月時雨(つきしぐれ)が降る夜は きっと誰かが泣いている

寄賀あける

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神でいること

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 風雨も地揺れもそれ以上は強くなることはなかった。それどころかどんどん弱まっていくばかりだ。霧雨になるころには地揺れも収まった。けれど立ち込めたもやが晴れることはなかった。

 僕たちはじっとりと濡れて、隼人はやとは髪からしずくしたたらせている。それを気にすることなく、じっとほこらを見つめている。そして再び祠に手を伸ばした。

 今度は弾かれなかった。手を祠の屋根に置いて、何かを考えるように目を閉じた隼人、そのまま何度かうなずいた。きっと久喜里くきりと二人だけで対話しているんだ。

「判った……ゆっくりお休み」
隼人が静かにそう言って、祠から手を放す。そして祠の扉を閉めた。急激に靄が消えていき、久喜里くきりが眠りについたと僕にさえ判った。

 車に戻るとさくみちるが心配顔で外に出て待っていた。
「三人とも、早く拭いて」
満が慌てて車の中からタオルを出してくる。

「この山にだけもやがかかって、上のほうは何も見えなくなった――上で何が起きたんだ?」
朔の問い掛けに隼人が、
「まずは朝ごはん食べよう。おなかペコペコ」
と、泣きそうな声で言った。

 出かける前に用意した食事を『食べたくないの』と隼人は食べなかった。いつでも腹ペコの隼人、よっぽど緊張していたんだろう。

 奏さんが、
「うん、コンビニ寄って、デザートも買って、それから帰ろうな」
複雑な笑いとともにそう言った。

 買い物に行ったのは朔と満だった。隼人が僕の腕にしがみ付いたまま離さなかったからだ。それに腹ペコのはずなのに『帰ってから食べる』と言って、隼人はすぐに奏さんに車を出させた。

 様子が大幅にいつもと違う隼人に朔と満は戸惑って、何を買ったらいいか判らなかったようだ。サンドイッチにおにぎり、蕎麦そばやパスタ、プリンにゼリーやヨーグルトと、さらにケーキまで買ってきた。きっとカゴいっぱいに手当たり次第に入れたんだろう。

 事務所に帰ると隼人は、なぜかストローをヨーグルトに突き挿すとズーズー音を立てて、続けて三個食べた。なんでズーズー音が好きなんだろう……

 そのうえ、ヨーグルトを食べただけで、
「ボク、眠いの。だからボク、寝るから」
と部屋に行ってしまう。

「おい、隼人、話は?」
引き留める朔をそうさんがなだめる。
「寝かせてやれ、疲れたんだろう――起きればきっと話し始めるさ」

 みんなまともに寝ていない。僕たちも再び寝ることにした。結局、飲み物を摂っただけで僕たちも何も食べなかった。時刻は八時過ぎ、どうせ隼人は昼まできっと起きてこない――

 予測に反して僕たちは十時に起こされる。正確には強引な来客に叩き起こされることになる。

「珠ちゃん!」
起こされて滅茶苦茶不機嫌だった隼人が、来客を知って途端にご機嫌に変わる。
隼人はニャとぉ~」

 珠ちゃんが隼人に擦り擦りし、隼人が珠ちゃんを撫で撫でしているうちに僕は、隼人にはカフェオレ、珠ちゃんにはミルクを用意した。リビングのテーブルにおいてあげると、
「バンちゃん、今日は気が利くねぇ」
隼人がソファーに座り、
「今日は気が利くニャー、血吸い人」
と、珠ちゃんも隼人の対面に座る。『血吸い人?』と朔と満がダイニングで声を潜めて笑った。

隼人はニャと、今日はお礼参れいミャいりに来たニャ」
「ボク、珠ちゃんに仕返しされるようなこと、何かしたっけ?」

隼人はニャとは何もしていニャい。珠ニャンがしたニャ」
「珠ちゃん、なにしたの」

「願掛けしたニャ」

「へー、初耳」
「ニャに! 血吸い人! 隼人はニャとに伝えてニャいニョかっ!?」
いきなり珠ちゃん、可愛い子猫モードから、おっそろしい化け猫モードに変わる。そして爪をむき出して、ひょいと掲げた両前足を僕に向けた。

 ちゃんと伝えたよ。ニワトリ頭が忘れただけだってばっ! 弁解する暇もない。

「珠ちゃん、バンちゃんをいじめちゃダメ」
「あ、そうだニャ、血吸い人を虐めていいのは隼人はニャとだけだったニャ」
隼人の一声で、瞬時に元の子猫モードに戻った。

 あの前足で相手を自在に操るらしいが、吸血鬼の僕にも効くのかは不明。本気で掛かってくれば僕だって自衛する。猫又と吸血鬼、どっちが強いかちょっとやってみたい気もしないでもない。

「ンで、願掛けは叶ったんでしょ?」
カフェオレをすすりながら隼人が言う。

「そうニャ、隣の山に水が戻ったニャ――ちょっと不思議だったがニャ。今朝、その山にだけ雨が降ったのニャ。そしたら干上がってた隠れ泉が滾々こんこんと湧いてきて、水で満たされたそうニャ。どーせ隼人はニャとがニャんかしたのニャ」
そう言って珠ちゃんが立ち上がる。見るとミルクを飲み干している。

「ニャ、帰るニャ。あ、そうニャ、忘れるとこニャッた。お礼をコンビニで買ってきたニャ」
ポケットをガサゴソした珠ちゃん、取り出したのはヨーグルトが一つ。

「それじゃ、またニャ、隼人はニャとに血吸い人――奏ニャン、今日のお土産はニャンだ?」
珠ちゃんの関心は、毎度奏さんが用意してくれるお土産に移っている。奏さんがいるダイニングにサッサと行ってしまった。そして隼人は珠ちゃんがくれたヨーグルトを嫌そうな顔で眺めている。ポケットの中で蓋が潰れ、飛び出した中身でベチャベチャだ。

「じゃあニャ、人狼のにぃニャんとねぇニャん」
コンビニ袋をガサガサさせて珠ちゃんは帰っていった。奏さんは、朝、買ってきて食べなかった残りを珠ちゃんに持たせたようだ。

 あんなにコンビニで買いこんだのに隼人がヨーグルトを食べただけ、なんだか気分じゃなかった僕たちも何も食べずに寝てしまった。珠ちゃんはきっと大喜びだろう。

 隼人が『おなかすいた』と言い出す前に、奏さんがダイニングから僕たちを呼ぶ。
「隼人、バン、飯食えや」
「わぁーい、奏さん気が利くねぇ――バンちゃんたらね、ボクに朝ご飯、くれなかったの」
勝手に食べずに寝ただけじゃん。ダイニングでは朔と満が一足先に食べ始めていた。

 ダイコンとアゲのお味噌汁、焼鮭、きんぴらごぼう、甘い出汁巻き卵、レタスときゅうりとトマトのサラダ、隼人と珠ちゃんが話している間に奏さんが用意してくれたメニューだ。鮭は隼人の分だけ身を解して骨を取り除いてある。

「和食って美味しいよね」
白飯を頬張りながら隼人が言う。
「これだけでも日本に住んでる価値があるよね。でも、中華もイタリアンもいいね。アメリカンってなんだったっけ?」
うん、隼人? まさか日本を出る気になった? 同じ疑問を朔も感じたようだ。
「隼人、日本を出るのか?」
朔の言葉に満が怯えた目で隼人を見る。

 僕たちに戸籍なんかない。奏さんだけはなんらかの手段を使って隼人が戸籍を手に入れた。だから奏さんは免許もあれば店も車も持てる。その戸籍も何年かおきにまた別の物に隼人が替えている。僕たちの寿命に対応できる戸籍なんかない。

 隼人は時どき、日本を出て別の国で暮らす。ハヤブサの分布は極地を除く世界全域と隼人が笑う。だけどその時、朔と満は置いて行かれる。日本でお留守番だ。いや、隼人の本拠地はエジプトなのだから、お留守番は奇怪おかしいか?

 僕はハツカネズミやリスになり衣類を詰めたバッグに忍んで、ハヤブサになった隼人が運ぶ。食料はいくらでも調達できるのだから、水さえどうにかできれば結構面白い旅だった。無人島で探せば泉が必ずどこかにある。なくても生えている植物から水分を貰えた。近頃は未開の地なんかグッと減っただろうから、以前より旅路はきついかもしれない。

 満はいつも泣いて隼人を引き留めた。だけど隼人はハヤブサ――ペレグリン、漂流する者だ。結局諦めて日本で待っている。

 ずずずーーっと味噌汁を啜って、隼人が言った。
「ん? 疲れちゃったから暫く日本にいるよ。日本ほど、異国の神に甘い場所はないもんね」
ホッとする満をチラリとみて隼人が続けた。
「でも……神でいるのにも疲れちゃった」

 隼人、おまえ、神でなくなるって、それはつまり消滅を意味するぞ?
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