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05 再会・晴人と夏樹
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当事者たちを残し、取り巻きの三人は帰らせたが、それでも一向に進まない聞き取りに晴人は少し苛立ちを募らせていた。被害者だと言う男はクレジットカードを盗まれ、悪用されたと言うが、詳しい状況は話さない。
「それで? どう言う状況でクレジットカードを盗まれたんですか? それと盗んだと言うあの男とはどう言う知り合いで?」
「いや、だから……知り合いじゃないですけど、あいつに盗まれたんですよ。あいつが盗んだのは間違いないんです」
「だから……その時の状況を詳しく話してもらわないと、何も分からないし、話が進まないじゃないですか?」
もう彼是一時間も同じやり取りをしていた。隣の部屋でクレジットカードを盗んだとされる男の話は、先輩に当る安原が聞いていたが、その男は何も知らない、歩いていたら突然羽交い絞めにされ、いちゃもんをつけられたと言っているらしい。
廊下で安原と双方の話を照らし合わせてみても、それ以上の進展のなさに、どうして話を終わらせようか? 安原と二人頭を抱えるしかなかった。東新宿と言う場所柄、男二人の揉め事、それはある程度想像は付くが、当事者が何も語らないのであれば、それは憶測に過ぎず、その憶測で話を進める訳にも行かない。
「ここからのお話はあくまでも一例ですので」
一向に進まない話に別のアプローチを持ち出す。それはもちろん安原の入れ知恵あっての事だった。
「以前にも似たような被害が出ていまして、ただその被害者の方は結局被害届は出されませんでした」
「どう言う意味ですか?」
「以前の……その被害者の方は……その被害者の方も男性ですが、初めて会った男と一緒にホテルへ行き、シャワーを浴びている最中に現金やクレジットカードを盗まれたと……被害届を出して、もしその犯人とされる男と裁判になれば、事の詳細を一から十まで話さないといけなくなります……そうお話ししたところ届は出さないと……」
「えっ? 俺のカード盗んだ奴がいるのに、警察は何もしてくれないんですか?」
「何もしないとは言っていませんよ。……届を出すなら事の詳細を教えて下さい。どこであの男と知り合ったのか? どのような状況でカードを盗まれたのか? ただ詳しく教えて頂ければいいんです。……ただ、あなたが何も話してくれないなら警察は何もできません。詳しく話して頂けないなら、あの男を訴える事はできませんから」
「……分かりました」
「……と、言うと」
怒りを含んだ男の声に、わざとらしいほど穏やかな声を出してみる。
「……分かりました。もういいです。……帰ります」
「お話して頂ける気になったら、いつでも来て下さい。刑事課強行犯捜査二係の古賀晴人と言います」
名刺を取り出し渡す事で、警察は何もしないのではなく、何も出来ないと言う事を意思表示する。男をエレベーターに乗せ玄関ロビーまで見送り、安原の元へと戻る。つまらない用件でこれ以上、安原の手を煩わせる訳にはいかない。
「安原さん、あとは俺が引き継ぎます」
ドアを開けた途端、安原がすかさず立ち上がる。
「ああ、あとよろしく頼むな」
入れ知恵の効果を分かっていたような、呆気ない態度に小さく一礼する。六年先輩に当る安原は六年以上分の知恵を持っている。それに自身にはまだ備わらない凄みも持ち合わせている。今日その凄みを見せたのかは分からないが、鮟鱇のように目をギロリと見開き睨みつける安原の目は、途轍もなく恐ろしく感じるものだ。実際のところ鮟鱇はおろか深海魚もまともに見た事はないが、安原の見開いた目は鮟鱇のようだと形容して間違いなかった。
「……さっきの男は、被害届は出さないと帰ったんで、これでお帰り頂いて結構です」
安原に座らされた男を目に収める事もせず、事務的に進める。
「刑事さん、何もしてないのに、いきなりここに連れて来られて、お帰り頂いて結構ですってないんじゃないですか?」
男の悪態に、面倒だな。と、うんざり肩を落とす。
「取り調べをして欲しいなら幾らでもしますよ。あなたがクレジットカードを盗み、悪用したかどうかは調べればすぐに分かりますから」
「俺は何もしていないって言っているだろ?」
悪態をついた男の声が大きくなる。
「分かっていますよ。……ただ調べれば分かると言っただけです。カードを悪用する連中は、まずコンビニで使いますからね。コンビニで少額なら暗証番号も必要ない。この手の事件は、コンビニの防犯カメラを調べれば一発なんです。……それで、どうしますか? さっきの男は届を出さずに、もう帰りましたが……」
「分かったよ。帰ってやるよ」
「では、また何かあれば連絡させて頂きます。刑事課強行犯捜査二係の古賀です。それではお帰り下さい」
名刺を取り出し、顔を引き攣らせながら悪態を鎮火させた男に手渡す。被害者と名乗った男同様に、エレベーターに乗せ玄関まで見送る。その間、男が口を開く事はなかったが、何故かこちらの顔を穴が開くほど見つめている。
気持ち悪くもあるが、その手の男ならよくある事だと、気にも留めず終始無言のまま男を見送る。犯罪者に礼は必要ないと、一礼する事もなく見送った男の背中に小さく息を吐く。
玄関ロビーにある自販機で缶コーヒーを二本買い、四階へと戻る。
「安原さん、ありがとうございました」
つまらない用件で安原の手を煩わせたと言う詫びのつもりで買った缶コーヒー。人手不足は誰のせいでもないが、つまらない用件は一番の下っ端が処理しなければならない。
「ああ、古賀、ありがとう。お疲れさん。……さっきのあいつはクロだな。でも、まあ、届が出されなかったんだから、これで終わりだ。……これ、さっきのあいつの調書だ。何かあったら困るから、連絡先だけ残して処分しておいてくれよ」
安原に手渡された調書は、調書と言えるような物ではなく、名前、住所、電話番号、生年月日、出身校などが書かれただけのメモ書きだった。無職と書かれた大きく汚い字だけが目を引いている。
「はい、分かりました」
席に戻り、缶コーヒーに口を付ける。たとえ届が出されなくても、報告書としてデータを残さなければならない。安原に渡されたメモ書きと、さっき聞き取ったノートをテーブルの上に並べる。パソコンを開き、ようやく安原に渡されたメモ書きにと目を落とした時、さっき穴が開くほどこちらを見つめていた男の顔を思い出した。
三春夏樹、福島県郡山市……、一九八九年、五月二十三日……。鈴木や田中と言ったありふれた名前ではなかった。みはるなつき……。一九八九年、平成元年……。
——まさか?
一瞬まさかと思ったが、安原が書き殴った阿佐ヶ谷西小学校と言う汚い文字に、まさか? と言う疑いが消えていく。遠い記憶を遡れば、自身の中にも阿佐ヶ谷西小学校と言う経歴を見る事が出来る。その時代の記憶を蘇らせる事は難しくても、そこに三春夏樹と言う名前が刻まれている事は、間違いのない事だと体が覚えている。その書き殴られた名前に思い出せそうで思い出せない遠い記憶に何故か頭を大きく揺らされる。
「古賀君、電話よ」
声に振り返ると、自然と頭の揺れが止まった。
「内線二番」
「あ、はい、分かりました」
ほんの少し浮かび上がりそうになった記憶はすでに沈んでいた。それはほんの数秒の出来事で、誰かに悟られる事もなく、頭の揺れは止まっていた。
「……もしもし、古賀です」
左手に受話器を持ち、右手を缶コーヒーへと伸ばす。
「……もしもし、俺だよ」
聞き慣れない声が、慣れ慣れしく、話しかけてくる。
「どちら様ですか? ご用件は?」
右手を伸ばした缶コーヒーに口を付け、聞き慣れない声に耳を傾ける。
「……さっきは、どうも」
「えーっと、どちら様ですか?」
「……夏樹だよ、夏樹。さっき会っただろ? 三春夏樹」
記憶が浮かび上がる事も、頭が揺れる事もなかった。ただ口に含んでいたコーヒーが意思に反しごくりと喉奥へ流し込まれた。
「どの様なご用件ですか?」
淡々と答えてみたが、電話の主はいっそう馴れ馴れしく続ける。
「わあ、失礼だなあ。……俺はすぐ思い出したのに、俺の事全然思い出さないの? なんか寂しいなあ。同級生だろ? 俺たち」
ついさっき、まさか? と、思った情報が一つ、また一つと繋げられていく。記憶が浮かび上がる事はなかったが、少しの恐怖を覚え始めていた。どうしてわざわざ電話などしてきたのだろうか? ほんの三十分程しか経っていないのに。そんな短い時間でどうして、まだ思い出す事が出来ない昔の事を思い出せたのだろうか?
「何の事か分かりませんが、どう言ったご用件ですか?」
白を切り続ける事で、何もなかったかのように全てを流す事が出来ると思いたかった。過去は過去だ。三春夏樹と言う男には何の繋がりもない。それに盗人と言えば立派な犯罪者である。
「久々に会ったんだから、飯でもどうよ。あ、俺たちもう大人だし、飯じゃなく酒の方がいいかな?」
「その様なご用件なら、電話を切らせて頂きますね」
「わあ、冷たいなあ。じゃあ、また今度と言う事で。また電話するから」
事務的な対応に諦めたのか、先に電話を切ったのは夏樹だった。ツーツーという機械音を暫く聞いていたが、少し覚えた恐怖が消えてなくなっていた事を確認し、受話器を置いた。
右手にした缶コーヒーを一息に飲み乾す。先に電話を切った夏樹ではあったが、その数日後再び署に電話を寄越してきた。
「それで? どう言う状況でクレジットカードを盗まれたんですか? それと盗んだと言うあの男とはどう言う知り合いで?」
「いや、だから……知り合いじゃないですけど、あいつに盗まれたんですよ。あいつが盗んだのは間違いないんです」
「だから……その時の状況を詳しく話してもらわないと、何も分からないし、話が進まないじゃないですか?」
もう彼是一時間も同じやり取りをしていた。隣の部屋でクレジットカードを盗んだとされる男の話は、先輩に当る安原が聞いていたが、その男は何も知らない、歩いていたら突然羽交い絞めにされ、いちゃもんをつけられたと言っているらしい。
廊下で安原と双方の話を照らし合わせてみても、それ以上の進展のなさに、どうして話を終わらせようか? 安原と二人頭を抱えるしかなかった。東新宿と言う場所柄、男二人の揉め事、それはある程度想像は付くが、当事者が何も語らないのであれば、それは憶測に過ぎず、その憶測で話を進める訳にも行かない。
「ここからのお話はあくまでも一例ですので」
一向に進まない話に別のアプローチを持ち出す。それはもちろん安原の入れ知恵あっての事だった。
「以前にも似たような被害が出ていまして、ただその被害者の方は結局被害届は出されませんでした」
「どう言う意味ですか?」
「以前の……その被害者の方は……その被害者の方も男性ですが、初めて会った男と一緒にホテルへ行き、シャワーを浴びている最中に現金やクレジットカードを盗まれたと……被害届を出して、もしその犯人とされる男と裁判になれば、事の詳細を一から十まで話さないといけなくなります……そうお話ししたところ届は出さないと……」
「えっ? 俺のカード盗んだ奴がいるのに、警察は何もしてくれないんですか?」
「何もしないとは言っていませんよ。……届を出すなら事の詳細を教えて下さい。どこであの男と知り合ったのか? どのような状況でカードを盗まれたのか? ただ詳しく教えて頂ければいいんです。……ただ、あなたが何も話してくれないなら警察は何もできません。詳しく話して頂けないなら、あの男を訴える事はできませんから」
「……分かりました」
「……と、言うと」
怒りを含んだ男の声に、わざとらしいほど穏やかな声を出してみる。
「……分かりました。もういいです。……帰ります」
「お話して頂ける気になったら、いつでも来て下さい。刑事課強行犯捜査二係の古賀晴人と言います」
名刺を取り出し渡す事で、警察は何もしないのではなく、何も出来ないと言う事を意思表示する。男をエレベーターに乗せ玄関ロビーまで見送り、安原の元へと戻る。つまらない用件でこれ以上、安原の手を煩わせる訳にはいかない。
「安原さん、あとは俺が引き継ぎます」
ドアを開けた途端、安原がすかさず立ち上がる。
「ああ、あとよろしく頼むな」
入れ知恵の効果を分かっていたような、呆気ない態度に小さく一礼する。六年先輩に当る安原は六年以上分の知恵を持っている。それに自身にはまだ備わらない凄みも持ち合わせている。今日その凄みを見せたのかは分からないが、鮟鱇のように目をギロリと見開き睨みつける安原の目は、途轍もなく恐ろしく感じるものだ。実際のところ鮟鱇はおろか深海魚もまともに見た事はないが、安原の見開いた目は鮟鱇のようだと形容して間違いなかった。
「……さっきの男は、被害届は出さないと帰ったんで、これでお帰り頂いて結構です」
安原に座らされた男を目に収める事もせず、事務的に進める。
「刑事さん、何もしてないのに、いきなりここに連れて来られて、お帰り頂いて結構ですってないんじゃないですか?」
男の悪態に、面倒だな。と、うんざり肩を落とす。
「取り調べをして欲しいなら幾らでもしますよ。あなたがクレジットカードを盗み、悪用したかどうかは調べればすぐに分かりますから」
「俺は何もしていないって言っているだろ?」
悪態をついた男の声が大きくなる。
「分かっていますよ。……ただ調べれば分かると言っただけです。カードを悪用する連中は、まずコンビニで使いますからね。コンビニで少額なら暗証番号も必要ない。この手の事件は、コンビニの防犯カメラを調べれば一発なんです。……それで、どうしますか? さっきの男は届を出さずに、もう帰りましたが……」
「分かったよ。帰ってやるよ」
「では、また何かあれば連絡させて頂きます。刑事課強行犯捜査二係の古賀です。それではお帰り下さい」
名刺を取り出し、顔を引き攣らせながら悪態を鎮火させた男に手渡す。被害者と名乗った男同様に、エレベーターに乗せ玄関まで見送る。その間、男が口を開く事はなかったが、何故かこちらの顔を穴が開くほど見つめている。
気持ち悪くもあるが、その手の男ならよくある事だと、気にも留めず終始無言のまま男を見送る。犯罪者に礼は必要ないと、一礼する事もなく見送った男の背中に小さく息を吐く。
玄関ロビーにある自販機で缶コーヒーを二本買い、四階へと戻る。
「安原さん、ありがとうございました」
つまらない用件で安原の手を煩わせたと言う詫びのつもりで買った缶コーヒー。人手不足は誰のせいでもないが、つまらない用件は一番の下っ端が処理しなければならない。
「ああ、古賀、ありがとう。お疲れさん。……さっきのあいつはクロだな。でも、まあ、届が出されなかったんだから、これで終わりだ。……これ、さっきのあいつの調書だ。何かあったら困るから、連絡先だけ残して処分しておいてくれよ」
安原に手渡された調書は、調書と言えるような物ではなく、名前、住所、電話番号、生年月日、出身校などが書かれただけのメモ書きだった。無職と書かれた大きく汚い字だけが目を引いている。
「はい、分かりました」
席に戻り、缶コーヒーに口を付ける。たとえ届が出されなくても、報告書としてデータを残さなければならない。安原に渡されたメモ書きと、さっき聞き取ったノートをテーブルの上に並べる。パソコンを開き、ようやく安原に渡されたメモ書きにと目を落とした時、さっき穴が開くほどこちらを見つめていた男の顔を思い出した。
三春夏樹、福島県郡山市……、一九八九年、五月二十三日……。鈴木や田中と言ったありふれた名前ではなかった。みはるなつき……。一九八九年、平成元年……。
——まさか?
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「古賀君、電話よ」
声に振り返ると、自然と頭の揺れが止まった。
「内線二番」
「あ、はい、分かりました」
ほんの少し浮かび上がりそうになった記憶はすでに沈んでいた。それはほんの数秒の出来事で、誰かに悟られる事もなく、頭の揺れは止まっていた。
「……もしもし、古賀です」
左手に受話器を持ち、右手を缶コーヒーへと伸ばす。
「……もしもし、俺だよ」
聞き慣れない声が、慣れ慣れしく、話しかけてくる。
「どちら様ですか? ご用件は?」
右手を伸ばした缶コーヒーに口を付け、聞き慣れない声に耳を傾ける。
「……さっきは、どうも」
「えーっと、どちら様ですか?」
「……夏樹だよ、夏樹。さっき会っただろ? 三春夏樹」
記憶が浮かび上がる事も、頭が揺れる事もなかった。ただ口に含んでいたコーヒーが意思に反しごくりと喉奥へ流し込まれた。
「どの様なご用件ですか?」
淡々と答えてみたが、電話の主はいっそう馴れ馴れしく続ける。
「わあ、失礼だなあ。……俺はすぐ思い出したのに、俺の事全然思い出さないの? なんか寂しいなあ。同級生だろ? 俺たち」
ついさっき、まさか? と、思った情報が一つ、また一つと繋げられていく。記憶が浮かび上がる事はなかったが、少しの恐怖を覚え始めていた。どうしてわざわざ電話などしてきたのだろうか? ほんの三十分程しか経っていないのに。そんな短い時間でどうして、まだ思い出す事が出来ない昔の事を思い出せたのだろうか?
「何の事か分かりませんが、どう言ったご用件ですか?」
白を切り続ける事で、何もなかったかのように全てを流す事が出来ると思いたかった。過去は過去だ。三春夏樹と言う男には何の繋がりもない。それに盗人と言えば立派な犯罪者である。
「久々に会ったんだから、飯でもどうよ。あ、俺たちもう大人だし、飯じゃなく酒の方がいいかな?」
「その様なご用件なら、電話を切らせて頂きますね」
「わあ、冷たいなあ。じゃあ、また今度と言う事で。また電話するから」
事務的な対応に諦めたのか、先に電話を切ったのは夏樹だった。ツーツーという機械音を暫く聞いていたが、少し覚えた恐怖が消えてなくなっていた事を確認し、受話器を置いた。
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