きみの嘘。ぼくの罪。すべてが『おもいでだ』としても

寄賀あける

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 剣持けんもつがポケットをガサガサし始め、杉山すぎやまがリビングボードから灰皿を出した。箱から一本引き抜いたタバコに火もつけず、剣持が思い出すように言った。

「そうだな……あの時、おまえは由紀恵ゆきえさんがいなくなった、としか言わなかったな」

 子どもみたいに泣きじゃくって、パパが由紀恵をどこかにやっちまったって言ってたな――

「大学生にもなって自分の父親をパパって言う友達なんかいなかったから、やっぱこいつ、甘ったれのお坊ちゃんなんだって思ったものさ」
剣持がうっすら笑い、杉山が赤面する。

「親父さんから金を受け取って由紀恵さんは身を引いた、やっと聞き出したのはそんな話だった。由紀恵さんが金を受け取るはずがない、嘘だって言っておまえはそれを認めなかった。俺も、金の件に関しては親父さんがおまえを諦めさせるために言ったんじゃないかと思ってた。由紀恵さんのイメージに合わなかった――一晩中おまえは泣いてて、で、そのあとは何も言わず、何も食べず、時どき、うつらうつら眠っていたみたいだけど、目を覚ませばまたベソベソして、ずーッと横たわって宙を見てるだけだ。声をかけても反応しない。まったく、衰弱死するんじゃないかって心配した」

 こうして考えてみると、俺はおまえを心配してばかりだな、剣持が苦笑した。

「何しろ何かさせたほうがいいと思って、由紀恵さんとのことを小説にでも書いてみろよって言ったら、あの長編をたった一週間でおまえ、書き上げたんだった」
「え? 一週間?」
横で松原まつばらが目を丸くする。杉山の筆の遅さは編集者だったころ、松原の悩みの種だった。今も変わらないと聞いている。

「うん、最初は全く聞く耳を持たなかったけど、本にでもなれば、由紀恵さんも思い直して帰ってくるかもしれないじゃないかってそそのかした。そしたらこいつ、急にやる気になって、今度はロクに寝もしないでパソコンに向かって、一気にあの小説を書き上げたんだよ。まっ、そこからは松原さんも知っての通りだ」
ここでやっと剣持がタバコに火をつけた。

「剣持にはその件についても感謝しているよ。松原さんにも感謝している――作家になるつもりはなかったけれど、次を書けってなかば強要され、横では剣持が有名になれば由紀恵が戻ってくるぞとささやく。そんな簡単なものじゃないだろうって思いながら書き続けているうち、結局三十年近く作家を続けてこられた」

 松原がクスッと笑う。
「それって本当に感謝してくれてるのかい? むしろ恨まれているように聞こえるよ」
「いや、感謝してます。そうじゃなきゃ自堕落なまま、立ち直れずに今頃どうなっていたことやら……それに、結果的に、由紀恵を取り戻せた」

 剣持がゴホッとタバコにむせる。
「由紀恵さんが帰ってきたのか? いつ?」

「うん――『コバルトの海が燃えて』、あれが映画化されただろう? 一度だけ撮影を見に行ったんだ。その時、偶然出くわした」
「……作家になってよかったな」
松原が杉山に包み込むような目を向けた。

「うん。作家になっていたから見つけられたんだと思った――でもね、最初はなかなか会ってくれない。再会した海岸で、何日も待ち続けた。由紀恵は犬を連れていたから近くに住んでいる、きっとまた犬の散歩に来るはずだと思った」
タバコを灰皿に押し付けて消しながら剣持が『それで?』と先を促す。

「まぁ、やっと口説くどき落として月に一度は会ってくれる約束を取り付けた――どう口説き落としたか、なんて野暮なこと訊くなよ」
気恥ずかしげな杉山を、剣持と松原が軽く笑う。

「でも、懐空かいあのことを知ったのは、懐空が新人賞に応募して、最終選考に残り、わたしが選考委員の一人としてその作品を読んだ時だ」

 あの小説を読んだ時、なんだこれは、と思った。そしてこんな文章を書くのは誰だと思い、作者の名前を見た。

「大野懐空、とあった――由紀恵の子に間違いないと思った。わたしの子に間違いないと思った」

 由紀恵に詰め寄ったよ、なんで今まで黙っていた、と。由紀恵も、受賞を懐空に聞くまで彼が作家志望だなんてことすら知らなかったらしい。選考委員にわたしの名前を見た時、由紀恵は由紀恵で懐空の将来を潰すつもりかと、わたしに怒りを覚えたそうだ――まぁ、由紀恵が懐空の存在をわたしに知らせなかったのは、やはりわたしの立場を考えたのだろうね。

 ふむ、と松原がうなる。
「話がようやく見えてきた。自分が選考委員をつとめた賞を息子に受賞させた、そう誤解されることをおまえは恐れた、そういうことだな?」
松原が杉山を見てそう言った。
「だが、まぁ、そのあたりを含め、早いうちに公表しちまおう。大野懐空は杉山りょうせいの息子だ、とね」

「いや、そうはいかない」
松原の提案を杉山が拒否する。

「なぜだ? 今の大野懐空なら、実力で賞を取ったと誰も疑わない。公表しないで、ことこと書きたてられるよりずっとましだ」
「話はまだ終わりじゃないんだ」

 すると剣持がハッとして顔をあげる。
「由紀恵さん、結婚してたとか? おまえ、由紀恵さんと不倫?」
「違う!」
これには杉山が笑いだす。

「由紀恵も、うん、わたしだけだと言ってくれたよ」
照れたように笑う杉山に剣持はあきれるが、松原は違うものを見る。勝者の笑み、きっとそれだ。

「じゃあ、何が問題なんだい?」
松原が杉山に問う。

「うん……やはり事実は小説よりなり、なんだろうな」
どう話すか、少し迷ったようだが杉山が切り出す。

「わたしと由紀恵のことは三十年近くも前の話だ。当時二十だったわたしの将来を案じた由紀恵が身を引いて、彼女を思い続けたわたしがようやく彼女を見つけて、って話なら美談に持っていくこともできる」
うん、と、剣持と松原、二人そろって頷く。

「だが……懐空の話はそうはいかない」
「うん? 身を引いた由紀恵さんが愛する男との間にできた子を女手一つで育て上げた、そして父親との喜びの再会、でいいじゃないか」
「いゃ……」
杉山が苦虫にがむしみ潰したような顔をする。
「喜びの再会、とはいかないな。夕方、由紀恵から電話があった。懐空はわたしを嫌っているようだ……まぁ、今はそんな話はどうでもいい」

「おいおい、整理して話してくれよ」
松原が苦情を口にする。

「うん……うん、聞いて驚くな。懐空もわたしと同じだった」
「おまえと同じ?」

「懐空には学生時代、同棲していた女がいる。懐空よりも十二年上の女だ」
「おいっ!」
松原が悲鳴を上げる。

「まさか、その女も大野くんに内緒で出産したなんて言い出すなよ?」
その言葉に杉山が目をつぶる。

「おいおいおいおい!」
「そうなのか? おい、杉山」
黙ったまま杉山が頷いた。剣持と松原が大きく息をく。

「大学を卒業したら、由紀恵と三人で暮らす約束になっていたそうだ」
それが引越しの前日、懐空が卒業式で出かけている間に姿を消した。それきりなんの連絡もない――

「が、彼女はわたしを懐空の父親とも知らず――多分知らずに、わたしのサイン会に来た。最近のことだ……新作とデビュー作にサインを求められた。彼女は連れている女の子に『ナツミ』と呼びかけ、わたしは女の子の名の由来を彼女に聞いた。わたしのデビュー作のヒロインからとったと彼女は答え、わたしは女の子の顔を見た。由紀恵にそっくりだった」

 再び松原が、うむと唸る。
「小説より奇なり、か……」

「それで、その彼女はそれからどうなった?」
剣持の問いに
「考えなしに、わたしは彼女の名を確認しようとした。由紀恵から懐空の彼女の名は聞いていたんでね――顔色を変えて彼女は走り去った」

「ナツミかぁ……彼女はなんで娘に懐海なつみとつけたんだろう?」
「由紀恵が懐空に、懐空の名は小説のヒロイン『懐海』から取ったんだと言っていたそうだ。それを彼女も聞いていたんだと思う」

「それでその彼女の居所は判らないのか?」
「知ろうと思えば知ることができる――彼女の友人を見つけ出した。だが説得が必要だ。彼女が懐空のもとに安心して帰ってこれる状況にならない限り、教えてもらえないと思う」

「安心して帰ることができる状況ね……難しいぞ」
松原が腕を組む。

「今のままじゃ、『大野懐空は杉山の隠し子』どころの話じゃなくなる。大学卒業の頃って受賞の時期と重なってる」
「そうだな。受賞して作家の道が開けて邪魔になった年上の女を捨てた、そんなを考えてくれる人間が大勢いそうだ」
剣持も頭を抱える。

「こうなると、見てくれがいいのも善し悪しだな――今、剣持が言った出まかせ話が散蒔ばらまかれれば、大野くんの容姿がそのストーリーを後押ししそうだ。やっかみ半分でね」

 おぃ、と松原が一本よこせと剣持に言う。やめたんじゃなかったのか、と剣持が松原にタバコを渡す。
「どうするかなぁ……もみ消すか?」
タバコに火をつけながら松原がぽつりと言う。

「いや、ダメだ。懐空は彼女を待っている。もみ消したりしたら彼女は戻ってこられなくなる」
杉山が松原の提案を却下する。

「じゃあ、どうする? 世間は面白おもしろおかしい話が好きだぞ」
「そうだな、そして『感動』も好きだ」
「感動?」
松原と剣持が杉山を見る。その二人に杉山が宣言した。

「わたしと由紀恵の恋、そして懐空の思い。それを小説にする。世間を感動させる私小説をわたしが書く」
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