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12章 王の恋人
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翌日、朝食が済むとクルテと厩に行ってリュネにキャビンを繋いだ。カッチーはメインの居間でジランチェニシスの監視を続け、カテロヘブはピエッチェが呼ぶまで寝室に籠ることになっている。
久しぶりの出番にリュネは興奮気味だ。フンフン鼻を鳴らし続けている。宿の車寄せに馬車をつけると、ピエッチェは部屋に戻った。カッチー、ジランチェニシス、カテロヘブを連れてピエッチェが戻ってくると、今度はクルテが宿に戻った。
「どうかしたのですか? クルテはどこに?」
貨物台に荷物を積んでいたピエッチェとカッチーに、キャビンの窓からジランチェニシスが問いかける。もう自分のものになったつもりか、クルテを呼び捨てにするジランチェニシスにムッとしたが、ここは我慢だ。
「あぁ、なんか、忘れものらしい」
用意しておいた答えをシラッと言った。
宿に入ったクルテの目的は受付に行くことだ。宿は今日で引き払う。清算して欲しい……これはジランチェニシスには内緒だ。
「それでは表までお見送りを……」
「いいえ、病人は今夜もこちらに泊まる気なんで刺激したくないんです」
「では、旦那さまにもよろしくお伝えください」
クルテが車止めに戻ってくる頃にはカッチーもキャビンに乗り込み、タラップを片付けたピエッチェが御者席に座ったところだった。
「それじゃあ、行くか」
クルテがしっかり座るのを待って、ピエッチェが手綱を捌いた――
地図を確認しながら進んでいくと、だんだんと街並みに変化が出てきた。王都の中心部と比べ、道幅が狭くなり舗装も雑になってくる。王都と言えど、どこもかしこも繁華なわけではない。そして金持ちばかりが住んでいるわけでもない。向かっているのは下層階級の人々が住む地域、いわば下町だ。
ジランチェニシスには事前にだいたいの行き先を言っておいた。でなければ、どこに向かっているのだと騒ぎだすのが目に見えていたからだ。
「お忍びで会ってくださることになっている。特別扱いだ。感謝して、無礼のないように」
ジランチェニシスは王宮に招かれないことに不満を持っていたが、特別扱いの一言で機嫌を直した。国王が自分を特別に考えていると受け止めたらしい。ピエッチェは『国王が』とも『ジランチェニシスを』とも言っていない。
冷静に考えれば、下町に身分の高い者が姿を現せば却って目立ち、お忍びになんかならないと判るだろうに考えが及ばない。国王の特別扱いに有頂天になっている。
ピエッチェが馬車を留めたのは、コゲゼリテのカッチーの屋敷の厩と同程度の厩の前だ。預かっていた鍵を使って戸を開けると思いのほか奥行きがあって、馬車のまま入ることができた。
戸を閉めて施錠してからキャビンに乗っていたメンバーを降ろす。厩の裏には木立を抜ける細い道が続いていた。
その道を行くと知るとジランチェニシスが
「この建屋ではない?」
厩に隣接する屋敷を見た。
「あぁ、ここにあるのは厩だけだ。その建物は他人さまだよ――カテロヘブ王、こちらです。足元にお気を付けください」
ピエッチェに促されカテロヘブが歩き出せば、ジランチェニシスも文句を言えず歩き出した。貨物台に積んできた肖像画はカッチーが運んだ。ピエッチェを先頭に細い道をひたすら歩いた――
辿り着いたのは木こり小屋のような粗末な小屋、これにはピエッチェもここでいいのか迷ったが厩の木戸は預かった鍵で開き道は一本、ここで間違いない。建付けの悪い戸を開けると、中にいたのはラクティメシッス、今日は変装していない。テーブルと、椅子が四脚置いてあるだけの部屋だ。テーブルにはお茶のセットが用意されていた。
腰かけていたラクティメシッスがオッチンネルテを見るなり立ち上がる。
「お待ちしておりました、カテロヘブ王」
打ち合わせていたもののオッチンネルテがどぎまぎし、挙動不審とジランチェニシスに思われないかピエッチェをヒヤリとさせる。が、すぐさま
「では参りましょう」
ラクティメシッスが次の行動へと移り、ジランチェニシスに疑う暇を与えなかった。
「参るってどこへ?」
「あなたがジランチェニシスさま? なるほど、わたしによく似ている」
ラクティメシッスが優雅に微笑む。
「カテロヘブ王とあなたを、別の場所で待っています。ご一緒いただけますか?」
「国王が? もちろんですとも! あ、でも、まだ遠いのですか?」
「そうでした、わたしとしたことがうっかり忘れておりました――お着きになったらまずは一服なさって貰おうとお茶の用意をしていたのを忘れてしまって……厩からここまで、けっこうあります。お疲れでしょう?」
ラクティメシッスが慌ててテーブルのポットに手を伸ばす。
「どうぞ、お掛けになってください」
カップにお茶を注ぎながら言うラクティメシッス、ピエッチェが慌ててカテロヘブのために椅子を引き、頷いたカテロヘブがその椅子に腰を下ろす。ジランチェニシスはピエッチェが椅子を引いてくれるのを待ったようだが、待っていてもピエッチェは動かないと悟ると自分で椅子を引いて座った。
「どうぞ……ジャスミンティーでございます」
カテロヘブの前に、それからジランチェニシスの前にカップを置いてからラクティメシッスが椅子に座った――
床に横たわり眠るジランチェニシスの顔をマジマジと見てからラクティメシッスが溜息を吐いた。
「確かにわたしに似ています。だけどねぇ……」
カップに仕込んでおいた睡眠薬で、ジランチェニシスは暫く起きないだろう。
「確かに、父の父、まぁわたしの祖父には婚姻前に恋人がいたらしいのですが、そのかたは祖父が十四の時、病死なさっています。お相手は同じ年、隠し子がいたというのは少し考えにくい」
「父ぎみの妹御については?」
「そちらも確実に病死、ちゃんと棺に納め、王家の墓地に安置してあります。さすがに棺の中を確認してはいませんが……」
ジランチェニシスの出生についてはサロンでクルテが詳しく話している。もちろん脳内会話でだ。ラクティメシッスはその話を元に多少は調べたらしいが、馬鹿馬鹿しくなって途中でやめたと笑った。
小屋にはピエッチェとクルテ、ラクティメシッス、床に寝かされたままのジランチェニシスだけだ。カッチーとオッチンネルテは馬車に戻って待機、ローシェッタ王家の秘密に関係することが話されるかもしれない場に同席させるわけにはいかない。
「しかし、でっち上げの出生秘話だとしたら真実がどうなのかが気になるな」
ピエッチェの呟きにラクティメシッスがクスリと笑う。
「なぁに、その話を聞いて、すぐに思いついた人物がいないわけではないのですよ」
「それは俺には言えない人物?」
「言いたいけど言えないってのが本音ですね。証拠がありませんから」
「で、これから証拠を集めると?」
「はい、動かぬ証拠を……ご協力いただけるのですよね?」
「しかし……いいのかな? そんなに俺を信用して。ジランチェニシスみたいに他人の空似かも」
「他人の空似なら、そのうちボロが出ます。マデルがあなたを信用した。わたしはそれを信じます」
「マデルは俺の素性を知らない。それでも?」
「それでもです。むしろだから余計にです――ところで、フレヴァンスは?」
「ここに居るよ」
クルテが横から口を挟んだ。壁に立てかけた、布を掛けた板に軽く手を置いている。
「それが例の肖像画?」
「うん、そう。布を払えば彼女が自分の意思で絵から出てくるけど、どうする?」
「ふぅん、その布からは魔法の気配……どんな魔法を?」
「遮蔽術、それと内側からは払えないようにしといた。勝手に出てきてわたしのお菓子を食べちゃったからお仕置き」
「お仕置きですか!」
愉快そうにラクティメシッスが笑う。
「判りました。フレヴァンスのことはチューベンデリに任せましょう――そろそろ行きますか?」
ラクティメシッスが立ち上がる。同時にフレヴァンスの肖像画も布を被せた状態で浮き上がった。ラクティメシッスが魔法で運ぶようだ。
クルテが床で眠っているジランチェニシスを見て、フンと鼻を鳴らす。
「どうせだから一回くらい蹴飛ばそうかな?」
「やめておけ」
顔を顰めるピエッチェ、ラクティメシッスが
「蹴っ飛ばすなら思い切りどうぞ」
と笑い、ピエッチェに睨まれて肩を竦める。それでも
「抵抗できない相手に暴力はダメですよね」
クスクス笑いながら、小屋を出た――
ラクティメシッスがカッチーやオッチンネルテに余計なことを言わないか心配だとクルテはキャビンに乗った。御者台にはピエッチェ一人だ。
馬車を入れておいた厩を出て程なく、一台の馬車とすれ違っている。ラクティメシッスが手配した馬車だ。あの厩とは別の道を辿り、ジランチェニシスを置いてきた小屋の近くに行くはずだ。馬車の持ち主は王室魔法使い総帥、マデルの父親だ。ジランチェニシスを預かり、監視する役を引き受けている。
ピエッチェたちが向かっているのはマデルの父親の屋敷だが、すれ違った馬車は違う屋敷に向かっている。別宅と言えばいいか、屋敷の近くに最近購入した物だ。そこでジランチェニシスを監禁する手はずになっていた。
マデルの父親が自分を疑っているのは芝居だと、ラクティメシッスが笑った。
「敵を油断させるための罠ってところですね――まぁ、マデリエンテとのことを反対されたのは事実です。でも、それならそれを利用しようかな、と」
もちろんこれもサロンでの脳内会話だ。
「彼女が外部と連絡を取れないのは父親の意向です。あの頑固親父、誰かを通じて娘がわたしに連絡するんじゃないかって心配してるんです」
「魔法の鏡も使えないんだ?」
クルテが訊くとラクティメシッスが苦笑した。
「あの鏡にはね、どんな遮蔽術も効きません。わたしとマデリエンテを引き離すことなんかできないんです」
ギュリューのレストランでマデルを見詰めていた時のような笑顔になったラクティメシッスだった。
ピエッチェたちが向かっているのは本宅のほうだが正門からは入れない。と言うより、屋敷の敷地内に入る予定はない。
所有者がいるかどうかも判らない森の中に万が一の時のために用意された隠し通路の出口がある。その近くの道は森の中という事もあり先は行き止まり、滅多なことでは誰も通らない。
道端で馬車を停め、御者台から降りたピエッチェがタラップを用意した。するとすぐにキャビンのドアが開き、クルテが降りてくる。
「やっぱりキャビンのほうが座り心地がいいね」
するとキャビンの中でカッチーが笑った。
「だったらクルテさん、ずっとこっちに乗ってたらどうですか?」
それに答えることもなく、ピエッチェに抱き着くクルテ、
「座り心地よりも、誰のそばに居るかが重要」
ピエッチェを見上げてニンマリした。
久しぶりの出番にリュネは興奮気味だ。フンフン鼻を鳴らし続けている。宿の車寄せに馬車をつけると、ピエッチェは部屋に戻った。カッチー、ジランチェニシス、カテロヘブを連れてピエッチェが戻ってくると、今度はクルテが宿に戻った。
「どうかしたのですか? クルテはどこに?」
貨物台に荷物を積んでいたピエッチェとカッチーに、キャビンの窓からジランチェニシスが問いかける。もう自分のものになったつもりか、クルテを呼び捨てにするジランチェニシスにムッとしたが、ここは我慢だ。
「あぁ、なんか、忘れものらしい」
用意しておいた答えをシラッと言った。
宿に入ったクルテの目的は受付に行くことだ。宿は今日で引き払う。清算して欲しい……これはジランチェニシスには内緒だ。
「それでは表までお見送りを……」
「いいえ、病人は今夜もこちらに泊まる気なんで刺激したくないんです」
「では、旦那さまにもよろしくお伝えください」
クルテが車止めに戻ってくる頃にはカッチーもキャビンに乗り込み、タラップを片付けたピエッチェが御者席に座ったところだった。
「それじゃあ、行くか」
クルテがしっかり座るのを待って、ピエッチェが手綱を捌いた――
地図を確認しながら進んでいくと、だんだんと街並みに変化が出てきた。王都の中心部と比べ、道幅が狭くなり舗装も雑になってくる。王都と言えど、どこもかしこも繁華なわけではない。そして金持ちばかりが住んでいるわけでもない。向かっているのは下層階級の人々が住む地域、いわば下町だ。
ジランチェニシスには事前にだいたいの行き先を言っておいた。でなければ、どこに向かっているのだと騒ぎだすのが目に見えていたからだ。
「お忍びで会ってくださることになっている。特別扱いだ。感謝して、無礼のないように」
ジランチェニシスは王宮に招かれないことに不満を持っていたが、特別扱いの一言で機嫌を直した。国王が自分を特別に考えていると受け止めたらしい。ピエッチェは『国王が』とも『ジランチェニシスを』とも言っていない。
冷静に考えれば、下町に身分の高い者が姿を現せば却って目立ち、お忍びになんかならないと判るだろうに考えが及ばない。国王の特別扱いに有頂天になっている。
ピエッチェが馬車を留めたのは、コゲゼリテのカッチーの屋敷の厩と同程度の厩の前だ。預かっていた鍵を使って戸を開けると思いのほか奥行きがあって、馬車のまま入ることができた。
戸を閉めて施錠してからキャビンに乗っていたメンバーを降ろす。厩の裏には木立を抜ける細い道が続いていた。
その道を行くと知るとジランチェニシスが
「この建屋ではない?」
厩に隣接する屋敷を見た。
「あぁ、ここにあるのは厩だけだ。その建物は他人さまだよ――カテロヘブ王、こちらです。足元にお気を付けください」
ピエッチェに促されカテロヘブが歩き出せば、ジランチェニシスも文句を言えず歩き出した。貨物台に積んできた肖像画はカッチーが運んだ。ピエッチェを先頭に細い道をひたすら歩いた――
辿り着いたのは木こり小屋のような粗末な小屋、これにはピエッチェもここでいいのか迷ったが厩の木戸は預かった鍵で開き道は一本、ここで間違いない。建付けの悪い戸を開けると、中にいたのはラクティメシッス、今日は変装していない。テーブルと、椅子が四脚置いてあるだけの部屋だ。テーブルにはお茶のセットが用意されていた。
腰かけていたラクティメシッスがオッチンネルテを見るなり立ち上がる。
「お待ちしておりました、カテロヘブ王」
打ち合わせていたもののオッチンネルテがどぎまぎし、挙動不審とジランチェニシスに思われないかピエッチェをヒヤリとさせる。が、すぐさま
「では参りましょう」
ラクティメシッスが次の行動へと移り、ジランチェニシスに疑う暇を与えなかった。
「参るってどこへ?」
「あなたがジランチェニシスさま? なるほど、わたしによく似ている」
ラクティメシッスが優雅に微笑む。
「カテロヘブ王とあなたを、別の場所で待っています。ご一緒いただけますか?」
「国王が? もちろんですとも! あ、でも、まだ遠いのですか?」
「そうでした、わたしとしたことがうっかり忘れておりました――お着きになったらまずは一服なさって貰おうとお茶の用意をしていたのを忘れてしまって……厩からここまで、けっこうあります。お疲れでしょう?」
ラクティメシッスが慌ててテーブルのポットに手を伸ばす。
「どうぞ、お掛けになってください」
カップにお茶を注ぎながら言うラクティメシッス、ピエッチェが慌ててカテロヘブのために椅子を引き、頷いたカテロヘブがその椅子に腰を下ろす。ジランチェニシスはピエッチェが椅子を引いてくれるのを待ったようだが、待っていてもピエッチェは動かないと悟ると自分で椅子を引いて座った。
「どうぞ……ジャスミンティーでございます」
カテロヘブの前に、それからジランチェニシスの前にカップを置いてからラクティメシッスが椅子に座った――
床に横たわり眠るジランチェニシスの顔をマジマジと見てからラクティメシッスが溜息を吐いた。
「確かにわたしに似ています。だけどねぇ……」
カップに仕込んでおいた睡眠薬で、ジランチェニシスは暫く起きないだろう。
「確かに、父の父、まぁわたしの祖父には婚姻前に恋人がいたらしいのですが、そのかたは祖父が十四の時、病死なさっています。お相手は同じ年、隠し子がいたというのは少し考えにくい」
「父ぎみの妹御については?」
「そちらも確実に病死、ちゃんと棺に納め、王家の墓地に安置してあります。さすがに棺の中を確認してはいませんが……」
ジランチェニシスの出生についてはサロンでクルテが詳しく話している。もちろん脳内会話でだ。ラクティメシッスはその話を元に多少は調べたらしいが、馬鹿馬鹿しくなって途中でやめたと笑った。
小屋にはピエッチェとクルテ、ラクティメシッス、床に寝かされたままのジランチェニシスだけだ。カッチーとオッチンネルテは馬車に戻って待機、ローシェッタ王家の秘密に関係することが話されるかもしれない場に同席させるわけにはいかない。
「しかし、でっち上げの出生秘話だとしたら真実がどうなのかが気になるな」
ピエッチェの呟きにラクティメシッスがクスリと笑う。
「なぁに、その話を聞いて、すぐに思いついた人物がいないわけではないのですよ」
「それは俺には言えない人物?」
「言いたいけど言えないってのが本音ですね。証拠がありませんから」
「で、これから証拠を集めると?」
「はい、動かぬ証拠を……ご協力いただけるのですよね?」
「しかし……いいのかな? そんなに俺を信用して。ジランチェニシスみたいに他人の空似かも」
「他人の空似なら、そのうちボロが出ます。マデルがあなたを信用した。わたしはそれを信じます」
「マデルは俺の素性を知らない。それでも?」
「それでもです。むしろだから余計にです――ところで、フレヴァンスは?」
「ここに居るよ」
クルテが横から口を挟んだ。壁に立てかけた、布を掛けた板に軽く手を置いている。
「それが例の肖像画?」
「うん、そう。布を払えば彼女が自分の意思で絵から出てくるけど、どうする?」
「ふぅん、その布からは魔法の気配……どんな魔法を?」
「遮蔽術、それと内側からは払えないようにしといた。勝手に出てきてわたしのお菓子を食べちゃったからお仕置き」
「お仕置きですか!」
愉快そうにラクティメシッスが笑う。
「判りました。フレヴァンスのことはチューベンデリに任せましょう――そろそろ行きますか?」
ラクティメシッスが立ち上がる。同時にフレヴァンスの肖像画も布を被せた状態で浮き上がった。ラクティメシッスが魔法で運ぶようだ。
クルテが床で眠っているジランチェニシスを見て、フンと鼻を鳴らす。
「どうせだから一回くらい蹴飛ばそうかな?」
「やめておけ」
顔を顰めるピエッチェ、ラクティメシッスが
「蹴っ飛ばすなら思い切りどうぞ」
と笑い、ピエッチェに睨まれて肩を竦める。それでも
「抵抗できない相手に暴力はダメですよね」
クスクス笑いながら、小屋を出た――
ラクティメシッスがカッチーやオッチンネルテに余計なことを言わないか心配だとクルテはキャビンに乗った。御者台にはピエッチェ一人だ。
馬車を入れておいた厩を出て程なく、一台の馬車とすれ違っている。ラクティメシッスが手配した馬車だ。あの厩とは別の道を辿り、ジランチェニシスを置いてきた小屋の近くに行くはずだ。馬車の持ち主は王室魔法使い総帥、マデルの父親だ。ジランチェニシスを預かり、監視する役を引き受けている。
ピエッチェたちが向かっているのはマデルの父親の屋敷だが、すれ違った馬車は違う屋敷に向かっている。別宅と言えばいいか、屋敷の近くに最近購入した物だ。そこでジランチェニシスを監禁する手はずになっていた。
マデルの父親が自分を疑っているのは芝居だと、ラクティメシッスが笑った。
「敵を油断させるための罠ってところですね――まぁ、マデリエンテとのことを反対されたのは事実です。でも、それならそれを利用しようかな、と」
もちろんこれもサロンでの脳内会話だ。
「彼女が外部と連絡を取れないのは父親の意向です。あの頑固親父、誰かを通じて娘がわたしに連絡するんじゃないかって心配してるんです」
「魔法の鏡も使えないんだ?」
クルテが訊くとラクティメシッスが苦笑した。
「あの鏡にはね、どんな遮蔽術も効きません。わたしとマデリエンテを引き離すことなんかできないんです」
ギュリューのレストランでマデルを見詰めていた時のような笑顔になったラクティメシッスだった。
ピエッチェたちが向かっているのは本宅のほうだが正門からは入れない。と言うより、屋敷の敷地内に入る予定はない。
所有者がいるかどうかも判らない森の中に万が一の時のために用意された隠し通路の出口がある。その近くの道は森の中という事もあり先は行き止まり、滅多なことでは誰も通らない。
道端で馬車を停め、御者台から降りたピエッチェがタラップを用意した。するとすぐにキャビンのドアが開き、クルテが降りてくる。
「やっぱりキャビンのほうが座り心地がいいね」
するとキャビンの中でカッチーが笑った。
「だったらクルテさん、ずっとこっちに乗ってたらどうですか?」
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