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17章 選択された祖国
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夕食を下げに来た給仕係に訊いてみると、年に一度と決まっていた入隊検査が、今は随時行われているという。
「やっぱり開戦なんでしょうねぇ。まったく、いい迷惑……これでまた暮らしが苦しくなる。まぁ、貴族さまには関係ないんでしょうね」
どうやらこの給仕係は反戦派のようだ。忌々しげにそう言うと、ワゴンを押して出て行った。
しっかりドアが閉められ、ワゴンのガラガラ音が遠ざかってからラクティメシッスがニヤリと笑った。
「決まり、ですかね?」
それにピエッチェもニヤリと返す。
「あぁ、決まりだな――入隊検査にはその隊のトップが必ず立ち会うのが我が国の決まりだ。ま、立ち会うと言っても居るだけなんだけどね。まあさ、トロンペセスなら見逃したりしない」
異論を唱えたのはマデルだ。
「何を考えてるんだか知らないけど、非常事態なんだから決まりだったとしてもトロンペセスは居ないかもしれないわよ。もしも居て、ちゃんと気付いてくれたって、何しに来たんだろうって思われるだけかもしれない」
「それでもいいんだよ。トロンペセスが居なくても、こっちの顔を知ってる誰かが居れば必ずトロンペセスに報せるはずだ。あの時の少年が来たってね」
「少年!?」
驚いたのはカッチー、少年って言えば自分のことだ。
「こないだ成人したってのはいいタイミングでしたね」
ラクティメシッスが穏やかな眼差しをカッチーに向ける。が、マデル、
「だってカッチーはローシェッタ国民よ? そのあたりはどうするの?」
カッチーに入隊検査を受けさせる気だと察していた。
「チュジャバリテのところの店員だってことにすればいいよ――なぁに、きっちり調べたりしない。チュジャバリテが八百屋を手広くやっててくれてるお陰で、スマホレンジって店名を言えば怪しまれやしないさ」
「でもピエッチェさん、もしも向こうに確認されたら?」
カッチーの心配に答えたのはラクティメシッスだ。
「チュジャバリテならすぐに察して身元保証人にだってなってくれますよ」
「でも……俺がザジリレン警備隊に入隊?」
複雑な表情のカッチー、クルテが眠そうな顔で言った。
「入隊検査に合格する気でいるらしい――でも、もし合格しても入隊はしない。どんなに遅くても、入隊が正式に決まる前にトロンペセスが気付く。きっとね」
「そういう事です。そして向こうから、なんらかの手段を使って接触してくるはずです――カッチー、連絡先はこの宿にしておいてくださいよ」
微笑むラクティメシッスに、ホッとするカッチー、ピエッチェに見捨てられたとでも感じたのだろう。
これでトロンペセスと渡りをつける目途はついた。他の街の動きも気になるところだが、それはトロンペセスから聞き出すほうが手っ取り早い。すぐに動きたいところだが、ここは休養だとでも思って温和しくしているしかない。実際、休養だって必要だ。
「それでピエッチェはどうするつもりでいるのですか?」
問うラクティメシッス、ピエッチェがきっぱりと答えた。
「トロンペセスたちがしようとしていることはいわば内乱だ。許せるはずがない」
「しかし、あなたがトロンペセスたちの旗印となれば内乱ではなくなりますよ? むしろ王都にいるヤツ等が反逆者、こちらの兵力もあっという間に膨らむと思います」
「それで? 民を二分することに変わりはない。だいたい、人質を取られている連中はどうすればいい? 志のために家族を見捨てるのか? 家族のために志を捨てるのか? どちらも俺はさせたくない――ほかの方法を考える。まぁ、トロンペセスの話を聞いてからになっちまうがな」
「あなた自身の立場を守るには、トロンペセスたちを利用するほうが簡単ですよ?」
「俺の立場なんかどうでもいいんだ」
苦笑するピエッチェに、ラクティメシッスも苦笑する。
「まぁ、あなたはそんな人です。そうそう、トロンペセスを利用しろって言いましたが、だからって、そうしなかったらあなたに協力しないってことじゃありませんから」
そんなこと判っているさと思うピエッチェ、ラクティメシッスの言動の傾向には気づいている。質問の答えを予測してから訊き、答えの欠点や反対意見を口にする。そのうえで、こちらの決意のほどを測っている。本当に反対したいのならば、簡単に持論を引っ込めたりしないだろう。同時にきっと、自分の決意をも固めている。共に進むには願ってもいない相手だ――やっぱり気が合うのか? まぁ、相性はいいのかもしれないな。
翌日、しっかり朝食を摂ってから、カッチーは入隊検査を受けるため一人で出かけて行った。
「大丈夫よ。カッチーが落とされたら合格できる人は居ないわ」
マデルの励ましに、いつも通り『頑張ります!』の言葉でカッチーは答えていた。
「あの子、あんなに緊張してて大丈夫かしら?」
カッチーが出かけてからもマデルの心配は止まらない。
「緊張してないほうが却って怪しまれそうです」
ラクティメシッスが笑う。それもそうか、と微笑むものの、マデルはカッチーが心配で堪らないらしく、ソワソワと落ち着かない。
それでもクルテに『花を買いたいから一緒に来て』と言われて出かけて行った。
「お嬢さん、よっぽど花が好きなんですね」
ラクティメシッスの言葉に他意は感じられない。
「花が身近にないと落ち着かないらしいよ」
「なるほどねぇ……」
ピエッチェの返事にも上の空で、手にした本に視線を戻す。ラクティメシッスはカッチーから借りた本を読んでいた。
「カテルクルストの森?」
本の表紙を覗き込んでピエッチェが言った。
「面白おかしく書かれた読み物をラスティンが楽しむって少し意外だな」
チラリとピエッチェを見てからラクティメシッスが答えた。
「そうですか? なかなか興味深いものですよ。でもこれは『青年カテルクルスト』を読んだ後に読むべきですね」
「読むべき? ってそっちも読んだんだ?」
「はい、青年カテルクルストもカッチーに借りて読みました。で、そちら提起された謎の答えがカテルクルストの森で解明できる、そんな感じです」
「まぁ、カテルクルストについては謎が多いから。でも、答えは出てないはずだ」
「そうですね、カテルクルストについてはね」
カテルクルストについては、ってことは他の謎は解けるってことか?
「例えば、カテルクルストに娘がいたのか、とかですね」
ピエッチェの疑問に答えるようにラクティメシッスが言った。
「それにしてもカッチーがよく言ってるけど、お嬢さんって女神の娘との共通点が驚くほど多いようですね」
ギョッとして話を逸らそうとしたが
「女神の娘についても書いてあるんだ?」
却って深追いするようなことを訊いてしまったピエッチェだ。他に思いつけなかったのもある。
けれど話はそこで打ち切られた。買い物に行っていたクルテとマデルが帰ってきて『お茶の時間だ』と騒いだからだ。もちろん菓子を買い込んできていた。
「入隊検査って、どれくらい時間がかかるのかしら?」
オレンジピールを練り込んだ型焼きケーキを食べながらマデルが訊いた。
「筆記試験もあるって、花屋さんが言ってたわ」
ピエッチェがニヤリと笑う。
「筆記試験って言ったって、将校採用ってわけじゃないんだから自分の名が書けてりゃ大丈夫さ」
「カッチーは複雑な計算もできるって聞きましたよ?」
これはラクティメシッス、マデルと同じものに舌鼓を打っていた。
するとクルテが、嚙り付こうとしていたアップルパイをいったん皿に置いた。
「カッチー、お金の計算が得意。それに読み書きも充分上達してる。ザジリレンの歴史についても一般常識以上の知識がある。それから……なんだっけ?」
って、なぜそこで俺を見上げる?……あれ、おまえ? 少し怒ってるよな?
「まぁ、なにしろ、なんにも心配いらない。自分の名が書ければ、なんて言って悪かったよ。別にカッチーをバカにするつもりで言ったわけじゃないんだ」
ピエッチェの言い訳にムフッと笑んだクルテ、思い出したようにアップルパイを手に取った。
そのあとは手持ち無沙汰に刺繍を始めたマデル、横に座ってそれを眺めるクルテ、ラクティメシッスは読書の続き、ピエッチェは武具防具の手入れをして過ごした。
「そう言えば、武具屋に行かなきゃですね」
剣を鞘から抜いたものの見ただけで再び鞘に納めたピエッチェを見てラクティメシッスが言った。
「かなり刃こぼれしてるんじゃないですか? わたしのもです。研ぎに出さないと」
刺繍の手を止めたマデルが
「だったら防具屋にも行って。カッチー、防具が小さくなったみたい」
と言えば、そうでした、とラクティメシッスが頷く。クルテが『防具が小さくなったんじゃなくって、カッチーが大きくなった』と言ったのは全員に無視された。
防具屋に行くならカッチーも一緒じゃないと意味がない。武具屋も防具屋も明日にすると決めて、だらだらと過ごした。昨日の夜、魔物と遣り合ったうえ睡眠が充分とれていない。明日、どう動くかまだ決まっていないが、剣研ぎや防具一人分を買い求める時間くらい作れるだろう。
夕刻が近づいてもカッチーは帰って来なかった。マデルは刺繍に飽きて、編み物を始めていた。レースの手袋を編むらしい。
「花嫁の手袋?」
クルテの問いにマデルは、微笑んだだけで答えなかった。
ラクティメシッスはソファーに寝転んでいたが、開いたままの本を顔に乗せて居眠りを決め込んでいた。居眠りはピエッチェも同じだ。腰かけて腕を組んでウトウトしている。
そんな二人が同時にハッと、乱暴に立ち上がった。マデルはかぎ針とレース糸を手にしたまま、緊張した面持ちでドアを見た。クルテもドアを見たが『カッチーじゃない』と言っただけだった。
廊下をこの部屋に向かってくる誰かがいる。殺気は感じないものの、あれは軍人の歩きかただ。敵か、味方か? 見交わすピエッチェとラクティメシッス、武器は既に寝室に持って行ってしまった。それをラクティメシッスは知っている。何かあれば魔法を使って防いでくれるはずだ。
じりじりと焼けつくような緊張感、向こうは部屋名を確認しながら歩いている。ここの宿は番号ではなく、一部屋一部屋違う名前が付けられていた。だがそれにしても受付を通したのなら、何階の階段から何番目とか目安を教えてくれるはずだ。いちいち部屋札を見ているということは受付を通していないということだ。
でも、そうなると、どこでここの部屋名を知った? 廊下を行きながらブツブツ呟いているのはこの部屋の名だ。
「あぁ、あった。ここだ――」
廊下で呟く声、ゴホンと咳払い……この部屋の真ん前だ。姿勢を正す気配は、心なしか身構えたようにも感じる。
ピエッチェとラクティメシッスの緊張が高まる中、ドアがノックされた――
「やっぱり開戦なんでしょうねぇ。まったく、いい迷惑……これでまた暮らしが苦しくなる。まぁ、貴族さまには関係ないんでしょうね」
どうやらこの給仕係は反戦派のようだ。忌々しげにそう言うと、ワゴンを押して出て行った。
しっかりドアが閉められ、ワゴンのガラガラ音が遠ざかってからラクティメシッスがニヤリと笑った。
「決まり、ですかね?」
それにピエッチェもニヤリと返す。
「あぁ、決まりだな――入隊検査にはその隊のトップが必ず立ち会うのが我が国の決まりだ。ま、立ち会うと言っても居るだけなんだけどね。まあさ、トロンペセスなら見逃したりしない」
異論を唱えたのはマデルだ。
「何を考えてるんだか知らないけど、非常事態なんだから決まりだったとしてもトロンペセスは居ないかもしれないわよ。もしも居て、ちゃんと気付いてくれたって、何しに来たんだろうって思われるだけかもしれない」
「それでもいいんだよ。トロンペセスが居なくても、こっちの顔を知ってる誰かが居れば必ずトロンペセスに報せるはずだ。あの時の少年が来たってね」
「少年!?」
驚いたのはカッチー、少年って言えば自分のことだ。
「こないだ成人したってのはいいタイミングでしたね」
ラクティメシッスが穏やかな眼差しをカッチーに向ける。が、マデル、
「だってカッチーはローシェッタ国民よ? そのあたりはどうするの?」
カッチーに入隊検査を受けさせる気だと察していた。
「チュジャバリテのところの店員だってことにすればいいよ――なぁに、きっちり調べたりしない。チュジャバリテが八百屋を手広くやっててくれてるお陰で、スマホレンジって店名を言えば怪しまれやしないさ」
「でもピエッチェさん、もしも向こうに確認されたら?」
カッチーの心配に答えたのはラクティメシッスだ。
「チュジャバリテならすぐに察して身元保証人にだってなってくれますよ」
「でも……俺がザジリレン警備隊に入隊?」
複雑な表情のカッチー、クルテが眠そうな顔で言った。
「入隊検査に合格する気でいるらしい――でも、もし合格しても入隊はしない。どんなに遅くても、入隊が正式に決まる前にトロンペセスが気付く。きっとね」
「そういう事です。そして向こうから、なんらかの手段を使って接触してくるはずです――カッチー、連絡先はこの宿にしておいてくださいよ」
微笑むラクティメシッスに、ホッとするカッチー、ピエッチェに見捨てられたとでも感じたのだろう。
これでトロンペセスと渡りをつける目途はついた。他の街の動きも気になるところだが、それはトロンペセスから聞き出すほうが手っ取り早い。すぐに動きたいところだが、ここは休養だとでも思って温和しくしているしかない。実際、休養だって必要だ。
「それでピエッチェはどうするつもりでいるのですか?」
問うラクティメシッス、ピエッチェがきっぱりと答えた。
「トロンペセスたちがしようとしていることはいわば内乱だ。許せるはずがない」
「しかし、あなたがトロンペセスたちの旗印となれば内乱ではなくなりますよ? むしろ王都にいるヤツ等が反逆者、こちらの兵力もあっという間に膨らむと思います」
「それで? 民を二分することに変わりはない。だいたい、人質を取られている連中はどうすればいい? 志のために家族を見捨てるのか? 家族のために志を捨てるのか? どちらも俺はさせたくない――ほかの方法を考える。まぁ、トロンペセスの話を聞いてからになっちまうがな」
「あなた自身の立場を守るには、トロンペセスたちを利用するほうが簡単ですよ?」
「俺の立場なんかどうでもいいんだ」
苦笑するピエッチェに、ラクティメシッスも苦笑する。
「まぁ、あなたはそんな人です。そうそう、トロンペセスを利用しろって言いましたが、だからって、そうしなかったらあなたに協力しないってことじゃありませんから」
そんなこと判っているさと思うピエッチェ、ラクティメシッスの言動の傾向には気づいている。質問の答えを予測してから訊き、答えの欠点や反対意見を口にする。そのうえで、こちらの決意のほどを測っている。本当に反対したいのならば、簡単に持論を引っ込めたりしないだろう。同時にきっと、自分の決意をも固めている。共に進むには願ってもいない相手だ――やっぱり気が合うのか? まぁ、相性はいいのかもしれないな。
翌日、しっかり朝食を摂ってから、カッチーは入隊検査を受けるため一人で出かけて行った。
「大丈夫よ。カッチーが落とされたら合格できる人は居ないわ」
マデルの励ましに、いつも通り『頑張ります!』の言葉でカッチーは答えていた。
「あの子、あんなに緊張してて大丈夫かしら?」
カッチーが出かけてからもマデルの心配は止まらない。
「緊張してないほうが却って怪しまれそうです」
ラクティメシッスが笑う。それもそうか、と微笑むものの、マデルはカッチーが心配で堪らないらしく、ソワソワと落ち着かない。
それでもクルテに『花を買いたいから一緒に来て』と言われて出かけて行った。
「お嬢さん、よっぽど花が好きなんですね」
ラクティメシッスの言葉に他意は感じられない。
「花が身近にないと落ち着かないらしいよ」
「なるほどねぇ……」
ピエッチェの返事にも上の空で、手にした本に視線を戻す。ラクティメシッスはカッチーから借りた本を読んでいた。
「カテルクルストの森?」
本の表紙を覗き込んでピエッチェが言った。
「面白おかしく書かれた読み物をラスティンが楽しむって少し意外だな」
チラリとピエッチェを見てからラクティメシッスが答えた。
「そうですか? なかなか興味深いものですよ。でもこれは『青年カテルクルスト』を読んだ後に読むべきですね」
「読むべき? ってそっちも読んだんだ?」
「はい、青年カテルクルストもカッチーに借りて読みました。で、そちら提起された謎の答えがカテルクルストの森で解明できる、そんな感じです」
「まぁ、カテルクルストについては謎が多いから。でも、答えは出てないはずだ」
「そうですね、カテルクルストについてはね」
カテルクルストについては、ってことは他の謎は解けるってことか?
「例えば、カテルクルストに娘がいたのか、とかですね」
ピエッチェの疑問に答えるようにラクティメシッスが言った。
「それにしてもカッチーがよく言ってるけど、お嬢さんって女神の娘との共通点が驚くほど多いようですね」
ギョッとして話を逸らそうとしたが
「女神の娘についても書いてあるんだ?」
却って深追いするようなことを訊いてしまったピエッチェだ。他に思いつけなかったのもある。
けれど話はそこで打ち切られた。買い物に行っていたクルテとマデルが帰ってきて『お茶の時間だ』と騒いだからだ。もちろん菓子を買い込んできていた。
「入隊検査って、どれくらい時間がかかるのかしら?」
オレンジピールを練り込んだ型焼きケーキを食べながらマデルが訊いた。
「筆記試験もあるって、花屋さんが言ってたわ」
ピエッチェがニヤリと笑う。
「筆記試験って言ったって、将校採用ってわけじゃないんだから自分の名が書けてりゃ大丈夫さ」
「カッチーは複雑な計算もできるって聞きましたよ?」
これはラクティメシッス、マデルと同じものに舌鼓を打っていた。
するとクルテが、嚙り付こうとしていたアップルパイをいったん皿に置いた。
「カッチー、お金の計算が得意。それに読み書きも充分上達してる。ザジリレンの歴史についても一般常識以上の知識がある。それから……なんだっけ?」
って、なぜそこで俺を見上げる?……あれ、おまえ? 少し怒ってるよな?
「まぁ、なにしろ、なんにも心配いらない。自分の名が書ければ、なんて言って悪かったよ。別にカッチーをバカにするつもりで言ったわけじゃないんだ」
ピエッチェの言い訳にムフッと笑んだクルテ、思い出したようにアップルパイを手に取った。
そのあとは手持ち無沙汰に刺繍を始めたマデル、横に座ってそれを眺めるクルテ、ラクティメシッスは読書の続き、ピエッチェは武具防具の手入れをして過ごした。
「そう言えば、武具屋に行かなきゃですね」
剣を鞘から抜いたものの見ただけで再び鞘に納めたピエッチェを見てラクティメシッスが言った。
「かなり刃こぼれしてるんじゃないですか? わたしのもです。研ぎに出さないと」
刺繍の手を止めたマデルが
「だったら防具屋にも行って。カッチー、防具が小さくなったみたい」
と言えば、そうでした、とラクティメシッスが頷く。クルテが『防具が小さくなったんじゃなくって、カッチーが大きくなった』と言ったのは全員に無視された。
防具屋に行くならカッチーも一緒じゃないと意味がない。武具屋も防具屋も明日にすると決めて、だらだらと過ごした。昨日の夜、魔物と遣り合ったうえ睡眠が充分とれていない。明日、どう動くかまだ決まっていないが、剣研ぎや防具一人分を買い求める時間くらい作れるだろう。
夕刻が近づいてもカッチーは帰って来なかった。マデルは刺繍に飽きて、編み物を始めていた。レースの手袋を編むらしい。
「花嫁の手袋?」
クルテの問いにマデルは、微笑んだだけで答えなかった。
ラクティメシッスはソファーに寝転んでいたが、開いたままの本を顔に乗せて居眠りを決め込んでいた。居眠りはピエッチェも同じだ。腰かけて腕を組んでウトウトしている。
そんな二人が同時にハッと、乱暴に立ち上がった。マデルはかぎ針とレース糸を手にしたまま、緊張した面持ちでドアを見た。クルテもドアを見たが『カッチーじゃない』と言っただけだった。
廊下をこの部屋に向かってくる誰かがいる。殺気は感じないものの、あれは軍人の歩きかただ。敵か、味方か? 見交わすピエッチェとラクティメシッス、武器は既に寝室に持って行ってしまった。それをラクティメシッスは知っている。何かあれば魔法を使って防いでくれるはずだ。
じりじりと焼けつくような緊張感、向こうは部屋名を確認しながら歩いている。ここの宿は番号ではなく、一部屋一部屋違う名前が付けられていた。だがそれにしても受付を通したのなら、何階の階段から何番目とか目安を教えてくれるはずだ。いちいち部屋札を見ているということは受付を通していないということだ。
でも、そうなると、どこでここの部屋名を知った? 廊下を行きながらブツブツ呟いているのはこの部屋の名だ。
「あぁ、あった。ここだ――」
廊下で呟く声、ゴホンと咳払い……この部屋の真ん前だ。姿勢を正す気配は、心なしか身構えたようにも感じる。
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