【完結】汚れた雨

かの

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04 高原由之

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 ようやく梅雨が明けたと言っていた、あのニュースは何だったのだろうか?

 気象庁を恨みたくなるような頭痛に高原由之たかはらよしゆきは気持ちを滅入らせていた。気圧の影響だと言われても、どうする事もできない頭痛に悩まされるのは梅雨だけで十分だ。それなのに七月に入って一度でも雨を落とさない空を見ただろうか。誤報だと気象庁を責めたくなる、ここ数日の天気に気持ちは沈むばかりだ。

 客の酒を飲まなければ売上にも影響してくる。それに週末と違い、平日のしかもこんな雨の夜など、例えそれが九時や十時と言う時間であっても、人通りがまばらになる町だ。ろくな事のないこんな雨の平日の夜なんて、素通りする事ができれば、気象庁を恨む事なんてないのに。

 新宿二丁目、仲通りから一本入った路地。雑居ビルの三階に店はある。土曜日だけはバイトを雇っていたが、平日は一人で営業していた。ボックス席のない店内は、十人入れば満席になる。この場所に店を持って丸一年。ようやく常連と呼べる客も付き始めたが、平日の夜に満席になる事はこので一度もなかった。

「かなり降っていましたか?」

 夜の八時に店を開け、その一時間後に最初の客は現れた。

「けっこう降っていたよな」

 遅れて店に入った後ろの男に同意を求めるよう振り返った客に、二人連れだと言う事を知らされる。

「いらっしゃいませ……あの……初めましてですよね?」

 取り出した二本のおしぼりを手渡しながら、声を掛けてみる。見覚えのない顔だったが失礼があってはいけない。かなり降っていましたか? と言う、失礼のない一言目を発しその顔をゆっくりと確認する。

「知り合いに教えてもらって来たんです。シンちゃんって……。多分ここによく来てると思うんだけど」

 最初に店に入った男が答える。

「ああ、シンちゃんね。シンちゃんの紹介で……」

 お通しのポテトサラダを小鉢に取り分けながら、二人の客に目を泳がせる。

「お飲み物はどうされますか? チャージで千八百円頂いてて、ショットで九百円です。……お二人だし、焼酎ならボトルの方がいいかなあと思いますけど……」

 カウンターに立てた小さなメニューカードを手に、二人の客へ促す。

「……それじゃ、焼酎で。ケンジさんもいいですよね? 焼酎で」

 最初に店に入ってきた男が左に少し首を回し、すかさず答える。

「あ、はい。ありがとうございます。ボトルですね。……それで、割り物は? 緑茶、ジャスミン、ウーロン、一応何でもありますが」

「ああ、俺はジャスミンで。ケンジさんは?」

「俺も一緒で」

 ブルーのガラス瓶を手にしたカウンターの二人に順に目を合わせる。

「あ、すみません。まだお名前伺っていなかったですよね。……あの、ヨシと言います。一応、この店のママです。それでお二人は?」

「俺がショウイチで、こっちがケンジさん」

 差し出したグラスを口にしたショウイチが答える。

「ショウイチさんにケンジさんですね。今後とも宜しくお願いします」

 本名のヨシユキと片仮名で名前が書かれた名刺を二人の前に差し出し、小さく会釈する。ケンジと紹介された男がちらちらとこちらを盗み見しているようにも思えたが、そんな事はよくある事だ。気にも留めず二人の会話に相槌あいづちを打つ。

「ねえ、ヨシママ何か歌ってよ。何でもいいから」

 電モクをいじりながら、ショウイチがカラオケを促してくる。

「何がいいですか?」

 ショウイチがいじる電モクを覗きながら、少し甘ったるい声を出してみた。ショウイチにしろ、ケンジにしろ、まだ歳は聞いていなかったが四十代に見える。そんな年代には少し甘えた営業をした方がいい事は心得ている。

「それじゃ、やっぱり、だよね」

 ショウイチが開いたページを覗き込む。引退をして数年経っても、安室の歌はこの町での定番だ。ショウイチの手許に指を伸ばし、電モクを操作する。隣に座るケンジを目に入れる事なく、ショウイチへと笑いかける。十秒ほど経ったあと、店内に三つある画面に、ツインテールで赤いノースリーブの安室が映し出された。

 安室に合わせ、ぴょこぴょこと跳ねながら歌う。カウンターに座る二人が楽しんでいるかを窺う。リクエストをしたショウイチの視線は画面に映る安室に向けられているが、何故かケンジの視線はじっとこちらを向いていた。さっきまではちらちらと盗み見されているような視線だったが、今はじっとりと絡み付いてきている。

「そろそろ行くよ。また今度ゆっくり」

 腰を上げたショウイチに、素直に伝票を手渡す。

「気を付けて帰ってください。またいらして下さいね」

 見送りの声を背中にショウイチに続いてケンジもドアを抜けた。カウンターの中から二人に小さく手を振る。開いたドアの先。廊下の窓にはまだ降り続ける雨だ。

 ショウイチとケンジが帰った後、他に客が来る事はなかった。朝まで止む事のなかった雨に全てをはばまれたようだ。いくらぴょこぴょこと跳ねながら歌を披露しても、頭痛が治まる事はなく、伸びない売り上げに悩みもするが、頭痛に歪める顔を大勢の客に見られる事もなく、小さな安堵も生まれた。


「ねえ、ヨシママ。その後ろのポスター何?」

「ああ、これね。周年パーティーなの。よかったら来てちょうだいね」

 自身が女装し撮影されたポスター。もちろんそんな趣味はなかったが、周年のパーティーには女装か仮装をする。この町の仕来りと言えるような習慣に合わせて、作られたポスターだ。

——2nd Anniversary Party——

 ポップな感じを意識したカラフルなロゴに、七十年代風のワンピースで女装をした。それは撮影のために新しく買った水色のワンピースだった。

「もしかしたら……このポスターの女性って……ヨシママなの?」

 常連とまではいかないが、最近ちょこちょこと店に来てくれるようになった武田がポスターをスマホのカメラに収めている。

「恥ずかしながら……そうです」

 武田に向かって小さく笑ってみせる。

「ええ、やっぱり。ヨシママ本当綺麗ですね。ヨシママ、イケメンだけど色が白いし、こう言う格好も本当似合ってますよ」

「パーティーの日もこれと同じ女装するから、良かったら来てちょうだいね。三千円で焼酎飲み放題なの」

「もちろん来ます。金曜だったら仕事のあと来ます。土曜日は……あ、二日連続で来ちゃおうかなあ」

 二十六歳だと言っていた武田が屈託なく笑っている。連れがいるわけではなく、いつも一人で飲みに来る武田は、確か学校の先生だと言っていたはずだ。そんな武田の若く屈託のない笑顔に癒される事は、年輩者の多いこの店では珍しかった。

「こんな小さな店だし、立ち飲みになるかもしれないけど、よかったらお友達も誘って来てちょうだいね。着飾って待ってるから」

「いいですねえ、あ、じゃあ、同僚誘って来ます。三千円で飲み放題ですよね? 安いから絶対来ると思います」

 武田はゲイではなかった。いわゆるノンケ、ストレート。それでも新宿二丁目のこんな店に、ちょこちょこと顔を出してくれているのだから、実際のところは分からない。だが最近はゲイでなくてもゲイバーで飲むノンケが増えている。武田は単にゲイバー好きのノンケなのだと理解も出来る。

「ありがとう。あ、でも、うち女の子はお断りしているの」

「大丈夫ですよ。同僚は男なんで……妻子持ちですが、安い酒に飢えているんで喜んで来ると思います」

 十時を回ってようやく他の客の姿が見えた頃、明日も仕事なんでと、武田が席を立った。次に訪れた客に気を遣ったわけではなく、もう充分飲んだからと言う顔の武田を廊下まで見送る。


 周年パーティーの日、武田は約束通り同僚を誘って店を訪れてくれた。武田とその同僚が訪れた時はまだ早い時間だったので、最初はカウンターに座らせていたが、酒が回り過ぎたのか、立ち上がった二人に戻る椅子はなかった。

 二十六歳と三十四歳のノンケとあって、他の客に二人は可愛がられていた。周年祝いにと開けられたシャンパンを浴びるように飲まされる二人。

「いやあ、もうこれ以上飲めないっすよ」

「何で、服脱がせるんすか?」

 酔いつぶれた二人のそんな声を耳にしていたが、構う余裕なんてものはなかった。次から次に訪れる客を週末だけのバイト、それとパーティーのために雇ったヘルプとの三人で捌いていかなければならない。もちろんパーティーの金庫係をバイトやヘルプに任せる訳にはいかなかったので、祝いに開けられたシャンパンを口にしながらも、そのシャンパンを間違わないように伝票に付けていく。飲み放題三千円だと言っても、その祝いが店の大きな収益になる。

 話し声も聞こえないほどの大騒ぎの中、武田とその同僚に目を向けた時、二人は服を全部ぎ取られ丸裸にされていた。パーティーでなくてもよくある光景ではあったが、馴れない二人に救いの手を差し伸べる。

「ちょっと! ノンケさんたちに服返してあげて! 次からお店来てくれなくなるでしょ! それに左の眼鏡のお兄さんは、今日が初めての二丁目なのよ!」

 笑いながらも大きな声で、二人の服を剥ぎ取った数人の常連客を制止する。

「えっ? 今日が初めてなの? それじゃあ……」

「やめて! やめて! やめて! うちの店で変な事しないでよ」

 収集が付かない大騒ぎではあったが、周りの常連客も十分な酒量にただただ腹を抱えて笑っている。それは武田とその同僚にしても同じようで、丸裸にされながらも、大きな笑い声を上げていた。そんな武田に連れられて来た同僚が、小学校時代の同級生、三芳貴久だと言う事は、次に武田と貴久が店に訪れた時に知らされる事になった。
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