由美の考えが変わる。ナツミの父親が杉山なのだとしたら、愛実が身を引く理由が判らなかった。

 独身の成功者、それが女を妊娠させて知らんふりをするなんて許せないと思った。まだ妻帯者のほうが納得できる。独身ならば愛実を隠す必要がない。遊んで捨てたとしか思えない。

 まして杉山は恋愛小説を売る作家だ。そりゃあ、自分の作品のイメージ通りに生きている作家なんて、そうそういるものじゃないだろう。けれど、愛実とのことは完全な裏切りなんじゃないのか?

 杉山は愛実のことを『行方不明になった知り合いの娘』と触れ込んでいたが、怪しいもんだと思った。どちらにしても、愛実に連絡しよう。あなたを探している人がいる――

 杉山との関係を尋ねると、愛実は無関係を装った。『装った』のだと真由美は思った。だけど、愛実の言葉を嘘だと言い切る確証がない。思い違いなのかしら、そう思い始める真由美に愛実が迂闊うかつな言葉を口走った。少なくとも父親じゃない――

 父親じゃないけれど、無関係ではない。そういうことだ、ならばどう関係する? そう考えた時、杉山について、もう一つ耳にしたことを思い出す。

 単なる噂だけどね、と真由美に教えてくれた人は言っていた。大野おおの懐空かいあは杉山涼成の隠し子なんじゃないかって言われてるよ――

 どこにめていいか判らなかったピースが、ストンと嵌ったと思った。ナツミの父親は大野懐空だ。

 だとしたらすべて辻褄が合う。愛実がナツミを妊娠した時、大野は大学を卒業したばかりで、しかも作家デビューが決まっていた。若くて爽やかなルックスも武器にできると出版社は考えたかもしれない。そうなると年上の女の存在は邪魔にされるだろう。実際にはそんな売り方はされなかったけれど、大野のルックスの良さを持てはやす向きはあった。

 学生時代に付き合っていた愛実が邪魔になり、あるいは年齢差を理由に捨てた。将来が見通せるようになれば、もっと若い女のほうが自分にはあうのではないかと思っても不思議ではない。しかも妊娠し、出産を望んでいる。父親になるなんて荷が重いと逃げだした。年齢を考えれば、余計にそう思える――真由美は確信するが、それを愛実が否定した。

 彼はナツミのことを知らないの――愛実は妊娠を告げずに大野のもとを離れたと言った。

 その事実に真由美は混乱する。愛実は別れてから妊娠に気づいたのだろうか? いやそうじゃない。好きで好きで仕方がないと、愛実が泣いた。だから、道の先に光が見え始めた彼の重荷になりたくなかったんだ、と思った。

 あぁ。やっぱりわたしと同じ。子どもが産めないことを一言も相談せずに別れたわたしと同じ。気持ちは判る。判るけれど――

 でも、でも、でも! このままで本当にいいのだろうか?

 あみ、あなたにはナツミちゃんがいる。だけど大野懐空はナツミちゃんの父親なんだよ? ナツミちゃんから父親を取り上げていいの?

 大野懐空に事実を突きつけたいと真由美は思った。愛実のために。ナツミちゃんのために。その結果、大野が逃げるなら、それこそ養育費を分捕ぶんどってやる。DNA鑑定でも何でもして、親子関係を証明してでも!

 そう思ってまずは杉山に会うことにした。杉山が愛実を探していると言うことは、愛実と大野の関係を知っているからだと思った。あるいは大野に頼まれたのかもしれない。探していると言う事実が、真相につながる糸口になるだろう。

 杉山が大野の父だと言うことに関して、愛実は何も知らないと言っていた。でもあの感触は、愛実もそうなんじゃないかと疑っているのだと真由美は思った。

 けれど、そんな不確実なことはこの際 置いておき、愛実の娘が大野の子だと言うことを杉山にぶつけてみようと思った。杉山が愛実を探す理由、そして大野が愛実をどうしようと思っているのか、そのあたりが判ればいいと思った。

 伝手つてを頼って杉山のメールアドレスを入手し、『樋口ひぐち愛実の件で会いたい』とメールを送った。すぐに返信が来て、自宅でなら会うと言ってきた。自宅でなら秘密の会話が外に漏れない。

 杉山は真由美が驚く話をしてくれた。そして大野懐空を責めるのは間違っていると真由美は思った。理由を告げずに姿を消した愛実を、大野は今も待っている――愛実は大野のもとに帰るべきだと思った。

 失踪の理由が判らないから探せない。探せばますます遠ざかる。だからじっと待つしかない。いつ帰ってきてもいいように、あるいは愛実が帰ろうと思える自分になるように、大野はその日を生きている、杉山はそう言った。

 帰らない理由がないと思った。愛実自身、大野を恋しく思っている。あとは、愛実が自分を許せるかどうか、だと思った。自分は大野の傍にいていいのだと、愛実が思えるかどうかだ。

 杉山は愛実が安心して大野のもとに帰ることができるようお膳立てしたいと言った。そのためのくわだて――杉山の企てを陰ながら助けるには、わたしはあみにどこまで話せばいい? 真由美は宙を見つめる。

 あみ、あなたは本当に幸せなのね。羨ましいほどよ……

 ふぅ……と深く息を吐き、時計を見る。二十一時半だ。ナツミちゃんはもう寝ただろう。そろそろ愛実に電話しよう。

 スマホで、登録された愛実の番号を選びながら、そういえば杉山に一つ伝え忘れていたことがあったと思い出す。でも、今更いいか。噂なんてどうでもいい。噂も憶測もなんの役にも立たない。人の心を惑わすことはできても、真実のように人の心を動かすことなんかできない。『大野懐空が先生の隠し子なんじゃないかって噂になってますよ』なんて言ったら、杉山が嫌な思いをするだけだろう。

 呼び出し音が聞こえ始め、すぐに愛実が電話に出た。
「あみ? わたしよ、真由美」

 さて、どこから話そうか……真由美は愛実の顔を思い浮かべた。
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