残虐王は 死神さえも 凌辱す

寄賀あける

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第3章 ニュダンガの道

最初の手紙

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 バチルデア王女ルリシアレヤさま――我があるじ、グランデジア王リオネンデのめいにより、このふみしたためております。

 王女さまがいらっしゃるバチルカ・バチルデアナは爽やかな風が吹く時候、緑萌みどりもえる、バチルデアで最も美しい季節とのこと、お元気に、お心もかろやかにお過ごしのことと拝察しております。

 グランデジアは雨期に入りました。王都フェニカリデ・グランデジアでは滅多に大降りになることはなく、雨は美しいものに数えられています。

 賑やかなフェニカリデですが、この時期はしっとりとたおやかな風情ふぜいを醸し出す街に変わります。昼は水滴が星屑のようにきらめき、夜には雨音あまおとが月に代わって静かにささやいているようです。

 しかしそれは王都においてのこと、疾走する馬群の蹄音のような雨が続く地方もあれば、反対に雨期だと言うのにさっぱり降らぬ地方もある――これがリオネンデ王の頭を悩ませている一つだなどと、賢明な王女さまには申し上げるほどのことではないでしょう。いくらフェニカリデの雨が美しいものだとしても、雨のもたらすものは恩恵だけではないと痛いほど承知しているリオネンデ王でございます。

 貴国バチルデアは冬の寒さは厳しいものの、隣国バイガスラのような大雪もなく、一年を通して暮らしやすいところと聞き及んでおります。

 バイガスラ国の山地より、かの地を経由して流れ込む大河ドリャスゴの恵みを受けた肥沃な大地はおおむね平坦、随所に森もある美しい国、そんな土地柄からか人々はみな穏やかで大らか……王女さまのお手紙からは、そんな貴国の風土にはぐくまれた王女さまの伸びやかなお心が饒舌じょうぜつに伝わって参りました。こんな真っ直ぐで純粋なお心をお持ちの王女さまを我が国の王妃にお迎えできる幸いは国をあげての喜びでございます。

 本来ならばリオネンデ王がみずから筆を取るべきところですが、水害に心を痛めているとのくだりでお察しのことと存じますがリオネンデ王は多忙、ゆえに代わってわたくしがしたためさせていただきます。

 最初にいただいたお手紙には返信を差し上げることなく贈物のみと大変失礼いたしました。二通目のお手紙に文通をお望みとありましたので、リオネンデ王より許しを得、このふみを送らせていただく運びとなりました。

 こののち、王女さまからのお文のお返事はわたくしがお出しすることになると、ご承知いただけますようお願い申し上げます。わたくしでよろしければお心のまま、なんなりとご遠慮なくお尋ねください。不束ふつつかではありますが、わたくしでお答えできるすべてをお伝えするよう、真摯しんしに努めてまいります。

 王女さまがおふみのお相手にわたくしをご指名くださった名誉に、わたくしの心は喜びに打ち震えているとお判りになりますでしょうか? しかしながらわたくしは王女さまに名乗れる立場にあらず、名を伏せるご無礼、なにとぞお許しください。この辺りの事情、王女さまなら斟酌しんしゃくいただけるものと愚考しております。

 わたくしの気持ちをどうお示しすればよいものか……お礼のお品をとも思いましたがそれも僭越せんえつ、考えあぐねた末、プリムジュの押し花を添えました。勝手な思い込みを申し上げますが、プリムジュの快活な可愛らしさは王女さまによくお似合い、ぜひ差し上げたい……ご笑納いただけるでしょうか?

 お気に召さなかった時はご処分ください。どこにでもあるものとお気を悪くされましたなら、ひらにお許しを願うものです。差し出たおこない、どうぞ王女さまの寛大なお心でご容赦くださいませ。

 末筆になりますが、王女さまの健やかなることをお祈りしております――

 白地の便箋びんせんはしはぐるりと小さく波打つ飾り切り、銀箔ぎんぱくで細く縁取ふちどられいる。そこに深い緑色のインクで並べられた文字。封筒も白だが、片隅にグランデジア王家の紋章がやはり銀箔でされている。王家の紋章入りでも公用ではないと、封筒の四隅に唐草の型押しがしてあることで判る。

 読み終わったルリシアレヤが『ふぅ』と息を吐き、ニッコリ笑った。かたわらで目を細めているのはルリシアレヤの母、バチルデア王妃ララミリュース――バチルデア国王都バチルカ・バチルデアナの王宮、王女ルリシアレヤの居室だ。

「嬉しそうね、ルリシアレヤ」
「えぇ、それはもう!」

 手にしていた便箋を母親に手渡すと、テーブルに置いていた紙片に手を伸ばす。
「プリムジュって言う花なんですって」
少し厚めのその紙片には押し花が貼り付けられてある。

「わたしのこと、この花のように快活で可愛らしいと思っているらしいわ。快活なのは当たってるわね」
「へぇ……そうなのね」
渡された便箋に目を通しながらララミリュースが生返事をする。母親の反応などどうでもよいルリシアレヤは押し花を見詰めてニヤニヤと、なんとも言えない笑みを浮かべた。

「いったいどんな人なのかしら?」
夢見心地で譫言うわごとのようなルリシアレヤ、
「フェニカリデの雨……花の都が有名だけど、『雨の妖精に愛された街』って別名も聞いたことがあるわ」
と、ララミリュースは読むのに忙しい。

「女の人のようだけど、やっぱり決めつけられないわ」
「グランデジアって、豊かなのは王都だけとも聞くわね」

「身分が低いようなことを書いてあるけれど、それはきっと嘘よ」
「我が国のことを、少しは学んだようだわ」

「今回の便箋も素敵……地味だけど手が込んでいて上品、しかもこの便箋、相当高価なものよ」
「あなたを王妃にできて嬉しいって書いてある……我がバチルデアの後ろ盾が嬉しいって事よね、これ」

「封筒には王家の紋章――身分が低くちゃこんなもの、使えるはずがないわ」
「そりゃあ、どこの国も王は忙しいわよ」

「気に入らないわけないじゃない。こないだ頂いた物よりよっぽど素敵」
「干ブドウ、思いのほか美味しかったわ……フェニカリデってブドウ酒も有名よね」

「この人はプリムジュを見るたびわたしを思い出すってことね。好きな花だといいな」
「ルリシアレヤ、ブドウ酒が好きって書いてみたら?」

「あなたは白バラのつぼみのようですね、って今度の手紙には書こうかな」
「白ブドウのものも赤ブドウのものも美味しいそうよ」

「あぁ、フェニカリデに行ってみたい」
「えぇ、フェニカリデのブドウ酒を飲んでみたいわ」

「早くお会いしたい……どんなお声なのかしら」
「とても良い香りだそうよ」

「名前を教えて貰えないのは残念……」
「どの銘柄がいいか、国王に訊いてみようかしら?」

「何か事情があるみたい。訊くなって事よね」
「訊けば教えれくれるわよ」

「本人が言いたがってないのに、無理強いはダメよ」
「少しくらいのお強請ねだりは可愛いものよ」

「それにしてもなんて繊細なのかしら。水滴を星屑、雨音を月の囁き、だなんて」
「バイガスラの雪も捨てたものじゃないらしいけどね。雪が音を吸い込んで、怖いくらい静かになるんだとか。ナナフスカヤさまのお手紙にあったわ――亡くなられて何年かしらねぇ……」

「わたしのこと、伸びやかですって。ちゃんと見てくださってる」
「穏やかで大らかなのはバチルデアの国民性よ――ナナフスカヤさまに、せめてもう一度、お会いしたかった」

「思い切って、フェニカリデに会いに行くって書こうかしら?」
「あぁ、墓参って手もあるわ」

「王ではなくこの人になら、手続きなんかなくても会えるんじゃ?」
「バイガスラに行くにもいろいろ手続きが――って、ルリシアレヤ、今、なんと言ったの?」
「えっ?」

 適当な返事を返しているうちに、とんでもない方向にルリシアレヤの暴走が始まっていることに気付いたララミリュース、真面目な顔で娘に問う。
「誰に会いたい、ですって?」
「この手紙を書いた人によ」

「リオネンデ王ではなくて?」
「リオネンデはお忙しいのですって」

「だからって、なぜその人に会いたいの?」
「ん……とても素敵な人だから?」
「なぜわたしに訊くの?」
「お母さまもそう思わない? この人、とっても素敵だわ」

 難しい顔で、再び紙面にララミリュースが目を落とす。
「整った筆跡、丁寧な言葉遣い、教養もお持ちのようだけど……でも、名乗れないって言うのが引っ掛かるわ」
「身分が低くても尊敬できる人は多いわ。お父さまも身分で判断してはいけないっておっしゃってる」
「そりゃあそんなんだけど」

「ね、お母さまもお父さまにお願いして。非公式にフェニカリデを訪問するのを許して欲しいって」
ララミリュースが可愛い末娘の顔を見詰める。

 二男二女をもうけ、それから妊娠の兆候が表れることがなかった。七年も経って授かった末の娘、父王は勿論、上の兄姉たちからも競うように愛されて育った娘――明るさも無邪気さも他者への慈しみも、その愛情がルリシアレヤに教えたものだ。そして夢見がちでうたがうことを知らない純真さも、愛情しか知らずに育ってきたからだ。

 再々度、ララミリュースが便箋を見る。この文を書いた人物をルリシアレヤは信用しきっている。だけど本当に信用できる人物なのか? 名乗らないのはなぜなのだろう?

「ねぇ、お母さま、いいでしょう?」
ララミリュースが溜息を吐く。今のルリシアレヤは何を言ってもきっと理解できないし、理解しようとしないだろう。いつでも多少のわがままは許してきた。甘やかしたツケは払わなくてはならない。

「そうね。でも、これが初めてのお手紙でしょ? もう少しやり取りをして、もっと気心が知れてからがいいと思うわ」
ララミリュースの返答を了承と受け取って、嬉しそうにルリシアレヤが微笑んだ。
「うん、わたしのこと、好きになって貰ってからのほうがいいわよね。その時は約束よ。お父さまを説得してね」
「そうね、その時はね。けどね、ルリシアレヤ」

「けどね?」
「あなたのお相手はリオネンデ王なのよ。文通のお相手役に夢中になるのもいいけれど、間違えないでね」
「あら、お母さま。わたしがお手紙のきみに恋してるとでも?」
ルリシアレヤがコロコロ笑う。

「そうじゃないけど……」
そうよ、と言いたいが、あえて否定したララミリュースだ。言えば本当にそうなりそうで怖い。

 母親のそんな心配に、ルリシアレヤはほんの少しも気付かない。
「大丈夫、相手の性別も判らないのにそんなことにはならないわ――婚約者はリオネンデさま。そのリオネンデさまのためにグランデジアを知りたいのよ」

 もう次の手紙を書く気になったらしいルリシアレヤ……引き出しをガサゴソあさり、便箋を選んでいる。それを眺めるララミリュースが考え込む。そうよね、そんなことになるはずがない。だってあの手紙には『リオネンデのめいで書いた』とあったもの。だけど――

 受けた印象はまるで恋文こいぶみ……ララミリュースは胸騒ぎを抑えきれずにいた。
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